『シルバーバーチの霊訓』1巻 4章 “物”に惑わされない生き方
※当時のコメントがところどころに残されていますが、ご参考までにそのまま掲載させて頂きます(祈)
『シルバーバーチの霊訓①』
その日その日の煩わしい雑事に追いまくられ心配事や悩み事を抱えた生活を送っていると、時としてあなた方は何故こんな目に遭わなければならないのかと思ったり、またこれもよくある事ですが気持の通じ合った仲だと思っていた人から冷たい態度に出られたりして、―
『シルバーバーチの霊訓①』
―理想を求める旅路で初めて光を見た時の感激をつい忘れてしまいがちです。その感激的体験の純粋無垢の美しさは時の経過とともにある程度その輝きを失いがちなものであり、体験当初のあの喜悦を今一度味わう事は必ずしも可能ではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
しかし今私たちが携わっている仕事は、それぞれの持ち場において測り知れない重大性をもっております。肉体という物質の牢に閉じ込められ意識を制限された状態で物的生活を送っているあなた方には、霊と心と身体の関係について明確な理解をもつ事は不可能です。
『シルバーバーチの霊訓①』
気苦労の絶え間がありません。身体の要求を満たしてやらなくてはなりません。金銭の問題にも関わらなくてはなりません。そうした息つく暇もない生活の中であなた方はつい意識の焦点をはずし、支援しようとして待機している背後霊の存在を忘れがちです。
『シルバーバーチの霊訓①』
この交霊会での私の嬉しい役目の一つは、そうした状況下に置かれているあなた方が、初期の聖なる目的に向けて導かんとする愛の力によって、意識するしないにお構いなく見守られているという事を思い出させてあげる事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
その愛の光の証をお見せしたり、あなた方を取り巻いているところの霊の世界の美しさを披露する事は、たとえ要求されてもなかなか叶えられるものではありません。しかし事実、間違いなく存在するのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
霧が視野をさえぎる事があるかも知れません。しかし所詮は霧です。私どもの世界から光を射し込む事ができるし、現にこうして射し込んでおります。
『シルバーバーチの霊訓①』
これまで何年もの準備期を経て、こうしてあなた方を奉仕の仕事に導いてきたように、これからもその光と力とがあなた方が道を迷わぬよう導き続ける事でしょう。そして万一迷ってもすぐ元の道に立ち戻らせ、神への道を歩み続けさせるよう配慮する事でしょう。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアル・ストーリーズ」これは霊界の存在を当り前のものとして書かれた初めての児童向け童話です。僕はこの本、最高に大好きです。美しすぎるのです。この本を読むたび、センナちゃんもきっとこんな幼少期だったのだろうと思うのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方は本当の意味で祝福を受けられた方たちです。なぜならあなた方は地上のいかなる富も影が薄くなるほど高価な霊的知識の所有者だからです。こう申上げるのは、あなた方もぜひ私どもと同じ視野から人生を理解して頂きたいからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
私どもは地上生活を物的視野でなく、価値観も異なれば判断の規準も異なる霊的世界から眺めております。その視野からの判断の方が遥かに真実に近いと信じています。人間は物質の中に埋れた生活をしているためにバイブレーションが低くなっております。
『シルバーバーチの霊訓①』
朝、目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちからあれやこれやと煩わしい事や心配事の波にのみ込まれていきます。大きい悩み、小さい悩み、真実の悩み、取越苦労に過ぎぬもの等々いろいろあります。―
『シルバーバーチの霊訓①』
―が、いずれにせよ全ては一時的なものにすぎないのですが、そういうものに心を奪われてしまうと背後で霊が働いてくれている事実を忘れ、あなた方の思考の流れの中から霊的要素を閉め出してしまい、霊的流入を遮断する一種の壁をこしらえてしまいます。
『シルバーバーチの霊訓①』
これは真理普及の仕事に携わる人にも“よくある話”なのです。奉仕の情熱、落胆、試練、そして悟り、このパターンの繰返しです。これは魂が自我に目覚め、内在する神性を開発せんとして必死にあがく一種のシーソーゲームのようなものです。
『シルバーバーチの霊訓①』
神の使徒の一人一人が、先覚者の一人一人が、予言者の一人一人が、その他霊感鋭き男女の一人一人が辿った道なのです。悟りの道にも満ち潮と引き潮にも似た盛衰があるという事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
しかし大勢の方に申上げてきた事ですが、一人一人の人生にはあらかじめ定められたパターンがあります。静かに振り返ってみれば何者かによって一つの道に導かれている事を知るはずです。あなた方には分らなくてもちゃんと神の計画が出来ているのです。
本の内容を撃てば撃つほど僕がする事になってしまった霊的知識普及の使命の「重大性」を認識せずにいられません。霊的知識が地上に根づく事がいかに急務かつ重要である事か。イエス様の怒涛の連続顕現の意味、そしてご意志をひしひしと感じるのです。僕はこんな器じゃないけどやるしかないんです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
定められた仕事を成就すべく、そのパターンが絶え間なく進行しています。人生の真っ只中で時としてあなた方は、一体なぜこうなるのかとか、いつになったらとか、どういう具合にとか、何がどうなるのかといった疑問を抱くことがある事でしょう。無理もない事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
しかし私には、全てはちゃんとした計画があっての事です、としか言いようがありません。天体の一分一厘の狂いのない運行を見れば分るように、宇宙には偶然の巡り会わせとか偶然の一致とか、ひょんな出来事といったものは決して起きません。
『シルバーバーチの霊訓①』
全ての魂がそうであるようにあなたの魂も地上でいかなる人生を辿るかを誕生前から承知していたのです。その人生で遭遇する困難、障害、失敗の全てがあなたの魂を目覚めさせる上での意味をもっているのです。価値ある賞ほど手に入れるのが困難なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
容易にもらえるものはもらう価値はない事になります。簡単に達成したものほど忘れやすいものです。内部の神性の開発は達成困難なものの中でも最も困難なものです。人生は全て比較対照の中で展開しております。光も闇もともに神を理解する上での大切な要素です。
『シルバーバーチの霊訓①』
もし光と闇とが存在しなければ光は光でなくなり闇は闇でなくなります。つまり光があるから闇があり闇があるから光があるのです。同じく昼と夜がなければ昼は昼でなくなり夜は夜でなくなります。愛と憎しみがなければ愛は愛でなくなり憎しみが憎しみでなくなります。
『シルバーバーチの霊訓①』
その違いが分るのは相対的だからです。しかし実は両者は一本の棒の両端にすぎないのです。元は一つなのです。しかしその一つを理解するには両端を見なければならないのです。それが人生です。光と闇の両方がなければなりません。温かさと寒さの両方がなければなりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
喜びと悲しみの両方がなければなりません。自我を悟るにはこうしたさまざまな経験が必要です。“完全”は絶対に成就できません。なぜならそれには“永遠”の時が必要だからです。私は謎めいた事を言っているのではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
要するに完成へ向けての絶え間ない過程において、一歩前進すればそのまた一歩先が見えてくるという事です。知識と同じで知れば知るほど知らなければならないことがある事を自覚するものです。
『シルバーバーチの霊訓①』
知識にはこれでおしまいというものはありません。叡智にも真理にも霊的悟りにも、おしまいというものはありません。なぜならそれらは全て無限なる神の一部だからです。
僕が地上に残って霊的知識普及の使命を担う覚悟を決めて以降、特にメッセージは降ってきてません。がテキストを撃ってると強烈な法悦の霊力に包まれるのです。正直僕はテキストを撃ち続けるのにうんざりしてますが、霊団の方々のご意志は「撃ち続けてくれ」という事、僕の心と正反対なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
地上生活に何一つ怖いものはありません。取越苦労は大敵です。生命力を枯渇させ霊性の発現を妨げます。不安の念を追い払いなさい。真実の愛は恐れる事を知りません。その愛が宇宙を支配しているのです。そこに恐怖心の入る余地はないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
それは無知の産物にほかなりません。つまり知らないから怖がるのです。ですから知識を携えて霊的理解の中に生きる事です。取越苦労の絶えない人は心のどこかにその無知という名の暗闇がある事を示しています。そこから恐怖心が湧くのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間が恐るべきものは恐怖心それ自体です。恐怖心は闇の産物です。霊力に不動の信念をもつ魂は恐れる事を知りません。あなた方の“呼吸する”というなんでもない動作一つでも、それを可能にしているのは、―
『シルバーバーチの霊訓①』
―宇宙を創造し惑星や恒星の運行を司り、太陽に無尽蔵のエネルギーを与え、大海の干満を司り、あらゆる植物の種子に芽を出させ、地上に千変万化の彩りを添えさせているところの根源的生命力と同じものです。
『シルバーバーチの霊訓①』
その力はかつて一度たりとも働きを狂わせた事はありません。海の干満が止まった事が一度でもあったでしょうか。地球が回転を止めた事があったでしょうか。自然法則が機能しなかった事があったでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓①』
物質界は生活の一側面にすぎません。あなたの生活の全体ではないのです。人間の多くが悩みが絶えないのは、無意識のうちに物質の世界にのみ生きていると思い込んでいるからです。本当はあなた方と私とは同じ宇宙の中に存在するのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊界と地上とが水も漏らさぬように区別されているのではありません。互いに融合し合い調和し合っています。死ぬという事は物的身体による認識をやめて霊的身体によって魂の別の側面を表現しはじめるという事に過ぎません。
「誰でも知ってる歴史上の天才画家」の方が僕に新たに協力して下さるというメッセージも受取っていたので、もちろん僕は絵に戻れるんだと思っていたのです。しかし実際は「画家」の看板を下ろさなきゃいけないほど果てしなくテキストと格闘しなければいけなくなりました。思念描画カモンなのに…(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方が直面する悩み事は私にもよく分っております。しかし霊的知識を有する者はそれを正しく運用して物的要素に偏らないようにならなければなりません。霊的要素の方に比重を置かなければいけないという事です。正しい視野に立って考察すれば、焦点を正しく定めれば、―
『シルバーバーチの霊訓①』
―日常生活での心の姿勢さえ正しければ物的要素に対して最小限度の考慮を払い決して偏る事はないでしょう。そうなれば霊的自我が意のままに働きあなたを支配し生活全体を変革せしめるほどの霊力が漲り、ついに物的要素に絶対に動かされない段階にまで到達する事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
永遠なるものを日常の出来事を基準にして判断しても駄目です。あなた方はとかく日常の精神によって色づけされた判断、つまり自分を取り巻く環境によって判断を下しがちです。
『シルバーバーチの霊訓①』
そして、それまで成就してきた成果の方は忘れがちですが、これは物質の中に閉じ込められ、朝目を覚ました瞬間から夜寝るまで日常的問題に追いまくられているからです。今と昔を較べるために過去のページを繙いてご覧なさい。
『シルバーバーチの霊訓①』
そこに背後霊による指導のあとがありありと窺えるはずです。霊的知識に恵まれた者は決して首をうなだれる事なく、脇目も振らず前向きに進めるようでなくてはなりません。背後霊は決して見捨てない事をご存知のはずです。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間が神に背を向ける事はあっても、神は決して人間に背を向ける事はありません。無限の可能性を秘めたこの大宇宙の摂理と調和した生活を営んでさえいれば必要な援助は必ず授かります。これは決して忘れてはならない大切な真理です。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊の世界の存在を知った者はより大きな生活の場を垣間見た事になります。宇宙の構造の内奥に触れたが故に無責任な事ができなくなります。置かれた世界に対する義務と責任をいっそう自覚するからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
決してそれを疎かにせず、また物的な事に心を奪われたり偏ったりする事もありません。安全も援助も全て“霊”の中に見出す事ができます。地上の全ての物的存在も、あなた方の身体も、霊の顕現であるからこそ存在し得るのです。
僕が言うのもなんですがm(_ _)m みなさん、本を読みましょう☆素敵な本はたくさんあります。(ブログ“さらにさらに書籍紹介です♪”参照) そして困難、苦難から逃げることなく、勇気をもって真正面から立ち向かいましょう☆艱難辛苦の先に光がある、これだけは間違いありません☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
この真理があなたの生活を支配しはじめた時、それに伴う内的静寂と冷静さが生まれ日常生活の一つ一つに正しい認識をもつ事ができるようになります。あほらしく思えていい加減に処理したり、義務を怠るようになると言っているのではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
私が申し上げたいのは、そうした知識を手にした人でも、ややもすると日常生活の基盤である霊的真相を忘れてしまいがちであるという事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的な目で日常生活を眺め、その背後に霊的基盤がある事を忘れずにいれば、最大の敵であるところの取越苦労と決別できるようになります。知識はわが身を守る鎧です。不安は魂を蝕み錆つかせます。
『シルバーバーチの霊訓①』
もし神が私に何か一つあなた方へプレゼントする事を許されたとしたら、私が何よりも差し上げたいと思うのは“霊的視力”です。この薄暗い地上に生きておられるあなた方を私は心からお気の毒に思うのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方は身のまわりの見えざる世界の輝きがどれほど素晴らしいかをご存じない。宇宙の美しさがご覧になれない。物質という霧が全てを遮断しています。それはちょうど厚い雲によって太陽の光が遮られているようなものです。
『シルバーバーチの霊訓①』
その輝きを一目ご覧になったら、この世に悩みに思うものは何一つない事を自覚されるはずです。私たちは法則と条件による支配を受けます。その時々の条件に従って能力の範囲内の事をするほかはありません。―
『シルバーバーチの霊訓①』
―が目に見えようと見えまいと耳に聞こえようと聞こえまいと手に触れられようと触れられまいと、あなた方を導き、援助し、支えんとする力が常に存在します。
『シルバーバーチの霊訓①』
人のために役立とうと心掛ける人に私はいつも申上げてきた事ですが、見通しがどんなに暗くてもいつかは必ず道は開けるものです。霊の力は生命の力そのものだからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
生命は霊なしには存在しません。生命―その本質、活力、潜在力、こうしたものは全て“霊”であるからこそ存在するのであり、程度の差こそあれ、本質において全存在の創造主と同じものなのです。
あえて書きますが僕は完全無宗教。今まで生きてきて教会に一度も足を運んだ事はなく、聖書も一度も見た事がありません。でもシルバーバーチ霊の言葉に触れるほど、逆にそれでよかったのかもって思うのです。ドグマに毒されずにすみ、今こうして霊的現象に浴させて頂けるようになったのですから(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
これは全てが夢幻しに過ぎない物質界に生きているあなた方にとっては理解の困難な事です。しかしだからこそ実在が見えざる世界にある事、おぼろげに見ている世界を実在と錯覚しないようにと警告する事が私の任務である訳です。
『シルバーバーチの霊訓①』
曇りのない視覚をもって実在が認識できるようになるのは物質界から撤退して内的世界つまり霊界へ来た時です。私は地上の思想上の名称にはこだわりません。団体や組織にも頓着いたしません。霊力の顕現の道具であってくれればよいのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
受入れてくれる備えのある人であればどんな人でも導き、教え、私なりの体験から得た叡智を僅かでもお授けするのが私の仕事なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
もう一つの側面として、こうして同志の協力のもとにその霊的真理をより分りやすい形で披露し、それによって一人でも多くの人が調和のとれた地上生活を送る事ができるようにしてあげる事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
私にとって大事なのは“道具”です。霊が地上に働きかけるには人間という道具が必要です。そこで確実に霊波を受止めてくれる霊能者を一人でも多く見出さねばならないというのがいつもながら私どもにとって難題である訳です。霊力は無限ですが霊能者の数は限りがあります。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊力は無尽蔵ですから霊媒はいくらいても多すぎる事はありません。しかし“師は弟子に応じて法を説く”と言われるように霊力も霊媒の受容力に応じたものしか授けられません。能力以上のものは受けられないのです。
皆さん、本を読みましょう。知識を得ましょう。無知の暗闇を突き破りましょう。僕たちは大切な事を悟るために地上という修行場に降下して来ているのです。霊界こそ僕たちの本来の住処であり、地上は霊界の光によってできた影にすぎません。どうか、どうか皆さんにも霊的知識を得て頂きたいのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
進化の法則は民族全体、人類全体の単位で働いているように個人単位でも働いております。となると当然あなたは満ちては引き引いては満ちながら進化していく霊力の流れによる様々な影響を受ける訳ですが、問題はその霊力の流れそのものと、霊力が顕現される“場”―
『シルバーバーチの霊訓①』
―民族、国家等の組織の集合体をはじめその働きの場である建物とを混同しない事です。人間はとかく自分の関わった組織や団体にのみ霊力が顕現されているかに錯覚しがちですが、霊力というものは何ものによっても“独占”されるものではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間側から勝手に“操る”事もできません。個人としてあなた方にできる事はその霊力の流れる一個の場としてできるだけ純粋であるよう心掛け、できるだけ多くの霊力が顕現されるようにする―つまり人のために役立つようになる事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
ついでに申せば現代の地上には無数の“通路”を通してかつてなかったほどの霊力が注がれております。その通路は霊媒に限りません。それとは気づかぬままに通路となっている人も大勢います。また同じ霊力が他の分野においても活用されております。
『シルバーバーチの霊訓①』
神の計画が変る事はありません。あなた方が自らを変えてその計画に合わせなくてはなりません。神の霊力の流れに調和し、日々の生活をその流れに乗って送ればあなた方の地上での存在意義が完うされます。霊力は地上的基準に従って働くのではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間の勝手な打算的欲望で働きを早めたり自分の方へ引寄せたりはできません。“風は思いのままに吹く。いずこより来りいずこへ行くか汝らは知らず”(ヨハネ・3-8)
本の内容をテキスト化してる時、ある文章を撃ってる時に法悦のレベルが上がり“キィィン”って波長が霊聴で聞こえる時があります。きっとその文章の内容が、守護霊様その他の方々が僕に理解して欲しいメッセージなんだと思うんです。なのでその文章には新たに色えんぴつで線を引いてます(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
星は寸分の狂いもなくその軌道上を回り、潮は間違いなく満ち引きを繰返し、四季は一つ一つ巡りては去り、それぞれに荘厳にして途方もなく雄大かつ崇高なる宇宙の機構の中での役割を果たしております。今あなたがそれを変えようとしても変えられるものではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
がその大自然の営みの原動力である霊力と同じものを自分を通して働かせ、そうする事であなた自身もその営みに参加する事ができるのです。神からの遺産を受継いだ霊的存在としてあなたも神の一部なのです。神はあなた方一人一人であると同時にあなた方一人一人が神なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
ただ規模が小さく、胚芽的存在にすぎず、言ってみれば神のミニチュアです。あなた方は神の縮図であり、その拡大が神という訳です。霊性の高揚と成長と進化を通じて無限の神性を少しずつ発揮していく事によって一歩一歩、無限なる神に近づいていくのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
徐々にではありますが光が闇を照らすように知識が無知の闇を明るく照らして生きます。生長、変化、進化、進歩、開発、発展―これが宇宙の大原理です。一口に進化と言ってもそこには必ず潮の干満にも似た動きがある事を知って下さい。
『シルバーバーチの霊訓①』
循環(サークル)運動、周期(サイクル)運動、螺旋(スパイラル)運動―こうした運動の中で進化が営まれており、表面は単調のようで内面は実に複雑です。
『シルバーバーチの霊訓①』
その波間に生きるあなた方も寄せては返す波に乗って進歩と退歩を繰返します。物的繁栄の中にあっては霊的真理を無視し、苦難の中にあっては霊的真理を渇望します。それは人生全体を織りなすタテ糸とヨコ糸である訳です。
『シルバーバーチの霊訓①』
もし現在の自分に満足しはじめたら、それは退歩しはじめた事を意味します。今の自分に飽き足らず常に新しい視野を求めている時、その時こそ進歩しているのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方の世界には“自然は真空を嫌う”という言葉があります。じっとしている時がないのです。前進するか、さもなくば後退するかです。
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『シルバーバーチの霊訓①』
霊は全生命の創造力であるからこそじっとしている事ができずどこかに新しい捌け口を求め、従って満足する事がないのです。何も霊媒現象を通して働くばかりが霊力ではありません。芸術家を通して、哲学者を通して、あるいは科学者を通しても発現する事ができます。
『シルバーバーチの霊訓①』
要するにあなた方自身の霊的自覚を深める行為、あなた方より恵まれない人々に何か役立つ仕事に携わる事です。看板は何でも構いません。関わる宗教、政治、芸術、経済がいかなる主義・主張を掲げようと問題ではありません。実際に行う無私の施しが進化を決定づけるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
神は絶対にごまかされません。法則は法則です。原因はそれ相当の結果を生み、自分が蒔いた種子は自分で刈取ります。そこに奇跡の入る余地もなければ罰の免除もありません。摂理は一分一厘の狂いもなく働きます。
『シルバーバーチの霊訓①』
不変・不易であり、数学的正確さをもって作用し、人間的制度にはお構いなしです。地上生活では勝者がいれば敗者がいる訳ですが、霊性に目覚めた人間はそのいずれによっても惑わされてはなりません。やがてはその人間的尺度があなたの視野から消える時が来ます。
『シルバーバーチの霊訓①』
その時は永遠の尺度で判断する事ができるようになるでしょう。と言って私は、あなた方の悩みや苦労を見くびるつもりは毛頭ありません。それは私にも痛いほどよく分ります。
『シルバーバーチの霊訓①』
ただ、もし私が現在のあなた方に評価できない永遠の価値を指摘せずにおけば、それは私が神界から授けられた義務を怠る事になります。永い歴史を振り返れば、あまりの悲劇に指導者も“世も末だ”と嘆いた時代が幾度かありました。
『シルバーバーチの霊訓①』
万事休すと観念し、暗黒にのみ込まれ、全ての真理が埋れてしまうと思い込んだものでした。しかし宇宙はこうして厳然として存在し続け、これからもずっと存在し続ける事でしょう。
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『シルバーバーチの霊訓①』
私にできる事は、いつの時代にも適用できる真理を繰返し説く事です。それを受入れ生活の基盤とするのはあなた方の役目です。それは容易な事ではありません。しかし、もし容易であったらそれだけの価値はない事になりましょう。霊的探求に容易なものは何一つありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊の歩むべき本来の道は何にも増して困難なものです。聖者の道、悟りへの道、円熟への道は容易には達成されません。自己犠牲を伴う長くゆっくりとして根気のいる、曲りくねった道です。己を棄てる事―これが進化の法則です。
『シルバーバーチの霊訓①』
もし霊の最高の宝が努力なしに手に入るものだとしたら、これは永遠の叡智を嘲笑う事になります。これは絶対的摂理として受入れなくてはいけません。私はかつて一度たりとも神が光と善のみに宿ると述べた事はないつもりです。善と悪の双方に宿るのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
無限絶対の存在である以上、神は存在の全てに宿ります。宇宙間の出来事の一部だけを除外してこれだけは神とは別個のもの、何かしら誰かしら、とにかく別種のエネルギーの仕業であるなどとは言えません。私はいつも宇宙は全て両極性によって成立っていると申しております。
『シルバーバーチの霊訓①』
暗闇の存在が認識されるのは光があればこそです。光の存在が認識されるのは暗闇があるからこそです。善の存在を認識するのは悪があるからこそです。悪の存在を認識するのは善があるからこそです。つまり光と闇、善と悪を生む力は同じものなのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
その根源的な力がどちらへ発揮されるかは神の関わる問題ではなく、あなた方の自由意志に関わる問題です。そこに選択の余地があり、そこに発達のチャンスがあるという事です。
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『シルバーバーチの霊訓①』
地球は完全な状態で創造されたのではありません。個々の人間も完全な状態で創造されたのではありません。完全性を潜在的に宿しているという事です。その潜在的完全性が神からの霊的遺産であり、これを開発する事が個人の責務という事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
それには自由意志を行使する余地が与えられています。善か悪か利己主義か無私か、慈悲か残酷か、その選択はあなたの自由という事です。ただし忘れてならないのは、どちらの方向へ進もうと、神との縁は絶対に切れないという事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
神の力とエネルギーと援助を呼び込むための手段は常に用意されています。しかしそのためには時には魂の奥の間に引きこもり、その静寂の中でできるだけ神との融合を保つ事を怠ってはなりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
私たちは相互援助と相互扶助の縁によって結ばれ、お互いに役立つものを施し合っております。ここまで目を開かせて頂いた事を神に感謝しましょう。これを土台として私たちを創造し育み続けて下さる御力の存在を信じましょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
その御力が自分より恵まれぬ人々に施されるための通路となるよう心掛けましょう。私たちは神の御前にいるのだという自覚を常に忘れず手を差しのべさえすれば必要なものが能力に見合っただけ施される事を忘れないように致しましょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
それは無限の可能性を秘めた無限なる霊の無限なるエネルギーなのです。
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