■2013年10月15日にUPしたブログ■ フランス語の学習中に考えた事

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ここのところ、現在の僕が置かれている正反対の状況、絵を1ミリも描かずにフランス語の勉強をし続けねばならない事から生じる“怒り”についてばかりブログを書いてしまっていましたので(不愉快な思いをされた方がいましたら申し訳ありませんでした。でもまた書くかも知れませんが謝)ここで久々に、僕が背負う事になってしまった“霊的知識普及の使命”に即した“ポジティブ”なブログを書こうと思います。
それは、現在僕が使命遂行第2の地、フランス移住に向けて果てしなくフランス語の勉強をしている最中に考えた事です。僕はこの短い間に結構な量のフランス語学習教材を購入しましたが、あらゆる教材の中に、キリスト教にまつわる文章がたびたび登場するのです。そう、フランスはキリスト教の国ですから。しかしその“キリスト教”にまつわる記述が僕にとっては「だから、そうじゃないだろう」と首を傾げたくなるものばかりなのです。
そこで、ある教材に紹介されているフランス語のテキストを紹介したいのですが、このブログにフランス語のテキストを表示できませんので、手書きの文章をスキャンした画像をUPします↓
petit_jesus001a.jpg 
はい。5歳児用のフランス筆記体練習ノートでおぼえて、僕が書いたフランス語です。この文章の和訳ですが、教材の和訳をそのままここに掲載すると後で面倒な事になる恐れもありますので(滝汗)僕なりの解釈で説明させて頂きます。えー、キリスト教では、クリスマスの夜に赤ちゃんのキリスト人形を部屋に飾ってお祝いする…大体こんな内容です。
この教材でのシーンは、クリスマスを家族そろってお祝いする、といった内容で微笑ましいものなのですが、こういった慣習、儀式を100万回繰返しても僕たちの霊性は1ミリたりとも向上しないのです。どんな真剣な表情で、どんな沈痛な心境で、どんな必死な祈りを込めて儀式を繰返してもです。賛美歌をどんなに美しく歌い続けても、毎週休まずに教会に通い続けても、それは僕たちが地上という修行場で全身に浴びなければならない“艱難辛苦”の代用にはならないのです。
僕たちはひとりひとりそれぞれが、自分が越えるべき宿命を背負い、霊的成長を促す闘いを体験するために、地上などという陳腐極まりない物質臭漂う暗黒の世界に降下してきたのです。強調します。この地上は僕たちの永遠の住処ではないのです。僕たちの本来の住処は霊界であり、霊質の身体をまとって霊界で生活する事こそが僕たち本来の状態であり、こうして物質界で肉体をまとって存在する事は極めて珍しい現象なのです。
僕たちは死んだら終りではありません。肉体を失った後にも霊界での素晴しい生活が待っているのです。地上という修行場で正しく学び、正しく苦しみ、正しく闘う事で、霊界において正しく向上するための資格を得る…これこそが僕たちが地上に降下した理由なのです。
皆さん、どうか、目の前に立ちはだかる“壁”に敢然と立ち向かって頂きたいと思います。その試練を浴びてこそ皆さんの霊性は向上し、霊性の発現にもつながるからです。“撃って出る”と称して僕がずっと行っていた、霊的知識の抜粋行為の中でも、僕はずっとこうツイートし続けてきました。“艱難辛苦カモン”と。今でもこの考えに寸分の狂いもありません。なのでもう一度、皆さんへの祈りを込めて、ここに再びシャウトさせて頂きます。
艱難辛苦カモン!!!(激叫)
…はい、失礼致しました(謝)そして、画家の看板を掲げている僕が、絵を1ミリも描かずに今日もフランス語の勉強に明け暮れるという状況に、僕の心の中は果てしなく不満でいっぱいになるのでした…(祈)

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