【8/23】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†

「シルバーバーチの霊訓」より→「もうイエスのような大人物が出現する必要はありません。たとえあのナザレのイエスが今この地上に戻ってきたとしても、たぶん地上でもっとも評判の悪い人間となる事でしょう。特にイエスを信奉し師と崇めているキリスト教徒から一番嫌われる事でしょう」

「シルバーバーチの霊訓」より→「大半の人間は地上だけが人間の住む世界だと考えています。現代の生活が人間生活の全てであると思い込み、そこで物的なものを、いずれは残して死んでいかねばならないものなのに、せっせと蓄積しようとします」

「シルバーバーチの霊訓」より→「戦争、流血、悲劇、病気の数々も、元はと言えば人間が今この時点において立派に霊的存在である事、つまり人間は肉体のみの存在ではないという生命の神秘を知らない人が多すぎるからです。人間は肉体を通して自我を表現しているスピリットなのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「名声が何になりましょう。子供のオモチャのようなものです。何の価値もありません。そもそも名声はどうやって得られるかを考えてごらんなさい。お金があるとか世間的に出世したという事で名が知れたに過ぎません。イエスはそういう名声を一切求めませんでした」

「シルバーバーチの霊訓」より→「今地上人類は五感を通して感識する条件下に住み、その五つの物的感覚で自我を表現できる段階にやっと到達した所です。まだテレパシーによって交信し合える段階までは進化していないという事です。まだまだ開発しなければならないものがあります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上人類は物的手段によって自我を表現せざるを得ない条件下に置かれた霊的存在という事です。この条件がおのずと思念の作用に限界を生じさせます。なぜなら地上では思念が物的形態をとるまでは存在に気づかれないからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「思念は思念の世界においては実在そのものです。が、地上においてはそれを物質でくるまないと存在が認識されないのです。肉体による束縛を全く受けない私の世界では、思念は物質よりはるかに実感があります。思念の世界だからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊は“こしらえる”ものではありません。過去も未来もなく常に存在しております。霊としては、あなたは無始無終に存在しているのです。霊を新たにこしらえなければならなくなった事は一度もありません。無が有になる段階というものはこれまで一度もありません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「生命の原動力、精髄、活力そのものである霊は、過去も未来もなく常に存在しております。霊はあらゆる生命現象が生み出されるエネルギー源です。植物も小鳥も樹木も動物も人間も、全てそうです。霊は存在の大原動力です」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「皆さん今日は。私はマッカロウではありません。大勢いる“先生”の中の一人です。何世紀か前に地上を去った者です。私は幾世紀も前に地上をあとにして以来ずっと向上進化の旅を続けております。東洋の人間でも指導者でもありませんが東洋から出た事は事実です」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「私の地上生活は東洋的でもなく、かといって西洋的でもありませんでした。特殊な使命を帯びて地上に生を享け、異常な最期を遂げました。私は人々と行動を共にしましたが本当の私を知っていた人はいませんでした」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「風の如く来たり、そして風の如く去っていった訳でして、本当の私を理解していた人は一人もいませんでした。今を去ること二千年から三千年ものあいだ私は霊界の丘の頂上を旅してきました」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「その二千年から三千年のあいだ霊界に太陽が昇るのを見てきましたが、霊界の太陽には天頂点というものがないのです。すなわちどこまでも昇り続けて沈むという事がないのです。過去二千年から三千年のあいだに霊界に夜の現象が訪れるのを見た事がありません」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「すなわちずっと昼間が続いているという事であり、これからも昼の世界が続く事でしょう。聖書に“霊界に夜はない”と述べてありますがこれは真実です。その二千年から三千年のあいだ私は一時たりとも仕事を休止した事はありません」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「しかも疲れるという事を知りません。いかなる形においても消耗という事を経験した事がないのです」

「スピリチュアリズムの真髄」より→このあとマッカロウが次のように述べている「先生は極めて霊格の高いお方です。これほどの高級霊に自らおいで頂く事を皆さんは光栄に思わなくてはなりません。その方がどなたであるかは今すぐお教えする訳にはまいりません」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「今に限らず今後も果たして打ち明けられる日が来るかどうかもわかりません。がしかし私の考えではいずれその日が到来するものと信じています」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「このお方が来られると部屋一杯に、イヤ、部屋を包んでしまうほどの、強烈な光輝があふれます。私などは、先生が去られたあとに残される光輝にさえ圧倒されてしまうほどです」

【過去コメ】幽体離脱中にある施設で子供達と会ってる時、一人の女の子が僕の事を「校長先生」って言ってきて笑っちゃいましたが、僕がその女の子にお礼を言ってると、その施設で実際に校長先生をしてると思われる、妙にしわがれて身体全体が矮小化した男性が不満一杯の表情で僕の所に来るのです→

→矮小化した男性は何やら僕に文句を言ってるのですが、僕は逆に質問で攻め立て、教育方針、非行の問題等に対してどう現実的な手を打ってるのか、などとまくし立てたら、言い返せずに渋い顔をしてました。校長という権威にしがみつく心が矮小化した身体となって表現されてたのかも知れません(考)

「スピリチュアリズムの真髄」より→さらにマッカロウはイエスからの次の通信が開始される前にこう前置きする「今先生がこちらへ向かっておられます。ゆっくりと近づいて来られます。霊界では距離を超越しようと思えばむろん出来ますが同時にまたゆっくり行動しようと思えばそれも可能です」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「あたかも朝の白々と明けゆく白さが太陽の訪れを告げる如く、今遠くに強烈な霊光のきらめきを見て先生の訪れを察知している所です。先生には常に一団の天使の護衛が付き添い、その霊光によって進行方向の波長を高めながらでないと地上に近づけないのです」

「スピリチュアリズムの真髄」より→やがて到着したキリストは自分の地上生活や処女懐胎等について語る「地上を去って二千年後の今こうしてあなた方を通じて本来ならその二千年前にはっきり語っておくべきであった事を斯くの如き手段で語り明かす事になるとは奇しき縁としか申しようがありません」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「いかなる人間といえども自然の理法によりて地上に生を享けるのです。私は断言します。人間が自然法則を無視して誕生する事は絶対にありません。イエスの懐胎も一人の当り前の人間の懐胎と少しも違いませんでした」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「そこに何らの摩訶不思議もなかったという事です。この広大無辺の宇宙のどこを探しても神と呼べる人間、言い換えれば一個の人間的個性を備えた神というものは絶対に存在しません。しかしそれとは別の意味での神はやはり存在します」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「これまで私は地上人類の誤れる思想を正す事に努力してきました。これからも努力してまいります。それが人類をこれ以上の罪から守る唯一の方法だと考えるからです。いわゆるキリスト教神学はイエスの処女懐胎説を人類に押付けてまいりました」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「これを裏付けんとして学者達は古い伝説や神話を借用し、神が処女マリアに憑依してイエスを孕ませたという説をでっち上げてしまいました。こうした現象は絶対に起こりえない事であり、これを信じる事自体、人間的成長にとって致命的な障害となります」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「なんとなればそれは人間的憧憬の泉を断ち切る事になるからです。イエスを処女懐胎の産物とし、それをイエス信仰の根底に置く事はイエスとの崇高なる同胞意識あるいは一体感を人類から奪い去る事になります」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「またこの信仰は必然的にイエスを神にまつりあげる事になりますが、これも誤りです。神は宇宙に一つしか存在しません。あらゆる存在の根源、それが神であり、これを現代的用語で表現するならば、普遍的叡智であります」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「こうしたイエスにまつわる誤れる信仰を正すにはこれより更に二千年の歳月を要するでしょう。イエスの懐胎が“純潔”であった事は私も認めますが“奇蹟”であったとするのは絶対に間違っています」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「過去の人類の全てがそうでありこれからもそうであるように、イエスもまた至って平凡な夫婦の間に生を享けたのです。今はすでに霊界入りしているある女流詩人がいみじくもこう歌っています」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「 純粋なる夫婦愛の中に宿り  この世に喜び迎えられし魂は  その受胎まさに聖なりというべし 」

「スピリチュアリズムの真髄」より→神学には“キリスト再臨説”というのがある。つまりいつの時代かにキリストが地上に再生するという予言的思想であるが、これについて自らこう語る「二千年前イエスはエルサレムの街頭に立ち声を大にして神の訓えを説きました」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「しかし民衆はただあざけりながら去っていきました。イエスは真理を説いたのですが民衆はイエスを悪魔の手先であると非難しました。イエスは最後に弟子達に言いました“私は行くがまた来る”と」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「その約束以来幾世紀もの歳月が流れましたが、その間イエスは一日としてその約束を破った日はありません。すなわち地上人類の救済のためにイエスは片時も休む事なく活動しております」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「ただ残念な事に人間の方がそれを素直に受け入れてくれないだけの事です。しかし、それでもなおイエスは、人類が迷いから覚める日まで、これからもひっきりなしに地上に舞い戻ってくる事でしょう(The Living Jesus)」

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†