【8/28】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
「シルバーバーチの霊訓」より→「種子が暗い土中に植え込まれるのは、生命活動を開始するための養分を摂取するためです。人間の魂も同じです。死後に始まる本当の生命活動にそなえて物的体験という魂の養分を摂取するために、この地上という物的世界へ送られてくるのです」
「シルバーバーチの霊訓」より→「人生体験の全てがそれぞれに大きな生命機構のの一部としての意義をもっております。およそ歓迎したくない体験、悲しい事、辛い事、嘆き、落胆、苦悩、痛み等々も魂にとって掛けがえのない価値を持っており、その有難さは地上にいる間は実感できません」
「シルバーバーチの霊訓」より→「地上人生の価値の明確な全体像が理解できるのは、肉体を離れて煩悩から解放され、局部にとらわれずに全体を眺める事ができるようになった時です。逆境の中にあってこそ人間性が鍛えられ、悲哀の中にあってこそ魂が強化されている事がわかります」
「シルバーバーチの霊訓」より→「一日、一時間、一分、一秒を大切に生きる事です。明日の事を思い患う事なく“今”という時に最善を尽くすのです。あなたが煩悩を持つ人間的存在であり未熟である事は神は先刻ご承知です。だからこそ地上に来ている訳です。もし完全であれば今そこに存在していません」
「シルバーバーチの霊訓」より→「危機に立ち至ったら、それまでの過去を振り返って、お先真っ暗の絶体絶命の時に道が開かれてきた事を思い出してください。そこに背後霊の導きがあったのです。それはこの後も決して見棄てる事はありません」
「シルバーバーチの霊訓」より→「地上のいかなる賢人も問題の全てに対する回答を手にする事はできません。三次元の世界に閉じ込められている以上、叡智の全てを手にする事は不可能なのです。三次元の殻を破らない事には悟れない事があるのです。そこに“信じる”事の必要性が生じる訳です」
「シルバーバーチの霊訓」より→「私は“信仰だけではいけません。信仰に知識を加えなさい”と申し上げていますが、その段階をさらに進むとその知識にも三次元ゆえの限界があるために“信じる”しかない段階に至ります。全てを理性で片付ける訳にはいかなくなった時、直感的洞察力が必要になります」
「シルバーバーチの霊訓」より→「地上は困った事、厄介な事だらけです。価値観を見失い優先すべき者を履き違えている者が多すぎるために、暗く陰鬱でしかも暴力沙汰の絶えない悲しい世界と成り果てております。善の勢力と悪の勢力とのせめぎ合いが果てしなく続いているのです」
「シルバーバーチの霊訓」より→「そうした中で私たちが一番頼りにするのは霊的真理に目覚めた人達です。邪悪な勢力の攻撃にもたじろぐ事なく堂々と対処できるのは、内部に秘められた霊力と、既に発揮しておられる霊的能力のおかげです」
「レッドマンのこころ」より→「“死”への恐怖、これがあなたの心に住み込まないような生き方を心掛けなさい。朝、目が覚めたら真っ先に太陽の光に感謝しなさい。そして生命と力に感謝しなさい。もし何も感謝するものがないように思える時は自分にどこか間違った所があるものと思い反省するがよい」
「レッドマンのこころ」より→「他人の身代りになって罪を背負う事は誰にもできません。罪を犯した人がそれを他人に転嫁して無実になる事も断じてありません。そのように自分の犯した罪を逃れようとする考えは邪悪です」
「レッドマンのこころ」より→「大霊を、まるで飢えた野獣のごとく想像してはいけません。人間にせよ動物にせよ、飢えをしのぐ犠牲を用意すれば許してくださるというものではありません。貢ぎ物を用意すれば罪を逃れられるかに説く、ウソつきの口車に乗ってはなりません」
「レッドマンのこころ」より→「自分の影響力の及ぶ範囲の人々に対してはいつも慈悲深い気持ちを忘れてはなりません。無力の人を目の前にして血も涙もない態度を取る人間は臆病者です。弱き者、病める者、老いた者、そして寄るべなき身の上の人の世話をする事こそ、上に立つ者のつとめです」
「レッドマンのこころ」より→「苦境を逃れるために自らの命を絶つ者は、弱虫です。勇気ある者は、闘いの中に死地を求めます」
「レッドマンのこころ」より→「日頃の鍛練と正しい生活、そして大霊の恩寵によって見事な肉体美を誇れるようになったら、それを仲間に披露するのはよい事です。羞恥心というベールは、病める身体、歪んだ身体、不潔な身体を隠すために使用するのは結構です」
「レッドマンのこころ」より→「もし野獣が小屋を襲った時は、わが子、わが妻、わが友、そしてわが身を守るために全力を尽くし、手元にあるいかなる武器を使用してでも闘い、それを殺し、あるいは撃退するがよい。その野獣が人間の形体をしていても、遠慮する事はない」
「レッドマンのこころ」より→「すべての人に敬意を抱きなさい。が、いかなる者にも卑屈にへり下ってはなりません。与えられるよりも、与える事の方が名誉な事です」
「レッドマンのこころ」より→「“覚者(ミニシモ)”と呼ばれるに至った者は、いついかなる時も清潔で礼儀正しく身持ちをきちんとせねばなりません。性欲に負けて道ならぬ行為に走るようでは自分の中に毒蛇を宿しているようなもので、その毒はやがて自分を堕落させ、死へ至らせる事になるでしょう」
「妖精世界」より→湖水地方のフェアリー ウェストモーランド州ケンダルにて「このあたりには実に愛らしいフェアリーが幾種類か生息している。その表情はこれまでに私が見た中で最も柔和で優しい感じがする。ここで見かけるフェアリーは“麗しい”の一語に尽きる」
「妖精世界」より→「この世のものとは思えない優雅さと美しさをもって穏やかに、そして静かに動き回っている。そのうちの一人が我々夫婦の存在に気づいたが怖がる様子は見えない。フィルムのように透明な軽い衣装、ピンクと白の美しい身体が透けて見える、を右手でつまみ上げている」
「妖精世界」より→「四肢には何もつけてなく長い髪がゆったりと垂れている。小さな光の球が花輪のように頭部を取り巻いている。その物腰が実に麗しい。そこには自意識がなく、顔と目の表情が無心そのものだからいいが、もしそうでなかったら、わざとそういうポーズを取っていると考えたかも知れない」
「妖精世界」より→「そうした美しいフェアリーが私のまわりに幾人もいる。一人一人少しずつ違うところがある。私に背を向けている一人は、美しい長い黒髪をしていて、それが腰の下まで垂れている」
「妖精世界」より→「そして、真っ白いきれいな腕をやや斜めに伸ばして、ゆっくりと森の中を歩いて行く。ここはまさしく“妖精の国(フェアリーランド)”であり、時が許すなら何時間でもそうした美しい生態を描写し続けていたい」
「妖精世界」より→目も眩むオーラに包まれたフェアリー 自宅近くにて「自宅近くにある生け垣にはキイチゴやツタ植物やサンザシが繁っているが、その中に一人の美しいフェアリーが住みついている。一本の樹木と同じで大きい生け垣においても精霊による生育過程が営まれているのである」
「妖精世界」より→「このフェアリーはとても愛想のよい性格をしている。背丈は3~4フィートはある。流れるような透明な薄い衣装で身を包み、あどけない、そして人なつっこい微笑を浮かべて我々を見つめている」
「妖精世界」より→「が、その身体に秘めたエネルギーは強烈で、オーラが生き生きと輝き、柔らかいが強力な光を放つ雲状の固まりに見える。その固まりが目も眩むほどの光を放っている。その色彩の微妙さはとても地上の色ではたとえようがない」
「妖精世界」より→「しいて言えば柔らかい淡いバラ色、同じく柔らかで淡いグリーン、ラベンダー、そしておぼろげなブルー。そうした色彩の中を絶え間なくヤリのような光が走っている。彼女は今まさに恍惚たる幸せの境地にひたっている。試しに私は意識的にその強烈な波動に身をさらしてみた」
「妖精世界」より→「一時的に肉体感覚を忘れ、それでいていつでも肉体感覚に戻れる状態の中で、その喜びに満ちた恍惚たる境地に少しばかり浸ってみたのである。それがフェアリーの世界の通常の状態であるらしい。その状態にあまり浸りすぎると危険である」
【過去コメ】今日の幽体離脱も怒涛壮絶でした(滝汗)今回、いつものようにまたしても知らない方とお会いしました。3人の女性です。一人は超VIP待遇な感じで護衛がたくさん付いている初老の女性。一人はある“聖なる団体”の代表の女性。そしてその代表の女性の助手と思われる女性。まず初老の女性ですが→
→初老の女性を迎えてのレセプションがある島を丸々利用して行われ、その島に通ずるルートは全て女性の護衛により厳重にガードされ、厳戒態勢がしかれてました。僕もそれに参加したものと思われるのですがレセプションの内容は僕の物的脳髄では全く反芻できません。とにかくVIPな感じ→
→次はある“聖なる団体”の代表と思われる女性、守護霊様に似てたような気もしますが確認できず。その女性に部屋でお会いし、お話を伺い、どうやら僕がその聖なる団体の一員に選ばれた…的な内容だったようなのです。その代表の女性と最高にガッチリ握手しました☆手の感触が超鮮明でした☆→
→握手した瞬間、助手と思われる女性が泣きながら喜んでくれていました…。(※この泣いて喜んでいた女性が守護霊様だったのです。アナログ絵149の左側のお姿での顕現でした)イエス様のご意志に従い、地上に残って撃って出る選択をした僕に対する何らかの状況の変化だったと思われます。数日前受取った「神叶」の言葉のインスピレーションと今回の離脱は何らかの関係があったのかも…→
→初期のメッセージを受取ってから9ヵ月半、僕の帰幽にまつわる状況は刻々変化してきました。幼稚な反逆で“回心”し、今回のイエス様の顕現で“回心パート2”とも言える体験をした事で、帰幽後に僕が赴く境涯が着々と上昇している…今回の離脱はそういう事だったのかも知れません(考)
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