2020年7月4日

用事が立て込んでいますので簡潔に説明させて頂きます。まず「死体が動く」こちらは墓の中の死体がもぞもぞと動くという映像だったのですが、その死体は肉が腐れ落ちて骨になっているのですが、完全には肉がなくなっておらずまだ骨に若干肉が付着して残っている状態の死体でした。大昔の死体、たとえば大正天皇、明治天皇の死体であれば完全に骨だけになっているはずですから、これは死亡してまだ時間の経過が少ない昭和天皇「裕仁Hirohito」の死体であると霊体の僕は理解したのです。その裕仁の死体が仰向けの状態からもぞもぞと動いて起き上がろうとします。墓の内部の映像で霊体の僕がその様子を見ているのですよ。裕仁はゆっくり手を僕の方へ伸ばしてくるのです。まぁ要するに「ウソをバラすのやめろ」と僕に言っているのでしょう。

えー皆さまにくれぐれも誤解のないように、そして誤った認識によって不必要な恐怖心を抱き正しい理解が阻害される事のないよう霊的知識に基く説明させて頂きますが、まずこの動く死体の裕仁はもちろん裕仁本人ではなく霊団メンバーの演出です。裕仁本人はとっくの昔に「下から2番目」 wp.me/pa9cvW-cF に落ちて視力、思考力を奪われて暗黒の中でボーっとしているはずですから、この映像のような状態の訳がありません。大量強姦殺人魔であり原爆投下の大原因者であり戦争によって国民を大量虐殺させた世紀の大犯罪人「人間のクズ※裕仁でググって見て下さい。第1巡目に“人間のクズ”と出てくるのです」裕仁が、霊界を自在に動き回れる自由を闊歩できる状態に【神】が留め置く訳がありません。もちろんヒトラーに匹敵する最大級の罰(あるいはヒトラー以上かもしれません)が与えられて暗黒の底の底に落とされているはずですから、幽体離脱時の霊体の僕と会うなどという自由行動が有り得る訳がないのです。『私の霊界紀行』2章 幽界の下層界【冷酷な指導者の末路】 wp.me/pa9cvW-1ZF 参照。

そして霊界不変の大原則として、自分の霊格および置かれた境涯より「下」の情報は得る事ができるが、自分の霊格、境涯より「上」の情報は得る事ができないという絶対的力学があります。裕仁が落とされている暗黒は地上圏よりさらにさらに下層界ですから(※地上圏はほぼ最下層の境涯です。そこより下という事は相当の地獄だという事)裕仁は現在地上で自分がどのように扱われているかという事を理解する事ができません。情報が手に入らないからです。そもそも思考力を奪われているのですからそういった事に意識が至る事すらありません。ですので、今回霊団が降らせた腐れ落ちた裕仁の死体が動く映像は、霊団主導で行われている「イエス様ハンドリング」によって強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体が国民周知の事実となっている事、そして裕仁自身の過去の大罪についても広く真実が知れ渡る事について裕仁が「やめろ」と思念を抱いているという霊団からのメセでしょう。(ん?裕仁は僕の使命遂行の事も知る事ができないと思うのですが、さぁどうでしょう)やめるのはお前ら強姦殺人魔一族の方だ。永遠にウソをつき通すなどという寝言が通用する訳ないだろ、国民をナメるな。裕仁、待ってろ、すぐにお仲間(明仁、文仁、徳仁、悠仁)をそこに叩き落してやる。千年万年の恥辱と苦悶を存分に味わうがいい。

そしてもうひとつ幽体離脱時の映像「ネビュラチェーン」ですが、こちらは皆さまご存じの事と思われますが聖闘士星矢のキャラ「アンドロメダ瞬」の武器ですね。で、今回の映像ではそのネビュラチェーンの両端の一方(丸い方)を霊体の僕が握り、もう一方(三角の方)が東京の都心の住所上に置かれているという内容で、遠い場所にいる霊体の僕が腕でチェーンにビクッて振動を与えます。その振動がチェーンを伝わって都心上の先端のチェーンもビクッて動きます。僕がさらにビクッビクッと操作すると都心上のチェーン先端は生きたヘビのようにうねうねと動き回り、都心のあらゆる場所に赴く、といった感じの映像だったのです。つまり僕が操作するネビュラチェーンが都心上に広まりまくり強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体が正しく広まりまくる、そういう意味でいいのではないでしょうか。これまで果てしなく公言を続けてきましたように、霊覚者などと名乗る僕は軽蔑、嘲笑、誤解、嫉妬、侮蔑、罵倒の嵐を浴びながらここまで使命遂行の活動を続けてきました。僕に悪辣な事を言ってくるのは99%が「嫉妬男子」共であり、女性陣に関してはおおむね僕に好意的感情を持ってくれているのではないかと霊団からのインスピレーションに基きそのように思っています。「すっかり幻滅しました」 wp.me/pa9cvW-20c にもありますように嫉妬男子は放っておくとして多くの理性的女性の皆さまの元にネビュラチェーンが届いて正しい理解をお届けする事ができた、そういう意味に今回の映像は理解するのがいいのではないでしょうか。

※はい、今回のブログはここまでなのですが裕仁の部分で書きました「不必要な恐怖心」について少しだけ追記させて頂きます。それは強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込む「イエス様ハンドリング」この使命遂行が開始されたごく初期の頃に僕が浴させて頂いていた霊現象について書き記したこちらのブログ「隔離フィールド予想図」 wp.me/pa9cvW-9H が関係しています。この「隔離フィールド」ですが、実は「事情」があるのです。2014、2015年当時の僕が、僕のブログをご覧の皆さまが霊的な内容に「不必要な恐怖心」を抱いてしまい、霊的知識に対する興味を失いお勉強をやめてしまうのではないかと危惧し、当時の僕の理解できた範囲内で精一杯の表現を駆使して書いたブログなのですが、実は「隔離フィールドの真実」というものがあるのです。その「真実」については語らないまま、皆さまにお話しないまま帰幽するつもりでこれまで使命遂行を続けてきたのですが、何しろ僕は「1歩も退く気はない」「公言の限りを尽くす」性格ですから、もしかしたらこの「隔離フィールドの真実」についてのブログを書く日が来るかも知れません。

とはいえこれはアナログ絵123の内容に準ずるもので、イエス様ならびに霊団が僕を導く手法、そして方向性が恐ろしいまでに驚くまでに一貫していた、全くブレる事なく大目的の成就に向けて僕の精神力を鍛え続けておられた(大目的とはもちろん強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にして滅亡させる事ですよ)こんな初期の頃から全くブレていなかった、という内容になるのですが、書くのは相当に難しい内容となるでしょう。まぁこの「隔離フィールドの真実」については霊団は何も言ってきませんので書く必要性、プライオリティは低いのですが、いつか書く日も来るかも知れないという事だけ明記させて頂くにとどめようと思います。とにかく「隔離フィールドの真実」とは2014年から現在に至るまで、霊団の導きの方向性が1ミリたりともブレる事なく完全に1本の線でつながっている、とてつもない導きの威力、という内容になります、書くのであれば(祈)†

[ditty_news_ticker id="10474″]

『シルバーバーチの霊訓①』
悟りの道に近道はありません。代りの手段もありません。安易な道を見つけるための祈りも儀式も教義も聖典もありません。いくら神聖視されているものであってもそんな出来合いの手段では駄目なのです。師であろうと弟子であろうと新米であろうと、それも関係ありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
悟りは悪戦苦闘の中で得られるものです。それ以外に魂が目覚める手段はないのです。私がこんな事を説くのは説教者ヅラをしたいからではありません。これまでに自分が学んだ事を少しでもお教えしたいと望むからにほかなりません。

『シルバーバーチの霊訓』
さらに私は一見矛盾するかに思えるかも知れませんが人のために役立ちたいと望む人々、自分より恵まれない人々―病める人、肉親を失える人、絶望の淵にいる人、人生の重荷に耐えかねている人、疲れ果てさ迷い生きる目的を見失える人、等に手を差しのべたいと願望に燃える人―

『シルバーバーチの霊訓①』
→要するに何らかの形で人類の福祉に貢献したいと思っている人が挫折しかけた時は、必ずやその背後に霊界からの援助の手が差しのべられるという事も知っております。時には万策尽き、これにて万事休すと諦めかけた、その最後の一瞬に救いの手が差しのべられる事があります

『シルバーバーチの霊訓①』
霊的知識を授かった者は、いかなる苦境にあっても、その全生命活動の根源である霊的実相についての知識が生み出す内なる冷静、不動の静寂、千万人といえども我れ行かんの気概を失うような事があってはなりません。

『シルバーバーチの霊訓①』
その奇特な意気に感じて訪れてくるのは血縁の者―その人の死があなた方に死後の存続に目を開かせた霊達―ばかりではありません。あなた方が地上、物質界へ再生してくるに際して神からその守護の役を命ぜられ、誕生の瞬間よりこの方ずっと見守り指導してきた霊もおります。

『シルバーバーチの霊訓①』
そのおかげでどれほどの成果が得られたか、それはあなた方自身には測り知る事はできません。しかし分らないながらも、その体験は確実にあなた方自身の魂と同時に、あなた方を救ってあげた人々の魂にも消える事のない影響を及ぼしております。

『シルバーバーチの霊訓①』
その事を大いに誇りに思うがよろしい。他人への貢献の機会を与えてくださった事に関し、神に感謝すべきです。人間としてこれほど実り多い仕事はほかにありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
愚にもつかぬ嫉妬心や他愛ない意地悪から出る言葉を気にしてはなりません。そのようなものはあなた方の方から心の隙を与えない限り絶対に入り込めないように守られております。霊の力は避難所であり、霊の愛は聖域であり、霊の叡智は安息所です。

『シルバーバーチの霊訓①』
イザという時はそれを求めるがよろしい。人間の心には裏切られる事がありますが、霊は決して裏切りません。たとえ目には見えなくても常に導きを怠る事なく、愛の手があなた方のまわりにある事を忘れないでください。

僕が言うのもなんですがm(_ _)m みなさん、本を読みましょう☆素敵な本はたくさんあります。(ブログ“さらにさらに書籍紹介です♪”参照) そして困難、苦難から逃げることなく、勇気をもって真正面から立ち向かいましょう☆艱難辛苦の先に光がある、これだけは間違いありません☆(祈)

『シルバーバーチの霊訓①』
私としては、たった一言であっても私の述べた事の中にあなた方の励みになり元気づけ感動させるものを見出して頂ければ、もうそれだけで嬉しいのです。私たちに必要なのは霊の道具となるべきあなた方です。豪華なビルや教会や寺院や会館ではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
それはそれなりの機能がある事は認めますが、霊の力はそんな“建物”に宿るのではありません。“人間”を通して授けられるのであり、顕幽の巨大な連絡網のつなぎ手として掛けがえのない大切なものです。

『シルバーバーチの霊訓①』
その道具たらんとして謙虚に一身をなげうってくれる人間一人の方が、そうした建造物全部よりもはるかに大切です。頑張って下さい。そしてこれからも機会を逃さず人のため、人のため、という心がけを忘れないで下さい。

『シルバーバーチの霊訓①』
世間の拍手喝采を求めてはなりません。この世に生まれてきたそもそもの目的を果たしているのだという自覚を持ち、地上に別れを告げる時が来た時に何一つ思い残す事のないよう、精一杯努力して下さい。

『シルバーバーチの霊訓①』
ここに集える私たち一人一人が同胞の幾人かに霊的啓発をもたらす事によって、少しでも宇宙の大霊に寄与する事ができる事の幸せを神に感謝致しましょう。人間として霊として、こうして生を享けた本来の目的を互いに果たせる事の幸せを感謝致しましょう。

『シルバーバーチの霊訓①』
人のために尽す事に勝る宗教はありません。病める人を治し、悲しむ人を慰め、悩める人を導き、人生に疲れ道を見失える人を手引きしてあげる事、これは何にも勝る大切な仕事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
ですから、こうして神の愛を表現する手段、才能、霊力を授かり、それを同胞のために役立てる仕事に携われる事の幸せを喜ばなくてはいけません。これから後も人のために役立つ仕事に携わる限り、霊の力が引き寄せられます。

『シルバーバーチの霊訓①』
人生の最高の目標が霊性の開発にある事を、ゆめ忘れてはなりません。自分の永遠の本性にとって必須のものに目を向ける事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
それは人生について正しい視野と焦点を持つ事になり、自分が元来不死の魂であり、それが一時の存在である土塊に宿って自我を表現しているにすぎない事、心掛け一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟る事になるでしょう。

『シルバーバーチの霊訓①』
こうした事はぜひとも心に銘記しておくべき大切な原理です。一見すると物が強く霊が弱そうに思える世界では、それは容易に思い出せないものです。ですが、あくまで霊が主人であり物は召使いです。霊が王様であり物は従臣です。霊は神であり、あなたはその神の一部なのです

『シルバーバーチの霊訓①』
自分がこの世に存在する事の目的を日々成就できる事、つまり自分を通じて霊の力がふんだんに地上に流れ込み、それによって多くの魂が初めて感動を味わい、目を覚まし、健全さを取り戻し、改めて生きる事の有難さを噛みしめる機会を提供する事―

『シルバーバーチの霊訓①』
―これは人のために役立つ事の最大の喜びです。真の意味で偉大な仕事と言えます。地上のどの片隅であろうと、霊の光が魂を照らし、霊的真理が沁みわたればそれでいいのです。それが大事なのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
それまでの事は全てが準備であり、全てが役に立っているのです。魂はそれぞれの使命のために常に備えを怠ってはなりません。時には深い谷間を通らされるかも知れません。度々申し上げてきたように、頂上に上がるためにはドン底まで下りなければならないのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
地上の価値判断の基準は私どもの世界とは異なります。地上では“物”を有難がり大切にしますが、こちらでは全く価値を認めません。人間が必死に求めようとする地位や財産や権力にも重要性を認めません。そんなものは死とともに消えてなくなるのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
が、他人のために施した善意は決して消えません。なぜなら善意を施す行為に携わる事によって霊的成長が得られるからです。博愛と情愛と献身から生まれた行為はその人の性格を増強し魂に消える事のない印象を刻み込んでいきます。

『シルバーバーチの霊訓①』
世間の賞賛はどうでもよろしい。人気というものは容易に手に入り容易に失われるものです。が、もしあなたが他人のために自分なりにできるだけの事をしてあげたいという確信を心の奥に感じる事ができたら―

『シルバーバーチの霊訓①』
―あなたはまさにあなたなりの能力の限りを開発したのであり、最善を尽くした事になります。言いかえれば、不変の霊的実相の証を提供するためにあなた方を使用する高級霊と協力する資格を身につけた事になるのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
これは実に偉大で重大な仕事です。手の及ぶ範囲の人々に、この世に存在する目的つまり何のために地上に生まれてきたのかを悟り、地上を去るまでに何をなすべきかを知ってもらうために、真理と知識と叡智と理解を広める仕事に協力している事になります。

これから物的雑務があります。ふたつと書きましたが超メンドクサイのでひとつだけにします。もうひとつは明日以降にします。まずはそちらを片付けて、それからのUPとなります。少々お待ち下さい(祈)†

冷たい強風を浴びながらの撮影、大変難易度が高かったですが何とかこういう感じに撮り帰ってきました。実は現在使用中のデジカメはディスプレイの調子が悪く、どういう風に撮れているのかあまり確認できない状態で感覚を頼りに撮っているのです。家に帰ってシルキー(PC)で実際に画像を見てみないと撮影の成功失敗が分からないような状態ですが、今回は大丈夫だったようです。明日書くブログネタはあります、まずはそれに集中ですが明日は物的雑務がふたつあります。それを片付けねばなりません(祈)†

WordPress固定ページ「山画像」
wp.me/Pa9cvW-2IB

「山へのアタック」は霊性発現以前から果てしなく続けている「デザインワーク」と並ぶ僕のライフワークで、物質界に残されている僕にとっては最も心が安らぐ時間でもあり、単独行は霊団との「コミュニケーションの時間」でもあります。そんな山で撮影してきた画像はあまりにも膨大すぎてとても管理しきれませんが、まずは固定ページとして形にしてみました。膨大な過去の画像たちをどのように管理するか、まだ頭の中で計画ができていませんがとりあえず走り出してみました。チョト運営の自信がありませんが(祈)†

『シルバーバーチの霊訓』
人生において、自分が役に立つという事ほど大きな喜びはありません。どこを見ても闇ばかりで、数え切れないほどの人々が道を見失い、悩み、苦しみ、悲しみに打ちひしがれ、朝目を覚ます度に今日はどうなるのだろうかという不安と恐怖に慄きながら生きている世の中にあって―

『シルバーバーチの霊訓①』
―たった一人でも心の平静を見出し、自分が決して一人ぽっちの見捨てられた存在ではなく、無限の愛の手に囲まれているという霊的事実に目覚めさせる事ができたら、これはもう立派な仕事というべきです。他のいかなる仕事にも優る大切な仕事を成し遂げた事になります。

『シルバーバーチの霊訓①』
地上生活のそもそもの目的は、居眠りをしている魂がその存在の実相に目覚める事です。あなた方の世界は毎日を夢の中で過ごしているいわば“生ける夢遊病者”で一杯です。彼らは本当に目覚めてはいないのです。霊的実相については死んだ人間も同然です。

『シルバーバーチの霊訓①』
そういう人たちの中のたった一人でもよろしい、その魂の琴線に触れ、小さく燻る残り火に息を吹きかけて炎と燃え上がらせる事ができたら、それに勝る行為はありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
どう理屈をこねてみたところで結局は神の創造物―人間、動物、その他なんでもよろしい―の為になる事をする事によって神に奉仕する事が何にも勝る光栄であり、これに勝る宗教はありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
こうした仕事のために神の使節として遣わされている私たちは幸せと思わなくてはいけません。もっとも、絶え間なく続く悲劇を目の当りにしていると、それだけの事で嬉しい気分に浸れるものではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
現実に何かの役に立った時、例えば無知を駆逐し、迷信を打破し、残酷を親切に置き替え、虐待を憐憫に置き替える事ができた時、あるいは協調と親善の生き方を身をもって示す事ができた時、その時はじめて地上のすべての存在の間に真の平和が訪れます。

『シルバーバーチの霊訓①』
真の平和は一部の者のみが味わうべきものではないからです。そこには霊の力の働きかけがあります。それを是非とも地上に招来しなくてはならないのです。教会が何を説こうと、学者先生がどう批判しようと、霊力はそんな事にはお構いなく働きます。そしてきっと成就します。

『シルバーバーチの霊訓①』
その霊力が道に迷ってあなた方の元を訪ねて来る人々に安堵、健康、苦痛の緩和、慰め、指導、援助のいずれかを授けてあげるその道具となる事ほど偉大な仕事はありません。無味乾燥な教義ばかりで霊力の一かけらもない教会、礼拝堂、寺院よりもはるかに意義ある存在です。

シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓①』
病める人、苦痛を抱えた人、身も心も霊も悶え苦しむ人、希望を失った人、寄るべない人、人生に疲れ切った人、迷える人、こうした人々にお説教は要りません。説く人自らが信仰に自信を失っている事すらよくあるのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
説く人にも説き聞かされる人にも意味を持たない紋切り型の説教をおうむのように繰り返しても、誰も耳を傾ける気にはならないでしょう。欲しいのは霊的真理が真実であるとの証です。

『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方が真に奉仕の精神に燃え霊的能力を人のために役立てたいと望めば、その霊力があなた方を通してその人たちに流れ込み、苦痛を和らげ、調和を回復させ、麻痺した関節ならばこれを自由に動かせるようにし、そうする事によって霊的真実に目覚めさせる事になるでしょう

『シルバーバーチの霊訓①』
ただ、この道には往々にして挫折があります。私どもの仕事は人間を扱う仕事です。残念ながら人間は数々の脆さと弱み、高慢と見栄、偏見と頑迷さで塗り固められております。自分の事よりまず人のためと考える人は稀です。大義のために一身上の事を忘れる人は殆どいません。

『シルバーバーチの霊訓①』
しかし、振り返ってご覧になれば、そうした条件の中にありながらも、霊的な導きによって着実に使命に沿った道を歩み、これから先の歩むべき方角への道しるべがちゃんと示されている事を明確に認識されるはずです。

『シルバーバーチの霊訓①』
これまで一点の疑念も疑問の余地もないほどその威力を証してきた力は、前途に横たわる苦難の日々を正しく導いてくれます。

『シルバーバーチの霊訓①』
施しを受けるより施しを授ける方が幸せです。証拠を目に見ず耳に聞く事もなく、それでもなおこの道に勤しむ事ができる人は幸せです。あなた方の周りにはあなた方より幸せの少ない人々に愛の手を差しのべる事を唯一の目的とする高級霊の温かみと輝きと好意と愛があります。

『シルバーバーチの霊訓①』
地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的である事を得心して、その大我の自由意志によって選択するのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを承知の上で生まれて来ているのです。その人生を生き抜き困難を克服する事が内在する資質を開発し、真の自我―より大きな自分に、新たな神性を付加していくのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
その意味では“お気の毒に”などと同情する必要もなく、地上の不公平や不正に対して憤慨する事もない訳です。こちらの世界はこの不公平や不正がきちんと償われる世界です。あなた方の世界は準備をする世界です。

『シルバーバーチの霊訓①』
私が“魂は知っている”と言う時、それは細かい出来事の一つ一つまで知り尽くしているという意味ではありません。どういうコースを辿るかを理解しているという事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
その道程における体験を通して自我が目覚め悟りを開くという事は、時間的要素と各種のエネルギーの相互作用の絡まった問題です。

『シルバーバーチの霊訓①』
例えば予期していた悟りの段階まで到達しない事があります。するとその埋め合わせに再び地上へ戻ってくる事になります。それを何度も繰り返す事があります。そうしているうちにようやく必要な資質を身につけて大我の一部として融合していきます。

『シルバーバーチの霊訓①』
自分が果たしてどの程度の人間か、どの程度進化しているかを自分で判断する事は今のあなた方には無理な事です。判断を下す手段を持ち合わせないからです。人間は霊的視野で物を見る事ができず四六時中物的視角で物事を考えるために判断がことごとく歪んでおります。

『シルバーバーチの霊訓①』
魂への影響を推し量る事ができない。そこが実は一番大切な点です。肉体が体験する事は魂に及ぼす影響次第でその価値が決まります。魂に何の影響も及ぼさない体験は価値がありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
神を人間の都合の良い方向へ向けさせようとしても無駄です。神の摂理は計画通りに絶え間なく作用しています。賢明なる人間―叡智を身につけたという意味で賢明な人間は、摂理に文句を言う前に自分から神の無限の愛と叡智に合わせていくようになります。

『シルバーバーチの霊訓①』
そうした叡智を身につける事は容易な事ではありません。身体的、精神的、霊的苦難が伴います。この三つの要素のうちの二つが絡む事もあれば三つが全部絡む事もあります。霊性の開発は茨の道です。苦難の道を歩みつつ後に自分だけの懐かしい想い出の標識を残していきます。

『シルバーバーチの霊訓』
魂の巡礼の旅は孤独です。進むほど孤独さを増していきます。しかし利己的生活や無慈悲な生活にそれ相当の償いがあるように、その霊性開発の孤独な道にもそれなりの埋め合わせがあります。悟りが深まるにつれて内的な生命、輝き、喜び、確信が一層その強さを増していくのです

『シルバーバーチの霊訓①』
生命現象の全てが拠り所とする内的実在界の実相を味わい、神の愛の温もりをひしひしと実感するようになります。それが容易に成就されるとは私は一度も言っておりません。

『シルバーバーチの霊訓①』
最高の宝、最も豊かな宝は、最も手に入れ難いものです。しかもそれは自らの努力によって自分一人で獲得していかねばならないのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
私はかつて地上で何年も生活し、こちらへ来てからも(三次元の世界の数え方で言えば)何千年もの歳月を過ごしてきましたが、向上すればするほど宇宙の全機構を包括し大小あらゆる出来事を支配する大自然の摂理の見事さに驚嘆するばかりです。

『シルバーバーチの霊訓①』
その結果しみじみと思い知らされている事は、知識を獲得し魂が目覚め霊的実相を悟るという事は最後はみな一人でやらねばならない―自らの力で“ゲッセマネの園”に踏み入り、そして“変容の丘”に登らねばならないのだという事です。

【過去コメ】僕は自分に出来る限りタネを蒔きまくりました。絵をガマンして。僕にできるのはここまで、あとは皆さんの自己責任、タネを受取るも受取らないも、霊的知識に目が開くも開かないも、全て個人の自由意志です。一人でも多くの方が僕のタネをキッカケに大切な事に気づいてくれるなら嬉しいです(祈)

【過去コメ】僕の体験をどれだけ力説しても皆さんには分かって頂けないと思います。本を読んで知識は得られるでしょうが実際に霊的体験をするには日常生活において艱難辛苦を克服し霊性発現させるしかないのです。どうかそれぞれの生活の場において困難に真正面から立ち向かう勇気をもって欲しいのです

幽体離脱時の鮮明映像およびトランス時の霊聴に霊団がメセを降らせてきています。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が終わるという意味です。このタイミングでブログが書けませんでしたが何とか書けたら書きましょう。あとPDFはやっぱり「んー」って感じですが、何とかしなければという事なんですねとにかく。イエス様ハンドリング全力遂行(祈)†

WordPress固定ページ「PDF」
wp.me/Pa9cvW-2Hv
まだテストです。僕が暗殺されれば間違いなくWeb上のブログ、画像等、僕および使命遂行にまつわる全情報は強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の手によって完全削除される事は間違いないでしょう。そして僕の存在そのものをなかった事にして完全無視するか、もしくは僕の人格を徹底的に捻じ曲げ国民を洗脳するかのどちらかをやってくるものと思われます。使命遂行者の僕は何としてもデータを守り、皆さまが洗脳を撃ち破れるよう、真実の理解に到達してそれを未来永劫忘れる事のないよう、あらゆる保存の手法を取らねばなりません。とはいえこれまで書いてきたブログ量はあまりにも膨大ですので、全てをPDF化するのはムリでしょう。これはテストです。そのうちもっと良い手法を考えましょう(祈)†

『シルバーバーチの霊訓⑩』
落胆したり悲観的になったりしてはなりません。幸いにして不変の基本的な霊的真理を手にした者は、いかなる事態にあっても霊は物質に勝るとの信念を忘れてはなりません。解決策はきっと見つかりますが必ずしもすぐにとはいきません。しばらく待たされる事があります。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
自分より恵まれない人のための仕事に従事する事は光栄この上ない事です。われわれが人のために尽している時、われわれ自らもより高い、進化せる存在による働きかけの恩恵を受けているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
自分の事は何一つ望まず、ただひたすらわれわれを鼓舞して、暗闇のあるところには光を、無知のはびこっているところには真理を、窮地に陥っている人には援助をもたらす事に精励しているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
そうした強大な霊団―生きがいのある人生を模索している人のために、われわれを道具として尽力している高級霊―の存在をますます身近に感じる事ができるように努力いたしましょう。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
その崇高なる霊力がますます多くの人間を通じて地上へ注がれ、恩恵を広め、悲しむ人々を慰め、病の人を癒やし、道に迷いもはや解決の手段は無いものと思い込んでいる人々に導きを与える事ができているという事は、本当に有り難い事です。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊力がどこかで効を奏すると、そこに橋頭堡が敷設され強化されます。続いて新たな橋頭堡の敷設と強化を求めます。かくして次第に霊力が地球を取り囲み、ますます多くの人々がその莫大な恩恵にあずかる事になります。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
我々はこれまでに存在の始源から勿体ないほど多くの恩恵を授かって参りました。それによって同志の多くが霊的に豊かになりました。なればこそ、我々より恵まれない人達が同じ豊かさと美と栄光を分かち合えるように―

『シルバーバーチの霊訓⑩』
我々の奉仕的精神を一段と堅固に、そして強力にする事ができるよう神に祈りたいと思います。知識がもたらす責任も片時も忘れないように致しましょう。我々はもはや知らなかったでは済まされません。精神的自由と霊的解放をもたらす真理を手にしているからです。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
人間の一人一人に神性の一部を植え付けて下さった宇宙の大霊とのより一層の調和を求めて、人のために自分を役立てる機会をますます多く与えて下さるように祈ろうではありませんか。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
そうした生き方の中においてこそ、すべて神が良きに計らってくださるという内的な安らぎ、静寂、悟り、落ち着きを得る事ができます。そして無限の創造活動を促進する上でわれわれも役目を担っている事になるのです。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
理解して頂かねばならないのは、人間は肉体を携えた霊であって霊を携えた肉体ではないという事です。物質が存在できるのは霊による賦活作用があるからであり、その霊は神性の火花として存在のすべて、生命を表現しているあらゆる形態の根源的要素となっているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
改めて申し上げるまでもなく、地上へ誕生してくる目的は各自の魂の成長と開発と発達を促進するような体験を積み、肉体の死後に待ち受ける次の段階の生活にふさわしい進化を遂げる事です。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上は幼稚園であり、霊界は大人の学校です。今この地上においてあなたは教訓を正しく身につけ、精神を培い、霊性を鍛えて、神から頂いた才能を心霊治療その他の分野で人のために使用できるまで発達させる事を心掛けるべきです。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
物質というものを霊から切り離して、あたかも水も通さない程に両者が仕切られているかに思ってはいけません。両者には密接な相互関係があり、地上にいる間は霊が物質を支配していても物質がその支配の程度を規制しております。物質を霊から切り離して考えてはいけません。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上生活の目的は、いよいよ霊界へ旅立つ時に霊に十分な備えができているように、さまざまな体験を積む事です。まずこの地球へ来るのはそのためです。地上はトレーニングセンターのようなものです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整えるための学校です。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
あなた方にとってイヤな体験こそ本当は一番ためになるのですよと繰り返し申し上げるのは、そういう理由からです。魂が目覚めるのは呑ん気は生活の中ではなく嵐のような生活の中においてこそです。雷鳴が轟き、稲妻が走っている時です。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
酷い目に遭遇し、しごかれ、磨かれないといけません。人生の絶頂と同時にドン底も体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる体験を積まないといけません。かくして霊は一段と威力を増し強化されて、死後に待ち受けている生活への備えができるのです。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
奉仕は霊のコインです。奉仕に勝る宗教はありません。人のために自分を役立てる事は尊い行為です。あなたの望み通りの分野で仕事ができなくても、人のためになると思う事を、その時その時に行えばよろしい。ドアを押してみてすぐに開けば、その道を行けばよろしい。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
カギの掛かったドアをしつこく叩いてはいけません。時間とエネルギーの無駄です。次々と生じる難問に動じてはいけません。困難は挑戦すべき課題です。困難も難問もなく、障害も妨害もないようでは、潜在する能力を発揮するチャンスがない事になります。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
人間は危機に直面してはじめて、自分の奥に思いも寄らなかった力がある事に気づきます。普段はその貯えの表面を引っかいている程度にすぎません。その潜在力と背後霊の導きをもってすれば、克服できないほど大きな困難はありません。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
霊が主人であり肉体はその主人に仕える僕です。それを逆に考える事は大きな間違いです。あなた方は本質的に霊なのです。それが人間が潜在的に神性を宿していると言われるゆえんです。つまり宇宙の大霊をミニチュアの形で宿している事になります。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
宇宙という大生命体を機能させている偉大な創造原理があなた方一人一人にも宿っているのです。意識を持った存在としての生を享けたという事が、神的属性のすべてが内部に宿っている事を意味します。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
全生命を創造し、宇宙のありとあらゆる活動を維持せしめている力があなた方にも宿っており、その無尽蔵の貯蔵庫から必要なものを引き出す事ができるのです。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
そのためには平静さが必要です。いかなる事態にあっても心を常に平静に保てるようになれば、その無尽蔵のエネルギーが湧き出てきます。それは霊的なものですから、あなたが直面するいかなる困難、いかなる問題をも克服する事ができます。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
それに加えて、背後霊の愛と導きがあります。困難が生じた時は平静な受身の心になるよう努力なさる事です。そうすればあなた自身の貯蔵庫から―まだ十分には開発されていなくても―必要な回答が湧き出てきます。きっと得られます。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
我々はみな進化の過程にある存在である以上、その時のあなたの発達程度いかんによっては十分なものが得られない事があります。が、その場合もまた慌てずに援助を待つ事です。今度は背後霊が何とかしてくれます。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
求めるものが正しいか間違っているかは、単なる人間的用語の問題に過ぎません。私たちから見て大切なのは“動機”です。いかなる要求をするにせよ、いかなる祈りをするにせよ、私たちが第一に考慮するのはその動機なのです。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
動機さえ真摯、人のために役立つ事であり、理想に燃え、自分への利益を忘れた無私の行為であれば決して無視される事はありません。即ち、その人がそれまでに成就した霊格の表れですから、祈るという行為そのものがその祈りへの回答を生み出す原理を作用させております。

サイト「現代の日本に於けるスピリチュアリズムの第一人者、近藤千雄先生の著書・訳書の一覧」→ www.paperbirch.com/books/kondo.html