今日の幽体離脱時の映像は鮮明で印象深い内容だったのですが、んーブログに落とし込みにくいですねぇ。それがなぜか正義の聖闘士(セイント)が氷の大地に大集合、邪悪の大中心との最終決戦、さらにかつて邪悪に染まって改心した聖闘士も地の底から復活していわゆる汚れ役のような仕事をしてくれて他の正義の聖闘士の戦いをサポートしてくれたりしていました。もちろん強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と最終決戦という意味ですよ。で、それはともかくフラー14の新規デザインに少しずつ入っていきましょう。今回のフラー14も「キャラありフラー」となり、脳内である程度デザインおよびギミックが完成していて、これからクロッキーにラフを描いて形にしてきます。14、15、17は既にアイデアが決まっていて、以前フラー10を完成させた時「まず10まで描く」という目標は達成した事を書きましたが次の目標はもちろん「フラー20まで描く」という事になりますので、使命遂行のブログを書きつつ脳内では新たなフラーのデザイン3Dモデルが日々グニュグニュと動いている状態です。まだアイデアが出ていない16、18、19、20についても順次考えていきましょう。おもしろいキャラの登場、さらに「キャラなしフラー」も「指揮機」として意味のあるものになりますので新規デザインする必要があるでしょう。さらにヨハネ氏搭乗機フラー02をver2.0にバージョンアップする必要もあるでしょう。インスピレーションは降っているのです。しかし皆さまにお伝えするのが難しい内容のものが多数ありどうにもブログとして皆さまにご紹介できません。ユキ(以前飼ってた白文鳥)が登場するメセ、さらにピーチピチ(佳子)がブログを書きました、といったものまであります。実際には難しいのでしょうがピーチピチにはぜひとも自分レベルでブログを開設、運営して欲しいものです。えー時間がありません、まずはここまで(祈)†
「ゴミにしか見えない」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する皆さまの思念です(祈)†
「ゴミにしか見えない」こちらは14日に霊団が降らせたインスピレーションとなります。意味はもちろん、皆さまが強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事をこのように感じていらっしゃるという事ですが、一部の嫉妬男子などは「タッキーお前の事じゃね?」などと思う事もあるでしょう。それに関しては、2012年6月に霊性発現を果たし、霊団の霊力に感応できるようになって以降、ブログ、ツイッターにて果てしなく霊的内容を語り続けてきましたので軽蔑、嘲笑を浴びるのは僕にとっては日常茶飯事であり、今さら何も思う事はありません。「また“コレ”が来やがったよ」とただただその無知ぶりに呆れ果てるのみです。僕の事を悪く言う御仁はどうぞお好きになさって下さい。僕をバカにし強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を擁護するというのなら、あなたは「強姦殺人ほう助」となります。僕から言わせれば、僕をバカにし明仁、文仁、徳仁、悠仁を賛美する発言をする嫉妬男子は「根性なし」だと思っています。真の悪に立ち向かう勇気もなく奴隷の女の子たちを救出する行動力もなく、暗殺の危機に身を晒して全力で女の子たちを助けてあげようとしている僕の事を、本名も語らず自撮りも晒さずコソコソ影に隠れながら口だけでブツブツ悪口を言ってくるのです。これを卑怯者と言わずに何と言うのでしょうか。
はい嫉妬男子は放っておくとして、聡明かつ善良な皆さまは強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を「もはやコイツらはゴミにしか見えない」と完全に呆れ果てている、そこまでのレベルの理解に到達して下さったと、僕としてもそう信じずにはいられないメセとなります。霊性発現前の僕、さらにはテレビを観ていた時代の僕という言い方をしても差し支えありませんが(※霊性発現が2012年6月、テレビを全く観なくなったのが確か2012年3月頃だったと思います)その頃の僕などは画家として自分の作品のクオリティを高める事に人生の全てをかけていましたので、日本の天皇一族が大量強姦殺人魔であるなどという事は露の一粒ほども知らず、全く1ミリたりとも針の先ほどの興味関心も持っていませんでした。ただ漠然とこのバカどもがテレビに出てくると、なぜか分からないながらもムカムカする、という感じでしたね。そのムカムカ、怒りが一体何であるかなど考える事さえしませんでした。「お前らなんか知るか」これが霊性発現前の僕の強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する正直な感想だったと思います。ただ唯一ピーチピチ(佳子)だけは「カワイイ女の子だなぁ、全然親と似てなくておかしいなぁ」とは思っていましたが。
しかし霊性発現を果たしイエス様、守護霊様、霊団から強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、奴隷の女の子たちの存在および女の子たちの悲劇の惨状、そしてピーチピチ(佳子)の思念を徹底的にインスピレーション、幽体離脱にて受け取らせて頂く生活に突入し、初期の頃は僕も初めて聞かされる情報のオンパレードでしたので大変なショックを受け、なかなかブログに落とし込む事ができませんでしたが、そこは霊団の導きの妙によって徐々にブログに書く事ができるようになり、以前の僕もそうであったように明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を知らない、完全に洗脳にやられてしまっている人たちからブログ、特にツイッター経由で果てしなく軽蔑、嘲笑、誤解、嫉妬、侮蔑、罵倒を浴びせられながらの毎日に突入する事となり、大変な精神的試練を味わわされる事となったのでした。職場でこれまで仲良く接してくれていた人たちが180度コロッと態度を変えて「コイツはクスリをやっている」と影で言われたりもしました。過去ブログでその時の様子も書いていますが、もう再UPはしません。ただその時は本当に孤独の深奥を味わって何度も泣いたものでした。
そんな苦しい使命遂行の生活が何年も続きました。(現在も続いているんですよ)僕としては霊団の導きに従えば従うほど画家の人生からほど遠い生活を強要され、自分のキャラとかけ離れた活動(要するに僕の大キライな“宗教”的活動という事でしょうか)をやらされている事に激しい怒りを感じ、初期の頃は霊団に対する怒りを表には出すまいとして堪えていましたが、現在はもうそんなレベルの怒りはとっくに超えてしまっているために、霊団に対する怒りを躊躇する事なく公言するようになってしまっています。そこは本当は宜しくないと自分でも分かっているのですがとにかく僕の心にある霊団に対する怒りのレベルが尋常ならざる宇宙レベルの怒りであるために、それを抑え込んでしまったら心がやられるという自己防衛のような意味もあって、今ではあからさまに霊団に対する怒りをブログに書くようになっています。もちろん霊団は僕をイジメているのではありませんよ。「イエス様の怒涛の連続顕現」で、イエス様が1週間以上、何とも言えない表情で僕にお願いしてきたのには壮大極まる理由があったのです。それは僕などという陳腐な男の小我を振り回すなどとんでもない、イエス様が地上人、要するにキリスト教徒から浴びせられてきた2000年の冒涜と関わりがあるお願いだったのです。
現在僕が果てしなく行っている「イエス様ハンドリング」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させる使命遂行は2014年7月10日「隔離フィールド」の発動によって開始され、それ以降「愛の試練(霊障イペルマルシェ)」を筆頭に様々な霊的試練(要するに教化と強化)を霊団は僕に降らせ続け、僕の精神力を段階的に徹底的に鍛え続けここまでやってきました。ある青年のように僕の活動を初期の頃からご覧頂いている方は日本にほとんど皆無と思われますので、僕のこれまでの試練克服の道のりは何をどう説明してもご理解頂けないものと思われますが、アナログ絵123の説明にありますように霊団は悲願成就のブループリントをとっくの昔に完成させており、その計画通りに僕を鍛え続けていたという事なのです。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を「宇宙一のバカ」「人類の恥」「人間のクズ」「地球ワースト1」このように公言する事ができているのも、霊団の教化と強化の賜物であるという事なのです。ですので本当は霊団に怒りをぶつけるのは筋違いであり感謝せねばならないところなのですが、何しろ僕は聖人でも賢者でも何でもありません、ただの画家ですのでそこまで達観する事はもちろんできないのです。
しかしそんな苦しい精神的試練を要する使命遂行生活が続き、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体が確実に日本国民の皆さまに拡散、浸透していったものと思われます。誰もが最初は霊覚者などと名乗る僕、たきざわ彰人の事を疑いの視線で見つめた事でしょう。「不敬罪」で激しく通報された事もありました。しかし様々なイヤな思いを味わわされながらも僕にはこの物質界に残されて何が何でも達成せねばならない「イエス様との男と男の鉄の約束」がありますので、それを思って何とか首の皮1枚グッとこらえて情報拡散を続けてきました。Twitterを筆頭にありとあらゆるブログ、SNS等のサービスから締め出され続け、凍結、アカウント削除、中には何の警告もなく一方的に僕のアカウントを削除してくる反社会的サービスも多々ありました。(※1番、反社会的だったのはMastodonマストドンでしょう。これは間違いなく自信をもって言えます。社会経験のない者がインスタンスの管理者になっている事が一般的社会人的常識を逸脱した運営につながっている理由だろうと僕は感じました。警告メールひとつどのように書いていいのかもわからない人間がインスタンス管理者をやっているという事です。社会人の経験がない、要するにプログラムとにらめっこしているだけでコミュニケーション能力がないんですね。Twitterにも散々ヒドイ目に遭わされ続けていますので褒める気には到底なれませんが少なくとも社会常識に基づいて運営されています)
僕は何も間違った事はしていない、強姦殺人魔を死刑にするという当たり前の事を公言しているだけなのに、幾度となく物質界の仕組(ブログ、SNS等)にヒドイ目に遭わされ続けました。その僕の心の奥の怒りの炎が皆さまにご想像頂けるでしょうか。僕は物質界が大キライです。「帰幽カモン」を公言し続け、一刻も早く肉体を脱ぎ捨てて霊界生活に突入したくてたまらない男です。悪人が善人のマスクをかぶってのうのうと暮らし、正しい行いをする者が果てしなく軽蔑、嘲笑を浴びせられ、誰もみな奴隷の女の子が殺され続けている事に目を閉じ続けている物質界が本当に心の底から大キライですが、ほんの一部の方々であっても、声にこそ出さないが僕の語る内容を信じて下さり「このままではいけない何とかしなくては」と思って下さっている方がいらっしゃるのかも知れない、それが今回霊団が降らせてきたインスピレーション「ゴミにしか見えない」の真の意味なのではないか、希望的観測も含めてそのように考えます。
はい、では最後に強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体について復習して終わりと致しましょう。自分の事を天皇だの皇族だのと自称する(自称なんですよ、コイツらは偉くも何ともない正真正銘のバカなんですよ、特に徳仁は本当に頭がカラッポのスカポンタンです。本物のバカなんですよ。そして文仁も自分が国民女子にモテていると本気で信じ込んでいる究極のS〇Xバカなのです)この「宇宙一のバカ」どもは霊団いわく「大偽善」テレビを筆頭とする各種メディアを牛耳って徹底的に国民を洗脳するウソニュースを流し続けてきました。その洗脳に費やされた年月は黒船来航以降、明治維新以降、まさに気が遠くなるほどです。そして明仁、文仁、徳仁、悠仁はじめ昭和天皇裕仁等、過去の天皇一族も最大級の強姦殺人魔でした。昔は現在のような情報インフラが発達していませんでしたから城の中に隠れて本当にヒドイ蛮行が繰り返されていました。その「処刑遊び」を21世紀にもなって続けている人類史上最大級のバカこそ強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁という事になります。
コイツらが四肢切断、強姦殺人し続けた奴隷の女の子の人数は、霊団いわく「総殺害数487」ですが、細かい数字はともかく天文学的人数の幼い女の子、全て盗んだ女の子ですが、その女の子たちが泣いて助けを求めるのを笑いながら殺して死肉を食べて遊ぶ、3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のキチ〇イである事を、善良なる日本国民の皆さまに正しくご理解頂かねばなりません。今回霊団が降らせてきたインスピレーション「ゴミにしか見えない」これこそ正解であり、明仁、文仁、徳仁、悠仁が「人間界のゴミ」「宇宙のゴミ」であり、人間界、霊界を追放されて人間以外のモノ、土中を這うミミズのような存在となって(過去ブログでも書きましたがこのような言い方はミミズに失礼。ミミズは神から賜った仕事を立派に果たしているのです)千年万年の地獄の苦悶を味わわされる事になる事を僕、たきざわ彰人は絶対的に信じきります。「ゴミにしか見えない」何としても皆さまにこのインスピレーションのような理解に到達して頂かねばなりません。僕たち日本国民はあまりにも長い年月にわたって洗脳され続けてしまいました。これは最大級に反省せねばならないポイントであり「黒歴史まとめ」と僕も公言し続けていますように、この邪悪の歴史、そして僕たち国民にとっては恥辱の歴史とも言えるものを未来の人類、後世に正しく伝える作業をせねばなりません。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、このような人類史上最大級の邪悪が未来永劫物質界に登場する事のないよう、チリの一粒も残さず完膚なきまでに滅ぼし切らねばなりません。星の砂一粒ほどもこの邪悪のタネを物質界に残してはなりません。つまり【絶滅】させるという事です。僕、たきざわ彰人はイエス様の御名を連呼し続ける責任にかけて、イエス様と交わした約束の重みにかけて、皆さまと共に強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡を実現させたいと切に切に祈るものです(祈)†
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ブログ完成中。思いもよらぬ長文となりました(祈)†
複雑な思いを抱えつつのブログとなりました。僕の真意は皆さまに理解されなくても一向に構いません。僕がどれだけ誤解されようとも強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁だけは何としても死刑、滅亡させ、奴隷の女の子たちを僕の全存在にかけて、イエス様の御名にかけて救出しなければならないのです。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
【10/18】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
『シルバーバーチの霊訓①』
霊とは何かを言語によって完璧に描写する事は絶対に不可能です。無限だからです。言語は全て有限です。私はこれからそれを何とか説明してみようと思いますが、いかにうまく表現してみたところで霊力のほんのお粗末でぎこちない描写でしかない事をご承知ください。
『シルバーバーチの霊訓①』
宇宙の大霊すなわち神が、腹を立てたり残酷な仕打ちをしたりわがままを言ったりするような“人間的”存在ではない事は、すでにご承知でしょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
何度も言ってきたように、神とは法則であり、その背後に働く精神であり、森羅万象の無数の顕現を支える力です。それは生命そのものであり、生命を構成する根源的要素です。その中に極小と極大の区別もありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
こうした大まかな表現によって私たちは自分本来の姿、つまりミクロの神でありミニチュアの宇宙である自我について、どうにかその片鱗をつかむ事ができます。全体を理解するにはあまりに大きすぎます。
『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方がこうして地上に生を享けたのは、その内部の神性を少しでも多く発現させるためです。それは永遠に終る事のない道程です。なぜなら神性は無限に顕現するものだからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
神性の本性として自発的に顕現を求め、それがあらゆる種類の美徳と善行、つまり親切、同情、寛容、慈愛、哀れみ、友情、情愛、無私の愛となって表現されます。その量が多ければ多いほど、それを発現している霊は偉大である事になります。
『シルバーバーチの霊訓①』
いかにすればこの驚異的な潜在的神性を意識的に発現させる事ができるのでしょうか。それに関して地上には各種の学説、方法、技術があります。いずれも目指すところは同じで、脳の働きを鎮め、潜在的個性を発現させて本来の生命力との調和を促進しようというものです。
『シルバーバーチの霊訓①』
要するに物的混沌から抜け出させ、霊的静寂の中へと導く事を主眼としておりますが、私はどれといって特定の方法を説く事には賛成しかねます。各自が自分なりの方法を自分で見出していくべきものだからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
ある種のテクニックを身につければ病気を自分で治し、体内の不純物を排出し、欠陥を矯正する事ができるようになります。自我の全ての側面―霊と精神と身体の調和を成就する事ができます。
『シルバーバーチの霊訓①』
かくして霊性が本来の優位を確保していくに従って霊的叡智、霊的理解、霊的平穏、霊的静寂が増し、不滅の霊力との真のつながりを自覚するようになります。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間は霊的存在である以上、宇宙の大霊すなわち神の属性を潜在的に所有しております。あなた方一人一人が神であり、神はあなた方一人一人なのです。一人一人が神の無限の霊力の一翼を担っているのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上への誕生はその大霊の一部が物質と結合する現象です。その一部に大霊の神性の全てが潜在的に含まれております。いわば無限の花を開かせる可能性を秘めた種子と言えましょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
その可能性の一部が霊界からの働きかけによって本人も気づかぬうちに発揮されるという事があります。むろん無意識よりは意識的の方が望ましいに決まっています。ですが無意識であっても、全然発揮されないよりはましです。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間が同胞に向けて愛の手を差しのべんとする時、その意念は自動的に霊界の援助の力を呼び寄せます。その、人のために役立とうとする願望は魂をじっとしていられなくします。
『シルバーバーチの霊訓①』
そして、やがて機が熟して魂が霊性に目覚める時が来ます。その時からは自己の存在の意義を成就する目標へ向けて意識的に邁進するようになります。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊格が向上するほど生命活動が“協調”によって営まれている事を悟るものです。自分一個で生きているものは何一つありません。お互いが力を出し合って生きております。
『シルバーバーチの霊訓①』
一人一人が無限の連鎖関係の中の一つの単位なのです。そんな中でなぜ初心者が熟練者の手助けを拒絶するのでしょう。私たちがこうして地上に戻ってあなた方を手助けし、手助けされたあなた方が同胞の手助けをする。そこにお互いの存在の理由がある訳です。
『シルバーバーチの霊訓①』
一人だけ隔離された生活をするようにはなっていないのです。みんなと協力し合って生きていくように出来ているのです。この見解を世界中に広めなければなりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
すなわち世界の人間の全てが霊的につながっており、いかなる人間も、いかなる人種も、いかなる階級も、いかなる国家も、他を置き去りにして自分だけ抜きん出る事は許されないのです。
「現代の日本に於けるスピリチュアリズムの第一人者、近藤千雄先生の著書・訳書の一覧」→ http://www.paperbirch.com/books/kondo.html
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『シルバーバーチの霊訓①』
登るのも下るのもみんな一緒です。人類だけではありません。動物も一緒です。なぜなら生命は一つであり、無限の宇宙機構のすみずみに至るまで、持ちつ持たれつの関係が行きわたっております。
『シルバーバーチの霊訓①』
独善的考えから他の全ての方法を軽蔑して独自の悟りの境地を開く事も不可能ではありません。が私はそうした独善的な生き方には反対です。私の理解した限りにおいて宇宙の摂理は協調によって成り立っており、他の存在から完全に独立する事は絶対に不可能です。
『シルバーバーチの霊訓①』
他人の援助を頼まずに独力で事を成就しようとする気構えは、それ自体は必ずしも利己的とは言えません。私はただ、その方法はお勧めしないと言っているのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
自分を他人に役立てる事、これが霊的存在の真の価値だと私は信じます。私はその心掛けで生きて参りました。それが宇宙の大霊の意志だと信じるからです。そうではないと思われる方は、どうぞご自分の信じる道を歩まれるがよろしい。
『シルバーバーチの霊訓①』
人類の手本と仰がれている人々は、病に苦しむ人には霊的治癒を、悲しみの人には慰めの言葉を、人生に疲れた人には生きる勇気を与えて多くの魂を鼓舞してきました。要するに己を犠牲にして人のために尽したのです。それが神の御心なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
悲しみの涙を拭ってあげる。病を治してあげる。挫折した人を勇気づけてあげる。苦境にある人に援助の手を差しのべてあげる。それがたった一人であっても立派に神の意志を行為で示した事になります。
『シルバーバーチの霊訓①』
そんな事をする必要はないと説く教えは絶対に間違っております。救いの手を差しのべる事は決して間違っておりません。それを拒絶する方が間違っております。
『シルバーバーチの霊訓①』
もちろんそこに動機の問題もあります。見栄から行う善行もありましょう。がそれも何もしないよりはましです。邪な考えに発した偽善的行為、これはいけません。魂にとって何の益もありません。摂理をごまかす事はできないのです。完璧なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
イエスが“慈悲の心は耐え忍ぶもの”と語ったのは神の意志の偉大さを説かんとしたのです。善行はそれ自体の中に報酬が宿されております。
【過去コメ】僕の体験をどれだけ力説しても皆さんには分かって頂けないと思います。本を読んで知識は得られるでしょうが実際に霊的体験をするには日常生活において艱難辛苦を克服し霊性発現させるしかないのです。どうかそれぞれの生活の場において困難に真正面から立ち向かう勇気をもって欲しいのです