2020年7月4日

霊的知識、スピリチュアリズム普及を仕事としているはずの「スピリチュアリズム普及会」が、神の概念を理解しているとは到底言い難い愚劣の極致の記事を自身のサイトに掲載している件について、僕からひとつ「日本一のスピリチュアリスト」近藤千雄先生のこちらのコメントを掲載させて頂きます。
bit.ly/34YT4Ju

「母と子の心霊教室」9章注釈

『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)“神”と“神さま”のちがいについて―訳者(やくしゃ)】本書で私は、神と神さまとふた通りに使いわけておりますが、これは、ぜひ区別して理解していただかねばなりません。

『母と子の心霊教室』神を論(ろん)ずる際に、とかくおかしがちな誤(あやま)りは、神というものが人間のような姿(すがた)かたちをしていて、どこか高いところから、人間をじっと見つめているかのごとく、想像することです。

『母と子の心霊教室』神とは、そんな人間的なものではなくて、宇宙(うちゅう)全体を支配している、絶対的な法則(摂理)をさします。たんに物理的な法則をさすのではなく、人間の行為、言葉、心の動きなどの、人間生活すべてにわたって支配しているもので、→

『母と子の心霊教室』→したがってこの意味における神は、祈(いの)りの対象とはなりえません。本書の最初は「真理を学ぼう」という題ではじまっていますが、これはいいかえれば「神を知ろう」ということになります。

『母と子の心霊教室』つぎに“神さま”と訳(やく)したのは、人間からみて祈(いの)りの対象とするにふさわしい霊(れい)のことです。たとえば一地方、一国家、あるいは海、山、川などの守護神(しゅごしん)がそれで、一人ひとりに個性があり、無数に存在します。

『母と子の心霊教室』日本の古典で“八百万(やおよろず)の神々”と呼(よ)んでいるのはこの部類に属します。たいせつなのは、こうした神々も“神の摂理(せつり)”の支配をうける点においては、人間と少しも変わらないということです。

『母と子の心霊教室』なお、日本では在世中の功績をたたえて“神さま”としてまつる風習があります。明治天皇をまつる明治神宮、乃木(のぎ)大将をまつる乃木(のぎ)神社など、数え切れないほどありますが、→

『母と子の心霊教室』→このたぐいは、右の2種類とは別に扱(あつか)わなければならないでしょう。

はい、近藤千雄先生の使命は英語で書かれた珠玉の霊言の書籍を日本語に翻訳する事であり、その使命を生涯にわたり忠実に実行された謙虚の塊のような素晴らしい人物ですが、このコメントにはもちろん強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の真実について触れられていません。自分の使命ではないから、書籍の紹介がメインだから、注釈でそこまで壮大なテーマを紹介できなかったから、そしてこの時点では近藤千雄先生も明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の邪悪の正体は理解しておられなかったという事もあるかも知れません。が少なくとも普及会が今回サイトに掲載した、およそスピリチュアリストとは思えない無知、愚劣のコメントと同列の内容ではない事だけは明らかでしょう。
bit.ly/2CGgTcS
強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を「神が人間になった」などと大真面目に紹介し、「神」に関する正しい知識の理解を捻じ曲げ、強姦殺人魔を擁護するこの普及会の記事に対して僕、たきざわ彰人は絶対的反対の姿勢を表明し、普及会にはこの記事の撤回を求めたいところです。霊的知識を理解している人間の行為とは到底思えないハレンチ極まる記事であり、シルバーバーチ霊の犠牲的献身的精神およびシルバーバーチ霊の顔に泥を塗る蛮行です。「人間が神になる」など言語道断。神とはこの全宇宙を経綸する自然法則の事であり断じて人間的存在ではありません。普及会に関しては「スピリチュアリズム普及会」という看板を下ろして頂かねばならない、それくらい重大極まる認識間違いをしている、絶対に許してはならない蛮行であるという事をご覧の皆さまに強く強く警告させて頂きます。間違っても普及会が掲載した記事を鵜呑みにしないようにして下さい。霊的知識の面、スピリチュアリズム的側面から見ても100%間違っています。自分の事を天皇だの皇族だのと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「強姦殺人魔」です。信じられない人数の女の子を「処刑遊び」で四肢切断、強姦殺人しまくって死肉を食べまくっている「宇宙一のバカ」です。皆さま、正しい理解に到達しましょう、洗脳を撃ち破りましょう(祈)†

Googleアナリティクス、常にタブで開いて見れるようにしていますが現状はただ「ガッカリ感増幅装置」としてしか機能しておらず、アクセスアップに何の役にも立っていません。アナリティクスは自分でデータを分析して回答を見つけ出さねばならないものですから要するに僕のお勉強が足りないという事なのですが、僕の使命遂行サイトはどんな手段を講じてもアクセスは増えずにひたすら人々からドン引きされるのではないか、そういう宜しくない事を考えてしまいます。ただもちろんアナリティクスのお勉強も大切ですが最終的にはコンテンツに帰着するはずですので、僕が一番集中せねばならない事としては、霊団が日々降らせるインスピレーション等の霊的情報を正しく読み取り、霊団からの情報をブログ、アナログ絵に落とし込む事ができずに埋もれさせてしまう確率​を下げる「インスピレーション物的変換率」とでも言えばいいのでしょうか、その変換率を上げる事かも知れません。つまり霊団が降らせる情報をできるだけ余す事なくブログ化するという事、これが実は難しくて今までブログに書けずに埋もれてしまったインスピレーションがいくつもあるんですよね。僕はスタミナに絶対の自信をもっていますが、その僕をもってしてもブログに書き切れない時があるという事なのです。アナリティクスのお勉強についても考えつつ、急きょ命名した「インスピレーション物的変換率」をUPさせる事に僕はパワーを傾けるべきかも知れません。全ての作業は一刻も早く強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にして消滅させ、奴隷の女の子たちを救出するため(祈)†

※ペテンノウ氏コメント↓ bit.ly/32EKihZ 
ペテンノウ氏、僕も普及会はだいぶ前から「おかしい」と思っていましたよ、経験がありますので。普及会は俗物です。んータイムアップ、続きは少々お待ちを(祈)†

キャラのボツなど紆余曲折を経てようやくフラー14を形にするまで来ました。こうして描き上げてみると何とも汎用性が高そうな機体でいろいろストーリーに使えそうな感じもします。
ちなみに今回フラー14のキャラ「カタツムリちゃん」はほとんど動きがなく、航行モード時はただフラー本体にへばりついているだけですので、今回はプラットフォームのデザインはあえてなしとしました。
カタツムリちゃんと言えば「紫陽花(アジサイ)」ですが、それをフラーとして表現するのはやはり不可能でした。とはいえ少しでもそれっぽく見えないものかと苦心してデザインしたつもりです。
今回の14も描くのは大変でしたが13のちょうちょちゃんに比べれば少しラクだったかも知れません笑。フラーの新規デザインに伴うドタバタはまだ続きますが、とにかく「フラー20」までは行きましょう。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させるまで「イエス様ハンドリング」は絶対に止まりません(祈)†
フラーのラインナップが揃ってきたら描こうと思っていた、フラーの「ブランドロゴ」です笑。まだラフ、あとでちゃんと描きます(祈)†

…はい、今回も時間がかかりましたがようやく設定資料をUPするところまでもってこれました。そして霊団はこのように言ってきませんがググると公然と「雅子の祖父が水俣病の原因者」と出てきますので、今回は絵に添付する攻撃画像もこのようにしました。止まらずフラー14のカラーリングにも突入しますが、今日はブログが書けませんでしたのでそこを霊団に文句が言いたくて仕方ありません。ちゃんとブログネタ降らせろ(まぁ要するに僕にフラーを描かせたのでしょうが)右も左も強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳にやられっぱなしの人間ばかりですが必ず目を覚まさせます。このままでは絶対に許しません。僕の全存在にかけて、そしてイエス様と「怒涛の連続顕現」で交わした男と男の鉄の約束にかけて、絶対にこの「宇宙一のバカ」明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込んでみせます(祈)†

『シルバーバーチの霊訓③』
知っているという事と、それを応用する事とは別問題です。知識は実生活に活用しなくてはなりません。死を悼むという事は霊的知識が実際に適用されていない事を意味します。地上生活を地上生活だけの特殊なものとして区切って考える習癖を改めなくてはなりません。

『シルバーバーチの霊訓③』
つまり一方には物質の世界だけに起きる特殊な出来事があり、他方にはそれとは全く異なる異質の、霊的な世界だけの出来事があって、その二つの世界の間に水も漏らさぬ仕切りがあるかのように考えるその習性から卒業しなくてはいけません。

『シルバーバーチの霊訓③』
あなた方は今そのままの状態で既に立派に霊的な存在です。死んでから霊的になるのではありません。違うのは“より”霊的になるという程度の差だけであって、本質的には少しも変わりません。あなた方にも霊の財産であるところの各種の才能とエネルギーが宿されているのです

『シルバーバーチの霊訓③』
今からあなたのものなのです。肉体に別れを告げたあとで配給を受けて、それを霊体で発揮し始めるというのではありません。今日、こうしている時から既にそれを宿しておられるのです。

『シルバーバーチの霊訓③』
いわば居眠りをしながら時おり目を覚ます程度でしかありませんが、ちゃんと宿している事には違いありません。霊的知識を手にしたあなた方は人生のあらゆる問題をその知識の光に照らして考察し、そうした中で霊の所有物、才能の全てを発揮できるようにならないといけません

『シルバーバーチの霊訓③』
悪いと知りつつ罪を犯す人は、“罪を犯す”という言い方は私は好きではありませんが(他のところで“摂理に背く”と言いたいと述べている。訳者)知らずに犯す人よりはるかに悪質です。

『シルバーバーチの霊訓③』
盗む事は悪い事ですが、霊的知識を手にした人がもし盗みを働いたら、それは千倍も悪質な罪となります。恨みを抱く事は悪い事ですが、霊的知識を知った人がもし誰かに恨みを抱くような事があったら、それは千倍も悪質な罪となります。

『シルバーバーチの霊訓③』
知識は全ての事に厳しさを要求するようになります。私がいつも“知識は責任を伴う”と申上げているのはそういう意味です。霊的な事を知っていながらそれが実生活における行為にまるで反映していない人が多すぎます。

『シルバーバーチの霊訓③』
難しい事かも知れませんが、人間は一人の例外もなく今この時点において霊の世界に住んでいる事、決して死んでから霊になるのではないという事をしっかりと認識してください。

『シルバーバーチの霊訓③』
死とはバイブレーション、波長が変るにすぎない事を認識して下さい。知覚の仕方が変るだけと言ってもよろしい。日常生活で固くてしっかりしていると思っているものと全く同じ、いえもっともっと実感あるものが、たとえあなた方の目に見えなくても立派に存在しております。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「私の霊界紀行 驚異の幽体離脱体験記」です☆著者が離脱にて訪れた様々な界層について紹介されてます。著者の指導霊が離脱中の著者にイタズラするシーンなどが紹介されている部分もあって、単純に読み物としてもおもしろいと思います☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓③』
“生”を正しい視野で捉えて頂きたい。その中で“死”が果たしている役割を理解して頂きたいと思います。人間はあまりに永い間、死を生の終りと考えて、泣く事、悲しむ事、悼む事、嘆く事で迎えてきました。

『シルバーバーチの霊訓③』
私どもはぜひとも無知―死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れと見なす無知を取り除きたいのです。そして死とは第二の誕生、生の自然な過程の一つである事、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものである事を理解して頂きたいのです。

『シルバーバーチの霊訓③』
死ぬという事は生命を失う事ではなく別の生命を得る事なのです。肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられるより豊かな世界へ赴いた人の事を悲しむのは間違いです。

『シルバーバーチの霊訓③』
死の関門を通過した人はカゴから放たれた小鳥のようなものです。思いも寄らなかった自由を満喫して羽ばたいて行くのです。

『シルバーバーチの霊訓③』
人間が死と呼ぶ看守によって肉体という監獄から出させてもらい(原則として)それまでの肉体に宿っているが故に耐え忍ばねばならなかった不平等も不正も苦しみも面倒もない、より大きな生へ向けて旅立ったのです。霊本来の限りない自由と崇高な喜びを味わう事になるのです

『シルバーバーチの霊訓③』
苦痛と老齢と疲労と憂鬱とから解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。霊の本来の欲求である探求心を心ゆくまで満足できる事になった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。

『シルバーバーチの霊訓③』
その悲しみには利己心が潜んでいます。自分が失ったものを悲しんでいるのです。“自分が”失ったものを“自分で”耐えていかねばならない事、要するに自分を包んでくれていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。それは間違いです。

『シルバーバーチの霊訓③』
もし霊的真理に目覚め、無知の霞を拭い落とした目でご覧になれば、愛するその方の光り輝く姿が見えるはずです。死は決して愛する者同士を引き離す事はできません。愛は常に愛する者を求め合うものだからです。

『シルバーバーチの霊訓③』
あなた方の悲しみは無知から生じております。知識があれば愛する者が以前よりむしろ一段と身近な存在となっている事を確信できるはずです。霊的実在を悟る事から生じる喜びを十分に味わう事ができるはずです。

『シルバーバーチの霊訓③』
皆さんもいずれは寿命を完うしてその肉体に別れを告げる時がまいります。皆さんのために尽して古くなった衣服を脱ぎ捨てる時が来ます。霊が成熟して次の進化の過程へ進む時期が来ると自然にはげ落ちる訳です。

『シルバーバーチの霊訓③』
土の束縛から解放されて、死の彼方で待ち受ける人々と再会する事ができます。そのめでたい第二の誕生にまとわりついている悲しみと嘆き、黒い喪服と重苦しい雰囲気は取り除く事です。そして一個の魂が光と自由の国へ旅立った事を祝福してあげる事です。

「撃って出る」と称して僕が意図せず始めた、この果てしない霊的知識のタネ蒔きが、僕の人生を180度変えてしまいました。これにて僕の「帰幽」は完全に消失してしまいました(悲)本当なら僕は2012年12月16日(日)で帰幽完了して、霊界にて思念描画を思う存分堪能してたはずなのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑦』
真理の行進を阻止できる力は地上には存在しません。無数の霊媒を通じて地上へ流入しつつある霊力を挫けさせる事のできる者はいません。いかなる官憲の力、いかなる政治力、いかなる国家権力をもってしても地上から霊力を駆逐する事はできません。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
時すでに遅しです。すでに無数の道具すなわち霊媒や霊感者を通じて地上へ霊力が流入しており、慰安と援助と指導と治癒、そして霊的実在についての確信をもたらしております。霊的真理の勢いを阻止しようとしても、もはや時すでに遅しです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
いかなる手段を企てても、結局は挫折します。巨大な霊の潮流が地上へ地上へと押し寄せているからです。これまでもありとあらゆる弾圧の手段が企てられてきました。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
磔刑がありました。宗教裁判がありました。火あぶりの刑がありました。肉体的拷問、精神的拷問、その他こうして痛めつけられる事によって魂が救われるのだという狂気の信仰を抱く偏狭な宗教家によって、身の毛もよだつ手段が次々と案出されました。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
しかし、そのいずれも結局は効を奏しませんでした。“光”を見た霊覚者が次々と輩出し、導いてくれる霊力を信じ、永遠の真理を喘ぎ求めている人類への使命感に燃えて、その光の指し示すところに忠実に従ったのでした。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
今の時代にはもはや磔刑や火あぶりの刑は無くなりました。が、今あなた方は投獄という刑に直面しております。しかし、これまでにすでに獄舎も霊的真理に対しては無力である事が証明されております。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
一世紀近くも続いているスピリチュアリズムの運動がそれくらいの事で阻止できると思われますか。絶対にできません!

フラーの描画は過酷を極めます、ここまで来ましたので止まらず一気に行きましょう。日々のTwitter怒涛投稿は後回し、アナログ絵282として一気に完成させます。パワー全開(祈)†