—–一章3
『ベールの彼方の生活②』
神への反逆 1913年11月8日 土曜日―これより暫しの間、貴殿の精神をお借りし引続き悪の問題と善との関係について述べたいと思う。善といい悪といい所詮は相対的用語であり地上の人間の観点よりすればいずれも絶対的という事は有得ない。
『ベールの彼方の生活②』
双方の要素を兼ね具える者にはそのいずれも完全に定義する事が出来ないのが道理で、ただ単にあるいは主としてその働きの結果として理解するのみである。また忘れてならない事は、ある者にとって善または悪と思える事が→
『ベールの彼方の生活②』
→必ずしも別の者から見て善または悪とは思えないという事である。宗教的教義の違い、民族的思想や生活習慣の違いのある場合にはそれが特に顕著となる。故に両者の定義の問題においてはその基本的原理の大要を把握する事で足れりとし、そこから派生する細部の問題は→
『ベールの彼方の生活②』
→地上生活を終えた後に託する事が賢明である。さて悪とは法則として働くところの神への反逆である。賢明なる者はその法則の流れる方角へ向けて歩むべく努力する。故意又は無知故にその流れに逆らう者は、たちまちにして行く手を阻まれる。
『ベールの彼方の生活②』
そしてもしもなお逆らい続けるならば、そこに不幸が生じる。生成造化を促進する生命は破壊的勢力と相対立するものだからである。故にもし仮にその強烈な生命の流れに頑固に抵抗し続け得たとしても堰き止められた生命力がいずれは堰を切って流れ、→
『ベールの彼方の生活②』
→その者を一気に押流す事になろう。が幸いにして、そこまで頑強に神に反抗する者あるいは抵抗し得る者はいない。故に吾々神の子の“弱さ”そのものが実はそうした完全なる破滅を防ぐ安全弁であると言えるのである。
『ベールの彼方の生活②』
比較的長期間―往々にして地上の年月にして何千年何万年にも亘って頑固に抵抗し続ける者がいないでもない。が如何なる人間も永遠にその状態を続け得る者はいない。
『ベールの彼方の生活②』
そこに父なる創造神が子等の内と外に設けた“限界”があり、一人として神より見放され永遠にもどれぬ羽目に陥らないようにとの慈悲があるのである。
—–
『ベールの彼方の生活②』
そこで、そうした神との自然な歩みから外れた生き方を観たからには、今度はその反対、即ち全てが然るべき方角へ向っている状態に目を向けよう。確かに悪は一時的な状態に過ぎない。
『ベールの彼方の生活②』
そして全宇宙から悪の全てが拭い去られるか否かは別として少なくとも個々の人間においては抵抗力を使い果たした時に悪の要素が取除かれ、後は栄光より更に大いなる栄光へと進む輝かしき先輩霊の後に続くに任せる事になろう。
『ベールの彼方の生活②』
この意味において、いつかは神の国より全ての悪が清められる時が到来するであろう。何となれば神の国も個々の霊より構成されているのであり最後の一人が招き入れられた時は今地球へ向けて行っているのと同じように別の天体へ向けて援助と救助の手を差伸べる事になろう。
『ベールの彼方の生活②』
吾々の多くはそう信ずるのである。こうして地上に降り今いる位置から吾々の世界との間に掛るベールを透して覗いてみると、一度に大勢の人間が目に入る時もあれば僅かしか見えない時もある。彼らは各々の霊格に応じてその光輝に差異が見られる。
『ベールの彼方の生活②』
神より吾々を通して地上界へ流れ来る霊的な“光”を反射する能力に応じた光輝を発しているという事である。薄ぼんやりと見える者がいるが彼らはこちらへ来てもそれ相応の、あるいはそれ以下の薄ぼんやりとした境涯へと赴く。
『ベールの彼方の生活②』
それ故そこに居る者は各自その置かれた環境と雰囲気の中で極めて自然に映る事になる。そこがその人の“似合いの場所”なのである。譬え話でもう少し判り易く説明しよう。仮に闇夜にいきなり閃光が放たれたとしよう。
『ベールの彼方の生活②』
暗闇と閃光の対照が余りに際立つ為に見る者の目に不自然に映る。閃光は本来そこに在るべき物ではなかった。ために暗闇に混乱が生じ全ての者が一瞬その動きを止める。暗闇の中を手探りで進みつつあった者は目が眩んで歩みを止め目を擦り暫くして再び歩み始める。
—–
『ベールの彼方の生活②』
夜行性の動物も一瞬ぎょっとして足を止める。しかし同じ閃光が真昼に放たれたとしたらどうであろう。当惑する者は少なく、更にこれを太陽へ向けて放てば陽光と融合してそこに何の不調和も生じないであろう。
『ベールの彼方の生活②』
かくして強い光輝を発する高級霊はその光輝と調和する明るさをもつ高い境涯へと赴く。無論高級霊の間にもそれなりの差があり各霊がそれ相応の界に落着く。反対に霊的体質の粗野な者は、それに調和する薄暗い境涯に赴き、その居心地よい環境の中で修身に励むのである。
『ベールの彼方の生活②』
無論そこが真の意味で“居心地のよい”環境ではない。ただ、より高い世界へ行けばその光輝と調和しない為に暗い世界より居心地が悪いというに過ぎない。そこに居心地よさを感じる為には自分の光輝を強める他はない。
『ベールの彼方の生活②』
地上を去ってこちらに来る者は例外なく厚い霧状の“とばり”に包まれている。が、その多くは既に魂の内部において高い界に相応しい努力の積み重ねがある。そうした者はいち早くより明るい境涯へと突入して行く。
『ベールの彼方の生活②』
今、遥か上空へ目をやれば、そこに王の道―地球の守護神の玉座の坐(ましま)す聖都へ通ずる道が見える。吾等はその道を一歩一歩進みつつある。そして一歩進む毎に光輝が増し吾々も、そして吾々と共に歩む同志達も美と光輝とを増して行く。
『ベールの彼方の生活②』
その中途において特別の許しを得て、それまで辿ってきた道を逆戻りし期間はその必要性によって異なるが地上の者を吾々の辿ってきた光と美の道へと導く仕事に携わる事ができるのは、吾々の大いなる喜びとするところである。
『ベールの彼方の生活②』
貴殿の守護霊として私は貴殿が現在の心の姿勢で臨んでくれる限り吾々霊団と共にこの仕事を続ける所存である。貴殿はそのつもりであると信じる。が、よくよく心してもらいたい事は勇躍この仕事に着手したものの、新しい真理の光に目が眩み猜疑心を抱いてより暗い道→
『ベールの彼方の生活②』
→つまりは己の魂の視力に相応しい段階へと後戻りする者が多い事である。去る者は追わず。吾等はその者達を溜息と共に見送り、新たなる人物、吾々の光輝に耐え得る人物を求める。惜しくも去れる者は時の経過と共に再び目醒めて戻って来るまで待つ他はないのである。
『ベールの彼方の生活②』
願わくば神の御力によって貴殿が足を踏み外す事なく、また目を曇らされる事もなく進まれる事を祈る。譬え地上の言語で書き表せない事も少しでも多くを綴ってもらうべく吾等としても精一杯の努力をするであろう。
『ベールの彼方の生活②』
貴殿を通じて他の多くの者がそれを手中にし、そこに真理を発見し、なお勇気があれば自ら真理の扉を叩き、その光輝と栄光を手にする、その縁(よすが)となればと願うからである。†
■2021年1月27日UP■「コリャ相当マズいぞ」明仁、文仁、徳仁、悠仁を守り通してきた強姦殺人ほう助の人間たちの思念です(祈)†宮内庁職員が「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の逮捕、死刑に伴って「仕事を完全に失う」イコール「組織としての存在意義が消滅する(今ピィィィンと霊団が波長を降らせてきました、強調の意味があります)」この幽体離脱時映像はその事を言っているのではないかと僕は感じました、たった今霊団も強調してきましたのでそうなのでしょう。宮内庁の人間が何の仕事もなくなって毎日ボケーっとしているだけで国民の血税から給料をもらっている状態になり、それが大問題になる、こういう意味に間違いないでしょう。そもそも宮内庁などという組織は「国民に永遠にウソをつき通しダマし通すために作られた洗脳目的の組織」ですから、こんなものは消滅して当然なのです。宮内庁が発布する「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に関する自演乙ウソ洗脳ニュースを見させられる事ほど頭にくる事はありません。これ以上国民を愚弄する行為はないと言って間違いないでしょう…続きを読む→ ■2020年12月19日UP■「一旦メディコ」明仁、文仁、徳仁、悠仁が入院という形の逃亡を本当に実行する可能性があります(祈)†「視点外し」にやられないで下さいという意味です。僕たち日本国民は今こそ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をDNA1片たりとも残さずに完全に死刑にして滅ぼし切らねばならないという事、これ以上このバカヤロウどもの洗脳にやられ続け目を閉じ続けない事、奴隷の女の子の強姦殺人を「血税を盗まれる」というカタチで手伝わされている、この理不尽に絶対に決着をつける事。2度とこの「人類の恥」「人間のクズ」の事を陛下だの殿下だのと呼ばない事、このバカヤロウどもに絶対に敬語を使わない事、絶対に頭を下げない事、コイツらのパレードに参加して沿道で笑顔で手を振らない事、僕たちが取る態度はただひとつ…続きを読む→ HOME | ピーチピチ(佳子) | 切断死体の撮影 | 処刑遊び | コイツら死刑 | 暗殺 | 放火 | Dreamwork | Profile | アナログ絵 | フラー | コメントファイヤー | 神 | 山駆けるヒカリ | 葛飾北斎の墓 | 主なブログ | 全ブログURL | 動画 | 霊関連書籍 |