「インペレーターの霊訓」さらに抜粋です。読んでも読んでも素晴らしい(祈)†
「われわれ(神の使者)からのメッセージを求める者は、冷静さと誠実さと祈りの心、それに穏やかにして健全な身体的条件をもって臨んでほしい」
「地上の人間は純粋な霊的交信を得るために微妙な条件をよく理解する必要がある。十分な条件が整わない時は、われわれはただ、人間がみずから招いた危険から守るために周囲の警戒態勢を維持するのが精一杯ということになる。しかも人間はそのことに一向に気づかずにいる。邪霊の姿が見えぬからに過ぎない。それはあたかも無知な人間が自分の無分別な振舞によって周囲の者に及ぼしている迷惑を、その鈍感さゆえ少しも気にしないのと同じである。人間の目に映じない – ゆえに気がつかない。それだけのことである」
「霊媒能力の開発には恩恵と同時に危険も伴うものである。よほど強力な霊団による守護がないと、未発達霊による侵入の危険性がある。用心と祈りとが肝要である」
「霊媒としての仕事は(使命をもつ霊団によって)選ばれた者以外は勝手に始めてはならない。選ばれた者ならば霊団による守護がある。そうした霊媒にかぎって安全といえる。それも、誠実にして真摯な心構えで“神の仕事と栄光のために”行うとの認識があってはじめて言えることである。自己中心の考え、いかなる形にせよ“小我”にとらわれることから生じる邪心 – 見栄、自惚れ、野心等は霊性を汚す致命的な誘惑である」
「低級な霊媒現象につきまとう危険は実に深刻である。そのわけは、まず第1に、その種の現象はとかく目を見張らせるような驚きと物珍しさの対象としてのみ扱われ、また金もうけの手段とされやすいからであり、第2は、出席者が種々雑多な思いを抱いて集まり、そこから生じる雑多な雰囲気による調和の欠如が物質性の強い低級霊を引き寄せるのである。その種の霊も、高級霊の監督のもとに働くのであれば、むしろ高級霊よりも物的現象を扱うのはうまい。が、指導と監督の欠如は霊媒の堕落につながる。侵入した低級霊のおもちゃにされがちだからである。
貴殿の交霊会でも雰囲気がわれわれにとって厚い壁のように思われることがよくあり、突き抜けることができず、毒々しささえ覚える。呼吸ができないほどである。低級霊にとってはそれが有難く、地縛霊もまたそれをよろこぶ」
– なぜそうした霊の侵入を阻止してくれないのですか。
「人間は災いを勝手に招いておいて、それをわれわれが阻止してくれないことに文句を言う。
それを阻止するには交霊会の出席者みんなが心掛けと生活と動機を清潔にするほかはないのである。電気は何にでも流れるのではない。良導体だから流れるのである。物事は原因があって結果が生じる。霊も同じである。邪霊の働きかけを疑うのは貴殿の目にそれが見えぬからにすぎない。いずれその愚かさを知って驚く日も来よう。どれほど暗躍しているか、どういう悪影響を及ぼしているか、どういうことにまで及んでいるか、貴殿はまだ何も分かっていない」
「われわれは有るがままの事実を述べているのであって、人間が勝手にこうであるに違いないと想像していることには関知しない。人間を騙そうと企む霊は間違いなく存在する。そして、これ以後も存在し続けるであろう。貴殿がそれを無視してかかることは、貴殿に対する悪企みの温床にしかならない」
「目を見張らせるような現象ばかり見せて“珍しがり屋”をよろこばせている霊媒は、知的にも道徳的にも低級な霊のおもちゃにされている。貴殿とて、いつも同じ霊が通信しているものと思い込んではならない。名前は何とでも名のれるし、見せようと思えばどんな霊の姿でも見せられる。そうやって人間を騙してはよろこんでいるのである」
「われわれは今、危惧の念をもって将来を見つめている。物質にとらわれないようにとの説得がはたして人間に通じるか、われわれは疑問を抱いている。それが果たせないかぎり純粋な霊的真理の普及は覚束ないであろう。われわれが嘆かわしく思うのは、人間が霊を物質界のレベルへ引きずり下ろしてしまうことである。万一そういうことになれば、引きずり下ろされた霊は災いのタネとなりかねない。それよりは逆に人間の側が霊のレベルまで霊性を高めるよう努力すべきである。そうすれば霊の証と真理の両方を手にすることができるであろう。
われわれとしては、なるべくなら物的な交信手段のすべてを排除してしまいたいところである。この方法(自動書記)とてインスピレーション的交霊(144ぺージ参照)にくらべれば至ってお粗末なものである。
どうかわれわれのことを“同志”と心得てもらいたい。そして貴殿の三位一体の存在(霊・精神・肉体)が有する能力のうちの最高のものを使用できるよう協力してもらいたい。退屈きわまる物的現象を何度も何度もくり返すことはいい加減にしてほしい。そして、われわれに託された使命に恥じない威厳をもっていただきたいのである。
霊的秘密を求め、真理の道具として選ばれた者が攻撃の矢面(やおもて)に立たされることは、必然のしからしむるところである」
「能力を物的レベルから(精神的レベルへ)引き上げること、知覚力を鋭敏にすること、内部の霊的能力を開発すること、われわれの存在の身近さを(現象という形でなしに)ごく自然に感識できるようになること、入神という危険性のある状態にならずにわれわれを認識し交信できるようになること、以上のことを心掛けてくれれば、われわれとしては申し分ないところである。これが人間として可能な最高の生活形態の手始めである。
貴殿がそろそろ現象的なものから手を引いて霊能をより高度なものに発展させようと考えていることを、われわれはうれしく思っている。すでに述べたように、成長過程のひとつとして、われわれも一時的に貴殿を物的現象のために利用されるのを許さざるを得なかった。その段階をストップさせてもよい時機を見計らって、われわれは今度は貴殿の存在そのものである霊の本質について学ばせるために、他の霊との接触を許したのである」
(注) – 《解説》で概略が述べられていることであるが、モーゼスは当初は霊の存在に懐疑的だったが、多くの交霊会に出席するうちに次第に信じるようになり、そのうち自分の身辺でも各種の心霊現象が発生するようになって、ようやく確信を得るに至った。その間もずっと自動書記は続けられていたのであるが、背後霊団の身元について確信を得たのは、自動書記を綴ったノートが14冊になったころからだという(全部で24冊)。“他の霊との接触を許した”というのは、それまでプライベートな身近な話題ばかりだったのが、こんどは霊団の中でも高級な霊が入れ代わり立ち代わり名のって出て高等な内容の通信を送りはじめたことを言っている。☆
「われわれの教えの中に新たな要素が見られるようになったことに貴殿も気づいている。これまで貴殿を取り巻いていたドグマの垣根が少しずつ取り壊され、かつては理解できなかった真理が把握できるようになった。神聖であると思い込んでいたものの多くを捨て去ることができるようになった。かつては不可解な謎とされていたものについて考究するようになってくれた。
われわれは貴殿の教育をまず物的レベルから始めた。物質に勝る霊の威力を見せつけ、貴殿を通じて見えざる知的存在が働いているその証拠を見せることができた。その初期の段階では物理的現象で十分であった。が、その後われわれは徐々にわれわれ自身の身元について語り、貴殿の精神に新たな啓示の観方を吹き込んだ。それによって貴殿は神の真理が一民族、一個人、一地方、一時代に限られるものでないことを理解することができた。人間が勝手にこしらえたとは言え、いかなる宗教にも真理の芽が内蔵されていることを示したのであった。
われわれの指導はふたつの平行線をたどったのである。ひとつは物質的ないし物理的現象であり、われわれが使用する隠れた霊力の目に見える証拠である。もうひとつはわれわれが届けるメッセージの内容とその意義である。人間が肉体という物質に包まれている以上は、現象的証拠に関心が行きすぎるのもやむを得ないことである。だからこそわれわれは、それがあくまで副次的なもの – われわれの本来の使命の証にすぎないとの見解の理解を貴殿に要請してきたのである」
モーゼスの使命に備えての霊団側の指導過程が明かされた。(『霊訓』の22節でモーゼスは“私の全生涯にわたる霊的使命に関する長文の通信が送られて来たのはその時だった。その内容に私は非常に驚いた”と述べながら、プライベートすぎるからという理由で公表していないが、これから引用される部分が多分それではないかと推察している – 訳者)
「“真理の太陽”の一条の光が貴殿の魂に射し込んだとき、死せる者 – と貴殿が思い込んでいた者 – も生者の祈りによって救われること、永遠の煉獄は神学的創作、あるいはそれ以上に愚かなたわごとであることを悟った。神は、神を求める子等すべてを等しく好意の目をもって見つめ給い、信仰と信条よりも正直さと誠実さの方を嘉納されることを学んだ。
また貴殿は、神はバイブル以外のいずこにおいても、また他のいかなる形でも人間に語りかけておられること – ギリシャ人にもアラブ人にもエジプト人にもインド人にも、その他、すべての子等に等しく語りかけておられることを学んだ。神は信条よりも誠心誠意を嘉納されることを学んだ。貴殿の心の中でプラトンの思想が芽を出し、その言葉が甦ったことがある。が、その時はまだ、神の言葉はプラトンを通じて啓示されても、あるいはイエスを通じて啓示されても、その価値に変わりはないとの理解ができていなかった。
その後、貴殿は例の教父たち(後注①)の教理や信仰が本質的にいかなるものであったかを学んだ。真相を理解し、それに背を向けた。初期の教会時代の神学を精神的に超えたのである。型にはまった神学に満足し、アタナシウス教義(後注②)の害毒によろこびさえ覚えていた段階から一段と向上したのである。不合理なもの、神人同形同性説的な幼稚なものを思い切って棄てた。
貴殿にしてみれば、みずからの思索によってそうしたと言いたいところであろう。が、それは違うのである。われわれが手引きしてその結論を固めさせたのである。やがてわれわれは、もはや貴殿の知的ならびに宗教的水準に合わなくなった教会での牧師としての職から身を引かせるのが賢明と判断した。所期の目的を果たした場所より身を引かせ、地上における使命の次の段階のための準備へと歩を進めた。幾度かあった身体的病気も、それによって貴殿の気質を調節する効果を目的としたものであり、それは実はわれわれにとっては霊力のエンジンの調節であった。それによって貴殿の健全なるコントロールを維持して来たのである」
(注)① – キリスト教初期の教会において教理・戒律となる著作をした人たち。
(注)② – 初期の神学には神人同形同性説を唱えるアタナシウス派と、それを否定するアリウス派とがあり、325年のニケーア宗教会議で後者が異端とされた。☆
– 私のこれまでの人生はそのための準備だったわけですか。
「その通りである。われわれは唯一その目的のために計画し導いてきたのである。何とかして十全な準備を整えた霊媒を確保したかったのである。まず精神が鍛えられていなければならない。それから知識を蓄えていなければならない。そして生活そのものが真理の受け皿として進歩的精神を培うにふさわしいものでなければならなかった。
そのあげくに貴殿は、ある時われわれにとって最も接触しやすい人物(スピーア夫人。《解説》参照)によってスピリチュアリズムへの関心をもつように手引きされた。その折のわれわれによる働きかけは強烈であった。計画を積極的に進めて行った。それまでの教説よりはるかに進んだ神の福音を直接的に教えて行った。
いま貴殿が抱いている神の概念は、それまでのものに比べてどれほど真実に近いことであろう。ようやく理解してくれた豊かなる神の愛は、どこかの一土地の一民族だけをひいきするような偏ったものではなく、宇宙と同じく無限にして無辺なのである。いかなる教理にも縛られることなく、人類はすべてが兄弟関係で結ばれており、共通の神の子であり、その神はいつの時代にも必要に応じてご自身を啓示してこられているのである。
神人同形同性説が人間の無知の産物であること、神のことばであるとまことしやかに喧伝されているものが往々にして人間の勝手な現像にすぎないこと、最高神が一個の人体に宿って降誕するなどという考えは人間のたわごとであること、そのような迷信は知識が進化すれば、それに由来する教義、神を冒潰するような見解とともに棄て去られるものであるとの理解に到達した。
また自分以外に“救い主”は無用であること、自己と同胞と神に対する責務を忠実に遂行することこそ唯一の幸福への道であることを学んだ。そして今まさに貴殿は、現在の罪に対する死後の懲罰、進歩と善行の結果としての霊界での幸福と充足感について、われわれ霊団の者が教えるところの真理を理解しつつある。霊の訓えが貴殿にどれほどの影響を及ぼしたかを知りたければ、かつて抱いていた思想を吟味し、それを現在の考えと比較対照し、いかにして貴殿が暗黒より神の真理の驚異的光明へと導かれたかを見きわめることである。
貴殿は、おぼろげながらも、人生が外部の力によって形づくられるものであることを認識し、霊が想像以上に人間界に働きかけているのではないかと思っている。事実その通りなのである。人類全体が、ある意味で、霊界からの指導の受け皿なのである。とは言え、われわれといえども原因と結果の連鎖関係に干渉することだけは出来ない。人間の犯した罪の生み出す結果から救ってあげるわけには行かない。愚かしい好奇心に迎合することもしない。試練の場としての地上を変えるわけには行かないのである。
また、全知なる神が、隠しておくのが賢明と考えられたが故に謎とされているものを、われわれが勝手に教えるわけにも行かない。知識を押しつけることも出来ない。提供することしか許されないのである。これを喜んで受け入れる者を保護し、導き、鍛え、将来の進歩のために備えさせることのみ許されるのである。
われわれの使命についてはすでに述べた。それは、実は、人間と神との交わりの復活にすぎない。かつての地上の精神的指導者が今なお霊界において人類の指導に心を砕いており、このたび貴殿を監視し守護し指導してきたのも、貴殿がそうした指導者のメッセージを受け入れ、それを広く人類一般に伝えてくれること、ひとえにそれを目標としてのことであった。貴殿をその仕事にふさわしい人物とすることが、これまでのわれわれの仕事であった。これからは神の福音を受け取り、機が熟せばそれを世界の人々へ伝えることが次の仕事となろう」
– では、これは宗教的活動なのでしょうか。
「まさにその通りである。われわれが人間にとってぜひとも必要な福音を説きに来た“神の真理の伝道者”であることを、ここに改めて主張する。その使命にとって大切なこと以外は、われわれは何の関心もない。その点によく留意してほしい。さし当たってわれわれは貴殿が個人的な知友との交霊のための霊媒とされようとしている傾向は阻止する。その種のことに身をさらすのは危険この上ない。霊覚の発達した者は、地上の者と交信したがっている無数の霊に取り憑かれやすいことを貴殿は忘れている。感受性が発達するほど地上近くをうろつく低級霊に憑依される危険性も増える。実に恐ろしいことであり、貴殿をそういう危険にさらすわけには行かない。低級霊のすることは貴殿もすでに知っているはずである。その種の行為に貴殿は実に過敏である。そうなった時はもはやわれわれも手出しができぬかも知れない」
「交霊会は霊の目には光の中枢として映るもので、はるか遠方からでも見え、地上の縁者と語りたがっている無数の霊が寄り集まって来る。その中には物質を操る能力においては強力なのがいる。事実その点においては高級霊よりは上手なのである。霊は進化するほど物的エネルギーが扱えなくなり、精神的感応力に訴えて知的な指導と指揮にあたることになる」
「出席者の側に霊性が欠けている交霊会に群がる霊が死後一向に進化しない低級霊であることは、まぎれもない事実である。いわゆる地縛霊であり、列席者がかもし出す雰囲気に誘われて訪れ、他愛もないことを述べて戸惑わせたり困乱させたりして面白がり、あるいは悪徳や罪悪へ誘い込もうとする。
「そもそも霊的交信なるものは何のために行うのか、その存在意義を明確にわきまえ、それが今いかに堕落した目的のために行われつつあるかを、よく考えてみることである。何の警戒態勢もないまま行われる交霊会に集まる霊に操られはじめたら最後、遅かれ早かれ列席者も同じレベルまで引き下げられてしまう。つまり精神的に、道徳的に、そして肉体的に、堕落の一途をたどることになる。今の貴殿はあたかも伝染病の隔離病棟に入りながら病原菌だけは移されまいと期待するのにも似ている。いつの日かきっと大それたことをしたことを思い知らされることであろう。
以前から吸血鬼が貴殿をねらっている(後注)。さらに今は吐き気を催すような悪霊がつきまとっている。それはぜひとも払い除けねばならない。それは余ほど骨の折れることであろうが、もしそれが出来なければ、いつかはその餌食となるしかない」
(注) – “吸血鬼”という種属が実在するわけではない。“悪魔”が、そう呼びたくなるほど邪悪な性質をもつに至った存在という意味であるのと同じで、これも用語上の問題である。スカルソープの『私の霊界紀行』(潮文社)に次のような体験が紹介されている。
「ある時いよいよ離脱の状態に入り、間違いなく離脱しているのであるが、どこかしら不安がつきまとい、霊界へ行かずに寝室の中を漂っていた。やがて階下の店へ下り、カウンターのうしろに立った。なぜか辺りの波長が低く陰気で、全体が薄ぼんやりとした感じがする。かつてそのような雰囲気を体験したことがなかったので、もしかして離脱の手順を間違えたのかと思っていた。
すると突然、邪悪で復讐心に満ちた念に襲われたような気がした。その実感は霊的身体をもって感じるしかない種類のもので、言葉ではとても表現できない。とにかく胸の悪くなるような、そして神経がマヒしそうな感じがした。その念が襲ってくる方角を察して目をやると、20ャードほど離れたところに毒々しい煤けたオレンジ色の明かりが見えた。その輝きの中に、ニタニタ笑っている霊、憎しみを顔いっぱいに表している霊が見える。そして、自分たちの存在が気づかれたと知ると、とっさに思念活動を転換した。
すると代わって私の目に入ったのは骸骨、朽ちはてた人骨、墓地などが幽霊や食屍鬼(しょくしき)、吸血鬼、そのほか地上的無知とフィクションの産物と入り乱れている光景だった。(中略)
愚かしい概念も、何世紀にもわたって受け継がれてくると、各国の人民の精神に深く刻み込まれていく。未知なるものへの恐怖心もその影響のひとつである。暗黒を好み、地上の適当な場所を選んで、そうした低級霊がたむろし、潜在的な心霊能力でもって地上の人間に影響を及ぼす。彼らが集団を形成した時の思念は実に強烈で、幽霊話に出てくるあらゆる効果を演出することができる。未知なるものへの恐怖心も手伝って、そうした現象は血も凍るような恐怖心を起こさせる」☆
純正な物理現象が行われている最中に明らかに“ごまかし”と分かる愚にもつかぬ行為が見られることを述べると –
「物理現象にたずさわる低級霊は、ある目的を何とか達成しようとして、“ごまかす”意図からではなしに、手っ取り早い手段を使用することがあるものである。とくに完全物質化現象は低級霊にしかできない現象のひとつであるが、霊側は別にごまかすつもりからではなしに霊媒の身体を利用することがある。それが1番手っ取り早いからであるが、貴殿にはそれがせっかくの純正な現象の中にもごまかしが混じっているかに思われるのである。
現象によっては、高尚な心をもたない存在、したがって道義心というものをもたない存在による演出である場合もあろう。貴殿の目にはあたかも躾(しつ)けの悪い動物の行為のように映るであろう。が、低級霊は大目に見てやらねばならない。そして、霊力の証拠以外のものは期待せずに、それをふるいに掛け、よく検討して意義あるものだけを選び出し、本ものと偽ものとが混じっていることに動揺しないことである。
そもそも現象的なものは、そうした形での証拠しか受け入れられない者のために必要なだけであって、われわれが神の使者であることの証拠ではなく、また、われわれの教訓の道徳的高尚さのしるしでもない。唯物的観念にとらわれている者のために用意された手段にすぎないのである。
それにはその演出にもっとも適切な霊が当てられる。その種の霊はきわめて低級であり地上臭が強い。地上生活を何の進歩もなく終わったか、向上の意志だけはあったが実践するまでに至らなかった者のいずれかである。後者がもっとも強力な働き手となってくれるが、残念ながら彼らには道徳的な見極めがつけられない。
だからといって貴殿が“たかが家具を移動させる程度のもの”と軽蔑的に述べている種類の現象に、人類の大先輩たる高級霊を差し向けるのは不条理であり、愚かしいことであろう。大なる霊は、かつて肉体に宿っていた時も地上の啓発のために神によって派遣されていたのであり、そのような霊を、物質中心の物の考え方しか出来ない者のために、証拠として演出してみせるだけの仕事に使用するわけにはいかない。それほどの霊になればもはや鈍重な物質への影響力は持ちあわせず、直接的に働きかけることは不可能である」
「物理現象は、それを得意とする霊が最高の証拠を見せてくれる交霊会だけに限定すべきである。また、その際、現象的なもの以上のものを求めてはいけない。それは、高級霊に現象的な証拠を求めてはならないのと同じである。物的なもの、物理的なものを求める時は、原則として霊的進歩は犠牲にされるものである。それゆえ、交霊会というものは等級別にすべきであり、純粋に物理的なものは、それを必要とする場(科学的研究のための実験会など)に任せることである。高級霊は物的雰囲気に支配された場には出たがらぬもので、したがって、そういう場で高等な知識を求めてはならない。あくまで物的証拠しか求めてはならない。反対に現象的なものを要求されない交霊会では大いに知識を求めるべきであり、高級霊との交わりによって、また彼らの教育と啓発の使命を理解することによって、霊的雰囲気をできるだけ高めることを目的とすべきである」
– 物理現象は止めてしまうべきでしょうか。
「進歩を求める以上はそうすることが絶対に必要である。現象的なものを担当する霊からは真実の知識も教訓も得られない。物理的なものと霊的なものを截然(さいぜん)と区別する必要性をここに強調しておきたい。自分を霊的なものへ高めて行くことを目標としてほしい。霊的なものを物的なものへ引きずり下ろすことになってはならない」
「病気の時、あるいは心配事のある時は、高級霊との交信を求めてはいけない。列席者の中にひとりでも病気の者や精神的な悩みを抱えている者がいると、それが障害となる。オーラの本来の機能が低下していて、それが影響して室内の物が歪んだ様相を呈する。調和性に富み、愛に満ちた心、純粋で清潔な思念、健康で元気な身体、いちずな真理探求心、こうしたものがわれわれにとって最高の助けとなる。
何よりも障害となるのは猜疑心からくる不信、怒りに満ちた感情、心身の不健康な状態であり、とりわけ、いかなるものでも信じようとせず、すべてを手を込んだごまかしであると決めてかかる、“のぞき見的猜疑心”である」
2週間ぐらい前だったでしょうか、いつもピーチクパーチクうるさい霊団が3日間ぐらい全然しゃべくってこなかった事がありました。それ以降、交霊会に関係する重大な意味が含まれるインスピレーションが多数降ってきている訳ですが、また霊団があまりしゃべくってこなくなりました。さぁどういう事なのか。
えー、プライオリティは低いですがフラー21の「ランディングギア問題」を一応解決させてあります。フラー21の細くて湾曲した脚部に合わせた「湾曲ランディングギア」の設定資料をクロッキー上で描きました。これは清書してWordPressにUPとかする必要はなくて、今後ストーリーにフラー21の航行モードでの着陸シーンが登場する事があったらその時に描けばいいと思います。全然使命遂行と関係ないですからね。
幽体離脱時映像もクロッキーにメモもできないような、肉体に帰還(目が覚める)したら忘れてしまっているような内容で、つまり実質霊団がなんにも降らせてこなかったという事であり、先週のブログの「黙っておれ」と関係がありそうな状況です。
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を言ってこない、ピーチピチ(佳子)の事を言ってこない、奴隷の女の子の事を言ってこない。霊団どういうつもりだ。どうにもこうにも前回のブログで紹介したインスピレーション群が実は「いよいよ間もなく本当に僕が殺される、使命遂行終了」という意味に受け取れなくもないという気がしてますが。
霊団には「ストップスキャナ」と言われていますが、霊関連書籍の内容のテキストデータ化の作業は続けています。ちなみに潮文社はとっくに自主廃業しているそうですね。霊関連書籍が物質界から失われてしまう、入手できなくなるという悲劇は絶対に避けねばなりません。作業続行中(祈)†
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†
自分という存在の根源についての疑問を心のホンの片隅にでも入れておく事で、いつかそのタネが花開くキッカケを掴みやすくなると思うのです。霊的なモノをお勉強すればするほど物質界にはびこる数々の邪悪な諸問題の根本原因が「霊的知識の無知」にある事がことごとく理解できるようになります。肉体の死後も霊的身体をまとって霊界で永遠に存在し続ける、物質界生活時の行為、思念が帰幽後の自分の生活環境を決定する、物質界の金銭は一時的預かりモノであって自分のモノではなく、帰幽と共に全てを物質界に残して心ひとつで霊界に出発する、つまり物的金銭を蓄積しても自分の未来に何のプラスにもならない、こういう事を理解していない人間が利己的動機で同胞を虐げて自分だけ物的利益を得ようとしている、それが邪悪の根本原因だと考えます…続きを読む→
「地球を1周」天皇一族の邪悪の正体はもう絶対に隠ぺい不可能という意味です(祈)†
意味は単純明快、皆さまもお分かりの事と思います。こういう感じ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する認識が完全に地球を1周した。今や世界中の人間が天皇などと自称するコイツらの真の悪の姿を正しく理解した。もはや古代の洗脳手法は通用しない。もうウソをつき通す事もゴマかし通す事もすっとぼけ続ける事も絶対に不可能。こういう意味で間違いないでしょう。そしてその理解から導き出される皆さまの当然の感情が「やめるべし」のインスピレーションという事になるでしょう。意味はもちろん「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を有罪と認定し、逮捕、死刑に追い込んで滅亡させるという事になります…続きを読む→
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†
物質界は僕たち人間の「生活、人生の場」ではありません。シルバーバーチ霊いわく「トレーニングセンター」であり、心を、魂を鍛えて霊界で従事する予定の仕事を遂行するに足る人格、性格、忍耐力等を身に付けるために降下させられる場所、お勉強の場所です。【神】は子等(つまり僕たち)に【神性の火花】を賦与して下さり、それによって僕たちは個的存在を獲得しました。(もう類魂に埋没する事がないという事)これ以降はこの個性を永遠に失う事がなく、果てしない向上の人生を歩む事になります。そして神によって個的存在を賜った僕たち人間は、真っ先にこの物質界に降下してお勉強をさせられます。あえてこういう表現を用いましょう【神】が子供(僕たち人間)に「お勉強の旅に出てらっしゃい。そして十分にオトナになって私のところに帰ってらっしゃい」と言って僕たちを物質界に送られた。こんな感じではないでしょうか。単純に子供の成長を願う親の心境だと僕は思うのですが…続きを読む→
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