『シルバーバーチの霊訓⑪』
聖書にも“地球とそこにあるもの全ては主のものなり”(コリント①10.26)とあります。これは人間は地上のものは何一つとして所有できない―自分のものとはなり得ない事を意味します。地上にいる間だけリースで所有しているようなものです。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
永遠に自分のものではありません。地上のゴタゴタは皆が自分が一番いいと思うものを少しでも多く自分のものとしようとする―一番悪いものを欲しがる者はいません―そこから生じております。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
その結果として強欲、貪欲、私利私欲が王座に祭り上げられ、物欲第一主義が新しい神として崇拝される事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
地上には物欲優先の副産物が、見るも痛ましいほどはびこっております。悲劇・卑劣行為・飢餓・栄養失調・残虐行為・動物実験、こうしたものは全て物欲を優先させる事から生じる恐ろしい産物です。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
みんなで分け合うという理念は結構な事です。コミュニズムという用語そのものに怯えてはいけません。初期のクリスチャンには全財産を共有し合った時期が、少しの間でしたがありました。という事は彼らの事をコミュニストと呼んでもよい事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
一つの理念をもつ事と、それを実現するために拷問や抑圧や迫害や専制的手段を用いる事とは別問題です。そこに大事な違いがあります。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
ですから、ご質問に対するお答えは、大霊の恩恵を惜しみなく分かち合うべきであると信じて働いているコミュニストの指導霊はいます、という事になります。そこに何ら問題とすべきものはないと思います。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
【別の日の交霊会で戦争がもたらす地上と霊界双方の弊害について語る―】私たちは霊界が再び傷ついた魂の病院となるのはご免こうむります。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
こうして地上の皆さんとともに仕事をしている私たちから申上げたい事は、皆さんは私たちがお教えしている事の全てを地上生活に摂り入れていくだけの用意ができていなければならないという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
私たちが代りにやってあげる訳にはいかないのです。私たちには人間のしている間違った事がもたらす結果が分ります。地上でそういう事をしていたら霊界へ来てからこうなりますよ、という事をお教えする事しかできません。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
その事をわざわざこうして地上へ戻ってきて教えねばならないのは戦争のもたらす結果が破綻と害悪でしかないからです。霊界へ送り込まれてくるのは霊的に未熟な魂ばかりです。言ってみれば熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
地上で使用していた肉体という表現機関を破壊されて分別を失った魂を一体なぜ私たちが癒してあげねばならないのでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
人間が人間としての義務を果たさないがために霊界へ送り込まれてくる未熟な魂の世話をしに、一体なぜ私たちが巡礼の旅先からこの地上へ後戻りしなければならないのでしょうか。
【過去コメ】「撃って出る」と称して僕が意図せず始めた、この果てしない霊的知識のタネ蒔きが、僕の人生を180度変えてしまいました。これにて僕の「帰幽」は完全に消失してしまいました(悲)本当なら僕は2012年12月16日(日)で帰幽完了して、霊界にて思念描画を思う存分堪能してたはずなのです(祈)
■2019年7月12日UP■「無視してもインスピレーション止まらない」僕の使命遂行を止める物的手段がない事を説明してみます(祈)†霊団と僕との間で行われる「パーソナルコミュニケーション」と言っていいでしょう。そして僕たち地上人の肉眼、肉耳には一切感応しない物的波長を飛び越えた霊的波長によるやり取りであり、霊力に感応する事ができない皆さまにはそのインスピレーションを見る事も聞く事もできません。つまり霊団が僕に降らせるインスピレーションは霊団と僕だけが認識できるもので他の誰にも感じ取る事ができないものとなります。という事はつまり霊団と僕以外はインスピレーションの存在自体を感じ取れない訳ですからそもそも「邪魔」もできないという事になります…続きを読む→