『シルバーバーチの霊訓⑫』
こちらへ来た当初は霊的環境に戸惑いを感じます。十分な用意ができていなかったからです。そこで当然の成り行きとして地上的な引力に引きずられて戻ってきます。しばらくは懐かしい環境―我が家・仕事場などをうろつきます。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
そして大抵は自分がいわゆる“死者”である事を自覚していないために、そこにいる人たちが自分の存在に気づいてくれない事、物体に触っても何の感触もない事に戸惑い、訳が分らなくなります。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
しかしそれも当分の間の話です。やがて自覚の芽生えとともに別の意識の世界にいるのだという事を理解します。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
死んで間もない段階では地上にいた時と少しも変りません。肉体を捨てたというだけの事です。個性は同じです。性格も変っておりません。習性も特徴も性癖もそっくりそのままです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
利己的な人は相変らず利己的です。欲深い人間は相変らず欲深です。無知な人は相変らず無知のままです。落ち込んでいた人は相変らず落ち込んだままです。しかしそのうち霊的覚醒の過程が始まります。いわゆる“復活”です。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
死後の環境は地上時代の魂の成長度によって決ります。たとえば霊の世界では行きたいと思うだけでその場へ行けますが、その行動範囲にはおのずと霊格による限界があります。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
あなたは今その地上にある時から立派に霊的存在です。死んでから霊的存在になるのではありません。霊的身体は死んでから与えたれるのではありません。死は肉体の牢獄からあなたを解放するだけです。それはあたかもカゴの中の鳥が放たれるのと同じです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
人間は肉体を携えた霊であって、霊を携えた肉体ではありません。肉体は霊が宿っているからこそ存在し得ているのです。それは神の火花であり、全ての存在に内在しており、全ての生命を通して顕現しているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
地上は幼児の学校であり、霊界は大人の学校です。地上では神から授かっている霊的資質を少しでも多く発揮するように、精神を修養し霊性を鍛練して他人のために役立つ事をする、その練習をしているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
人間は例外なく心霊的能力を具えております。これは大変な意味をもっております。歴史を勉強なさればこの事実は世界の全ての宗教の起源に結びついている基本的真理である事を理解なさるはずです。偉大な宗教家の教えの中には必ずその事が述べられています。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
みな同じ始源からのインスピレーションを受けているのですから当然の事です。人間は成就すべき霊的宿命をもった霊的存在である事、死後に待受けるより大きな生命活動に備えるためにこの地上に来ている事、そして死ぬ時には地上で自らの力で身につけた愛、自ら築いた性格―
『シルバーバーチの霊訓⑫』
―自ら開発した霊的才覚を携えて行くという事を異口同音に説いております。これこそが全ての宗教の中心的教えではないでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
しかもそれが全ての宗教において、一つの例外もなく忘れ去られている事も事実ではないでしょうか。膨大な量の教義、神学、教条主義、宗教とは何の関係もない、あるいは宗教として何の価値もない、人間的思考の産物によって置き代えられているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
厳密には“霊は身体に宿る”という表現は適切でなく、霊と身体とは波長の異なる存在です。本当のあなたは体内にいるのではなく、心臓と肺の間に小さく縮こまっているのではありません。地上で生活するために拵えられた物的装置を通して自我を表現している“意識”です。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
実際には人間の全てが睡眠中にこちらの世界へ来ております。それは神の配慮の一つで、いよいよこちらへ来た時に環境の違いによってショックを受けないように、未来の環境に慣れさせておくのです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
ちょうど子供時代を過した土地へ来るとその頃の思い出が甦ってくるように、睡眠中に訪れていた環境の記憶が甦ってきます。
■2022年8月24日UP■「神に委ねてみませんか」これが実は到底承服できない最低最悪の意味なのです(祈)†僕も神に反逆するほどバカではありません。ぜひ皆さまにも「インペレーターの霊訓」をお読み頂きたいですが、霊的知識を獲得しておきながら神の意に反する行いをした者がどういう状態にさせられるかをインペレーター霊が語っておられます。僕はその知識がありますのでそこまでバカな事をするつもりはありません。ただとにかく「物事には限度というモノがある」これを強調して終わりとさせて頂きます。キビシすぎ、苦難、試練を降らせすぎ、僕ひとりに何もかもやらせすぎ、本気でいい加減にしてくれ、という事です…続きを読む→ ■2022年7月20日UP■「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→ ■2022年7月6日UP■「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†これはまるでイエス様からの、アキトくん、ここまでよくやった、おつかれさま、という終了宣言のように聞こえます。そんな事でいいんですか、あなたたちのやる気はそんなもんですか、しょせんあなたたちは霊界上層界の人間であり、最低界である物質界がどうなろうと知った事ではないという事ですか。物質界と霊界上層界はつながっていて、物質界の無知が霊界に反映されるようになってしまって「このままでは大変な事になる、何としても大胆な手段を講じて物質界に霊的知識を普及しなければ」という事になってスピリチュアリズムを勃興させたのではないのですか…続きを読む→ ■2022年6月22日UP■「J9」アナログ絵123に描いたゴールに到達するという意味だと信じたいですが(祈)†そして仕事を休んで遠くの会場まで足を運ばされ、訳の分からないトランスの真似事のようなものを集団でやらされて(今にして思えば僕の回りにいた連中はみんな僕を信者にするためのグルメンバーだったのかも知れませんが)僕はそもそも宗教臭の漂うモノが大キライ、頭にきて頭にきてもうガマンできなくて途中で帰ってしまったのです。これは霊関連書籍に精通しておられる方なら理解できる事と思いますが、要するに霊団が「僕をそういうところ(いかがわしい宗教)から遠ざけて真っ当な霊的活動をさせるためにわざとそこに行かせてキライにさせた」という事なのですが、そうと分かっていてもあの体験は人生最悪でした。もう死んでも行きたくありません…続きを読む→