この部族の中では、イエスはよそ者扱いにされていた。彼の話すことが一風変わっていたからであった。それに彼らは町の者をひどく嫌っていた。時々彼らは市場に手造りの道具類や、駝鳥の毛、壺、鉄製器などを売りに行くと、町の者から野次られたり軽蔑(けいべつ)されたりした。
それでイエスも彼らが嫌っている町の住人の1人のように思われていたが、うわべでは愛想よく応対していた。イエスは“神の旅人”と呼ばれ、部族の長の食卓にすわった。彼らの食事はとても貧弱で卑しいものであったが、この神の旅人に対しては、おいしいバターなど、とっときの栄養物が与えられた。
イエスはみんなと同じ食物、蝗(いなご)やなつめ椰子を食べたいと言ったので彼らを怒らせてしまった。ヘリはイエスに「お前は彼らに恥をかかせるのか」と言いながら、彼らの厚意を素直に受けるように教えた。イエスは何事もヘリの言う通りに従った。
3日目の夜になってから、ヘリはイエスに部族の規則(きまり)について説明した。「彼らはお客を1週間だけかくまうことになっている。1週間がすぎたら、水筒に水を入れ、旅に必要なものを入れた袋を持たせ、神の御加護を祈りながら出発させるのだ。
しかし、お前が彼らのために、何か役立つものを持っていることが証明されたなら、彼らは居残ることに同意して部族の1人として迎えてくれるのだ。そこでお前はどうするかね。部族の1人として残ってもいいし、出ていってもよいが」
「僕はここに残っていたいんです。そして彼らの生活の知恵を全部吸収したいんです。そうしたら僕はその御礼に、彼らのために尽します」ヘリは言った。「そうか、それがよかろうな。しかし彼らは何らかの特技か、霊的な力を要求するだろうがね」
さて、イエスは早速仕事場に連れていかれた。部族の者たちは、駱駝の鞍を木で作る仕事を与えた。粗末な道具しか無く、削り損った鞍は凸凹(でこぼこ)が多くて到底生きた駱駝の背中にはのせられなかった。木工作業はみごとに失敗した。
次に鍛治屋の仕事にまわされた。そこでは牧者が牛の飼料を運ぶ道具や女たちが薪を伐採する斧を作っていた。そこでもイエスの手伝いは必要ないと言われた。そんな訳で、部族の長(かしら)は、イエスに部族の仲間にはなれないという宣告を下した。それで1週間以内に此処を出て行くように言い渡された。
ところがその頃になって、イエスはとても大切なことを発見していた。かなりの子供や若者が、強い太陽光線や不潔な蠅で目をやられ、失明していることに気がついた。そこでヘリと一緒に不毛な荒野を歩き回り、鳥が殆んど食いちらした裸山の裂け目の間に薬草が生えているのを見つけた。
この薬草をつんできて、これを鍋で煎じ、その汁を失明した人たちの目にぬった。次の朝になると瞼(まぶた)の上に鱗(うろこ)のような薄い膜ができており、膜がおちるとすっかり見えるようになっていた。彼らには信じられない奇蹟であった。
救われた者たちが喜びの声をあげながら、イエスを肩の上にのせ、部族の長、ハブノーの処にやってきた。12人の失明者がこの客人の手によって奇蹟的に救われたことを知ったハブノーは、わざと心を鬼にして彼らに言った。「これはあの少年に薬草のつくり方を教えたヘリの手柄だよ」
ハブノーは、イエスを部族の仲間に加えたいと言っている12人の要求をがんとして退けた。これは実に無慈悲な判決だった。一族をひきいる指導者にとって、この暑い夏の日々には、乏(とぼ)しい食糧と水は黄金よりも大切なものであった。余程の才能の持主でない限り同居は許されなかったのである。
ハブノーのテントの中には、洗いたての羊毛のような真白い髭と頭髪をはやした老人が座っていた。額(ひたい)のしわは深く、かなりの高齢者であることがひと目でわかった。昔は立派な顔立ちであったが、今では目が見えなくなり、暗い所でじっと座り続けていた。
ハブノーがイエスに言った。「私の父があなたに大変興味を持っています。私が席をはずしますから、どうか父と話し合って下さい」イエスは老人の足もとに座り、かさかさと木の葉がゆれるような声を聞きいっていた。この老人は、どうやら平和について語っているらしく、様々な質問をイエスになげかけるのであった。
遂にイエスの口はゆるみ出した。イエスはナザレを出て以来、ナザレ人から悪しざまに言われてきた霊の働きや理性のことは、2度と口にすまいと決心していた。しかし、この失明した穏やかな老人は遂にイエスから言葉をひき出したのである。
イエスは間もなく、農夫の話やガリラヤの葡萄畑やオリーブ畑の話を始めた。老人の心は大きな高まりを覚えた。彼の息子ハブノーが戻ってきたとき、老人は息子に尋ねて言った。「お前はこのお客様をどうするつもりかな?」「私は彼の家に帰そうと思っています。彼は我が部族には余り役立たない職人のようですからね」
「この御客様をわしのそばにおいてくれないか。彼は私に黄金のような立派な話をしてくれたのじゃ。しかも彼の手がわしの体に触れると徐々に力が湧いてくるのじゃ、不思議なことじゃ。本当に彼の話はすばらしい!!わしの僕(しもべ)として迎えたいのじゃが」
ハブノーは父を喜ばせたいと望んだので、イエスを部族の長(かしら)のテントの中に住まわせることにした。日が経つにつれて、イエスはこの部族の隠された部分を知るようになった。彼らの短所と長所は、町の人々とは違っていた。ひどく荒れると、彼らはお互いに殴ったり蹴ったりして烈しい気性をあらわすのである。
ある晩のこと、イエスは鍛治屋がパンを盗んだ泥棒に槍をふりまわして脅迫するのを見ていた。怒りのあまり彼はその男を殺してしまった。しかしこの鍛治屋はすぐれた職人であったので、その行為は不問になった。ハブノーはこの鍛治屋が造った道具、草刈鎌、槍、斧などがよく売れることを承知していた。それでカインのように親族を殺害したにもかかわらず、無傷のまま不問となった。
部族が流浪の途中で数日間の休息をとる夜には、音楽を奏で、メロディーに合わせてとびまわり、異常な興奮状態になるのであった。奇声を発し妙なステップをふんで踊るのである。ある者は女を求めて欲情をあらわにした。イエスはこのような邪悪なことは、ガリラヤでは見たことがなかった。
このように荒々しく、平気で罪を犯す連中ではあるが、この部族の人々の心には一片(ひとかけら)の悪意も見出すことができなかった。彼らは卑しい言葉を口に出さず、イエスには親切で、彼を心から褒めたたえた。彼ほど歴史に詳しい者を知らないといって驚嘆していたからである。その上彼は、多くの病人を癒(いや)し、女や子供たちには優しくふるまった。
■2023年3月8日UP■「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→ ■2023年2月15日UP■「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†僕もこれまで果てしなく霊的知識をお勉強し続けてきて、霊言を降らせる事の重大性は十分すぎるほど理解していますから、シルバーバーチ霊の言葉に反対を表明するほど愚かではありませんが、霊界にはウソというモノが存在しません、僕の心の中など霊団およびシルバーバーチ霊には全て丸見え筒抜けですからあえて正直に書かせて頂きますが、ハッキシ言ってもうウンザリなんですよ。霊性発現(2012年6月)から一体どれだけの月日が流れていますか。この10年以上、霊団はひたすら口だけをピーチクパーチク動かし続けてきましたが物的状況には一切変化はありません、さも今動く、今変わる的な事を延々言われてその通りにしてきてハッとうしろを振り返ってみたら最低最悪の場所にただ閉じ込められ続けただけだった。僕が霊団に対して抱いている怒り憎しみの念はもはやただ事ではないレベルになっているのです、長年の蓄積があるからです…続きを読む→