先ほど書籍のスキャン、自動書記テストもおこないましたが、もう山のアタックですので今日の作業はココまで。帰還後のブログの内容に頭を抱えています。今のところ全くまとまっていません。山で全身汗をかきながらどういうテキストにするか考える事になります。まぁいつもの事といえばそうなんですけど。

そして本当は「自伝的書籍」の原稿執筆に入らないといけないのですが、物質界に1ミリも興味がない僕は自身の物的歴史を書き残す事に全然意味を感じられなくて(霊界のデータベースに僕の全行動、全発言が記録されており、物質界では僕という人間が捻じ曲げられて伝えられるとしても霊界では真実の評価が下されますので)どうにも書き始める気になれずにいます。

僕は帰幽したが最後、よほどの勅命でも賜らない限り(イエス様にちょくでお願いされちゃうとか)絶対に自分の意思で物質圏付近に降下する事はありませんので、僕の死後に物質界で僕、たきざわ彰人がどんな評価を受けていようと知った事ではないのです。

霊界で下される評価こそ僕という人間の真実であり、その評価に完全に身を委ねるつもりでいますので、物的自伝書籍をどうにも書く気になれないのです。とはいえ書籍は書き残すべきとも強く思っていますので、さぁどう書いたもんか、困っています。

僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってきて、それを書籍化するのであれば、もうノリノリのノリノリで作業するのですが、自分の昔の事をほじくり返して説明するのが超ダルイのです。今の事を書くので精一杯、昔の事なんて書いてるヒマネィヨ。

んんん、ひとつフラーのストーリーを描こうかな。それを描いて気持ちを落ち着けようかな。ストーリーのストックならいくらでもあるので。さぁタイムアップ、明日の山に集中中。気温が高い、ガックシ(僕は気温が高いのがキライ、気温がマイナスになると燃える)(祈)†
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†■2022年10月5日UP■
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†
僕が奴隷の女の子を救出すると、その霊団が降らせて教えてきた物的攻撃に晒される事になり、霊団はその攻撃から僕を守るために奴隷の女の子の救出をあきらめざるを得ないといったような事を言っているのです。そして奴隷の女の子の事をあきらめさせるために交霊会の事をずっと言い続けてくるのです。「アキトくんの気持ちは分からないでもないが、奴隷の女の子たちは自らの罪障消滅のため、霊的向上のために自ら志願してその人生を選択し、奴隷の女の子として物質界に降下した人間なのだ。それよりキミは自分の使命遂行を成功させる事を考えなさい」とでも言っている霊団の声が聞こえてきそうです。要するに奴隷の女の子たちを見殺しにするのは非情というのとは違う、霊的視点に立って考えないと真実の理解には到達しない、という事なのですが、この心の中に渦巻く釈然としない気持ちはどうやっても拭う事ができません…続きを読む→

この部族の中では、イエスはよそ者扱いにされていた。彼の話すことが一風変わっていたからであった。それに彼らは町の者をひどく嫌っていた。時々彼らは市場に手造りの道具類や、駝鳥の毛、壺、鉄製器などを売りに行くと、町の者から野次られたり軽蔑(けいべつ)されたりした。

それでイエスも彼らが嫌っている町の住人の1人のように思われていたが、うわべでは愛想よく応対していた。イエスは“神の旅人”と呼ばれ、部族の長の食卓にすわった。彼らの食事はとても貧弱で卑しいものであったが、この神の旅人に対しては、おいしいバターなど、とっときの栄養物が与えられた。

イエスはみんなと同じ食物、蝗(いなご)やなつめ椰子を食べたいと言ったので彼らを怒らせてしまった。ヘリはイエスに「お前は彼らに恥をかかせるのか」と言いながら、彼らの厚意を素直に受けるように教えた。イエスは何事もヘリの言う通りに従った。

3日目の夜になってから、ヘリはイエスに部族の規則(きまり)について説明した。「彼らはお客を1週間だけかくまうことになっている。1週間がすぎたら、水筒に水を入れ、旅に必要なものを入れた袋を持たせ、神の御加護を祈りながら出発させるのだ。

しかし、お前が彼らのために、何か役立つものを持っていることが証明されたなら、彼らは居残ることに同意して部族の1人として迎えてくれるのだ。そこでお前はどうするかね。部族の1人として残ってもいいし、出ていってもよいが」

「僕はここに残っていたいんです。そして彼らの生活の知恵を全部吸収したいんです。そうしたら僕はその御礼に、彼らのために尽します」ヘリは言った。「そうか、それがよかろうな。しかし彼らは何らかの特技か、霊的な力を要求するだろうがね」

さて、イエスは早速仕事場に連れていかれた。部族の者たちは、駱駝の鞍を木で作る仕事を与えた。粗末な道具しか無く、削り損った鞍は凸凹(でこぼこ)が多くて到底生きた駱駝の背中にはのせられなかった。木工作業はみごとに失敗した。

次に鍛治屋の仕事にまわされた。そこでは牧者が牛の飼料を運ぶ道具や女たちが薪を伐採する斧を作っていた。そこでもイエスの手伝いは必要ないと言われた。そんな訳で、部族の長(かしら)は、イエスに部族の仲間にはなれないという宣告を下した。それで1週間以内に此処を出て行くように言い渡された。

ところがその頃になって、イエスはとても大切なことを発見していた。かなりの子供や若者が、強い太陽光線や不潔な蠅で目をやられ、失明していることに気がついた。そこでヘリと一緒に不毛な荒野を歩き回り、鳥が殆んど食いちらした裸山の裂け目の間に薬草が生えているのを見つけた。

この薬草をつんできて、これを鍋で煎じ、その汁を失明した人たちの目にぬった。次の朝になると瞼(まぶた)の上に鱗(うろこ)のような薄い膜ができており、膜がおちるとすっかり見えるようになっていた。彼らには信じられない奇蹟であった。

救われた者たちが喜びの声をあげながら、イエスを肩の上にのせ、部族の長、ハブノーの処にやってきた。12人の失明者がこの客人の手によって奇蹟的に救われたことを知ったハブノーは、わざと心を鬼にして彼らに言った。「これはあの少年に薬草のつくり方を教えたヘリの手柄だよ」

ハブノーは、イエスを部族の仲間に加えたいと言っている12人の要求をがんとして退けた。これは実に無慈悲な判決だった。一族をひきいる指導者にとって、この暑い夏の日々には、乏(とぼ)しい食糧と水は黄金よりも大切なものであった。余程の才能の持主でない限り同居は許されなかったのである。

ハブノーのテントの中には、洗いたての羊毛のような真白い髭と頭髪をはやした老人が座っていた。額(ひたい)のしわは深く、かなりの高齢者であることがひと目でわかった。昔は立派な顔立ちであったが、今では目が見えなくなり、暗い所でじっと座り続けていた。

ハブノーがイエスに言った。「私の父があなたに大変興味を持っています。私が席をはずしますから、どうか父と話し合って下さい」イエスは老人の足もとに座り、かさかさと木の葉がゆれるような声を聞きいっていた。この老人は、どうやら平和について語っているらしく、様々な質問をイエスになげかけるのであった。

遂にイエスの口はゆるみ出した。イエスはナザレを出て以来、ナザレ人から悪しざまに言われてきた霊の働きや理性のことは、2度と口にすまいと決心していた。しかし、この失明した穏やかな老人は遂にイエスから言葉をひき出したのである。

イエスは間もなく、農夫の話やガリラヤの葡萄畑やオリーブ畑の話を始めた。老人の心は大きな高まりを覚えた。彼の息子ハブノーが戻ってきたとき、老人は息子に尋ねて言った。「お前はこのお客様をどうするつもりかな?」「私は彼の家に帰そうと思っています。彼は我が部族には余り役立たない職人のようですからね」

「この御客様をわしのそばにおいてくれないか。彼は私に黄金のような立派な話をしてくれたのじゃ。しかも彼の手がわしの体に触れると徐々に力が湧いてくるのじゃ、不思議なことじゃ。本当に彼の話はすばらしい!!わしの僕(しもべ)として迎えたいのじゃが」

ハブノーは父を喜ばせたいと望んだので、イエスを部族の長(かしら)のテントの中に住まわせることにした。日が経つにつれて、イエスはこの部族の隠された部分を知るようになった。彼らの短所と長所は、町の人々とは違っていた。ひどく荒れると、彼らはお互いに殴ったり蹴ったりして烈しい気性をあらわすのである。

ある晩のこと、イエスは鍛治屋がパンを盗んだ泥棒に槍をふりまわして脅迫するのを見ていた。怒りのあまり彼はその男を殺してしまった。しかしこの鍛治屋はすぐれた職人であったので、その行為は不問になった。ハブノーはこの鍛治屋が造った道具、草刈鎌、槍、斧などがよく売れることを承知していた。それでカインのように親族を殺害したにもかかわらず、無傷のまま不問となった。

部族が流浪の途中で数日間の休息をとる夜には、音楽を奏で、メロディーに合わせてとびまわり、異常な興奮状態になるのであった。奇声を発し妙なステップをふんで踊るのである。ある者は女を求めて欲情をあらわにした。イエスはこのような邪悪なことは、ガリラヤでは見たことがなかった。

このように荒々しく、平気で罪を犯す連中ではあるが、この部族の人々の心には一片(ひとかけら)の悪意も見出すことができなかった。彼らは卑しい言葉を口に出さず、イエスには親切で、彼を心から褒めたたえた。彼ほど歴史に詳しい者を知らないといって驚嘆していたからである。その上彼は、多くの病人を癒(いや)し、女や子供たちには優しくふるまった。

「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†■2023年3月8日UP■
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→
「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†■2023年2月15日UP■
「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†
僕もこれまで果てしなく霊的知識をお勉強し続けてきて、霊言を降らせる事の重大性は十分すぎるほど理解していますから、シルバーバーチ霊の言葉に反対を表明するほど愚かではありませんが、霊界にはウソというモノが存在しません、僕の心の中など霊団およびシルバーバーチ霊には全て丸見え筒抜けですからあえて正直に書かせて頂きますが、ハッキシ言ってもうウンザリなんですよ。霊性発現(2012年6月)から一体どれだけの月日が流れていますか。この10年以上、霊団はひたすら口だけをピーチクパーチク動かし続けてきましたが物的状況には一切変化はありません、さも今動く、今変わる的な事を延々言われてその通りにしてきてハッとうしろを振り返ってみたら最低最悪の場所にただ閉じ込められ続けただけだった。僕が霊団に対して抱いている怒り憎しみの念はもはやただ事ではないレベルになっているのです、長年の蓄積があるからです…続きを読む→