まずノートを復旧させられたのは本当に助かりました。昨日の休憩時間はログインできないノートとにらめっこするだけの無意味の45分をやらされました、ああいう時間のムダは2度とないようにしないといけません。念のためにもう1度ログインテストをおこないました。大丈夫、ちゃんとログイン出来ました、AffinityPhotoも動きます。作業続行できそうです。

そして霊団がさらさらにどうしようもない事を言ってきてます、しかもそれは僕が悪いからそうなるのだそうです。確かに僕は全力で反逆してますから霊的に当然ペナルティが来るでしょうが、しかしこの釈然としないものは一体何なのでしょうか。

まるっきり何の結果にも到達していない「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させるなんてまるっきり遠い国の話、奴隷の女の子の事は僕の脳内から消そうとしている、教えてきたのはあんたたちだというのに、交霊会もまるっきりやろうともしない。それで僕が悪いのだそうです。あぁそうですか、そいつぁー正論だ、あーよかったですね。長文ブログのタイミングでたぶん書く事になると思いますが。

オンデマンドの作業、少しだけやりました。手持ちの画像全て販売開始にできるのは相当先になりそうです。作業負荷が殺人的すぎる。しかしもう他に脱出方法が思いつかない。出版社設立もゴリ押しで強行してしまうかも知れませんが、立ち上げてみたところでイヤでどうしようもないところから脱出できる訳ではなく、ただ生活をひっ迫させるだけになるのは目に見えているでしょう。

まずはグラボノートでの作業を続行させます(祈)†

「無限なるものを有限なるもので判断してはいけません」苦しみが続くという意味です(祈)†■2022年11月23日UP■
「無限なるものを有限なるもので判断してはいけません」苦しみが続くという意味です(祈)†
僕たち人間は霊的身体(幽体、霊体等)をまとって霊界で生活している状態が通常であり、霊界で進歩向上を果たすための人生勉強の場、もっと言うと苦しい、悲しい、ヒドイ目に遭わされて心を魂を鍛える場として物質界は存在し、現在の自分に足りないものを自覚して自ら志願して苦難の人生を体験するために物質界というトレーニングセンターに降下してきているのです。物質というものは本来が腐食性のものであり、物質そのものには存在はありません。霊という生命力によって形態を維持しているだけのものであり、霊が引っ込めばたちまち分解して地球を構成する元の成分(土くれ)に帰っていきます。死体が腐敗していくのを見ればそれが一目瞭然でしょう。しかしそれは衣服が腐っているだけで本人は霊的身体に着替えて意気揚々としているのです…続きを読む→
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†■2023年6月28日UP■
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に落ちるのは自己責任、アキトくんには何の責任もないし、キミが物質界生活中にこの者たちを滅ぼさなくても自動的に肉体が朽ちて帰幽して地獄に落ちるのだからどちらでも結果は同じである。奴隷の女の子たちに関しても自ら犯した過去の大罪の罪障消滅を目的として物質界に降下した人間なのだから、苦難の人生をやらされるのが当たり前(自己責任)それを助けてあげたら本人のためにならない、アキトくんの気持ちは分からないでもないが帰幽して我々(イエス様)と同じ視点から眺められるようになれば納得できるであろう。つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を物質界生活中に滅ぼせなくてもそれは別にアキトくんの努力不足ではなく、奴隷の女の子を助けてあげられない事もキミのせいじゃない。我々(イエス様)は絶対的有利なポジションに立っているので、その人間たちをアキトくんの霊的進歩向上に大いに活用させてもらった…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→

Windowsは相当に長い年月使い続けていますが、こういう事があるなんて、ログインできなくさせられてしまって、その状態から回復させるのにえらい手間取ってしまいました。今日は全然反逆の作業ができませんでした。こういう時間のムダはもうなしにしないといけません。霊団に作業妨害されたか、と思ったりもしましたがそうではなくて純粋に物的障害だったようです。

今日はもう仕方ないので明日以降と言いたいところですが明日はもう山の準備です。山は問題ないんですよ、ロングドライブが大問題で困っているのです。もうポテチを食べ続けるのがイヤだ、何とかロングドライブをせずに済むようにしたい。霊団は相手にもしないでしょうが僕にとっては山に行けるかどうかの試金石であり超重要問題なのです。

今日は精神的にやられました、モチベーションが切れてしまった。あ、ヤパーリ霊団がグラボノートいじってダメにしてモチベーション落とさせたのか?なんて思ったりして(祈)†

■2021年6月23日UP■
「国民再洗脳」の具体的手法の幽体離脱時映像を霊団が降らせてきました、断じて許さぬ(祈)†
嵐の桜井氏が全身不随の状態でスタッフ数人に運ばれるようにして檀上中央に登場し着席させられます。(桜井氏本人ではありませんよ、霊団メンバーが桜井氏の姿をまとって演技しているのですよ、くれぐれもお間違えのないように)その桜井氏は表情はキリッとしているのですがどうやら口も利けない状態にさせられているようでした。そして今度は嵐の大野氏がステージに登場し(大野氏は健全な状態です)桜井氏と並んで立ちます。そこで会場全体に放送ではなく印象として(分かりにくい表現で申し訳ありませんが)この式典の意図の説明が流されます。それは、全身不随になった桜井氏を介護し続ける大野氏を表彰するといった内容でした…続きを読む→
「どんなに隠しても表に出てくる」真実は絶対隠し通せないという意味です(祈)†■2022年1月5日UP■
「どんなに隠しても表に出てくる」真実は絶対隠し通せないという意味です(祈)†
国民の同情を誘う美しいスローな楽曲がバックに流され、かわいそうな人たちに文仁がやさしく声をかけてその人たちを笑顔にさせる映像が、柔らかい暖色系のフィルターをかけた状態でキラキラと光のモーションエフェクトをちりばめて再生スピードを若干落としたスローペースで流され、文仁にやさしく声をかけてもらった国民(もちろんさくら)が感動の涙を流しながら文仁を賛美するコメントの映像が流され、それを見た皆さまはその洗脳演出にアッサリコロっとダマされて「あぁこの人はイイ人なんだ」などとは死んでも思わないようにして下さい…続きを読む→

アナニヤとサッピラの死によって信者の間に恐怖が広がった。物に執着のある者たちは互いに言った。「これは実に厳しい掟(おきて)である。へたをすると、我々も殺されてしまうかもしれない」

アナニヤとサッピラの件について世間では、彼らが財産の一部をごまかしてペテロに嘘をついたので殺されてしまったと言い触らされていた。しかし真相は、アナニヤが大祭司と結託して教会を潰してしまおうという陰謀であったことを誰も知らなかった。ただ1人ペテロだけが、霊的洞察力によってこれを見破ったのである。

さて、その頃、ヨハネと称する者が3人もいた。長老ヨハネ、神秘家ヨハネ、そして学者ヨハネの3人とも聖者と仰がれていた人物であった。後世になって、この2人の聖者は同一名であったので、ごっちゃになってしまった。

現今の聖書に多くを書き残しているのが神秘家ヨハネであるのに、長老と学者のヨハネと混同されている。この3人の中で、学者ヨハネは学識が災いしてか、頭が混乱しペテロに攻め寄って抗議した。

「あなたがなさっていることは大変良くありません。弊害が大きいのです。絶望と隣合わせにある恐怖心を煽ることは、死に値いする罪であると思いませんか」彼は続けて言った。

「私達の師キリスト様が為された奇跡をお考え下さい。それによって汚れた霊どもが体内から追い出されていったではありませんか。あなたがアナニヤとサッピラになさったことは、殺害としか言えないじゃありませんか」

ペテロは動じなかった。しかし同時に、彼らをどうしても納得させなければならないことも良く承知していた。させなければ大きな誤解を生んで、多くの者を惑わしてしまうからである。ペテロは答えて言った。

「霊の御導きが私の内側からわき起こってきて、あの2人の罪人を手厳しくやっつけてしまうように誘導されたのです。彼らは、ひそかに弱いキリストの群れを破壊しようとたくらんでいたからです。それで私は主イエスの教えに従って、あの2人を抹殺したのです。

その教えというのは、あなたがたも主イエスから直接お聞きになったはずです。『もし、あなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ込まれるより、片目になって命(いのち)に入る方がよい』とね。」(マタイ伝18 – 9)

学者ヨハネは頭を下げ、ペテロを疑ったことを謝った。彼は、このことに関しては神の知恵に頼らず、人知に頼ったからであった。しかし、この教えには充分注意を払う必要があったことは言うまでもない。『片目を抜き出してすてなさい』という教えを真理に基づいて行われなければ、それこそ健康なものまでももぎ取ってしまう危険があるからである。

さて、ペテロはなおも多くの病人を治し、弟子たちは神殿の庭でイエスの教えを説いていた。それで続々と多くの人々が信者となり、聖霊の炎によっていやが上にも燃えていた。その勢いには、大祭司でさえ為すべきすべを知らなかった。

弟子たちは、毎朝、日の出に祈ることにしていた。その時には、戸を全部閉めて、師イエスと共に祈り、常に新鮮な気持ちでイエスと一緒に過ごすのだった。この時だけは、一般の人は同席しなかったので、かえって兵隊が襲うのにとても好都合だった。

イスラエルの兵隊は戸をこじ開けて侵入し、槍で脅しながら弟子たちを留置場まで連行していった。彼らを牢獄に閉じ込めてから、神殿の総代は誰1人として刃向かう者がいなかったことを大祭司に報告した。権力者たちはみんな喜んだ。これで、国が滅ぼされる心配がなくなったと思ったからである。

「牢屋」もしそんな事になってみろ、あんたたち(霊団)を永遠に呪ってやるぞ(祈)†■2023年1月4日UP■
「牢屋」もしそんな事になってみろ、あんたたち(霊団)を永遠に呪ってやるぞ(祈)†
なぜ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、これほど明確な邪悪がいつまで経っても滅ぼされないのか。なぜいつまで経っても奴隷の女の子がひとりも救出できないのか。こんな当たり前の事が実現できない物質界はどこまで最悪の境涯なのか。もっともこれは近視眼の考え方であり、明仁、文仁、徳仁、悠仁は帰幽後に魂も凍る真の地獄が待ち受けており、奴隷の女の子たちは強姦殺人された悲劇の埋め合わせとしての幸福の境涯が待ち受けています。本を読んで知識として理解するのと、自分の人生で苦痛と共に体現させられるのとでは天と地ほどの差があります。【神の因果律】は絶対的公正、公平であり完璧であり、帰幽後に賞罰が寸分の狂いもなく清算されるようになっていますので、その神の因果律に身を委ねれば全てが丸く収まるという事になるのですが、まだ肉体に閉じ込められて人間の人生の全体像、宇宙の美が見えない生活を余儀なくされている僕は、どうしてもそこまで達観する事ができません…続きを読む→
「間違えちゃったゴメンね」ゴメンの一言で済む訳ネィだろ!この人生の責任取れ(祈)†■2022年12月28日UP■
「間違えちゃったゴメンね」ゴメンの一言で済む訳ネィだろ!この人生の責任取れ(祈)†
肯定的書籍という事であれば、僕のWordPressを日々ご覧になって僕の霊的使命遂行を応援して下さっている方であると予測できます。否定的書籍という事であれば「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を守り通す事で生活の糧を得ている宮内庁、皇宮警察、政治上層部等の強姦殺人ほう助の人間という事が容易に想像できます。否定的書籍の場合はもちろん僕、たきざわ彰人が殺されて反論できない状態になってからデタラメな内容の書籍を出しまくって国民を再洗脳し、強姦殺人容認制度を存続させようと企む邪悪勢力の思念という事で間違いないでしょう。僕が生きている間に否定的書籍が出版されるのは、それはチョトないんじゃないかって思ったりもします。というのは「国民はもう「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を分かってる、もう洗脳からだいぶ目覚めている、そこまでバカじゃない」と思うからです。出したらかえって逆効果になると思うからです。ですので霊団からの「殺されるところから離れさせる」という警告という意味かも知れません…続きを読む→
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†■2022年12月21日UP■
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁は物質界生活中は自身の犯罪をゴマかし通しすっとぼけ続ける事ができても帰幽後にその邪悪の行為の責任を寸分の狂いもなく取らされる、イヤ取らされるどころか神から賜った個的存在を剥奪されるかも知れない。奴隷の女の子たちには物質界で味わわされた悲劇、悲しみを補って余りある埋め合わせが待ち受けているのだから、何も悲しむ必要はない。霊団はそういう視点でインスピレーションを降らせているのかも知れませんが、今こうしている現在も奴隷の女の子たちは明仁、文仁、徳仁、悠仁によって四肢切断、強姦殺人され続けていると知っていてただ指をくわえて見ていろというのか。僕の悟りが足りないと霊団に言われるのかも知れませんがやはり釈然としません…続きを読む→