「スピリチュアリズムと宇宙哲学」巻末にある住所が掲載されていまして、その住所宛に手紙を送付したのですが、よくよく見てみると「事務所」と書いてあります。近藤千雄先生が帰幽されて年数も経過しており、しかも潮文社も廃業している状態で事務所だけ存続している訳がありません。

さらにその掲載住所をググるとGoogleストリートビューでその建物を見る事ができますが、玄関に表札があってそこを拡大すると「近藤」ではない名前が書いてあります。「コリャ100%未開封で戻ってくるな」と分かりました。フゥゥ、どうやっても著作隣接権者と連絡が取れません。

どうやったら脱出できるんだろう、これ以上どう努力したらこの最悪の状況から離れられるんだろう。想像を絶する絶望感が襲ってきますが書籍データだけは作り続けています。もし「復刊オケー」の状態になったとして、そこから書籍データを作り始めるのでは遅いからです。オケーになったら即印刷、販売できるように先行して書籍を完成させておくのです。ムダな努力に終わる可能性が相当高いですが。

さぁ明日は天候最高、グラデーション撮影をしっかりおこなわないといけません。山の撮影画像は書籍にも使用します、もはや山の撮影は仕事です、絶対に撮って来なければいけません。僕は霊団の手の上で一生閉じ込められるのか。これほど心の底から嫌がっているのに1歩も脱出できないというのか。こんな人生があってたまるか。

「ベールの彼方の生活3巻」表紙の線画のゴミ取り90%完成中。間もなく選択範囲を切ってカラーリングに突入できますが今日の作業はココまで。山の準備をしないといけません。最悪の物質界人生のまま老衰死するというのか。それが「後なるものが先に」という事なのか。最悪の物質界人生をやらせて下さってありがとうございました、とイエス様に感謝する日が来るというのか。今は到底そんなセリフ言う気になれない。

もう僕が霊言霊媒として機能する日は100%来ないと断言していいでしょう。自動書記ならまだ可能性があるのではと僕は思っているのですが霊団はダメ出しをしてきます。出版社設立できたとしても新規の霊言が降って来なければ存続はムリでしょう。どう頭をひっくり返しても最悪の未来しか見えてこない。さぁ山の撮影に集中中(祈)†
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†■2024年2月7日UP■
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†
コイツらが僕を憎もうが憎むまいが、奴隷の女の子を信じられない人数、強姦殺人しまくって遊んできたコイツらは「神の因果律」によって自動的機械的に帰幽後、暗黒の底の底に落ちていく事になります。そこに僕の裁量などありません。自分のおこないによって自分を地獄に落としている、ただそれだけの事です。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは自分たちが1番偉いと本気で信じ込んでいます、この宇宙、上には上がいる事を全く理解できません、物質界生活中、生まれてから死ぬまでワガママ放題、自分の全人生をウソで塗り固め、国民を虐げて私腹を肥やし続けてきた奴らですから人格が全く形成されていません、幼稚極まるガキという事です。そんな奴らが反省などできる訳がありませんからいつまでもどこまでも暗黒の底の底でのたうち回りながら僕に対する憎しみを燃やし続ける事になるでしょう。しかしその憎しみの念は上層界で進歩向上の生活を送る僕には全く届きません。霊界は思念フィルタリングという機能がありますので下層界の邪念は上層界に届かないのです。(※「ベールの彼方の生活2巻」7章 天界の高地 3 霊界の情報処理センター 参照)…続きを読む→
「水星バカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地球学校落第という意味です(祈)†■2022年6月15日UP■
「水星バカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地球学校落第という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁はこの全宇宙最低の地球よりさらにヒドイところに生まれ直させられるのだそうです霊団によると。皆さまはそうは思われない事と思いますが、現在肉体をまとって地球圏物質界で生活している僕たち人間は「最下等の生命表現をしている霊的存在」なのだという事を理解しましょう。僕たちの本体である霊は無限です。その生命表現手法も無限です。物的肉体をまとっての生命表現は、この全宇宙の中の「もっとも程度の低い生命形態、初期的自己表現手段」という事です。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は、その最下等の生命表現よりさらに程度の低い生命表現媒体をまとわされての人生に突入するという事を霊団が強調しているのです…続きを読む→
「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†■2023年2月15日UP■
「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†
僕もこれまで果てしなく霊的知識をお勉強し続けてきて、霊言を降らせる事の重大性は十分すぎるほど理解していますから、シルバーバーチ霊の言葉に反対を表明するほど愚かではありませんが、霊界にはウソというモノが存在しません、僕の心の中など霊団およびシルバーバーチ霊には全て丸見え筒抜けですからあえて正直に書かせて頂きますが、ハッキシ言ってもうウンザリなんですよ。霊性発現(2012年6月)から一体どれだけの月日が流れていますか。この10年以上、霊団はひたすら口だけをピーチクパーチク動かし続けてきましたが物的状況には一切変化はありません、さも今動く、今変わる的な事を延々言われてその通りにしてきてハッとうしろを振り返ってみたら最低最悪の場所にただ閉じ込められ続けただけだった。僕が霊団に対して抱いている怒り憎しみの念はもはやただ事ではないレベルになっているのです、長年の蓄積があるからです…続きを読む→

1913年10月25日 土曜日

今夜も、もしよろしければ、死後の世界に関する昨夜の通信の続きをお届けしようと思います。引き続き太陽系に関してですが、昨日の内容を吟味してみると、まだまだ死後の世界の複雑さの全てを述べ尽くしておりません。

と言うのも、太陽と各惑星を取り巻く界層が互いに重なり合っているだけでなく、それぞれの天体の動きによる位置の移動 – ある時は接近しある時は遠ざかるという変化に応じて霊界の相互関係も変化している。

それ故、地球へ押し寄せる影響力は1秒たりとも同じではないと言っても過言ではありません。事実そのとおりなのです。また同じ地球上でもその影響の受け方、つまり強さは一様ではなく場所によって異なります。それに加えて、太陽系外の恒星からの放射性物質の流入も計算に入れなければならない。

こうした条件を全て考慮しなければならないのです。何しろそこでは霊的存在による活発な造化活動が営まれており、瞬時たりとも休むことがないことを銘記して下さい。

以上が各種の惑星系を支配している霊的事情のあらましです。地上の天文学者の肉眼や天体望遠鏡に映じるのはその外面にすぎません。ところが実は以上のべたことも宇宙全体を規模として考えた時は大海の一滴にすぎない。船の舳先(へさき)に立っている人間が海のしぶきを浴びている光景を思い浮かべていただきたい。

細(こま)かいしぶきが霧状になって散り、太陽の光を受けてキラキラと輝きます。その様子を見て“無数のしぶき”と表現するとしたら、ではそのしぶきが戻って行く海そのものはどう表現すべきか。キラキラ輝く満天の星も宇宙全体からすればその海のしぶき程度にすぎません。それも目に見える表面の話です。

しぶきを上げる海面の下には深い深い海底の世界が広がっている如く、宇宙も人間の目に映じる物的世界の奥に深い深い霊の世界が広がっているのです。もう少し話を進めてみましょう。そもそも“宇宙”という用語自体が、所詮表現できるはずのないものを表現するために便宜的に用いられているものです。

従って明確な意味は有(も)ちあわせません。地上のある詩人が宇宙を一篇の詩で表現しようとして、中途で絶望して筆を折ったという話がありますが、それでよかったのです。もしも徹底的にやろうなどと意気込んでいたら、その詩は永遠に書き続けなければならなかったことでしょう。

一体宇宙とは何か。どこに境界があるのか。無限なのか。もし無限だとすると中心が無いことになる。すると神の玉座はいずこにあるのか。神は全創造物の根源に位置していると言われるのだが。

いや、その前に一体創造物とは何を指すのか。目に見える宇宙のことなのか、それとも目に見えない世界も含むのか。実際問題として、こうした所詮理解できないことをいくら詮索してみたところで何の役にも立ちません。

もっとも、判らないながらもこうした問題を時おり探ってみるのも、人間の限界を知る上であながち無益とも言えますまい。そう観念した上で吾々は、理解できる範囲のことを述べてみたいと思います。

これまで述べて来た霊的界層にはそれぞれの程度に応じた霊魂が存在し、真理を体得するにつれて1界また1界と、低い界から高い界へ向けて進化して行く。そして、さきに述べたように、そうやって向上して行くうちにいつかは、少なくとも2つ以上の惑星の霊界が重なり合った段階に到達する。

さらに向上すると今度は2つ以上の恒星の霊界が重なり合うほどの直径をもつ界層に至る。つまり太陽系の惑星はおろか、2つ以上の太陽系まで包含(ほうがん)してしまうほどの広大な世界に至る。

そこにもその次元に相応しい崇高さと神聖さと霊力を具えた霊魂が存在し、その範囲に包含された全ての世界へ向けて、霊的・物的の区別なく、影響力を行使している。ご承知のとおり吾々はようやく惑星より恒星へ、そして恒星よりその恒星の仲間へと進化して来たところです。

その先にはまだまだ荘厳にして驚異的な世界が控えておりますが、この第10界の住民たる吾々にはその真相はほとんど判らないし、確実なことは何1つ判らないという有様です。

が、これで吾々が昨夜の通信の中で“神”のことを、何とお呼びすべきか判らぬ未知にして不可知の存在のように申し上げた、その真意がおぼろげながらも理解していただけるのではないかと思います。

ですから、貴殿が創造主を賛美する時、正直言ってその創造主の聖秩(せいちつ)について何ら明確な観念はお有ちでない。“万物の創造主のことである”と簡単におっしゃるかも知れませんが、では“万物”とは一体何かということになります。

さて少なくとも吾々の界層から観るかぎり次のことは確実に言えます。すなわち“創造主”という用語をもって貴殿が何を意味しようと、確固たる信念をもって創造主に祈願することは間違っていない。

その祈りの念はまず最低界に届き、祈りの動機と威力次第でそこでストップするものとそこを通過して次の界へ至るものがある。中にはさらに上昇して高級神霊界へと至るものもある。吾々の界のはるか上方には想像を超えた光と美のキリスト界が存在する。

そこまで到達した祈りはキリストを通して宇宙神へと届けられる。地上へ誕生して人類に父なる神を説いたあの主イエス・キリストである。(この問題に関しては第2巻以降で詳しく説かれる。 – 訳者)

ところで、以上述べたことは全て真実ではあるが、その真実も、語りかける吾々の側とそれを受ける貴殿の側の双方の能力の限界によって、その表現がきわめて不適切となるのです。

例えば段階的に各界層を通過して上昇して行くと述べた場合、あたかも一地点から次の地点へ、さらに次の地点へと、平面上を進むのと同じ表現をしていることになります。ですが実際は吾吾(われわれ)の念頭にある界層は“地帯”というよりは“球体”と表現した方がより正確です。

なぜなら、繰り返しますが、高い界層は低い界層の全てを包んでおり、その界に存在するということは低い界の全てに存在するということでもあるからです。その意味で“神は全てであり、全ての中に存在し、全てを通じて働く”という表現、つまり神の遍在(へんざい)性を説くことはあながち間違ってはいないのです。

どうやら吾々はこのテーマに無駄な努力を費しすぎている感じがします。地球的規模の知識と理解力を1つの小さなワイングラスに譬えれば、吾々はそれに天界に広がる広大なブドウ畑からとれたブドウ酒を注がんとしているようなもので、この辺でやめておきましょう。

1つだけお互いに知っておくべきことを付け加えておきますが、その天界のブドウ園の園主(宇宙神)も園丁(神々)も霊力と叡智において絶対的信頼のおける存在であるということです。

人生はその神々の世界へ向けての果てしない旅であり、吾々は目の前に用意された仕事に精を出し、完遂し、成就し、それから次の仕事へと進み、それが終わればすぐまた次の仕事が待っている。

かくして、これでおしまいという段階は決して来ない。向上すればするほど“永遠”あるいは“終わりなき世界”という言葉に秘められた意味の真実性を悟るようになります。しかし貴殿にそこまで要求するのは酷(こく)というものでしょう。失礼な言い分かも知れませんが。

では再び来れることを希望しつつお別れします。ささやかとは言え天界の栄光の一端をこうして聞く耳をもつ者に語りかけることが出来るのは有難いことであり、楽しいことでもあります。どうか、死後に待ちうける世界は決して黄昏(たそがれ)に包まれた実体なき白日夢の世界ではないことを確信していただきたい。

そしてそのことを聞く耳をもつ者に伝えていただきたい。断じてそのような世界ではないのです。そこは奮闘と努力の世界です。善意と努力とが次々と報われ成就される世界です。

父なる神へ向けて不屈の意志をもって互いに手を取り合って向上へと励む世界です。その神の愛を吾々は魂で感じ取り鼓舞されてはおりますが、そのお姿を拝することも出来ず、その玉座はあまりに崇高なるが故に近づくことも出来ません。

吾々は向上の道を必死に歩んでおります。後に続く者の手を取ってあげ、その者のスソをその後に続く者が握りしめて頑張っております。友よ、吾々も奮闘していることを忘れないでいただきたい。まさに奮闘なのです。貴殿と、そして貴殿のもとに集まる人々と同じです。

吾々が僅かでも先を行けば、つい遅れがちになる人も大勢おられることでしょう。どうかそういう方たちの手を貴殿がしっかりと握ってあげていただきたい – “優しく”握ってあげていただきたい。

貴殿自身も同じ人間としての脆(もろ)さを抱えておられることを忘れてはなりません。そして、たとえあなたに荷が過ぎると思われても決して手を離さず、上へ向けて手を伸ばしていただきたい。

そこには私がおり、私の仲間がおります。絶対に挫折はさせません。ですから明るい視野をもち、清らかな生活に徹することです。挫折するどころか、視野が燦然(さんぜん)たる輝きを増すことでしょう。聖書にもあるではありませんか – 心清き者は幸なり。神を見ればなり、と。(マタイ5・8)†

「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†■2023年3月15日UP■
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†
しかしそれは「順番が逆だろ」まず奴隷の女の子たちを助けてあげて、それから交霊会だろ、と僕は思うのです。というのも、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにした状態で僕という霊媒を霊団が使用して霊言を降らせたとしましょう。その降ってきた内容がさながら「シルバーバーチの霊訓」を彷彿とさせるような高尚な内容だったとしましょう。その霊団が降らせてきた内容が、人類を救うとか、世界を救うとか、人間は国家も肌の色も関係なく全員が神から神性の火花を賜って個的存在を与えられた、神を共通の親とした霊的兄弟、霊的大家族であり、戦争で敵国の兵士を撃ち殺す事は自分の家族を殺す事と同義であり愚かな事であり、したがって全世界が助け合っていかなければならないとか、そういう心を撃つ美しい内容だったとしましょう…続きを読む→
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†■2023年3月8日UP■
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→
「死ぬぞ」僕が日本の中心に行くと100%殺されるそうですが、ならなぜこの仕事をやらせた(祈)†■2024年1月31日UP■
「死ぬぞ」僕が日本の中心に行くと100%殺されるそうですが、ならなぜこの仕事をやらせた(祈)†
物質界の問題を僕という道具を介して解決しようなどとはサラサラ考えていないのではないか。事実放置してますし。僕の帰幽後の状況がよくなるために苦難を与え続けている、まぁそれは了解としても、あんたたちのやっている事はどう考えてもおかしいんじゃないのか。邪悪に目をつぶりすぎている、奴隷の女の子を見殺しにしすぎている。どうやってもその部分は納得できない。で、僕にその問題を解決する能力がないというなら最初からやらせなければよかっただろ。霊界の人間は物質界の人間の心の中が丸見えだ。僕というキャラがどれだけの力量でどういう仕事はできてどういう事が不得手なのか、僕本人よりあんたたちの方が把握しているはずだ。だったら僕という道具を使用して物質界の邪悪を滅ぼせるか滅ぼせないか事前に分かってたはずだ。つまり最初から何もしないつもりだったんじゃないのか、だから今、僕を閉じ込める事にのみ全力を集中させて僕に何もできないようにしているんじゃないのか、油断していたら僕自身の努力で事態が前進してしまうかも知れないのでそうならないように全力で僕を封じ込めようとしている、そういう事なんじゃないのか。あんたたちは一体何がしたくて生きてるんだよ。霊界の仕事って一体何なんだよ…続きを読む→