書籍たきざわ出版表札決意表明moza

出版社設立する気だから、やる気だから表札まで作ったのです。とにかく何としてもやってやります。そして以前少し書いた記憶がありますが、僕が出版社を立ち上げる、イコール僕が編集長ですから伏せ字なしで真実を記述した書籍が出せるという事になります。

今まで「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の暗殺の脅しに屈して真実を書けなかった方々が、僕の出版社を通してなら真実の書籍を出版できるという事になるのです。

僕は物質界の活動家に詳しくありませんので誰にどう依頼していいのか今のところ見当がついていませんが、この人ならおもしろい原稿を書いてくれそうだという方が見つかるようであれば、僕からその方に書籍執筆を依頼して、物的情報に弱い僕には書けない「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に関する邪悪の真実の暴露書籍を出す、という計画もあります。

真実を後世に残すのです。洗脳を撃ち破るのです。そして僕の使命遂行としては霊的知識を未来に残すのが最大目標となります。っとと、このお話はボリュームがありそうですので一旦切ります。

そろそろベールの彼方の生活4巻の表紙の線画を描き始めないといけません。止まる理由が全くない。やる以外ありえない。書籍データをガンガン完成させておくのです。まずはここまで(祈)†

■2021年3月10日UP■
「イエス様"従え"!」霊団が久々にイエス様からのメッセージを降らせてきたようなのですが(祈)†
えー霊性発現初期の頃のブログでも「イエス様は大変キビシイお方です」と何度も書いていましたが、それをさらに裏付けるインスピレーションと言えるでしょう。「アキトくん、キミの肉眼には全く真実の状況が映じていない、我々の霊眼には全てが見えている(アナログ絵123)見えていないキミは判断を誤るが見えている我々は判断を誤らない。滅私、謙虚を貫いて我々の導きに従うのだ。物質界は試練を体験させられる境涯なのだから苦しいのは当たり前だ、アキトくん泣き言を言うんじゃない。我々にはゴールが見えているがキミには見えていない、アキトくん、私に従え」まぁだいたいこういう感じのイエス様のご意志だと思われるのですが、それは激しく了解です、ちゃんと従ってるでしょ「イエス様ハンドリング」を公言して全力作業してるでしょ。僕は守護霊様の上手すぎる導きのおかげで霊的知識がまぁまぁ脳内に入っていますからその知識に照らし合わせて判断する事ができます。誰も導きに背きはしませんのでご心配なく…続きを読む→
「神に委ねてみませんか」これが実は到底承服できない最低最悪の意味なのです(祈)†■2022年8月24日UP■
「神に委ねてみませんか」これが実は到底承服できない最低最悪の意味なのです(祈)†
僕も神に反逆するほどバカではありません。ぜひ皆さまにも「インペレーターの霊訓」をお読み頂きたいですが、霊的知識を獲得しておきながら神の意に反する行いをした者がどういう状態にさせられるかをインペレーター霊が語っておられます。僕はその知識がありますのでそこまでバカな事をするつもりはありません。ただとにかく「物事には限度というモノがある」これを強調して終わりとさせて頂きます。キビシすぎ、苦難、試練を降らせすぎ、僕ひとりに何もかもやらせすぎ、本気でいい加減にしてくれ、という事です…続きを読む→
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†■2023年4月12日UP■
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†
そうそう、シルバーバーチ霊は「苦を苦と思わない段階まで霊格が向上すれば、苦難を味わわされても喜びしか湧き上がってこない」みたいな事を仰っています。さらに「ベールの彼方の生活」にも、上層界の天使たちが下層界の仕事に携わって大いに苦しい状態にさせられているのに笑顔になっているという記述があります。これは帰幽して十分に向上を果たし、俯瞰の視点で全体を眺められるポジションに立つ事ができて初めて到達できる精神状態だと思います。物質界生活中にこの精神状態に到達するのは、頭で知識としては理解する事ができても心の底から納得してそういう心境に到達するのはまず不可能と思われます。中にはそういう聖者のような方もいらっしゃるのかも知れませんが僕はデザインの人間ですのでそれはないです…続きを読む→

arnel-cross_prev

「ベールの彼方の生活4巻」のAffinityPublisherへのテキスト流し込みを開始していますが、お読みの方はご存じの事と思いますが、この4巻には存在しないフォントが登場するのです。こんな記号はWindowsにもMacにもありません。ですので「フォントを自作」する以外にこの4巻の書籍データを制作する方法はありません。

そこで以前の「バキュンフォント(伏せ字フォント)」制作経験が役立つ事になりました。どこで何が役に立つか分からないものです。こんな事になるとは想像もしてませんでしたが何とか書籍中の特殊記号をフォント化する事ができました。あとは印刷会社にデータアップロードする時にPDFに自作フォント「arnel-cross」を埋め込めばいいのです。

そして先日予定外の書籍を入手しましたが、こちらの書籍は聖書のニオイがプンプン漂ってくるのでどうにも読み進める気になれません困りました。買わなきゃよかったかも。とりあえずページのスキャンはしない事にします。他にやらねばならない作業が殺人的にありますので。

フゥゥ、何が何でも霊団への反逆(イヤでどうしようもないところからの脱出)を完成させようと徹底的にもがきまくっていますが、これだけ努力の限りを尽くしてもまさか一生閉じ込められるなんて事はないよな、そんな事は絶対にないよな。

絶対に脱出できると信じ切って復刊の作業をしています。とにかく有り得ない、これ以上閉じ込められるのだけは死んでも有り得ない。何としても脱出してみせます。そしていよいよ復刊に向けた殺人的事務作業に着手しなければなりませんが、チョト事情がありましてもう少し先になります。それまで書籍データを徹底的に作っておくのです。

イザ復刊可能となったら一気に5冊も10冊も復刊開始できる状態にしておくのです。もっともそんな甘いモノではなさそう、1冊ずつチマチマやる以外になさそうですが。あともうひとつ、以前少し書いていた事ですが僕が全然乗り気でないので全く着手していない「自伝書籍原稿の執筆」これをもう一度考えるべきと思うようになっています。

物質界に自分の履歴を残す事に全く何の興味もないのですが(帰幽したが最後、2度とこの陰湿極まる境涯に戻ってくるつもりはありませんので)しかし出版社設立という運びになるのであれば、そういう本の1冊も書かざるを得ないだろうなぁと思ったりします。

この自伝書籍の原稿の「設計図」だけは完成しているのですが、その設計図を見ただけでもうすべてがイヤになるのです。これ全部テキスト撃たないといけないのかよジョォォダンじゃネィよ、となってしまうのです。んんん、まぁ今は復刊用の書籍のデータ作成に集中しておきましょう。フォント作れるようになっておいてよかったぁぁ、というお話でした(祈)†
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†■2023年3月29日UP■
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†
解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」 – こうおっしゃる方があるかも知れません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何百年でなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。1つとして偶然というものが無いのです。偶発事故というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分るようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委(ゆだ)ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心を我が心とするのです…続きを読む→
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†■2023年3月22日UP■
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†
聖書には真実でない事がたくさん書かれています。人類史上最大の汚辱と言っても過言ではない「ニケーア会議」の時に様々なウソが聖書に書き加えられ、そのウソが世界中に広まっていき、イエス様の2000年の苦悩へとつながっていったのです。キリスト者はイエス様の御名を悪用して私腹を肥やす事を2000年にわたって続けてきました。特に中世ヨーロッパの暗黒時代が最悪で、キリスト教の要職についていた人間たちは、自分たちの地位、生活を守るために真実を公言する人間を徹底的に処刑してきました。キリスト教の人間が「主よ、主よ」とイエス様の御名を連呼する時、それはイエス様に対する最大級の侮辱であり、イエス様の悲しみをさらに増幅させ、積年の誤謬(ごびゅう)を払拭するどころかさらに加速させ続ける、イエス様をさらに十字架にかけ続ける許されざる呪いの行為となります。僕、たきざわ彰人からお願いしたい事としましては、間違いだらけの聖書を読むのはやめましょう。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした正真正銘の霊関連書籍に目を通すようにしましょう。そして教会に足を運ぶのもやめた方がイイでしょう…続きを読む→

1913年11月10日 月曜日

今この地上に立って見上げる私の目に、遥か上方まで、そして更にその向こうまでも、延々と天界が存在するのが見える。私はすでにそのうちの幾つかを通過し、今は第10界に属している。

これらの界は地上の“場所”とはいささか趣を異にし、そこに住む霊の生命と霊力の顕現した“状態”である。貴殿は既にこうした界層についてある程度の教示を受けている(第1巻・6章)ので、ここではそれについて述べる事は控えたい。

それよりも私は別の角度からその光と活動の世界へ貴殿の目を向けさせたいと思う。これよりそれに入る。善なるものには2つの方法によって物事を成就する力が潜在している。

善人は、地上の人間であれ霊界の者であれ、自分の内部の霊力によって、自分より下層界の者を引き上げる事ができる。現実にそうしているのであるが、同時に自分より上層界の者を引き下ろす事も可能である。祈りによっても出来るが、自分自身の霊力によっても出来るという事である。

さて、これは神の摂理と波長が合うからこそ可能である。と申すのも、神の創造した環境に自らを合わせる事が可能なだけ、それだけその環境を通して働く事ができる。つまり環境を活用して物事を成就する事が出来るという事である。

下層界を少し向上しただけの霊によってもそれは可能であり、その完成品がベールを通してインスピレーションの形で地上へ送り届けられた時、人間はその素晴しさに感心する。

例を挙げよう。こちらには地球の存在自体を支えるための要素を担当する霊と、地上に繁茂する植物を受け持つ霊とがいる。ここでは後者の働きの説明となる例を挙げてみる。即ち植物を担当する霊の働きである。

その霊団は強力な守護神の配下に置かれ、完全な秩序のもとに何段階にも亘って分担が存在する。その下には更に程度の低い存在が霊団の指揮のもとに、高い界で規定された法則に従って造化の仕事に携わっている。これがいわゆる妖精類(エレメンタル)で、その数も形態も無数である。

今述べた法則はその根源から遠ざかるにつれて複雑さを増すが、私が思うに、源流へ向けて遡(さかのぼ)れば遡るほど数が少なくそして単純となり、最後にその源に辿り着いた時は1つに統一されている事であろう。

その道を僅かに遡ったに過ぎない私としては、これまでに見聞きしたものに基いて論ずる他はないが、敢えて言わせて貰うならば、全ての法則と原理を生み出す根源の法則・原理は“愛”と呼ぶのがもっとも相応しいものではないかと思う。

何となれば、吾らの理解の及ぶかぎりにおいて、愛と統一とは全く同一ではないにしても、さして相違がないと思えるからである。少なくとも吾々がこれまでに発見した事は、私の属する界層を始めとして地上界へ至る全ての界層において数々の地域と各種の境涯が生じていくそもそもの原因は、最も厳密な意味における“愛”が何らかの形で欠如していく事にある。

が、この問題は今ここで論ずるには余りに困難が大きすぎる。と言うのは地上の環境に見る多様性の全てが、今述べた崩壊作用の所為(と私には思える)でありながら、尚かつ素晴しくそして美しいのは何故かを説明するのは極めて困難である。

それを愛の欠如という言い方をせず、統一性が1つ欠け2つ欠けして、次々と欠けて行くという言い方をすれば、統一性が多様性へと発展して行くとする吾々の哲学の一端を窺い知る事が出来るかも知れない。

こうした下層界の活動の全てが法則によって規制されているのであるが、それなりの枠内における自由はかなりの程度まで存在する。これ又吾々にとって魅力あることである。

何となれば、貴殿も同意することと思うが、その多様性に大いなる美が存在すると同時に、植物的生命を活動させる霊の巧みさにも大いなる美が存在するからである。

精霊界およびその上あたりの界を支配する法則には私に理解し難いものがまだまだ数多く存在する。中には理解し得るものもあるにはあるが、こんどはそれを言語で伝えることが至難のわざである。が少しばかり伝えることができるものがある。それ以上のことは貴殿自身こちらへ来てから、向上の道を歩みつつ学んで行ってもらうことになろう。

その1つは、一旦ある植物群の発達の計画を立てた以上は、その主要構成分子と本質的成分はあくまでも自然な発達のコースを辿らねばならないということである。群生する劣位種の影響もその不変の原則内に抑えなくてはならない。

たとえばカシの木が計画されると、あくまでもカシの木としての発達を遂げさせなくてはならない。亜種が発生することはあっても、カシとしての本性を失ったものであってはならない – シダになったり海草になったりしてはならないということである。この原則はこれまで大体において貫かれている。

もう1つの原則は、いかなる霊も他の部門の霊の働きに干渉し台無しにすることがあってはならないということである。足並みが揃わないことがあるかも知れない。現にしばしばそういうことがあるのであるが、なるべく一時的変異の範囲に留めるよう努力し、他種の発達を完全に無視することになってはならない。それは絶滅を意味することになるからである。

故に、同じ科の2つの植物を交配すると、雑種または混成種、あるいは変異種が出来るであろう。が別の科の植物と交配しようとしても成功しない。が、いずれにしても絶滅という結果にはならない。

また樹木に寄生植物がからみつくことがある。が、樹木はそれに抵抗し、そこに闘争が始まる。大抵の場合、樹木の方が傷(いた)められ敗北を喫する。が、簡単に敗けてはいない。

延々と闘いが続き、時には樹木の方が勝つこともある。が霊界において寄生植物の概念を発想し、そして実施した霊が大局においては競り勝っていることが認められる。

こうして植物の世界においても闘争が続けられているわけであるが、これをベールのこちら側から観察していると実に興味ぶかいものがある。

さて、ここで、さきに少し触れたことで貴殿には受け入れ難いとみたことについて述べておかねばならない。こうした生成造化における千変万化の活動の主な原則は全て私自身の界(第10界)よりなお高い界において、高い霊格と強力な霊力をもった神霊が、さらに高い界の神霊の指揮のもとに計画したものであり、その神霊も又更に高い界の神霊の支配下にあるということである。

私は今“千変万化”という言葉を用い“対立的”とは言わなかった。これは高い神霊界においては対立的関係というものが存在しないからである。存在するのは叡智の多様性であり、それが大自然の美事な多様性となって天界より下界へと下り、ついに人間の目に映じる物的自然となって顕現しているのである。

対立関係が生じるのは大源より発した叡智が自由意志をもつ無数の霊の存在する界層を通過する過程において弱められ、薄められ、屈折した界層においてのみである。

が、しかし、さまざまな容積を具え、幾つもの惑星を従えた星辰の世界を見てもらいたい。地球の自転と他の惑星の引力によって休みなく満ち引きする大海を見てほしい。また、その地表に押し寄せるエネルギーに反応してさらに重い流動体を動かすところの、より稀薄なエーテルの大気を見るがよい。

更には、無数の形体と色彩をもつ草、植物、樹木、花、昆虫類、さらに進化した小鳥や動物たちの絶え間ない活動 – 他の種属を餌食としながらも互いに絶滅しないように配慮され、各種属が地上での役目を全(まっと)うしていくその姿 –

こうしたことや他のもろもろの自然界のしくみに目をやる時、貴殿は創造神の配剤の妙に感嘆し、その感嘆は取りも直さずその配下の高い神霊の働きへの感嘆に他ならないことを認めずにはおれないであろう。

その神の御名において貴殿に祝福のあらんことを祈る。†

■2020年9月9日UP■
■アナログ絵304UP、ももちゃん、シルキーはフルートがだいぶ上達しました(祈)†
今回のストーリーではももちゃん、シルキーがフラーで「遠出」をしていますが、これは物質界では絶対に有り得ない事ですね。小さい女の子がふたりで遠くまでお出かけなんて絶対に有り得ません。これはクレスの境涯(上層界)だから可能な事であり、ももちゃん、シルキーはちゃんと高級霊の方々の管理下に置かれた状態でフラーを駆っているのであり、さらにはふたりの親代わりである霊体の僕が、ふたりにもしもの事があれば(もしもの事などありませんが)思念移動で瞬間的に駆けつける事ができますから(霊界に距離の概念はありません)ふたりの安全は確保されているという事になります…続きを読む→
■2021年5月21日UP■
「カスタム地獄」「法律突破」「ポリーチェ(POLICE)逮捕したい」全て同じ意味と思われます(祈)†
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に命令されて僕を大犯罪者に仕立て上げるウソストーリーを書いた弁護士だか何だかの人間が、僕の人間性を侮辱し、僕の公言内容が全てウソであるとメディアで語ったとして、皆さまお考え下さい。その強姦殺人魔に命令されてウソストーリーを書いた男は、僕に会った事もなければ一言も話をした事もありません。僕の普段の生活態度、仕事の勤務態度といったものを見た事もありません。僕という人間がどういう人間なのか全く知らない男が「たきざわ彰人はこういう人間である」と言うのです。皆さまは、僕本人が自分について長い長い年月にわたって書きまくっているブログテキストよりも、僕という人間を全く知らない人間が書いたホンの2~3行のテキストを信じるとおっしゃいますか。それは笑かしてくれますね…続きを読む→
「片手落ちというものがありません」あくまでも霊界側の視点でのお話です(祈)†■2022年6月1日UP■
「片手落ちというものがありません」あくまでも霊界側の視点でのお話です(祈)†
僕の物質界生活中に結果が出るとは言っていない、僕の帰幽後に霊界側が計画した通りの結果に到達する。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡も、僕の物質界生活中には達成できないとしても、僕の帰幽後にそのようになる。奴隷の女の子たちの救出も、僕の物質界生活中には実現できない、しかし女の子たちは強姦殺人されて以降に霊界で十分すぎる埋め合わせがあるのだから何も心配する必要はない。だいたいこういう意味でいいでしょう。大俯瞰的視点で永遠という時間の尺度で全体を眺めれば「素晴らしい結果に到達した」と言えるのでしょうが…続きを読む→