アナログ絵361

フラーが描けなくなってしまった事が僕の心に深い悲しみとしてのしかかりますが「絶版状態の霊関連書籍復刊」に向けた作業を続行させていく中で書籍表紙の絵を連発で描いています。この調子でガンガン書籍データ、表紙の絵をUPさせていくつもりでいますが、霊団は「復刊できない」みたいな事を言ってきます。

ホントにムカつきますが僕レベルでは作業続行させます。フラーの新規デザイン、フラーのストーリーもそろそろ復活させるかも知れません、特にストーリーは書籍にも使用するモノなので描かないといけません。

では「ベールの彼方の生活3巻」の巻末に掲載しました「復刊者コメント」を再び掲載させて頂きます。考えたくありませんが復刊が実現しなかったとしたらこのテキストは誰の目にも止まらないという事になってしまいますので先行でWordPressにUPさせる、という事です。

復刊者コメント

この3巻は僕の大好きな「暗黒界の探訪」が掲載されている巻となりますが、読み進めていくと霊媒オーエン氏の受信状態の悪さが現れている箇所が散見されて時々不快感が襲ってくる事もあります。

しかしこれは僕も経験がありまして、霊性発現(2012年6月)して以降、果てしなく霊的現象に浴させて頂き、霊団とコミュニケートしながら生活していますが、ハッキリ言ってムカつかされる事がたくさんあるんですよ。

何しろ霊界と物質界とではそもそも次元が違います。高次元のメッセージを低次元の境涯に届けようと思ったら、そこに様々なシチメンドクサイ変調の作業が発生し、それを受け取る物質界の霊媒(つまり僕)はイヤでもストレスのかかる状態にさせられます。

霊界側も仕事ですのでメッセージは届けねばならない、そこで僕が不愉快な状態だと分かっていても多少強引に降らせるべきものは降らせないといけなくて、受け取る僕はカチンとさせられる、そういう事がしょっちゅうあるのです。

ですので、オーエン氏の叙述が読み進めていく中で多少不愉快に思えたとしても、僕から皆さまにお伝えしたい事としましては「霊的仕事って往々にしてそういうものなんですよ、どうかご勘弁を。それより内容に集中しましょう」と言いたいところです。

さぁこの3巻の内容についても語りたい事がいろいろあるのですが、キリがありませんのでコチラ3つに絞らせて頂きます。「5章 生前と死後 2 一牧師の場合(127ページ)」「7章 善悪を超えて 3 苦の哲学(171ページ)」「8章 暗黒界の探訪(187ページ~)」ハイ、この3つについて所見を述べさせて頂きます。

まず「5章 生前と死後 2 一牧師の場合(127ページ)」ですが、物質界で牧師をしていた男がネインという女性の忠告を受けて1界(これはかなりの下層界です)に赴くというお話ですが、皆さまはこのお話を「あぁ、霊的な事を正しく理解していない牧師の没落ストーリーだな」といった感じに読まれる事と思います。

確かにその通りなのですが、どうかもう1レイヤー2レイヤー深いところまでお読み頂きたいのです。このネインという女性はわずか2、3歳で夭折した牧師の妹で、男はこの妹を大変可愛がっていたそうですが、霊格が低いこの男はその成人した姿の女性を自分の可愛がっていた妹だと気づく事ができません。

しかし1界で辛酸を味わい尽くし霊的向上を果たした暁にはこの男の霊の眼が開かれ、ネインが自分の妹だと気づく日が(男の様子からするとそれは相当先の話になりそうですが)来ます。必ず来ます。その時にこの男は「あぁ!あれほど愛した妹の事が分からずにいたなんて、自分は何という愚か者だったのだ!」みたいな感じになって大いに涙を流して反省し、そこからこの男の「向上ストーリー」が一気に加速する事になります。

この男がその心境になる頃にはネイン(妹)はさらにさらに高い境涯に向上しているでしょうから、共に暮らすとかそういう事はできませんが、時折ネインが男(兄)のところに降りてきて励ましの言葉を述べる事はあるでしょう。

それを受けてこの男はそれまでの勇気のない態度をようやく改め、試練に真正面から立ち向かって1歩1歩向上に励むようになる、という霊界上層界の高級霊(この場合は男の守護霊と言うべきかも知れません)が案出した「向上ストーリー」が読み取れませんか?いかがですか皆さま。

そしてこの男は間違いなく物質界に再降下する事になると思いますが、それも「自ら志願して」降下するように仕向けていく高級霊の作戦だと思うのです。【神】が経綸するこの全宇宙には厳然たる目的があり、それは僕などという男が語るのもどうかと思いますが【進化】の一言に尽きると思います。

進歩の遅いこの男のような人間も、永遠に下層界に閉じこもる事はない、いつかは自覚が芽生えて試練に自ら立ち向かうようになる、高級霊の叡智によってそのように「もっていかされている」という事なのです。霊的知識に精通しておられる皆さまにはぜひそこまで“深読み”して頂きたいと思うのです。

続いて「7章 善悪を超えて 3 苦の哲学(171ページ)」ですが、これはアーネル霊(リーダーの名前)が心地よい草原で座って瞑想していて、知らぬうちに草原に咲くお花ちゃんをおケツで潰してしまっていたというお話です。

皆さまはこのお話をきっと何でもなく受け取る事でしょうが、これは僕が現在やらされている苦難の使命遂行とも大いに関係がある深遠な内容なのです。

アーネル霊の守護霊と思われる男性が、その潰されたお花ちゃんが瞬く間に回復して元通りに咲き、自分がどこに座っていたかも分からなくなる、その霊的意味についてサラッとお話して下さっていますが、これは「“苦難”は永遠の人生の中のごく一瞬の出来事に過ぎない、受けた傷もすぐ回復する」という事を言っているのです。

僕は現在霊団によってやらされている使命遂行があまりにも過酷極まりない(というより自分の望まないところに延々閉じ込められている)ために、心の中が完全に霊団に対する怒り憎しみに包まれるに至ってしまっていますが、そんな僕に対して霊団が「ごく短い期間なんだよ」と言ってきた事がありました。(そのインスピレーションをブログで紹介したかな、どうだったかな。何しろ書いている量が尋常ではないので思い出し切れません)

で、霊団はそう言ってきますが僕にとっては“短い期間”なんてとんでもない、まだこの先10何年も最悪のところに閉じ込められるなんて絶対に有り得ない、死んでも脱出してやると思っているのですが、既に肉体を脱ぎ捨て、霊体をまとって永遠の進歩向上の人生を送っている霊界の人間にとっては、物質界での苦難の期間など「あっという間に過ぎ去って忘れてしまうもの」と思っているのでしょう。

おケツで潰されたお花ちゃんが何もなかったようにあっさり咲き直す様子と、アーネル霊がこれから赴く暗黒界で舐めさせられる辛酸は、どちらも苦難の渦中にあってはそうは思えなくても、過ぎ去ってしまえば一瞬の出来事であり、たちまち回復するものなのだ、だから全然気にする必要はないのだ、という事を言っているのでしょう。

これは肉体をまとって物質界人生を送っている状態で悟るのはほぼ不可能な精神的境地ではないかと僕は思うのです。その苦難を突破してまぁまぁの境涯に赴かせてもらって初めて「あぁよかった」という心境になれるのであって、苦しみの真っ最中にあぁよかったとはどうしてもなりません。

もっとも本編ではこのあと「イエス様の顕現」が展開され、僕などという男では説明できない深遠なストーリーとなっていますのでぜひ皆さまなりに意味をお考え頂きたいと思います。お花ちゃんがおケツで潰されてもすぐ咲き直すのと同じ原理で、苦難試練で受けた傷もすぐ回復する、という事ですね。

では最後に「8章 暗黒界の探訪(187ページ~)」のお話をさせて頂きますが、僕はこのストーリーが本当に大好きで、僕はWordPress上でストーリー(マンガ)を描いていますが、この暗黒界の探訪の中で紹介されているこちらのエピソード↓

「アーネル霊が暗黒界の門番(キャプテン)に手を触れて、キャプテンは苦しみ悶えるがアーネル霊は全く何のダメージもない、霊格の差から生じる力学のお話」これを参考にしたストーリーを描いたりもしています(アナログ絵346、347)それくらい気に入っているという事です。

アナログ絵347_2

もうひとつ「7 救出」の中で紹介されていますこちら↓

「地獄の底のボスがアーネル霊率いる霊団をだまして部屋に閉じ込めるが、アーネル霊たちは霊体の波長を上げて自分本来の状態に戻し、ラクラク壁を通過して部屋を出る、振動数の変化のお話」

これが実は僕の霊性発現ごく初期の頃「隔離フィールド内の聖戦」という、どの霊関連書籍にも全く同様の記述がない完全に未知の霊現象に晒されながら、結構長い期間にわたって苦しい生活を余儀なくさせられた事があるのですが、その「隔離フィールド」の原理の元ネタと言えるストーリーなのです。

日本の天皇一族、明仁、文仁、徳仁、悠仁は【強姦殺人魔】です。「死刑」にしましょう(祈)†

この隔離フィールドについては何しろ大昔の事ですので説明は割愛させて頂きます。というのもこの隔離フィールドにはチョトお話できない裏の事情がありまして、その内情はお話しないまま帰幽するつもりでいるのです。申し訳ありません(だったらこの話を持ち出さなければいいだろ、と思ったりもしますが…)

あと最後にひとつ、暗黒界の探訪を読み進めてつくづく思う事として、物質界で富豪になるとか、要職に就いて大金を稼ぐとか、そういう人生を送った人間はほぼ例外なく下層界に落ちるという事です。僕のこれまでのお勉強の経験から推察するに、これには例外はないと思っています。

とはいえ大金を稼いでいる人間の中にも善の人はいるのではないか、稼いだ金を善行に使用している人間もいるのではないか、と言う方もおられる事でしょう。僕も少しそう思います。しかし「イエスの少年時代」の中で少年期のイエス様が叔母のマリア・クローパスに「それはムズカシイ」と話しているシーンがあります。

財産を稼いだ人間はその財産を守る事で頭がイッパイになり、他人に善行を施す事をしない、という事のようですが、僕的にもうひとつ経験から思う事として、財産を稼ぐポジションに就くという事は「他人を虐げるポジションに就く」事を意味し、その稼いだ金で善行を施しても、そもそもその金を得るために多くの人間を虐げているのでそれで帳消しになるのでは、と思ったりもします。

この「暗黒界の探訪」のボスもそういう(慈善家のような)人間だったようです。それがこのザマ。醜さ、愚かさ、幼稚の究極形。これこそ全人類が知るべき霊的知識です。拡散の限りを尽くさねばならないと心底思っています。

【神の因果律】はこの全宇宙を支配する絶対無二の法則です。犠牲と奉仕の人生を送った者には霊的褒章が、私利私欲に走り他人を虐げた者には反省の境涯が寸分の狂いもなく与えられるのです。物質界の法律は不完全であり幾度となく改正されますが、神の因果律は完璧であり間違いという事が絶対にありません。

その完璧な神の法則に従って生きる方が帰幽後の自分の人生を明るいモノにする事ができるのは至極当然、人生のプライオリティを間違わないために霊的知識のお勉強、理解が必須なのです。ですので霊関連書籍の復刊は意味があると自分に言い聞かせて苦しい作業を続行しているのです(祈)†

2024年3月1日
山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(祈)†

たきざわ彰人ブログ(2024年3月時点で1250日以上連続更新中)
akito-takizawa.com/

※オマケ – ハイ、今回は「ヨハネ氏」を表紙に描かせて頂きました。僕はイエス様の顕現には多数浴させて頂いていますが、ヨハネ氏の顕現にも数回浴させて頂いているのです。が、僕はヨハネ氏がどういうお顔の方であったのか全く知りません。

で、ググってダ・ヴィンチ先生(レオナルド、ダヴィンチ氏)が描かれたヨハネ氏の肖像画を見て、それを参考にして僕の画風でキャラキャラした感じのヨハネ氏を描いたのです。するとその後、トランス時にあるリアルなお顔の顕現があり、それが誰だか分からずにしばらく考えていたのですが「あ!僕が描いたヨハネ氏の顔に似てる!」と分かった、という事がありました。これがヨハネ氏の最初の顕現でした。

つまり僕に見せてきたそのお顔はヨハネ氏本来のお顔ではなく、僕に「自分がヨハネ」である事を分からせるためにわざと僕が描いた絵に似せて顕現した、という事だったのです。それ以来ずっとその顕現の際のヨハネ氏を思い出して描き続けているのです。それがヨハネ氏ご本人とは似つかなくても、他に描きようがないためそのようにしているのです。

そのヨハネ氏がなぜ僕に何度も顕現して下さっているのか、その「意味」が光栄至極であり、反逆の限りを尽くしている僕にはその資格が全くないと思っているのですが、ヨハネ氏と言えば「イエス様の一番弟子」でありイエス様にもっとも愛された弟子です。

つまり「イエス様の怒涛の連続顕現」を受けて(泣く泣くとはいえ)イエス様のご意志を遂行する人生を選び「イエス様ハンドリング」と称して霊的使命遂行を開始した僕が「イエス様に喜んで頂けている」という意味を込めた「ヨハネ氏の顕現」だったのです。(※初期の頃、イエス様に「友よ」と言われた事もありました)これは物質界に籍を置く人間にとって光栄の究極形と言えるのではないでしょうか。

ただし、それは霊性発現初期の頃のお話です。現在の僕は霊団に対して本気で怒り憎しみの感情を抱いており、人生の全てをかけて反逆していますので、現在はイエス様にお喜び頂いているという事は100%ないと断言していいでしょう。

しかしお喜び頂けていないとしても、怒涛の連続顕現でイエス様と交わした「男と男の鉄の約束」がありますので、導きの方向性に究極にムカつかされていても使命遂行だけはやりきるつもりでいるのです。

現在怒涛におこなっている「絶版状態の霊関連書籍の復刊」の作業も、イエス様と交わした約束を果たし切る作業の一環(霊的知識普及)という事になります。

僕としては「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出はどうなっちゃったんだよと言いたいのですが、そちらはもう全くやる気がないようなのです。だったら僕の11年およびDreamwork(画家の人生)を返してくれと本気で言いたいのですが、とにかく僕は殺されるのでそっちに行かせないようにしているという事のようなのです。

最悪、ホントに最悪。人生をブチ壊されるだけブチ壊されて全く物的肉眼に映じる結果に到達していません。あげくの果てにイヤでイヤでどうしようもないところに延々閉じ込められている。これでムカつくなという方がムリな話なのです。っとと、グチはここまでにしましょう。イヤ、グチではなくて真実ですけどね(祈)†


復刊者 山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(アキト)

元画家、漫画家。果てしない山へのアタックおよび高負荷の画家作品描画によって霊性発現となりました(2012年6月)イエス様の怒涛の連続顕現(2013年4月)に浴させて頂き、イエス様のご意志に従い霊的知識普及の使命遂行中です。イエス様ハンドリング(霊の導きに従う)により「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の存在を公言し続け、休みなく情報拡散を続けて現在に至る(祈)†

テキストさえそろっていれば、それをAffinityPublisherに流し込んで書籍のカタチに作り込んでいく作業はだいぶ早くできるようになりましたが、問題は「精度」で、今回の3巻には複数の(ごく小さいちょっとした事といえばそれまでかも知れませんが)データ上のミスがあります。しかしそこさえ直せば復刊本番用データとして申し分ないでしょう。

しかし、僕は何が何でも復刊を実現させるつもりでこのように怒涛の作業をしてますが、霊団は「作れない」つまり復刊は実現しない、と意味を受け取れる事を言ってきます。霊的知識普及の一環として復刊を実現させようとしてるのにそれを支援しないって…一体あんたたちの仕事は何だというのか。

ベールの彼方の生活4巻の表紙の線画完成中スキャン完了中、これからAffinityPhoto上でゴミ取りに入ります。霊団は心のかけらもない事を平然と言ってきやがるけど僕は1歩も止まるつもりはない。とにかく霊団のやってくる事言ってくる事、どれもこれも首をかしげる事ばかり。

やるべき作業は一生かかってもやりきれないほどある。が、霊団が言うには僕は間もなく帰幽だそうだからもう時間がない事になる。だとしても最後の1秒まで全力を出し切るぞ。今できる事を全部やるんだ(祈)†

■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†
永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう…続きを読む→
■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†
ご母堂の言葉で僕が特に気に入っているのは「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」(29ページ)という部分で、僕は霊性発現とともに使命遂行人生に突入させられ、人生を完全に破壊されて最悪の状態に閉じ込められ続けている関係で霊団を心の底から激しく憎んでおり、本当の本気で反逆しまくっていますが、その破壊された人生も「その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になる」の言葉のように、最終的には全て佳きようにおさまるのでしょう。使命遂行を最後までやり切れば、の話ですが。あともうひとつ、ご母堂の言葉で僕の胸に突き刺さるものとして「確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。」(72ページ)というものもあります。これはオーエン氏が教会長老から弾圧を受けて弱気になっていた事を受けて「勇気をもってこの使命に邁進(まいしん)しなさい」と、言わば母が息子の“おケツをひっぱたいた”という事だと思うのですが、イヤー僕もこういう母に恵まれたかったですね。っとと、僕には“真実の母”守護霊様がいましたね。僕の性格は守護霊様のデザインであり、現在このような使命遂行人生が送れるのも(苦しい事イヤな事ばかりで全然うれしくも何ともありませんが)守護霊様が“導きのプロ”だったおかげです…続きを読む→
■アナログ絵360「ベールの彼方の生活2巻」復刊書籍表紙UP。どうしても復刊できない(祈)†■2024年2月14日UP■
■アナログ絵360「ベールの彼方の生活2巻」復刊書籍表紙UP。どうしても復刊できない(祈)†
「ヨーロッパの妖精物語と東洋の魔法の物語」こちらは現代の人間にも広く知られているモチーフですよね。RPGゲーム等でよくみられる「剣と魔法のファンタジー」の世界観です。ファイ〇ルファン〇ジー等で多くの方がこのモチーフに親しんでいますが、この世界観も元はといえば過去の霊能者が見せてきた霊現象が元ネタなのだそうです。その霊能者の最大の人物がもちろん聖書に登場するイエス様、という事になります。RPGゲーム等で遊んでいる方がたくさんいらっしゃる事と思いますが、その時に頭のホンのかたすみにでも「あぁ、この剣と魔法の世界観は霊現象が元ネタなんだよなぁ」と思い出してもらえると、そして少しでも霊的なモノに興味を持ってもらえると僕的にはうれしいのですがどうでしょう。もっとも、歪められ具合がタダ事ではありません、長い世紀にわたって霊的な事を理解していない人間たちの手によって実際の霊的事象とは似ても似つかない物的商売臭の漂う世界観に完全に書き換えられてしまっており、もはや全く別物と言った方がいいのでしょう。「人間は本来が霊であり肉体はタダの衣服に過ぎない」という霊的真理などは完全に抜け落ちて形骸すら残っていません。だからこそ絶版状態の霊関連書籍の復刊が急務だと僕は思っているのですが……続きを読む→

1913年11月19日 水曜日

そういう次第であるから、私が語る言葉は多くの者にとって受け入れ難いものであろう。が、このことだけは知っておいてほしい。キリストの祭日には東からも西からも大勢の信者がキリストの神性の真相を知らぬまま参列する。

が、その人間的優しさと愛ゆえにキリストに愛を捧げる。少なくともそこまでは理解できるからである。が、その神性の本質を理解する者は1人としていない。そこでこれより話題を変えて、まず肉体に宿る人間がキリストによって示された向上の道を歩む上において心すべきことを取り挙げてみよう。

何よりもまず人間は“愛する”ことが出来なければならない。これが第一に心がけるべきことであり、また最大のものである。難かしいのはこれを持続することである。互いに愛し合うべきであると言えば、誰しもその通りであると言う。

が、これを行為で示す段階に至ると、悲しいかな、能書き通りには行かない。しかし、愛なくしてはこの宇宙は存続し得ず、崩壊と破滅の道を歩むであろう。宇宙が今あるべき姿に保ち続けているのは神の愛あればこそである。その愛は、求める者ならば至るところに見出すことが出来る。

物事を理解する最上の方法はその対照を求めることである。愛の対照は崩壊である。なぜなら、崩壊は愛の行使の停止から生じるからである。憎しみも愛の対照である。もっとも、本質的には対立したものではない。憎しみは往々にして愛の表現を誤ったものに過ぎないからである。

人間についていえることはそのまま教義や動機についても言える。他の主義・主張を嫌うその反動で1つの主義に傾倒するという者が数多くいるものである。愚かしくもあり誤ってもいるが、必ずしも悪とは言えない。

が、人間は他を憎む時、憎むが故に愛することが出来ないことになり、ついには何ものをも愛することが出来ないことになることを知らねばならない。これが実はこちらの世界での面倒を増幅するタネの1つなのである。

と申すのは、誰しも憎まずして全てを愛することが出来るようにならぬかぎり、愛がすなわち光を意味するこの世界においての進歩は望めず、愛することを知らぬ者は暗き世界において道を見失い、その多くが身も魂も精気を失くし、ついには真理の鑑識力までが外界と同じくもうろうとしてくるのである。

一方には1つ1つの石材までが光輝を放つ“天界の住処(すみか)”が無数に存在し、あたり一円、はるか遠き彼方まで光を放っている。その光はそこに住む者の愛の純粋さが生み出すのである。

– そうした住居と、そこに住む人々について具体的にお教えねがえませんか。その方が一般的な叙述より判り易いと思うのですが。

それは容易なことではない。その困難さはいずれこちらへ来れば判る。たとえ要求に応じても、貴殿が得るものは結果的には真実からずれる – 少なくとも不適切なものになる。そのこともいずれ理解が行くことと思う。

が、たっての要求とあらば、何とか説明してみよう。何か特別に叙述してほしいことがあれば申すがよい。

– では、あなたご自身の住いから。

第10界においては低級界に存在しない事情、とくに地上ではまったく見られぬ事情がある。たとえ貴殿をその10界まで案内したところで、貴殿の目には何も映らぬであろう。霊的状態がその界の状態にそぐわないからである。せいぜい見えるのはモヤの如き光 – それもその界のどの地域であるかによって程度が異る。

9界そして8界と下ればより多くのものが見えるであろうが、やはり全ては見られない。しかも、目に映したものをすみずみまで理解することは出来ないであろう。

かりに1匹の魚を水を盛ったガラスの器に入れて町中を案内したとしよう。その魚には、まず第一にどれだけのものが見え、第二にそれがどれだけ理解できるであろうか。思うに、魚にはその住処 – 水つまり魚本来の環境からせいぜい2、3インチ先しか見えないであろう。

貴殿の顔を魚に見える位置に持って行き、次に手を見せてやるがよい。魚にはその2つの物がどう映るであろうか。人間が吾らの界へ来た時もそれと同じである。内在する霊的能力を活性化し、楽に使用できるようになるには、ただ“鍛錬”あるのみである。

さて、話をさらに進めて、たとえばその魚にウエストミンスター寺院を説明するとなったらどうするか。村の教会でもよい。それを魚の言語で説明しなければならない。その話を聞いた魚が貴殿の言うことが不合理であると言ったところで、それは魚の能力の限界のために貴殿の思うに任せぬからに過ぎない。

もし村の教会やウエストミンスター寺院のようなものがあるわけがないと魚が言ったところで、それは貴殿の説明がまずいのではなく、魚の方の理解力に原因があることをどうすれば納得させることが出来るであろうか。

が、たつての要望であれば、これより私の住居、私の寛ぎの場について出来るだけの説明を試みてみよう。が、終わってみれば多分貴殿はもっと何とかならなかったものかと思うであろうし、いっそのこと何も語らずにいた方が良かったということになるかも知れない。

吾らが住居を建立している国は数多くの区域にまたがっており、それぞれの区域からはその特質を示す無数の色彩が発散され、それが私と共に住む者たちの霊性とほぼ完全に一致している。

それらの色彩のほとんどは貴殿の知らぬものばかりであるが、地上の色彩も全て含まれており、それが無限と言えるほどの組み合せと色調をもっている。吾らが携わるその時その時の仕事によって調和の仕方が異り、それが大気に反映する。

また吾らの界へ届けられるさまざまな思念と願望に対してもその住居が反応を示す。それには下層界からの祈りの念もあれば上層界からの援助の念もあり、その最下層に地上界が存在する。

音楽も放送される。必ずしも口を使うとは限らない。大ていは心から直接的に放送し、それ近隣の家々に反響する。これも吾らによる活性化の一端である。周囲の樹木、花等の全ての植物もその影響を受け、反応を示す。かくて色彩と音楽という本来生命のない存在が吾らの生命力を受けて意識に反響することになる。
家屋の形は4角である。が、壁は4つだけではなく、また壁と壁とが向き合っているのでもない。すべてが融合し、また内と外とが壁を通して混り合っている。壁は保護のためにあるのではなく、他に数々の目的がある。

その1つはバイブレーションの統一のため、つまり吾らの援助を必要とし又その要請のあった地域へ意念を集中する時に役立てる。かくて吾々は地上からの祈りにも応えて意念を地上へ送り、他のもろもろの手段を講じて援助を授けることになる。

同じく上層界からの意念が吾々の界へ届けられ、それが吾々の家屋をはじめとして他に用意した幾つかの作用によって吾々の感覚に反応するものに変えられ、それを手段として高級神霊との連絡を取り、吾々を悩ませる問題についての指導を受けることもある。

更には、反対に下層界から使命を帯びて吾々の界へ訪れる者にこの界の環境条件に慣れさせ、滞在中の難儀を軽減するために霊力を特別に授ける時にも、この家屋を使用する。また吾々と話を交わし、吾々の姿を見せ、声を聞くことが出来るようにしてあげるのにも、その家屋に具わっている作用が活用される。それなくしては彼らは使命が全う出来ないのである。

私の家を外部より眺めた様子を、地上に近い界の1住民による叙述によって紹介しよう。彼は私の家を見た時に“隠し得ぬ光に包まれし丘上の都”(マタイ5・14)という言葉を思い出したという。

見た時の位置は遥か遠くであったが、その光に思わず立ち止まり地面へ降下した。(そこまで空中を飛行していたのである)そこで暫し彼は目を覆った。それから徐々に遠くに輝くその建物が見えるようになったのであった。

例の塔(第1巻参照)も見えたが、その青い光があまりに強烈で、どこまで光輝が届いているか見分けがつかなかったという。天上へ向けて限りなく伸びているかに思えたのである。それから例のドームも – 赤色のもあれば黄金色のもある – その光輝があまりに眩しく、どこで終わっているのか、その全体の規模を見ることが出来なかった。

門も外壁も同じく銀色、青、赤、すみれ色に映え、眩(まばゆ)いばかりの光で丘全体と周囲の森を覆いつくし、それを見た彼は、そこへいかにして入りそして無事その光に焼き尽くされずに戻れるだろうかと思ったとのことであった。

が、吾らにはすでにその者の姿が見えていた。そこで使いの者を派遣して然るべき処置を施させたのであった。無事使命を終えて吾らに別れの挨拶をしに見えたとき彼はこう述べた。

「今お別れするに当たって私の心に1つの考えがつきまとっています。それは、私が戻れば仲間の者から私が訪れた都はいかなるところであったかと聞かれることでしょうが、一たん自分の本来の界層に帰り、再び元の限りある能力での生活に戻ったとき、この光栄をどう語ればよかろうかということでございます。」

私は答えた。「これ以後、あなたは2度と曽てのあなたに戻ることはないでしょう。何となればあなたの中にこの界の光と感受性とがいくらかでも残るはずだからです。あなたの記憶に残るものは仲間に告げるものより遥かに大きいことでしょう。

なぜなら、たとえ告げても理解してもらえないでしょうし、告げようとすればこの界の言語を使用せざるを得ないからです。それ故あなたは彼らにこう告げられるがよろしい – より一層の向上に鋭意努力することです。そうすれば自ら訪れて、語ってもらえないものを自ら見ることが出来るでしょう、と。」

聞き終ると、彼は大いなる喜びのうちにこの界をあとにした。同じことがいずれ貴殿の身の上にも訪れる日が来るであろう。彼に告げた最後の言葉をここで貴殿にも与えることにしよう。†

「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†■2024年1月3日UP■
「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†
「霊的知識普及のための客寄せパンダ」というもので、霊団は試練の境涯である物質界から苦難の元凶(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁)を取り除く事はしない。取り除いてしまったら物質界の存在意義(刑務所としての機能)が果たせなくなってしまうので邪悪は残し続けるが、霊的知識拡散のための「客寄せパンダ」としてこの強姦殺人魔どもを最大活用した、という事なのではないか。さらに言うと「神の因果律」の一環として、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらに徹底的に恥をかかせるという目的も含まれていたのではないかと僕は思っているのです。僕はこのバカヤロウどもはインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」でイイと思っていますが霊界上層界の方々はそうは思っていなくて、何とかコイツらに反省させて進歩向上の糸口をつかませようとしているのかも知れない、それで大恥をかかせて心変わりをさせようとしているのかも知れない、なんて思ってみたりもするのです。そんなムダな努力する必要ネィだろ、コイツら(明仁、文仁、徳仁、悠仁)は絶対反省なんかできネィよ、人間失格なんだよ、霊の海に埋没して存在消滅すればイイんだよ(地獄より下という事)と僕は思うのですが上層界の方々は憐れみをもって眺めますのでそういう視点なのかも知れない…続きを読む→
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†■2023年12月27日UP■
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†
霊的知識を獲得した人は、宜しくないおこないをして帰幽した先にどれだけの地獄が待ち受けているかを知っているので自動的に悪行にブレーキがかかるのです。シルバーバーチ霊も仰っていますように、邪悪な人間というのは霊的成長における「幼児」であり、霊的知識が全く頭に入っていないワガママのお子ちゃまであり、物的金銭を人より多く所有する事でしか自己表現ができない原初的人間という事になるのです。金銭など帰幽後、1円も霊界に持って行けません。そして霊界生活にお金など必要ありません。必要なものは全て思念で拵える事ができます。物質界生活中にお金をため込んでも自分の未来にとって全く無意味という事を悟れていない人間という事なのです。人間は本来が霊であり、その霊が修行のために一時的にトレーニングセンターである物質界に肉体という鈍重な衣服をまとって降下しているのであり、そのトレーニングセンターでのおこないが帰幽後の生活環境、霊界にて赴く境涯を高くしたり低くしたりするという霊的知識の基本中の基本さえ知らない人間が、その無知から邪悪なおこないをするのです…続きを読む→
「地上とのつながりがすでに無くなっていた」これは僕への最大級の脅し文句です(祈)†■2023年12月20日UP■
「地上とのつながりがすでに無くなっていた」これは僕への最大級の脅し文句です(祈)†
僕の予測ですが(これが正解だと思ってます、最悪の正解ですが)霊界側はもう何もしない、このまま僕を閉じ込め続ける事だけを考えている、交霊会も実は全然やる気がないのではないか、という気さえしています。事実全然やってないじゃないですか。インスピレーションだけを徹底的に降らせて、あとは僕にテキスト撃たせて拡散させる、それが霊界側としてはいちばんカンタン、ラク、消費パワーが少なくて済む、物質圏付近に降下する犠牲的作業をせずに済む、その霊界側にとって犠牲の少ない方法(インスピレーションのテキスト化)で十分に成果を上げているので、それで霊団は「ラクだから大好き大好き♪」とムカつく事を言ってくるのではないか、などと思ったりもするのです。霊界高級霊の方々が犠牲的降下をせずにインスピレーションという霊にとってのごく自然かつ通常の通信方法で仕事をおこなえる僕という「霊の道具」をできるだけ長く物質界に閉じ込めておケツひっぱたいてこき使うつもり、これが霊団側の真相なのではないか…続きを読む→