幽体離脱から帰還してしばらくトランスの維持が続いて、その時にアレコレインスピレーションが降ってくるというのがだいたいのパターンなのですが、もうそれが全くなく、ただ目覚ましの音で目が覚めるという状態になっています。まるっきり霊性発現前の状態です。なら僕はなぜ霊力に感応できるようになったというのか。

霊団が完全に仕事やる気ゼロの態度を示しています。ここまでハッキリしているのですから僕としても動かないといけないのですが、これがどうしてどうして。どう動こうとしても閉じ込められるという事になってしまうのです。完全に霊団のワナにハメられて身動きが取れなくなっていて、それで霊団が「もう我々の目的は達成している」とばかりに静観している状態なのです。

「ベールの彼方の生活2巻」表紙のカラーリング完了しています。AffinityPhotoのアドオンを多用しての描画で描くのが異常に速いのです。最終校正90%完成中。間もなく終わりますのでそちらも急いで、あとは「復刊者コメント」を撃って印刷テストにもつれ込みます。

さぁ復刊ができない。同人で出してしまおうかという気持ちになりかけていますが、それでは流通できない、脱出できない、完全に霊団の術中にハメられている状態となり、脱出につながる手法を取らないといけないのですがどうしようもない状態なのです。

30年僕を閉じ込めるつもりか、それをただ盲目的に受け入れる訳がネィだろ、全力で反逆するに決まってるだろ。絶対に脱出をあきらめない。何としても考える。まずはベールの彼方の生活2巻の書籍データの完成を急ぎましょう(祈)†

全力作業中ですが、書籍データをこうして何冊も作っていってもちっとも脱出につながらないし出版社設立にもつながらない。不毛感が尋常ではありませんが、そう言って手を止めたら元も子もないんです。クリエイティブの作業ってそういう事なんです。苦しくても首をかしげてもアウトプットしないと何の意味もないんです。

しかし描くからには結果が見えてきて欲しい、それも僕が望む結果であって欲しい、でなければやってられないでしょ。霊団のやる気のなさがさらに顕著になってきてまして、実は先ほど久々に「自動書記テスト(トランス)」を敢行したのですが、その時に霊団が「終わり終わり」言ってきやがる。霊聴にピーチクパーチクしゃべくってくるんじゃなくてペンもってる手を動かして文章を綴れよ。

やはり僕の霊媒発動はない、特に霊言霊媒としての発動はない(サークルメンバー問題が絶対に解決できないため)そう思ったので、もう新規の霊言を降らせる方法はやはり自動書記しかない、そう思ってトランスを再開したのですがこのザマ。復刊だけでは出版社設立はキビシイ、新規の霊言がコンスタントに降ってくる状況にならなければたぶんムリ、そう思って練習再開したのですが全然ダメ。

2巻表紙、急ピッチで塗り進めてます、次の山のアタック前にはUPできるかも知れません。で、本文の最終校正がまだ少し残ってますのでそちらにケリをつけて、あとは「復刊者コメント」を撃てば書籍データの完成、再び印刷テストにもつれ込みます。

こうやって手元に復刊書籍が次々と増えてきますが一向に流通できない。何がどうなってるんだ、この人生、どれだけ努力しても全く何の結果も見えてこない、この11年は一体なんだったんだ。あげくの果てに仕事の本体のはずの霊団がやる気ゼロときてやがる。指揮官が仕事ホッポラカシたら最下層兵士はどう闘えって言うんだよ。指揮命令系統の敵前逃亡は許さぬ。責任感のかけらもないというのかあんたたちには。

何とか僕レベルで脱出を実現させられないか。霊団の呪いを突破できないか。一生閉じ込められるという選択肢は僕の人生にはない。脱出するか死ぬか、ふたつにひとつであり閉じ込められ続けながら生きるのは絶対にない。絶対に絶対にない。ベール2巻の印刷テストを急ぎましょう(祈)†
「許してくれ」霊団が自分たちの導きの失敗を完全に認めた一言となります(祈)†■2023年5月24日UP■
「許してくれ」霊団が自分たちの導きの失敗を完全に認めた一言となります(祈)†
「泣きっ面にハチ」これが僕の霊的使命遂行をもっとも正確に表した言葉ではないでしょうか。なぜDreamworkをやめさせられてこんな最悪な人生をやらされなければならなかったのか、その理由について何ひとつ納得のいく回答は霊団から降ってきません。つまり説明できないからです「行き当たりバッタリ」だったからです。で、霊界側として完全に予定外だった少年(僕)に、誰もやってくれない仕事(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁邪悪の正体の情報拡散)を押し付けてやらせてはみたものの、そもそも行き当たりバッタリで始めた仕事だったので(無計画だったので)僕の暗殺を回避するので精一杯で全然事態を進展させる事ができないまま時間だけが流れていった…続きを読む→

1913年10月23日 木曜日

天界における向上進化の仕組みは実に細かく入り組んでおり、いかに些細な要素も見逃さないようになっておりますから、それを細かく説明していったらおそらくうんざりなさる事でしょう。ですがここで1つだけ実例を挙げて昨晩の通信の終りで述べた事を補足説明しておきたいと思います。

最近の事ですが、また1人の女性が暗黒界から例の“橋”に到着するという連絡を受け、私ともう1人の仲間2人で迎えに行かされた事がありました。急いで行ってみますと、件(くだん)の女性が既に待っておりました。1人ぽっちです。

実はそこまで連れて来た人たちがその女性に瞑想と反省の時を与えるためにわざと1人にしておいたのです。これからの向上にとってそれが大切なのです。1本の樹木の下の芝生の坂にしゃがんでおり、その木の枝が天蓋(てんがい)のようにその方を覆っております。見ると目を閉じておられます。

私たちはその前に立って静かに待っておりました。やがて目を開けると怪訝(けげん)そうな顔で私たちを見つめました。でも何もしゃべらないので私から「お姉さま!」と呼びかけてみました。女性は戸惑った表情で私たちを見つめていましたが、そのうち目に涙をいっぱい浮かべ、両手で顔を覆い、膝に押し当ててさめざめと泣くのでした。

そこで私は近づいて頭の上に手を置き「あなたは私たちと姉妹になられたのですよ。私たちは泣かないのですから、あなたも泣いてはいけません」と言いました。「私が誰でどんな人間か、どうしてお判りになるのでしょう」 – その方は顔を上げてそう言い、しきりに涙をこらえようとしておりましたが、その言葉の響きにはまだどこか、ちょっぴり私たちに対する反撥心がありました。

「どなたかは存じませんが、どんな方であるかは存じ上げております。あなたはずっと父なる神の子の1人でいらっしゃるし、従って私たちと姉妹でもありました。今ではもっと広い意味で私たちと姉妹になったのです。

それ以外の事はあなたの心掛け1つに掛かっております。つまり父なる神の光の方へ向かう人となるか、それともそれが辛くて再びあの“橋”を渡って戻っていく人となるかは、あなたご自身で判断を下される事です」

と私が述べると暫く黙って考えてから「決断する勇気がありません。どこもここも怖いのです」と言いました。「でもどちらかを選ばなくてはなりません。このままここに留まる訳には行きません。私たちと一緒に向上への道を歩みましょう。そうしましょうね。私たちが姉妹としての援助の手をお貸しして道中ずっと付き添いますから」

「ああ、あなたはこの先がどんなところなのかをどこまでご存知なのでしょう」 – その声には苦悶の響きがありました。「今まで居たところでも私の事をみんな姉妹のように呼んでくれました。私を侮っていたのです。姉妹どころか反対に汚名と苦痛の限りを私に浴びせました。

ああ、思い出したくありません。思い出すだけで気が狂いそうです。と言って、この私が向上の道を選ぶなんて、これからどうしてよいか判りません。私はもう汚れ切り堕落しきったダメな女です」その様子を見て私は容易ならざるものを感じ、その方法を断念しました。

そして彼女にこういう主旨の事を言いました – 当分はそうした苦しい体験を忘れる事に専念しなさい。そのあと私たちも協力して新しい仕事と真剣に取り組めるようになるまで頑張りましょう、と。彼女にとってそれが大変辛く厳しい修行となるであろう事は容易に想像できました。

でも向上の道は1つしかないのです。何1つ繕(つくろ)う事が出来ないのです。全ての事 – 現在までの1つ1つの行為、1つ1つの言葉が、あるがままに映し出され評価されるのです。神の公正と愛が成就されるのです。それが向上の道であり、それしかないのです。

がその婦人の場合は、それに耐える力が付くまで休息を与えなければならないと判断し、私たちは彼女を励ましてその場から連れ出しました。さて道すがら彼女はしきりに辺りを見回しては、あれは何かとか、この先にどんなところがあるかとか、これから行くホームはどんなところかとか、いろいろと尋ねました。

私たちは彼女に理解できる範囲の事を教えてあげました。その地方一帯を治めておられる女性天使の事、そしてその配下で働いている霊団の事等を話して聞かせました。その話の途中の事です。彼女は急に足を止めて、これ以上先へ行けそうにないと言い出しました。

“なぜ?お疲れになりましたか”と聞くと“いえ、怖いのです”と答えます。私たちは婦人の心に何かがあると感じました。しかし実際にそれが何であるかはよく判りません。何か私たちに掴みどころのないものがあるのです。

そこで私たちは婦人にもっと身の上について話してくれるようお願いしたところ、ついに秘密を引き出す事に成功しました。それはこういう事だったようです。

“橋”の向こう側の遠い暗闇の中で助けを求める叫び声を聞いた時、待機していた男性の天使がその方角へ霊の光を向け、すぐに援助の者を差し向けました。行ってみると悪臭を放つ汚れた熱い小川の岸にその女性が気を失って倒れておりました。

それを抱きかかえて橋のたもとの門楼まで連れて来ました。そこで手厚く介抱し、意識を取り戻してから、橋を渡って私たちが迎えに出た場所まで連れて来たという訳です。さて、救助に赴いた方が岸辺に彼女を発見した時の事です。

気がついたその女性は辺りに誰かがいる気配を感じましたが姿が見えません。とっさに彼女はそれまで彼女をいじめにいじめていた悪(わる)の仲間と思い込み、大声で「さわらないで!こん畜生!」と罵(ののし)りました。が次に気が付いた時は門楼の中に居たというのです。

彼女が私たちと歩いている最中に急に足を止めたのは、ふとその事が蘇(よみがえ)ったからでした。彼女は神の使者に呪いの言葉を浴びせた訳です。自分の言葉が余りに酷かったので光を見るのが怖くなったのです。実際は誰に向って罵ったか自分でも判りません。

しかし誰に向けようと呪いは呪いです。そしてそれが彼女の心に重くのしかかっていたのです。私たちは相談した結果これはすぐにでも引き返すべきだという結論に達しました。つまりこの女性には他にも数々の罪はあるにしても、それは後回しに出来る。

それよりも今回の罪はこの光と愛の世界の聖霊に対する罪であり、それが償われない限り本人の心が安まらないであろうし、私たちがどう努力しても効果はないと見たのです。そこで私たちは彼女を連れて引き返し“橋”を渡って門楼のところまで来ました。

彼女を救出に行かれた件(くだん)の天使に会うと、彼女は赦(ゆる)しを請い、そして赦されました。実はその天使は私たちがこうして引き返してくるのを待っておられたのです。

私たちより遥かに進化された霊格の高い方で、従って叡智に長(た)け、彼女がいずれ戻って来ずにいられなくなる事を洞察しておられたのです。ですから私たちが来るのを門楼からずっと見ておられ、到着するとすぐ出て来られました。

その優しいお顔つきと笑顔を見て、その女性もすぐにこの方だと直感し、跪いて祝福を頂いたのでした。今夜の話にはドラマチックなところは無いかも知れません。が、この話を持ち出したのは、こちらでは一見何でもなさそうに思える事でもきちんと片付けなければならないようになっている事を明らかにしたかったからです。

実際私には何か私たちの理解を超えた偉大な知性が四六時中私たちを支配しているように思えるのです。あのお気の毒な罪深い女性が向上していく上において、あんな些細(ささい)な事でもきちんと償わねばならなかったという話がそれを証明しております。

“橋”を渡って門楼まで行くのは実は大変な道のりで、彼女もくたくたに疲れ切っておりました。ですが自分が毒づいた天使様のお顔を拝見し、その優しい愛と寛恕(かんじょ)の言葉を頂いた時に初めて、辛さを耐え忍んでこそ安らぎが与えられるものである事、為すべき事を為せばきっと恵みを得る事を悟ったのでした。

その確信は、彼女のように散々神の愛に背を向けてきた罪をこれから後悔と恥辱の中で償っていかねばならない者にとっては、掛けがえのない心の支えとなります。

– その方は今どうされてますか

あれからまだそう時間が経っておりませんので目立って進歩しておりません。進歩を阻害するものがまだいろいろとあるのです。ですが間違いなく進歩しておられます。私たちのホームにおられますがまだまだ他人のための仕事を頂くまでには至っておりません。

いずれはそうなるでしょうが、当分はムリです。罪悪というのは本質的には否定的性格を帯びております。が、それは神の愛と父性(※)を否定する事であり、単に戒律(おきて)を破ったという事とは比較にならない罪深い行為です。魂の本性つまり内的生命の泉を汚し、宇宙の大霊の神殿に不敬を働く事に他なりません。

その汚れた神殿の清掃は普通の家屋を掃除するのとは訳が違います。強烈なる神の光がいかに些細な汚点をも照らし出してしまうのです。それだけに又、それを清らかに保つ者の幸せは格別です。何となれば神の御心のままに生き、人を愛するという事の素晴しさを味わうからです。

(※民族的性向の違いにより神を“父なる存在”と見なす民族と“母なる存在”と見なす民族とがある。哲学的には老子の如く“無”と表現する場合もあるが、いずれにせよ顕幽にまたがる全大宇宙の絶対的根源であり、神道流に言えばアメノミナカヌシノカミである。 – 訳者)

「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†■2023年11月15日UP■
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†
肉体は自動的に朽ち果てるようにできていますから、その肉体をまとっての人生で幸福を得ようと考える事がそもそも本末転倒であり近視眼の極致であり、歳をとる事もなく傷つく事もない永遠の若さを保っている霊体をまとっての霊界人生の方に真実の幸福があるのは至極当然の事であり、その霊界生活に備えて物質界で自分を鍛えなければならないのです。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらはその「物質界の学び」を全てキャンセルしてワガママ放題で生活し、仕事もせず奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくって遊んでいます。つまり物質界で学ぶべき事を一切学ばずに帰幽する、霊界生活に何の備えもできていない人間という事になるのです。何の備えもできていませんからもちろん霊界生活に順応もできません、高級霊の方々から仕事を言いつけられる事もありません資格がないのですから。全く役立たずの人間、何の使い道もありませんから当然暗黒の底の底に落ちてそこで反省させられる訳です。それも物質界での苦しい期間をはるかに超える長い年月にわたって暗黒の中で悶絶する事になるので…続きを読む→
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†■2024年1月10日UP■
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†
僕は物的情報は専門外ですので詳細説明は控えますが、あの大震災もこの大震災もコイツらがやった事であり、罪もない大勢の国民を無差別殺害しているのです。(地球深部探査船ちきゅう号という船を使って人工地震を引き起こしているのです、詳細はぜひググって頂きたいです。第2次世界大戦時の関東大震災も、アメリカの手による人工地震です)「行動には動機がある」明仁、文仁、徳仁、悠仁が人工地震を引き起こして無関係の国民を大量殺害している理由は、使命遂行開始ごく初期の頃に霊団が降らせてきたインスピレーション「人生イコールS〇X」これに帰着します。全ては「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を強姦殺人する遊びを続けるためにおこなっている事なのです。イヤ他にもっと理由がある事と思いますが、物事というのは突き詰めていくとシンプルに行き着くというのが僕の持論です。コイツらの行動の動機の根源を辿るとS〇Xに行き着く、自分の日々のS〇Xを守るために国民を殺しまくっているという事になるのです。…続きを読む→
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†■2023年10月25日UP■
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†
物理霊媒の場合は単純にエクトプラズム量が多い人間を霊媒として使用し、その人間の性格、霊格は関係しないという事なのだそうですが、霊言霊媒という事になるとその霊媒の人間性、人格、霊格が降らせる霊言のクオリティに大きく影響するのだそうです。つまり霊媒の霊格が低ければ降らせる霊言も程度の低い、クオリティの落ちたものになる、イヤ、そもそも支配霊とその人間との間に霊格の差がありすぎて融合する事ができず霊媒として使用できないという事もあります。逆に霊媒の霊格が高ければ高いほど支配霊は語りたい事を自由に語れるようになり、霊言のクオリティが上がるという事になります。支配霊をリーダーとした交霊会運営のための霊団側は高いレベルの霊言を降らせる準備が常に整っています。しかしそのクオリティを維持しながら物質界に霊言を降らせる事は至難の業で、霊媒側の受容能力、信頼感の欠如、霊格の低さ等が障害となって、だいたいにおいて霊側が犠牲を強いられる事になり、当初予定していたものよりクオリティの低い霊言を降らさざるを得なくさせられるのが常のようなのです…続きを読む→