「モーゼスの霊訓 下」OCR変換完了中。あとは上中下のテキスト見直しをおこなえば書籍データ制作に入れます。しかし復刊しても全く脱出につながらない、どれだけ努力しても最悪の状況に延々閉じ込められる事に何の変わりもない。この絶望感を一体どう克服したらいいのだろうか、想像もつかない。

霊団が少しインスピレーションを降らせていますが、いつもの事ですがふたつの意味に受け取れる内容で(霊性発現以来12年一貫して複数の意味に受け取れる降らせ方をしてくるのです、それで僕はいつもイライラ悩まされる事になるのです)どちらの意味で言ってきたのかが分かりませんが、一方の意味は霊団がいよいよ僕から離れると受け取れそうな内容でした。

イヤ、それによって事態が前進するならもうそれでイイ、自動書記やってくれ、とにかく脱出の糸口をつかみたい、このまま閉じ込められ続けたらちょっと心がもちそうにないので。2通目のメールの返信は来ません、信じて待つより他にどうしようもありませんが、復刊実現のハードルの高さは異常すぎる。これはおかしい。

この絶望感を克服する日は来るのか、克服方法は何なのか、今のところ方法が思いつかない。霊団に物的手段ヤメレ言われているが物的手段に訴える以外に脱出できないような気がスゴクしていて、ある姑息な手段のアイデアがずっと頭にこびりついています。それに手を出せば脱出できる可能性が少しある。

いつまでもこの精神状態で過ごすのはムリ。何とか絶望感を解消する方法を見出さないといけない。しかし手だけは止めちゃいけない。さぁどう克服する、この絶望感(祈)†

「全て殺されてきました」3000年にわたり使命遂行者は殺され続けてきたという意味です(祈)†■2024年3月27日UP■
「全て殺されてきました」3000年にわたり使命遂行者は殺され続けてきたという意味です(祈)†
「イエスの成年時代」の復刊書籍の表紙の線画を描くにあたってどうしてもそういうたぐいのモノを見ざるを得ない状況になってしまい、イエス様の磔刑(はりつけ)の宗教画とかを見ていたのです。するとイエス様が十字架を運ばされている絵が複数出てきます。自分が間もなく磔刑にされて殺される十字架を自分で背負って運ばされているのです。要するにイエス様が当時の民衆の人気者で、霊能がずば抜けていたために、それを当時の聖職者だの律法学者だのといった、自分の事をエライと勘違いしているバカヤロウどもが嫉妬して、イエス様にイヤガラセしてイジメて殺したと、そういう事だと思います。※「イエスの成年時代」の中に、逮捕、連行したイエス様を律法学者どもが取り囲んで取り調べをしている最中に、その中のひとりがイエス様に野獣のように飛び掛かって殴り倒すというシーンがあります。皆さまがどのようにお感じになられるか分かりませんが僕の考えをストレートに書きますと、聖職者だの律法学者だのといった人間は「原始人」です「原始的微生物」です。そういうおこないをして帰幽した先に、自分にどれほどの地獄が待ち受けているかを全く理解していない、宇宙最大級の近視眼の愚か者という事になります…続きを読む→
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†■2024年2月21日UP■
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†
しかし僕の心が完全に霊団に対する怒り憎しみに包まれてしまっていて(絶対ムリと分かっていますが)地球圏を離れたいと切望するほどになっています。つまり僕は帰幽後に地球圏の仕事をやるのに適さない人間になってしまったという事になり、それで霊団がしょっちゅう「ゴメンね」とか「残念だ」とか言ってくるのではないか、という予測もあったりなかったり。ただ、仮にこの最後の予測が正解だったとしても、僕をそうさせたのは他でもないあんたたちだろ。守護霊様の管轄内で生活していた時は僕は現在のような精神状態には全くならなかった。Dreamwork一直線で迷いなど全くなく、山に行き続けてはシカちゃん鳥ちゃんに話しかけるような人間でしたので(純粋だったという事)100の光の霊団も守護霊様と同じような導き方をしていれば僕をこんな精神状態にしてしまう事もなかったはずなのです。100の光の霊団、特に支配霊バーバネル氏に僕が言いたい事は「守護霊様を見習えよ」という事です。霊性発現前は全てがうまくいっていた。そして超速的に霊性発現に到達した。守護霊様の導きは空前絶後の大成功だったと僕は思うのです。…続きを読む→
「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†■2024年2月14日UP■
「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†
これまで物質界で犠牲の使命遂行をおこなってきた無数の霊覚者たちも、全体から見た時に無限分の1といえる極小の活動をしていたと言えます。ひとりの人間が永遠の中の一瞬である物質界生活中にできる仕事量など、宇宙の永遠の営みの中のホンの些細な出来事でしかありませんが、それをひとりひとりがおこなって積み重ねていく以外に地球圏全体を霊的に向上させる方法はないのかも知れません。恐ろしく気の遠くなる話ですが。で、霊団が僕にやらせようとしているのが「霊媒として機能して新規の霊言を物質界にもたらす事」のようなのですが(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事、奴隷の女の子を救出する事じゃネィのかよ、だったら霊性発現以降のこの11年は一体何だったんだよ、と言いたくて仕方ありませんが)確かに霊言を降らせてそれを拡散させる事ができれば、多くの方々のお役に立つ事ができるのでしょう。僕もぜひその状況になって欲しいと思っています。拡散の準備ならすっかり整っています。書籍復刊のための作業を経てAffinityPublisherへの苦手意識もだいぶ克服されており、書籍をガンガン作るスキルがかなり身に付いてきていますので、霊言さえ降れば、それを余す事なく書籍化して皆さまにお読み頂ける状態にする事ができます…続きを読む→

復刊関連でさらに2通メールを出し、先ほど1通返信が来て速攻で「分からない」との回答を得ました。手紙は数えきれないくらい出した、メールももう覚えていないくらい出した、いつまでこんな作業をやらねばならないというのか。いつになったら本のカタチになって世に出せるというのか。ハードルが高すぎる、絶望感がスゴすぎる。

「モーゼスの霊訓 上」のテキスト見直し25%完成中、「イエスの少年時代」最終校正15%完成中、「モーゼスの霊訓 下」OCR変換80%完成中。とにかく作業だけは続けていますが、どうやっても心の中の絶望感を取り去る事につながらない。どうやったらこの絶望感から脱出できるんだ。

さらによくよく考えるのですが、もう脱出方法は「ない」と断言していいような状態で、あ、イヤ、使命遂行を完全にやめて金儲けに走れば脱出できると思います。しかし霊性発現した人間がそれをやるのはアフォの極致でしょう。霊団に本気で反逆している僕でもさすがにそこまではできません。

となるといよいよ本当に脱出不可能、完全にイヤでどうしようもないところに閉じ込められるという事になり、このイヤがっている気持ちは変更できないと思いますので(昨日今日イヤになったのではなく10年以上前から脱出するつもりでいたところですので)あと救いを求めるとしたら「身体は脱出できなくても心の絶望感は解消する」という事ぐらいしか思いつきません。

霊団の動きを見ているとまるで僕の事をフヌケ人間にしようとしているかのようで、僕の性格を完全に書き換えるつもりでいるのかという気さえしますが、僕の性格は「1歩も退く気はない」だ。無目的にボンヤリよだれ垂らして生きるなどという事ができる訳ないだろ。何かに燃えなければ生きていけない、心の中に炎がなければ物質界に残される意味がない。

で、その炎の燃料は霊的なモノ以外にないと思うのです。物的手段では脱出できないのですから霊的燃料で炎を燃やす事で心を維持するぐらいしか思いつかない。で、完全に反逆している僕が今さら霊団に祈ってもその祈りは聞き入れられませんが、しかしそれでも祈るしかないような気がしつつあります。

まずは自動書記をやって下さい、で、できればそれが脱出につながるようにして下さい、そう祈るしかないのかも知れない。自動書記は聞き入れられるかも知れませんが脱出は聞き入れられないでしょう。それでも祈るしかないのかも。もう心の救いをそういうところに求めるしかないくらいの絶望的状態なのです。

この絶望感を何とかしないといけない。ちょ…っとこのまま生き続けるのはムリ…だと思う。何か考えないと。考えつつ手だけは動かし続けましょう、手を止めるのはNG。一体どうすればいいんだ(祈)†
「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†■2024年5月15日UP■
「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†
この地球、この宇宙は全て【神】のものです。今僕たちがまとっている肉体さえ僕たちのものではありません。全て神からの賜りものであり、僕たちの所有物などというモノは存在しません。物的金銭を蓄積する事ほど愚かな事はありません。肉体は100%朽ち果てるようにできているのですから人間は自動的に帰幽して物質界を離れます。その時、霊界に物質は持って行けません。100兆円稼いでも1円も霊界に持って行けないのです。物質界での金銭の蓄積は全く無意味である事を物質界生活者が理解するのはまだ1000年以上先の話かも知れません。物質界生活中に僕たちがやるべき事は「心を鍛える」という事です「自分を磨く」という事です。それが帰幽後の霊界生活に役立つのであって、霊界人生に何の役にも立たないおこないは、少なくとも僕、たきざわ彰人のブログをご覧の皆さまには慎んで頂きたい、その悟りの壁を突破して頂きたいと願わずにはいられません…続きを読む→
「4000文字を一気に書く」自動書記、やるならやって下さい、書籍化の準備は整ってます(祈)†■2024年5月8日UP■
「4000文字を一気に書く」自動書記、やるならやって下さい、書籍化の準備は整ってます(祈)†
初期の頃に「隔離フィールド」という霊現象が僕の身に起こりました。どの霊関連書籍にも全く同様の記述がない、全く未知の霊現象のためやむなく自分でこのように命名した霊現象となります。この隔離フィールドの詳細説明は諸事情で割愛させて頂きますが、実はこの隔離フィールド時に「地縛霊、低級霊のジャマを一切無視する修行」のような事をずっとやらされていたのです。半強制的に地縛どもの声を霊聴に流されて、寝ている時以外はずっとその地縛どもにムカつく事を言われ続けながら生活する、という状態を延々やらされていたのです(ちょうどセブンで仕事を始めた頃です)それはもう最初は大変な精神的苦痛を味わわされました。しかしその修行の成果もあって、低級な声のほとんどを無視する事ができるようになっています。2度とあの「隔離フィールド」の状態にさせられるのはゴメンですが、僕がもし自動書記霊媒として機能するようになったら、あの時と似たような状態にさせられるから覚悟しておきなさいと霊団が言っているのかも知れません…続きを読む→

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1917年12月18日 火曜日

お話を給わった拝謁(はいえつ)の間(ま)を出て、吾々はその高き聖所を後にした。お話は私がお伝えしたよりもっと多かった。それを愛をこめて話してくださり、吾々は使命へ向けて大いに勇気づけられた。ポーチまで進み、やがて立ち止まって広い視界に目をやった。

下方には草原地帯が横たわり、左右のはるか彼方まで広がっている。その先に丘が聖所を取り巻くように連なっており、そこから幾すじかの渓流が平野へ向けて流れ、吾々から見て左方向にある湖で合流している。それがさらに左方向へ流出し、その行く手に第10界と第9界との間に聳(そび)える山脈が見える。

そう見ているうちに、さきほど話をされた方が吾々の中央に立たれ、ご自身の霊力で吾々を包んで視力をお貸しくださり、ふだんの視力では見えない先、これから赴かねばならない低い界層をのぞかせてくださった。初め明るく見えるものが次第に明るさが薄れ、かすんで見えるものが次第におぼろげに見え、ついには完全なモヤとなった。

その先は吾々が位置した最も見えやすい位置からでも見透すことは不可能だった。と言うのも、そこはすでに地球に隣接する界層およびそれ以下の境涯であり、地上界へ行きたい者はひとまずその境涯から脱出しなければならず、一方地上で正しい道を踏みはずした者は自然の親和力の作用によってその境涯へと降りて行く。地獄と呼んでいるのがそれである。

なるほど、もし地獄を苦痛と煩悶と、魂を張り裂ける思いをさせることを意味するのであれば、そこを地獄と呼ぶのも結構であろう。さて必要な持ち物と、これより先に控える仕事を吟味し終えると、吾々はその方(かた)に向かって跪き、祝福をいただくとすぐに出発した。

まず左手の坂道を下り、山間(あい)を通り抜けて、そこからまっしぐらの長い旅なので、4つの界層を山腹に沿って一気に空中を飛翔(ひしょう)した。そして第5界まで来て降下し、そこでしばし滞在し、そこの住民が抱える悩みごとの解決にとって参考になるように、入念に言葉を選んで話をした。

– 旅の話をすすめられる前に第5界でのお仕事の成果をお話ねがえませんか。

吾々の仕事は各界で集会を開いて講演をすることでしたが、そこでの話がその最初となりました。まずそこの領主 – 第5界の統率者の招きにあずかりました。その領主は、どの界でもそうですが、本来はその界よりも高い霊格を具えた方です。

が、吾々が滞在したのは行政官の公舎でした。行政官はその界でいつまでも向上できずにいる者たちの問題点に通暁しておられ、吾々がいかなる立場に立っていかなる点に話題をしぼって講演すべきかについて、よきアドバイスを与えてくださる。

さて、そういう悩みを抱えた人々が公舎の大ホールに集まった。実に大きなホールで、形は長円形をしています。ただし、片方の端がもう一方より圧縮された格好をしています。

– 西洋ナシのようにですか。

はて、これはもう、ほとんど忘れかけた果物ですので“しか”とは申せませんが、さよう、大体の格好は似ていましょう。ただし、あれほど尖(とが)った形ではありません。その細い方の外側には大きなポーチがかぶさるように付いており、会衆はそこから入りました。

演壇は左右の壁から等距離の位置にあり、吾々はそこに上がりました。実は吾々の霊団の中に歌手が1人いて、まず初めにその時のために自分で作曲した魅力あふれる曲を歌いました。

その内容は – すでにお話したものも含まれていますが – 究極の実在である神がいかなる過程でその霊力を具象化し、愛がいかにして誕生し、神の子等(造化に携わる高級神霊のこと – 訳者)がその妙味にふれてそこから美が誕生するに至ったかを物語り、それ故にこそすべての美に愛が宿り、すべての愛が純朴であり、いかなる形で表現されても美にあふれていること。

しかし現象界の発展のために働く者の意志が愛に駆られた美の主流に逆らう方向へと働いた時、そこに元来の至純さと調和しない意志から生まれる或る種の要素が生じ、そのあとに創造される存在は美しくはあっても完全なる美とは言えず、また、ますます激しさを増す混沌たる流れに巻き込まれてさらに美的要素を欠く存在が出現したが、それでも根源より一気に一直線に下降を続けた者の目には見えない美しさを、おぼろげながら具えていた…そう歌いました。

会衆は身じろぎ1つせず聴き入っていた。それほどその曲が美と愛の根源から流れ出てくるような雰囲気を帯びていたのです。またその言葉そのものが“究極にして絶対”の存在とは“統一”であり、それ自体に多様性はあり得ず、それまでに生じた多様性は“てこ”的存在としての意義をもつ – つまり多様性の中に表現されたものが抵抗によって再び高揚され統一へ向かうという哲学を暗示しておりました。

さて、歌が終ると会場を重厚な静けさが支配し、全員が静粛にしていた。身じろぎ1つする者がいない。立っている者は立ったまま、ベンチあるいはスツールに腰を下ろしている者もそのまま黙しており、何かに寄り掛かってしゃがみ込んでいる者もそのままの気楽な姿勢でいた。そのことをはっきりと見てとった。

誰ひとり位置を変える者もいなかった。それは、はるか彼方の生命とエネルギーの力強い脈動の中に生まれた歌の魔力が彼らを虜(とりこ)にし、今の境涯と知識とで精一杯頑張ろうという決意を秘めさせたからです。

ややあって、いよいよ私が語る段取りとなった。すでにさきの歌い手が、抑えぎみに、しかし甘美な声で歌い始めていた。それでも、天体の誕生の産みの痛みの時代の物語に至るとその痛みに声が激しさを増し、勢いとエネルギーが魂の中で激しく高まり、痛ましいほどの壮大な声量となってほとばしり出るかの如くであった。

それからカオス(混沌)がみずから形を整えコスモス(宇宙)となり、さらに創造主の想像の中から各種の生命体が誕生する段階になると、声と用語の落着いたリズムが整然たる進行の中で次第に平穏となり、最後は単一音で終った。それはあたかも永遠の創造活動が今始まったばかりで未だ終局していないことを暗示するために、そのテーマを意図的に中天で停止させたかのようでした。

そのあとを継いで語り始める前に私は一呼吸の間を置いた。それは私の話に備えて頭の中を整理させ、あたりに漂(ただよ)う発光性の雲の中でその考えをマントのごとく身にまとわせ、話をしている私の目に各自の性格と要求とが読み取れ、私の能力において出来うるかぎりの援助を与えるためでした。

それからいよいよ講演に入った。全員に語りかけながら同時に個々の求めるものを順々に満たしていった。多様性となって顕現し虚空に散らばったものを再び1点に集約し、美そのもの、愛そのものである究極の実在からの熱と光りとを吸収しそして発散するところの大いなる霊的太陽について語った。

また、ペテロとユダの背信行為と裏切りとその後の後悔の話 – 一方は地上において束の間の地獄を味わい、1千年もの悔恨を1か月で済ませて潔白の身となった。そこに秩序ある神の家族内での寛恕と復権の可能性が見られること。

もう一方は最後まで懺悔(ざんげ)の念が生じず、自分が絶望の狂乱の中で金(かね)で売った人物(イエス)が死を迎えた時に、いつもの自暴自棄的気性のために早まって(首を吊(つ)って)この世から逃げた。が、これで消えてしまったと思い込んだ思惑とはうらはらに彼は生き続けていた。

しかし彼はなおも懺悔の念は生じず、イエスみずからが、迷える小羊を探し求めるごとくに、奥深き地獄の峡谷へユダその他の罪人に会いに赴(おもむ)いた。そして陰気さと、触れられるほどの真実味のある暗闇の中にいる彼らに光と愛そのものである神の存在と、その聖なる御子を通じて愛の輝きが想像を絶した宇宙の果てまで、そしてその地獄の世界までも投射されている事実を語って聞かせた。

彼らは最後に光を見てから何十年何百年ものあいだ光というものを見ておらず、今では光とは何か、どのように目に映じるものかもほとんど忘れている。その彼らの目に久しぶりに一条(ひとすじ)の光が見えてきた。

もとよりイエスは彼らの視力に合わせてご自分の身体を柔らかい、優しい、ほのかな光輝で包みこんでおられた。その足もとへ1人また1人と這い寄ってくる。その目から涙がこぼれ落ちている。それがイエスの光に照らされてダイヤモンドのしずくのごとく輝いて見える。

その中の1人に裏切り者のユダもいた。そしてイエスから赦(ゆる)しの言葉を聞かされた。ペテロがのちにイエスに会ったとき主の寛恕の愛を聞かされたごとくにであった。

聴衆はじっと聞き入り、そして私の述べていることが、宇宙の君主であり愛そのものであるところの神への一体化についてであり、そして又その神への従順さが生み出すところの産物 – それは人間から見れば難問でありながら実はその一体化を促すための“てこ”的意義をもつものであることを理解しはじめていた。

私は静寂のうちに講演を終り、同じく静寂のうちに他の者とともに演壇を下り、ホールを出て公舎を後にし、次の旅へ向かった。行政官が総出で吾々をていねいな感謝の言葉とともに見送ってくださり、吾々も祈りでもってこれに応えた。かくしてその界を後にしたのであった。

「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†■2024年4月17日UP■
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†
訳者、近藤千雄先生が著書の中で何度も書いておられる事ですが、そもそも「守護霊」という言葉が間違いなのだそうです。この言葉はさも「人間を守ってくれる」かのような印象を与える言葉ですが、実際の守護霊の役割は全く逆で、守護を任された人間の罪障消滅をキッチリ完了させるために試練に立ち向かわせるのが仕事であり、守るどころか苦しめるのが仕事と言ってもいいくらいなのです。そういう意味では「守護霊」という名称より「監督霊」と言った方が正しいと近藤先生は仰っていました。僕も自分の体験からそのように思います。僕の守護霊様は僕が自発的に試練に立ち向かうようにウマく、本当にウマく仕向けました。そして僕は画家の試練Dreamworkと、山での修行というダブルの試練を自分に課す生活に突入し(イヤイヤやらされたのではなく自分の意思でノリノリで始めたのです)急速に向上を果たして一気に霊性発現にまで到達したのです。僕は守護霊様の事を「導きのプロ」と公言していますが、とにかく守護霊様は「やり方がウマすぎた」大大大Dai成功だった、という事です。それで霊団はムカついているが守護霊様は尊敬し永遠の恭順を誓うと言っているのです…続きを読む→
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†■2024年4月3日UP■
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†
僕に情報拡散をさせてきっかけを作るところまでは許されたが、それ以上の干渉は許されていないという事なのではないか。で「今回では達成されません」というインスピレーションもありますように「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する情報拡散は進み、人々の洗脳は相当に破られて真実の理解が浸透するが、僕の物質界生活中に邪悪の滅亡までは到達しない。その実現は僕の帰幽後に別の使命遂行者によっておこなわれるか、もしくは特定の人物によるものではなく人々の認識の広まりによって自動的にそういう風になっていくとか、そういう事を霊界側は考えているのかも知れません。平たく言うと「無血解決」1滴も血を流さずに邪悪を滅ぼすという事です。僕の物質界生活中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼそうとすると僕なり誰かなりの血が流されてしまうので霊界側はそこまでゴリ押ししようとしない。何しろ霊界には時間の概念がありませんので僕だろうが次の使命遂行者だろうがそんなモノは大した問題ではないはずです。が、僕から言わせてもらえればその生ぬるい考えがムカつくんだよ。決める時にバシッと決めろよ…続きを読む→
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†■2024年3月20日UP■
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に鉄槌を喰らわせる事もしなければ奴隷の女の子たちを助けてあげる事もせず、ただ半笑いで僕が苦しむところを見ているだけで終わらせるつもりなんじゃないだろうな。で、次世代降下チーム(霊界側で同じ時代に同じ地域に降下するチームがあらかじめ結成されるという事)が、僕が一生かけて蒔いたタネを活用してそこでようやく物質界の諸問題が解決されるとか(つまり僕の帰幽後のお話、今から50年後、100年後とか)そういうストーリーか。僕は前座か。本当に損な役回りだな。フゥゥ、僕なりに霊的知識を果てしなくお勉強していますが、確かに偉大な功績を残した先駆者の方々というのは、物質界では認められず帰幽後に霊界にて真の評価を下され、向上を果たし上層界に召されていると理解しています。※つまり逆に物質界で偉人とされて歴史に名を残している人物というのは霊界では全く評価されておらず暗黒の底に落ちているという事です。戦争勝利将軍とか、慈善家とか、富豪とか、そういうたぐいの人間です。「後なるものが先に」これは偉大な真理なのですが、物質界ではこの意味が全く理解されていません…続きを読む→