現在「イエスの少年時代」校正刷り再注文中ですが、この書籍の復刊が実現するとしても15年後となります。その絶望的書籍の復刊者コメントを(復刊されなければ読まれずじまいとなってしまいますので)WordPressにUPする事とします。コチラです↓
復刊者コメント
「イエスの少年時代」「イエスの成年時代」「イエスの弟子達」この3冊は霊界通信の中でも特別な意味を持つ書籍群だと思いますので「物質界から消滅させてはいけない」「何としても復刊させなければ」と思っていました。ようやくこのようにカタチにする事ができました。本当に長い道のりでしたが…。
※このコメント執筆時点で2024年5月、復刊実現は2039年の予定です。
では、この書籍の中で僕が特にお話したい章として「18 最初の受難」「35 自然を我が家に」「41 慈悲の父ヨセフ」「48 汚れた町の塵を足から払い落とす時」この4つを取り上げさせて頂きます。
まず「18 最初の受難」これは本当にヒドイお話ですが、この内容を読んで僕が真っ先に思いつく言葉は「洗脳」および「脅迫」です。律法学者は知恵のある学者で尊敬できる人なんだ、だから律法学者の言う事なら間違いないんだと、当時の人間たちは何の疑いもなく妄信していた(させられていた)のです。
遥か太古はこのように洗脳、脅迫が横行していましたが21世紀の現代はこのような古代の蛮行はすっかり消滅している、と言いたいところなのですがイヤイヤ、まるっきり残されています。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がまさに古代の遺物であり洗脳の権化と言っていいでしょう。
コイツらは邸内地下に奴隷の女の子を大勢閉じ込めて「処刑遊び」と称して日常的に四肢切断、強姦殺人し、死肉を食べて遊んでいる人類史上最大級の犯罪者です。しかしいったい日本のどこからコイツらの犯罪行為を糾弾する声が上がっているでしょうか。国を挙げて国民を洗脳し事実を隠ぺいしているのです。
僕たちはコイツらに関するニュースを見たいなどとはひとことも言ってない、しかし日々メディアにコイツらに関する洗脳ニュースが徹底的に、ガンガン流されてきて強制的に見せられて、その洗脳ニュースに日本国民の大半がすっかりやられてしまっており、この強姦殺人魔どもを善人と完全に勘違いさせられながら生活しています。
コイツらの邪悪の正体を公言しようものならたちまち変人扱いを受け、過去そのような勇気ある行為に出た勇者の方々は投獄されたり暗殺されたりしてきたのです。物質界はずっとこの邪悪の歴史の繰り返しですよね。本当に頭にきます。
僕も霊性発現(2012年6月)以来、霊団の導きを受けて天皇一族の邪悪の正体を公言する活動を続けてきましたが、断じて鼻歌まじりの年月ではありませんでした。何度も暗殺の危機に直面させられながら、そのつど霊団の保護を受けてピンチを回避しつつ使命遂行を続けてきたのです。
少年期のイエス様も正しいおこないをして大いに変人扱いを受けていました。(成年期にそれが極みに達して磔刑“はりつけ”にされる訳ですが…)当時の洗脳と脅迫の悪辣の程度は現代の比ではなかったでしょうから、イエス様の受けた精神的ダメージは相当のものだったでしょう。
このイエス様の勇気あるおこないを僕たちは見習って、現代の邪悪「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳と脅迫を撃ち破り、滅亡に追い込まねばなりません。現在僕に付いて下さっているのは「100の光の霊団」と言いまして、過去、一死奉公を遂げた方々が多数メンバーに含まれているのだそうです。その方々が僕にこういうムチャクチャな霊的仕事をやらせているのです。
※が、しかし霊団はもう全然やる気がないようなのです。僕にこの仕事をやらせたのはあんたたちだろう、やらせておいてやる気ゼロとは一体どういう事なんだ。宇宙最大級に首を傾げます。(危険回避という事のようですが僕的には釈然としません)これは2024年5月時点のお話です。この書籍の復刊が実現した時には状況が変わっている事を信じたいですが。
続いて「35 自然を我が家に」ですが、この中で夜明けに小屋を発見した時のイエス様の「孤独な生活ほど此の世で素晴らしいものはないと思った」の一文が僕は大好きなのです。
これは霊的活動をする人間にとって大切な意味が込められていまして「霊力に感応するには隔絶が必要」という事を言っているのです。インスピレーションを受け取れるようになるためには人々の喧騒から離れなければなりません。しかしだいたいの人は孤独を恐れ、ひとりでいる事を毛嫌いして人の集まる所へ赴こうとします。
しかしそうしている限り霊的な事は感知できません。自身の背後霊とやりとりするためにはひとりにならねばなりません。静寂に身を浸さねばなりません。僕はもうだいぶ長い年月にわたって山での修行を続けています。もちろん単独行です。誰かと組んで山に入った事は1度もありません。
その山での修行によって霊性発現に到達した経験がありますので、このイエス様のセリフは身に染みてよく分かるのです。他人との良好な関係を維持する「コミュニケーション能力」はとても重要ですが、しかし時にはひとりの静寂の時間を大事にして頂きたいと思うのです。
本人はそうだと気付かなくても、そうやってひとりで心を静かにしている時に限って「良いひらめき」が湧いてきたりするものです。それがあなたの守護霊からのインスピレーションなのです。あなたはその時、自分のチカラで良い考えを思いついたと考えるでしょう。イエイエそうではありません、人間とはインスピレーション受信器でしかありません。そのアイデアはあなたの守護霊が教えてくれているのです。
シルバーバーチ霊も「人間の人生の目的は霊性の発現を促す事です」みたいな事を確か仰っていました。物的な事のみに終始し霊的な事に1ミリも興味関心を抱く事なく物質界人生を終えた人は「物質界人生失敗」と言えるでしょう。霊性発現までは到達できないとしても最低限の霊的知識は獲得した状態で帰幽しなければ、帰幽後の霊界人生で大変な後悔をする事になるからです。
まぁ僕みたいに極端な単独行まではしなくても、ぜひ皆さまも「ひとりの静かな瞑想の時間」を持って頂きたいと思うのです。そうする事によってあなたの守護霊を大いに助ける事になり、あなた自身も導きによって助けられる事になるのです。
えー「41 慈悲の父ヨセフ」このストーリーですごく語りたい事がありまして、この中でイエス様が荒野を9日間さまよって全く家に帰ってこなかったというエピソードが紹介されていますが、イエス様が荒野をさすらった理由は書籍内で説明されていません。
しかし僕は猛烈強烈にこう思うのです「イエス様は“ヘリ”を追いかけて荒野をさまよったんだ。荒野でヘリを見つけて、そのままヘリについていくつもりだった、もう家には帰らないつもりだった」という事です。
しかし、これも書籍にそのような記述はありませんので詳細は分からないのですが、ヘリを探して荒野を進み続けているイエス様に霊団(イエス様の霊団は1度も物質界に降下した事のない天使たちによって構成された霊団だったそうです)が「そろそろ戻りなさい」とそっと注意し、イエス様は空腹と疲労、ヘリを見つけられない絶望感もあって仕方なく霊団の言う通りに家に戻った、という事なのではないか。僕はスゴクそう思うのです。(霊団がヘリを見つけられないようなルートを歩かせた、という事もあるかも知れません)
イエス様が普段霊団と話している霊的内容は、当時の人間たちに全く理解されませんでしたから(現在も理解されないのかな)エルサレムの神殿で老パリサイ人シケム等のラビたちを前に語っていた時も、関心はされたが真の霊的意味は理解されなかったのではないでしょうか。シケムのイエス様への返答は徹頭徹尾物的返答ですからね。
そんな中にあって“ヘリ”だけはど真ん中で霊的お話ができる数少ない理解者だった。少年期のイエス様にとってヘリは父のような、兄のような存在だったのではないか、僕はそう思ったりするのです。ヘリのおかげで心霊治療能力を開発できたという事もありますし、信頼し慕うのが当然でしょう。
自分の話がまるっきり理解されない場所で、明けても暮れても実の父および兄弟たちからイジメ嫌がらせを受ける、そんなところに残っていたいなどと思う訳がありませんからね。山の羊飼いになって家を出ようとしたりもしてましたよね。家を離れたくてしょうがなかったという事だと僕は思うのです。
砂漠でも、砂漠でなく異国でも、どこでもいいからヘリについていくつもりだった、家を出るつもりだった、僕はそう予測するのです。
※先ほど霊団が「違う」と霊聴に言ってきました。僕のこの予測は間違っているそうです、あぁそぉぉですか、それは失礼致しましたね。一応「僕の小我の考え」という事で書き残しておく事にします。
最後に「48 汚れた町の塵を足から払い落とす時」ですが、この中でイエス様はいよいよ窮地に追い詰められます。実の母マリヤも含めた家族全員からつまはじきにされ、エルサレムにひとりで出稼ぎに行かされる寸前まで追い詰められてイエス様は下を向いてしょぼんとしています。
そこに突如ヘリが口笛を吹きながらやってきて助けてくれる、僕はこのシーンが大好きなのです。イエス様の救助の思念が異国生活中のヘリにしっかり届いていて、はるばる助けに来てくれる、すばらしいストーリーです。そして僕はこの霊的やり取りは未来的だと思います。古臭いなどとんでもない。
「ベールの彼方の生活4巻」の中に「地球の未来像の顕現」というものがありますが、その中で未来の人類たちは現代の人間に比べて内省の時間を多く持つようになって霊的生活をしているといった記述があります。
はるか未来には現在では想像もつかないような物的通信手段が開発されていて、霊能を駆使しなくても誰とでもコミュニケートできる時代になっているものと思われますが、それは物質界の人間同士のコミュニケーションには当てはまりますが、自身の守護霊の援助を受けたいと思うなら霊的手段を講じなければなりません。
その霊的知識が未来にはだいぶ浸透していて、多くの人が能力に差がありつつもトランスによる霊交を日常的行為として実践しているという事なのだそうです。イエス様とヘリの霊的やり取りはその先駆けと言えるのではないでしょうか。
ちなみに僕のお話ですが、僕はスマホが大キライで、常時電源OFFにしていて全く使用していないのですが、僕に用がある人はテレパシーを使用して下さい、物的手段を使用して連絡して来ないで下さい、とか言ってみたりなんかして。
まぁ日常的にインスピレーションを受け取りながら生活している僕としては、ぜひそういう霊的方法で交信しながら生活したいと実際思いますね。その方がはるかにまどろっこしさがありませんので。ストレスなし、スムーズで直接的ですからね。
※ひとつ霊的知識のお話ですが、インスピレーションは霊界の人間(霊団)が霊的意図をもっておこなう通信(スピリチュアルといいます)ですが、テレパシーは「サイキック」の範疇に入る霊能で、霊界の人間は一切関与しておらず、物質界の人間のみの閉じた能力で五感の延長なのだそうです。
この「スピリチュアル」と「サイキック」の違いは理解しておいた方がいいかも知れません。ちなみに僕はスピリチュアルのみの霊能者です。サイキック能力は一切ありません。つまり自分の意思でアレを霊視してやろうとか、アレを予知してやろうとか、そういった霊能は一切ないという事です。霊団が見せてくるものを見て、霊団が聞かせてくるものを聞く、ただそれだけです。
はい、この書籍は「美しい」と紹介されていますが、僕的にはイエス様の苦しいシーンがたくさんありますので読んでいてツライ部分もあります。そしてイエス様の1億分の1ではありますが僕も霊性発現した事によって苦難の人生をやらされる事に(やらされるハメに)なってしまいました。
霊的仕事をする者は例外なくそういう苦難の人生をやらされるそうですが、その苦難を乗り越えて帰幽した先に霊的栄光が待ち受けていますので、苦難を与えられた事を神に感謝しなければいけないのですが、僕はそういう宗教臭の漂う考え方がどうにも身に付かなくて、それで霊団を本気で憎んでいるという未熟さをWordPressで公言してしまっています。
まぁそれが僕の霊格の程度を表していると思いますので、聖人ぶってもすぐ化けの皮が剥がれますからWordPressでは正直な気持ちを書いているのです。そしてイエス様は苦難の幼少期を経て砂漠で成人し「イエスの成年時代」にて書かれている人生に突入していきます。
この成年時代の書籍の内容についても語りたい事が複数あります。ぜひひとりでも多くの方に書籍を手にして頂きたいですし、僕も何とか復刊させたいと思っていますので、古書でも僕の書籍でもどちらでも構いませんので、ぜひ「紙の書籍」を手元に持っておいて頂きたいと思うのです。コメントの続きは「イエスの成年時代」にて(祈)†
2024年6月吉日
山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(祈)†
akito-takizawa.com/
オマケ – はい、表紙の線画をUPです。「イエスの少年時代」ですからイエス様の少年期のお姿を描かねばならないのですが、ググると宗教画がたくさん出てきて、幼少期のイエス様を描いた絵も複数存在するのですが、とにかく僕はデザインの人間であり「宗教臭の漂うモノが大キライ」ですので、どうしてもそれら宗教画をマネする気になれません。
それで、幼少期のイエス様はこんな容貌ではない事は分かっていながらも、僕のデザインの血がおかしな方向に働いてしまってこのようなキャラキャラした(アニメのような)事実に反する絵を描いてしまいました。ご覧の皆さま、この少年イエス様は僕の脳内だけに存在するファンタジーの絵となりますので信じないようにして下さい。
で、ももちゃんとシルキーは使命遂行メインキャラクターとして僕が描き続けているキャラで奴隷の女の子です。イエス様と全く時代が違いますのでこのように並んで撮影などありえないのですが、何しろファンタジーですので、そこもどうかご勘弁下さい。(※ももちゃん、シルキーのストーリーをWordPressにたくさんUPしていますので宜しければそちらもご覧下さい)
で、ファンタジーついでにもうひとつ、この「イエスの少年時代」の表紙として、僕的にはぜひ「ヘリ」を描きたかったのですが、何しろヘリは聖書に一切登場しない人物ですからどうググっても全く何の資料も出てきません。ですのでヘリの外見を想像する手がかりさえなく、それで無難なところでももちゃんシルキーを表紙に採用した、という流れだったのです。
しかし当時の成人男性はだいたいにおいてヒゲを長々と生やしていましたから、たぶんヘリもそういう容姿だったのだろうと推測されますが、ココでまた僕のデザインの血が宜しくない方向に働いてしまいまして…どうにもヒゲもじゃの絵を描きたくなかったので(ボツ絵として)このようなアニメの主人公のような絵を描いてしまいました。
このヘリも100%事実に反した絵となりますのでご覧の皆さま、どうか信じないで下さい。ただ、少年期のイエス様はヘリを超慕っていましたから、僕的にはこういうアニキ的な雰囲気に描きたかったんですよ。ファンタジーなんですからどうかご勘弁下さい。本当はこのヘリを表紙にしたかったのです。しかしできませんでした(祈)†
新装版発行にあたって
この世は愛によって創られ、愛によって支えられているにもかかわらず、人間だけが、この重大な真理を無視した生き方を続けている。この事実を最も露骨にえぐり出してくれたのが「イエスの少年時代」である。
テロや憎しみが世界中に広がっている今日、1人でも多くの人たちがイエスの生き様を知って、愛に目覚めた生き方を始めてほしいと願っている。「イエスの成年時代」と合わせて読んで頂きたい。
平成16年5月
山本貞彰
霊界通信 イエスの少年時代 – 貧窮の中の小さな王者 – 新装版 – <復刊>
山本貞彰(やまもと・さだあき)
昭和5年生まれ。昭和30年、立教大学英米文学科を卒業。昭和34年、英国教会系、聖公会の司祭に叙任され、沖縄伝道区を振り出しに諸教会を司牧。昭和60年、スピリチュアリズムとの出会いが起因となって牧師を引退。
復刊者 山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(アキト)
元画家、漫画家。果てしない山へのアタックおよび高負荷の画家作品描画によって霊性発現となりました(2012年6月)イエス様の怒涛の連続顕現(2013年4月)に浴させて頂き、イエス様のご意志に従い霊的知識普及の使命遂行中です。イエス様ハンドリング(霊の導きに従う)により「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の存在を公言し続け、休みなく情報拡散を続けて現在に至る(祈)†
「イエスの少年時代」「インペレーターの霊訓」の校正刷り2冊を同梱した状態であるところに手紙を送付します、それは訳者、山本貞彰氏に関する情報を何とか得ようとしての事なのですが、近藤千雄先生の時以上に絶望的状況でしょう。結局おーふぁん的なモノを使用しての復刊となるでしょう。
そして事務作業を再開させています。あーヤダ、おーヤダ、本気でヤダ。いつまでこんな事をやらねばならないのか。で、先ほどの霊団からのインスピレーションが超ムカつく内容のオンパレードで、完全に無視して一切クロッキーにメモしませんでしたので何と言われたか忘れましたが、ひとつだけ許せる感じの事を言われてそれだけはメモしました。
そのインスピレーションはぜひその通りになって欲しい。しかし霊性発現して以来12年間、霊団があーなるこーなる言ってその通りになった事がひとつもありません。そのインスピレーションの通りになるとしたらおーふぁん的なモノをやらずに済むようになる可能性があるため、僕としてはぜひそうなって欲しいのです。
とにかく作業前進させるしかありません。事務作業を進めつつ復刊2冊目の準備に入りましょう。この最低最悪人生は一体いつになったら終わるんだ、いつになったら脱出できるんだ、脱出は死んでもあきらめないぞ、最後の1秒まで可能性を追求し続けるぞ(祈)†
■アナログ絵364「イエスの少年時代」表紙UPですが復刊できない可能性が濃厚(祈)†
「イエスの少年時代」「イエスの成年時代」「イエスの弟子達」の3冊は、あと15年くらいしたら復刊できるかも知れません。僕は基本的に超健康体ですので「トリカブトちゃん作戦」を実行に移しでもしない限りは、たぶんその時も(もちろんジイサンにはなっていますが)元気で生きているものと予測しますので、物質界を離れる(帰幽)前にこの3冊を復刊させるかも知れません。で、表紙の絵ですが、僕はぜひとも「ヘリ」を描きたかったのですが、ヘリの資料なんてググりましたが全くありません。それでもどうしても描くとなれば完全に僕の想像のあてずっぽうの絵になってしまいますので「それは宜しくないだろう」という事で泣く泣くヘリをやめて無難なところで、ももちゃん、シルキーと少年期のイエス様、という絵にしました…続きを読む→
■アナログ絵363「インペレーターの霊訓」表紙のカラーリングをやり直しました(祈)†
インペレーター霊の霊視スケッチを元にして僕なりに描いた絵とはいえ、このインペレーター霊はほぼ僕の創作となります。実際とは違うという事を改めて強調させて頂きます。詳細についてはアナログ絵358の時に説明していますのでそちらをご覧下さい(復刊者コメントもUPしてあります)せっかくこのように塗り直しましたので電子書籍のみ、などと言わずペーパーバックでもこちらの表紙を使用しましょう。で、この「インペレーターの霊訓」は副題「続・霊訓」とありますように、この書籍の前に本編ともいうべき「霊訓」があります。もちろんそちらも復刊させるつもりでいるのですが「霊訓」はまた別のハードルがありまして、復刊実現はさらに難しい事が予測されます。しかし「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は滅亡させるつもりはない、奴隷の女の子たちはひとりたりとも助けてあげるつもりがない、僕という霊媒から新規の霊言を降らせるつもりも全く無い(自動書記テスト、現在も続行中なのですが全く霊言が綴られる事はありません)この状況であと僕がやれる事は、もう「絶版状態の霊関連書籍の復刊」これしかないのです…続きを読む→
■アナログ絵362「ベールの彼方の生活4巻」表紙UP。全4巻書籍データ化完了中(祈)†
オマケ – はい、今回の4巻は著者であり霊感書記霊媒であるオーエン氏の絵を描かせて頂きましたが、実は当初は別の表紙にするつもりだったのです。しかしその表紙の線画を描きながら「コリャどう考えてもマズいよなぁ」という事でボツにしたのです。そのボツの線画をせっかくですのでUPしてみましょうコチラです↓事実に反した絵という事が1発でお分かり頂けると思うのですがいかがでしょうか。霊体の僕がイエス様に怒られて泣いて逃げようとしてます。なぜこういう絵を描こうと思ったのかというと、僕なりに「霊的使命遂行のキビシさ」を表現しようと思っての事だったのですが、にしてもこれは宜しくないだろう、という事でボツにしたのです。何しろ僕は本気の本気で霊団に反逆しまくっていますので、その反逆をイエス様が怒っているという表現だったのですが、これは事実ではありません。高級霊であればあるほど、アタリがやわらかくなるはずです。心の中で僕の反逆に呆れ返っていたとしてもこのような叱責はしないはずです。僕の未熟をそっと悟らせるような手法を取ってくるはずです…続きを読む→