アナログ絵376「モーゼスの霊訓 上」表紙

「モーゼスの霊訓 上」WordPressに全文UPまでは完成していますが、まだAffinityPublisherにテキストを流し込むまではおこなっていません。しかし先行で表紙をこのように描きました。復刊させるつもりでいるからこそココまでやっているのです断じて酔狂で描いているのではありません。

しかし復刊事務作業が難航を極めていまして、一体何回書類の修正をやらされてきたでしょう、さらに追加でアレをやって下さいコレをやって下さいとか言われます。とにかく不愉快でどうしようもない作業であり「ここまでやらないと復刊させられないのか」と猛烈な絶望感が襲い掛かってきます。

事実数回「もうホントに復刊そのものをやめてやろうか」という精神状態にまで追い込まれた事がありますが「イヤわずかな脱出の可能性にかけるんだ、やるしかないんだ」と自分を奮い立たせて何とか作業続行している状況なのです。普通ならとっくにやめているという事です。

僕というキャラはたいてい絵を描いている時は絵に集中してイヤな事が心からすっかり消えるという事がほとんどであり、僕にとって心を落ち着かせる有効な手段のひとつなのですが、今回ばかりは描いている最中もずっと心に重いモノがのしかかってきて精神的に苦しい状態で描き続けるハメになりました。

まず上巻表紙には霊媒モーゼス氏を登場させました。モーゼス氏が物質界に残した「霊訓“Spirit Teachings”」は人類史上に残る金字塔である事に疑いの余地はありません。これほど素晴らしい仕事をやり遂げたモーゼス氏ですから今頃素晴らしい境涯で生活しておられる事と思いますが、しかしモーゼス氏も懐疑の念が尋常ではありませんでした。

このモーゼス氏の疑いの気持ち、霊団に対する反発心に比べれば、僕がずっと霊団に反逆している事などまだかわいく思えてきたりもします。特に中巻は壮絶を極めます。僕は霊団がムカついてどうしようもないですけど霊的な事を疑った事は全然ないですから、その部分がモーゼス氏と違うかも知れませんね。

僕の場合は毎日霊団が霊聴にピーチクパーチクインスピレーションを降らせてきますので、霊的なモノを疑うとかそういうレベルのお話ではないんですよ、もう完全に人生の一部、日常生活の風景ですので。

モーゼス氏はインスピレーションというカタチで霊団とコミュニケートはしていなかったそうですが、自動書記はガンガン受け取っていたという事です。僕は逆で、インスピレーションはガンガン受け取っているが自動書記テストはどれだけ続けていても全く手が動いて文章が綴られる事はありません。

しかし霊界側の事情で言えば自動書記しかり霊言現象しかり、霊媒現象によってメッセージを伝えるというのは次元が異なるゆえの大変な作業(波長の下降操作という犠牲的作業)を要するのだそうで、物質界の人間がインスピレーションを受け取れるようになってくれればこんなに助かる事はないのだそうです。

僕はその状態ですので一見良さそうに皆さまは思われるかも知れませんが、そんなにイイモノだったらこんなに反逆してませんよ。来る日も来る日もカチンとくる事を言われながら生活してごらんなさいよ。頭にきてホントにもう。

さぁ復刊事務作業が承認される事を信じて「モーゼスの霊訓 中下」のテキストも急ピッチで揃え、同時進行的に表紙も描きましょう。そして校正刷り書籍を作成後、その素材を活用してある作戦を実行します。シルバーバーチ霊の書籍を復刊させるための作戦です。成功確率は0.0001%ですがやるしかないんだやるしか。中と下の表紙もお楽しみに、ってお待ちの方なんていませんけどね(祈)†

「イエスの少年時代」復刊者コメントUP。この本文が書籍化される日が来るのか(祈)†■2024年5月23日UP■
「イエスの少年時代」復刊者コメントUP。この本文が書籍化される日が来るのか(祈)†
遥か太古はこのように洗脳、脅迫が横行していましたが21世紀の現代はこのような古代の蛮行はすっかり消滅している、と言いたいところなのですがイヤイヤ、まるっきり残されています。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がまさに古代の遺物であり洗脳の権化と言っていいでしょう。コイツらは邸内地下に奴隷の女の子を大勢閉じ込めて「処刑遊び」と称して日常的に四肢切断、強姦殺人し、死肉を食べて遊んでいる人類史上最大級の犯罪者です。しかしいったい日本のどこからコイツらの犯罪行為を糾弾する声が上がっているでしょうか。国を挙げて国民を洗脳し事実を隠ぺいしているのです。僕たちはコイツらに関するニュースを見たいなどとはひとことも言ってない、しかし日々メディアにコイツらに関する洗脳ニュースが徹底的に、ガンガン流されてきて強制的に見せられて、その洗脳ニュースに日本国民の大半がすっかりやられてしまっており、この強姦殺人魔どもを善人と完全に勘違いさせられながら生活しています…続きを読む→
■アナログ絵362「ベールの彼方の生活4巻」表紙UP。全4巻書籍データ化完了中(祈)†■2024年3月23日UP■
■アナログ絵362「ベールの彼方の生活4巻」表紙UP。全4巻書籍データ化完了中(祈)†
オマケ – はい、今回の4巻は著者であり霊感書記霊媒であるオーエン氏の絵を描かせて頂きましたが、実は当初は別の表紙にするつもりだったのです。しかしその表紙の線画を描きながら「コリャどう考えてもマズいよなぁ」という事でボツにしたのです。そのボツの線画をせっかくですのでUPしてみましょうコチラです↓事実に反した絵という事が1発でお分かり頂けると思うのですがいかがでしょうか。霊体の僕がイエス様に怒られて泣いて逃げようとしてます。なぜこういう絵を描こうと思ったのかというと、僕なりに「霊的使命遂行のキビシさ」を表現しようと思っての事だったのですが、にしてもこれは宜しくないだろう、という事でボツにしたのです。何しろ僕は本気の本気で霊団に反逆しまくっていますので、その反逆をイエス様が怒っているという表現だったのですが、これは事実ではありません。高級霊であればあるほど、アタリがやわらかくなるはずです。心の中で僕の反逆に呆れ返っていたとしてもこのような叱責はしないはずです。僕の未熟をそっと悟らせるような手法を取ってくるはずです…続きを読む→

1918年2月5日 火曜日

貴殿はかの“聖なる山の大聖堂”の起源と構造について語ってほしがっておられる。それは第10界と第11界の中間に位置している。という事は両方の界から見る事ができるという事であり、どちらにも属していないという事です。

その起源はこうです。ずいぶん昔の事ですが、試練の末に首尾よく第10界から第11界へと向上していく者が大勢いた時代がありました。しかし第10界は下層界での修行の旅の中で身につけた霊力と霊性の全属性が仕上げられ、まとめ上げられる界であると言えない事もありません。

つまりここで雄大な旅程の1段階を終え、次からはそれまでとは次元の異なる進化と発達の段階が始まる、その大きな節目に当たる界なのです。

そうしたスピリットが向上の過程において果たしてきた仕事はおおむね守護と強化の目的を帯びていた。たぶん貴殿は守護霊と呼びたいであろう。その任務は確かに発達を促進するし、向上するにつれてますます崇高性を帯びていきます。

が、地上ならびにその後に続く下層界において見守られ援助を受けている者との関係においては、様々な様相を呈していても、本質においては同じ次元に属する事です。しかしこの第11界に突入するスピリットには別の次元の仕事が待ち受けております。

いよいよ“創造性”を帯びたものとなっていきます。同じく宇宙の大いなる神秘を学ぶにしても現象として顕現しているところの“動”のエネルギーではなく、“父の館”に住める大天使のもとに近づくにつれて見出されるところの潜在的創造エネルギーについて学ぶのです。

そうする事によって彼らはそれまで身につけた霊性に加えて、より高い霊性を身につけ1界また1界と上の界へ融合していき“創造”の神秘の巨大さを崇高なる美しさの中で明かされる境涯への突入に備えるのです。

それが聖堂の使用目的の1つであり、実はそれが最大の目的でもあります。その他はここで述べるほどのものではありません。それよりは貴殿は聖堂の建物の平面図と立面図を描写してほしがっておられるようです。

吾々もそのつもりでおりますが、それに先立ってぜひ心しておいて頂きたい事があります。それは今述べた使用目的の叙述においてもそうなのですが、その様相についての吾々の叙述は不完全を免れないという事です。

それというのも聖堂は物質ではなく霊質によって出来上がっているのみならず、その霊的大気と環境が昇華作用によって“強烈さを”測り知れないほど増しております。それを力学ないしエネルギーの潜在力の用語に置き換えて何と呼ぶべきか – 吾々はいい加減な当てずっぽうは控えたい。

何となれば地上の言語ではとても当を得た表現は不可能だからです。聖堂建立の目的を一言にして言えば、様々な異質の様相をもつ2つの界の融和です。

つまり第10界を去って第11界へと突入する段階に至ったスピリットたちがここに集結し、かなりの期間滞在しながら折ある毎に第10界ないしそれ以下の界へ降りては、それまでと同じようにその界の住民の援助と守護と指導と啓発に従事する。

しかしそれと同時に上層界のスピリットに付き添って第11界へと足を踏み入れる事も始める。初めのうちはあまり深く入りません。またあまり長く滞在しません。霊力を強化し、その界の精妙なバイブレーションに慣れるにつれて少しずつ奥へ踏み入り、かつ又、滞在期間を長くしていきます。

戻ってくるとその聖堂で休息をとります。と言っても多分その間に下層界への任務を言いつけられて降りていく事になろう。現に貴殿はそうした任務の1つとして私が霊団と共に下層界、それも地獄とも言うべき境涯まで降りていった話を受け取っておられる。あの任務は吾々にとって実に厳しい試練でした。

何しろ吾々が足を踏み入れた界は1つや2つではなく、地上からこの界に至るまでの全域に亘った上に、さらに地上より低い界までも踏み込んだのです。忍耐力と環境への適応能力と、霊団全体が身体的ならびに精神的に一丸となって吾々の通常の生活環境と気候とは全く懸け離れた条件下での問題を処理していく能力をこうまで厳しくテストされた事は、それなりの意図がありました。

聖堂の居住者であり、第11界への突入の段階を迎えた私にとってはそれが最終的な試練であり、私に付き添った霊団のうち12名にとっては第9界より第10界への向上のための試練であり、残りの2名にとっては第10界よりこの聖堂へ入ってそこの居住者となるための試練でした。また私が例の一団を暗黒界から救出し光明界へ向けて導く任務を与えられた事には特別の意味があった事に気づかれるでしょう。

いよいよ創造的能力が威力を増し鍛えられていく上層界へ召される前の、私にとっての最終的な試練だったのです。その時はそれが理解できず、今なお本当に理解しているとは言えませんが、こうした中にも私の最終的な啓発はすでに始まっているらしく、かつてあれほどの苦界に身を沈めていたのが今はどうにか寛ぎを見出し、少なくとも約束した道に励む者にとって幸せとは何かを知る事ができるまでになったあの者達を待ちうけている栄光が、私にも少しばかり見通す事ができるように思えるのです。

– ではあなたはすでに第10界から第11界へ入られた訳ですか。

まだ恒久的に第11界の住民になった訳ではありません。今の所まだ聖堂の住民の1人です。ですが次第に第11界の環境条件に調和していきつつあります。

そうした生活を構成する要素は数限りなく、しかもそのうちどれ1つを取ってみても極めて重要な事ばかりなので、そのうちの1つでも見逃さずにお伝えしたいと思う一方、その1000分の1を語るにしても貴殿にはその時間も用語もないという情況なのです。

聖堂での滞在はまず必ずと言ってよいほど長期間に及びます。私の場合は格別に永くなる事でしょう。その理由はこうです。私には監督し援助し向上の道から外(そ)れないようにしてやらねばならない大事な預かりものがあります。バーナバスの民の事です。

今でも私は時おり彼らの目に映じる身体をまとって自ら訪ねなければなりません。ですから、いつ何時でもその状態になれるよう体調を整えておかねばなりません。それも現在の界層から1つや2つ下がった境涯ならまだしも、遥か下界の言うなれば宇宙の暗い果てに降りていかねばならないのです。

従って今の私には2重の仕事がある訳です。この聖堂のある台地へ立って一方の手は天上へ向けて“何ものかを得んとし”もう一方の手は下界へ下ろして“何ものかを与えん”としている。そうです。そういう訳です。どうやら分って頂けたようですので、これ以上駄弁は要らないですね。私の言わんとするところはお分りでしょう。

– ザブディエル霊は第11界へ入られたのでしたね。

いかにも。重要な任務は11界へ移った訳です。ですが時おり聖堂へ立ち寄られ、そこで曽ての身体的条件をまとわれて下界へ降りていかれる。戻られるとやはり聖堂を通過して本来の任務地へと向かわれる。

さて、聖堂の様子や環境についてはこの度はこれまでとしよう。引き続き聖堂の内部を紹介する事にしようと思います。が、今回はこれにて終りとします。貴殿は力を使い果たしておられる。

– 最後に一言お名前の事でお聞かせ下さい。“リーダー”というのが唯一私が存じ上げてるお名前ですが、これが私はどうも感心しません。

これは恐れ入りました。しかし地上の聖賢がいかなる名言を吐こうと(※)名前というものにはある種の力があるものです。私は聖堂より上の界においては別の名で知られておりますが、下層界では“アーネル”の名で呼ばれております。宜しかったら貴殿もそうお呼び下さって結構です。

(※どの名言をさすのかは心当たりがないが、私の知る限りではシェークスピアの「ロメオとジュリエット」にこんな1節がある。

いったい名前に何の意味があるというのか
バラと呼んでいるあの花、
あれをどう呼びかえようと
あの美しさに何の変りもあるまいに – 訳者)

– 私の母からの通信に“アーノル”という名前の方が出てきましたが…

地上には天上の名前をうまく表現する文字の配列も語句もありません。ご母堂が紹介されたのはこの私です。どちらでもお好きなようにお呼び下さい。いずれにせよこれからはその名前でいきましょう。その名前で宜しいか – いや貴殿に“感心”して頂けるであろうか?

– これは1本やられました。結構です。そうお呼びする事にしましょう。

ぜひそうして頂きましょう。何しろ今までの名前では貴殿に耐え難い思いをさせ、あまり好意をもって頂けなかったのですから。ではお寝(やす)みを申し上げましょう。アーネル†

原著者注 – アーネル霊が署名したのはこの日が最初で、それ以降は必ず署名し、さらに十字の記号を付した。(見慣れない記号であるが、その象徴的意味を3章のところで説明している – 訳者)

「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†■2022年5月11日UP■
「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†
物質界で味わった苦しい思いは、帰幽後に霊界で存分にその埋め合わせが用意されており、苦難から逃げずに立ち向かった者には霊的褒章が、苦難から逃げて物的享楽に走った者には幽界下層界での反省の人生が待ち受けています。さらに同胞(他人)を虐げて(肉体的精神的に傷つけて)私腹を肥やした人間には暗黒、地獄とも表現できる低い境涯にて永遠とも思える長い年月にわたる大変キビシイ未来が待ち受けています…続きを読む→
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†■2022年7月20日UP■
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†
【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→