【8/1】モーゼスの「霊訓」(上)改訳新版への序

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モーゼスの「霊訓」(上)

W・S・モーゼス著
近藤千雄訳

この書籍は、既に絶版となっている
コスモ・テン・パブリケーション発行の
「モーゼスの「霊訓」(上)」の復刊本となります。
復刊者 山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(祈)†

Spirit Teachings
by William Stainton Moses
(c)Spiritualist Press (1952)
(現 Psychic Press Ltd.)
20 Earlham Street, London, WC2H 9LW, England.
Reprinted by Akito Takizawa(2024)

William Stainton Moses(1839~1892)
ウィリアム・ステイトン・モーゼス
略歴は巻末《参考資料》参照。

モーゼスが受け取った自動書記通信の一部

タテに開く小型のノートに綴られていて、全部で24冊あり、2冊目が紛失した以外は、すべて The College of Psychic Studies に保管されている。

この「霊訓」が初めて公表されたのが、この機関発行の心霊誌 Light 誌上で、そこと特約を結んでいる写真家 Hilary Evans 氏に依頼して、モーゼスの肖像写真とともに撮影してもらったもの。

写真右は49名から成る霊団の最高指導霊インペレーターからの通信の一部。

左は同じくインペレーターと、その指揮下にある複数の指導霊が代わるがわる綴った通信の一部。

IMPERATOR S.D.
S.D.= Servus Dei
(神の僕)

Imperator S. D.
Rector
PRUDENS
Philosophus
Doctor
(各人物の地上時代の身元に
関しては巻末《参考資料》参照。)


モーゼスの「霊訓」(上)もくじ

改訳新版への序
原著者まえがき
第1節 神と啓示
第2節 現世と来世
第3節 “試練”の境涯と“無”の境涯
第4節 “読み取り”の実演
第5節 霊媒の条件
第6節 節度ある娯楽と嗜好の効用
第7節 宗教と理性
第8節 人間として守るべき生活規範
第9節 キリスト教神学の誤り
第10節 絶対にして不変の摂理の存在
第11節 “儀文は殺す。されど霊は生かす”
参考資料


改訳新版への序

「モーゼスの霊訓」と呼ばれて日本でも熱烈な愛読者をもつ Spirit Teachings は、インペレーターと名のる紀元前5世紀の霊が、英国の牧師だったモーゼスの腕を借りて、キリスト教の間違いを指摘しながら10年間にわたって霊的教訓を綴ったもので、1883年に刊行されてからほぼ1世紀をへた今日でもなお世界中でロングセラーを続けている、名実ともに人類史上まれにみる高等な霊界通信です。

日本では昭和12年に浅野和三郎氏が『霊訓』のタイトルで“抄訳”の形で紹介し、それが昭和60年に復刻されて潮文社から出版されていますが、同じ年に、私による“完訳版”が国書刊行会から、やはり『霊訓』のタイトルで出版されています。

その“あとがき”の中で私は、「今こうして上梓(じょうし)するに当たり、その名誉をよろこぶと同時に、こうした訳し方で良かったのだろうかという、一抹の不安と不満を禁じ得ない」と述べました。

翻訳というのは、訳者が原書の“生殺与奪(せいさつよだつ)の権”を握る仕事である、と言っても過言ではありません。たとえ英語力は万全であるとしても、読み取った内容をどういう文体で表現するかによって、読者の受け取る印象が大きく左右されるからです。難しい、と同時に、怖い、仕事であると言えます。

まして、それが本書のように、読む人の人生そのものを根本から揺さぶりかねない内容をもち、その拠ってきたる淵源(えんげん)が間違いなく高級な霊的次元にあるとの認識が固まり、しかも初版以来ほぼ1世紀という長い“時の試練”もへて、本格的な霊界通信の白眉と見なされているものとなると、よほどの覚悟なしには手がけられる仕事ではありません。

さて“不安と不満”を抱きつつ世に出してから今日までの4年間に、私の訳は次のような相反する2つの批評を得ました。“とても迫力があり、荘重(そうちょう)さと威厳(いげん)に満ちている”というのがひとつ。もうひとつは“文章が古くて固苦しく、取っつきにくい”というものでした。

モーゼスの原書が1世紀も昔のものというだけでなく、その通信霊が紀元前5世紀の人物ということもあって、その文章は当然古い英語で綴られており、それに霊格の高さも加わって、全体として重厚さと威厳がみなぎっております。

その雰囲気を訳文に出すためには、少なくとも現代人にも読める範囲で重厚な文語体を使用せざるを得なかったわけですが、右の感想のうち、前者はそれが成功していることを物語っており、後者はそうした文体に馴染めない人には、取っつきにくさを与える結果になっていることを物語っているわけです。

そのこととは別に、実はもうひとつ、訳者個人としての懸念(けねん)が、終始つきまとっておりました。それは、上製・貼函入という、書物として最高のものに仕上げてくださったことが、当然その価格を普通より高いものにし、さらに、書店置きでなく注文制だったために、広く一般の目にとまりにくく、かつ手の届かないものにしてしまったのではないかということです。

自分の訳書が豪華で高価なものになることは、訳者としてこれに過ぎる光栄はありません。が、それはあくまでも訳者個人の気持であり、霊的真理の普及という観点からすれば、そんな次元で満足していられない要素があるのです。

そんな懸念を抱きつづけていた時、本年初頭のことですが、コスモ・テン・パブリケーションの高橋社長からお電話があり、私の『霊訓』を読んで大変感動されたこと、そしてあの文体、あの雰囲気が堪(たま)らなく好きであるとの感想を述べられました。

そこで私は、そうおっしゃってくださるのは有り難いけれど、現代人にとっては文体が重厚すぎること、しかも書店置きでないことが、大勢の方に読んでいただくチャンスを少なくしている実情を申し上げました。そこから話が発展して、これを(上)(中)(下)3巻に分けて、口語体の平易な改訳版を出すことになったわけです。

4年前に完訳版を出してくださった国書刊行会へは、以前からこの件に関して私の希望を伝えてあり、《世界心霊宝典》全5巻(『霊訓』はそのうちの1冊)を担当された佐々木秀一氏の諒解を得てありました。その快(こころよ)い理解に対して、ここで改めて謝意を表したいと思います。

古来、“霊界通信”といわれるものは、洋の東西を問わず数多くありますが、自分の腕を使って、自分の信仰とまっ向から対立する思想を綴る目に見えない存在を相手に、熾烈にして壮絶な論争を延々10年にもわたって続けたという例は、世界に、そして人類史上にも類を見ません。霊からの通信を受け取る者の態度はかくあるべしとの、絶好の手本といえるでしょう。

口語体は文語体にくらべて荘重さに欠ける憾(うら)みはありますが、モーゼスが必死に訴えんとしたものは一応表現できたと確信します。が、原典のもつ荘重さと威厳にじかに触れてみたい方は、ぜひ国書刊行会発行の『霊訓』をお読みいただきたいと思います。

本書が1人でも多くの方の人生に、それまで思いもよらなかった新しい照明を当てることになれば、訳者としての年来の願いが叶えられることになります。

それは同時に、モーゼスが名誉と地位を捨て、見栄と打算を排して真実を求めた、ほぼ10年にわたる宗教家としての至誠を現代に蘇(よみがえ)らせるゆえんともなりましょう。

平成元年9月

「ペナルティ」霊団が僕に課すペナルティの意味が大体分かりましたがスゴイ理不尽感(祈)†■2024年7月31日UP■
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僕は「ホワイトイーグル霊の英語書籍の翻訳」をやろうかと考えているのです。ホワイトイーグル霊の書籍はたった数冊しか日本語に翻訳されていませんが、英語の原書がスゴクいっぱいある事を知ったからです。それら原書のほとんどが日本語に翻訳されていませんので、残りの物質界人生をその翻訳に集中しようかなと考え始めているのです。できもしない僕という霊媒の発動を目指すよりよほど現実的な霊的知識普及方法だと思うのです。僕は英語の能力がありませんので「Google翻訳」で日本語に翻訳するつもりですが、僕のこの作業がきっかけで英語のプロの方が僕の帰幽後にホワイトイーグル霊の書籍の日本語版を復刊してくれるかも知れないじゃないですか。この方が霊媒ナンチャラカンチャラと騒ぐよりよほど堅実な使命遂行だと思うのです。もう霊団が僕という霊媒を使うだの使わないだの、そんなモノに関わり合いになるのはウンザリなんですよ。このテキストを撃っている最中も霊団が「ヤメレ」言ってきました。僕の反逆(脱出)の意思が固い事を受けてそう言ってきているのですよ…続きを読む→
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†■2024年2月21日UP■
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しかし僕の心が完全に霊団に対する怒り憎しみに包まれてしまっていて(絶対ムリと分かっていますが)地球圏を離れたいと切望するほどになっています。つまり僕は帰幽後に地球圏の仕事をやるのに適さない人間になってしまったという事になり、それで霊団がしょっちゅう「ゴメンね」とか「残念だ」とか言ってくるのではないか、という予測もあったりなかったり。ただ、仮にこの最後の予測が正解だったとしても、僕をそうさせたのは他でもないあんたたちだろ。守護霊様の管轄内で生活していた時は僕は現在のような精神状態には全くならなかった。Dreamwork一直線で迷いなど全くなく、山に行き続けてはシカちゃん鳥ちゃんに話しかけるような人間でしたので(純粋だったという事)100の光の霊団も守護霊様と同じような導き方をしていれば僕をこんな精神状態にしてしまう事もなかったはずなのです。100の光の霊団、特に支配霊バーバネル氏に僕が言いたい事は「守護霊様を見習えよ」という事です。霊性発現前は全てがうまくいっていた。そして超速的に霊性発現に到達した。守護霊様の導きは空前絶後の大成功だったと僕は思うのです。…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†