【8/19】モーゼスの「霊訓」(中)自動書記通信が入手されるまでの経過と本巻の内容
モーゼスの霊訓(中)
W・S・モーゼス著
近藤 千雄訳
Spirit Teachings
by William Stainton Moses
© Spiritualist Press (1952)
(現 Psychic Press Ltd.,)
20 Earlham Street, London, WC2H 9LW, England.
▶写真説明
33歳の時のモーゼスとスピーア夫人。モーゼスの右肩のあたりに写っている人物については不明。1872年にハドソン写真館にて撮影。
The College of Psychic Studies 所蔵。Mary Evans Picture Library 特約。
ハドソンは英国における心霊写真家第1号といわれている人で、元来はふつうのスタジオ写真家だったのが、ちょうどこの1872年ごろから、彼が撮影した写真にその時スタジオにいなかった人物像が写るようになり、家族の証言でそれがすでに他界した身内の者で、しかもそれと同じ写真はこの世に存在しないことが判明するということが相次ぎ、ハドソンが特殊な心霊能力をもつ写真家として有名になると同時に、心霊写真が人間の死後存続の有力な証拠として注目されるようになった。
なお、スピーア博士夫人については本巻冒頭の“自動書記通信が入手されるまでの経過と本巻の内容”を参照されたい。
自動書記通信が入手されるまでの経過と本巻の内容
本書の編著者であり霊能者でもあったウィリアム・ステイントン・モーゼスは、オックスフォード大学でキリスト教神学を学んだあと、牧師としてマン島に赴任しました。
若いながらも教養と人間味を兼備した、有能な青年牧師として大変な期待と尊敬を受けていましたが、1869年、30歳の時に重病を患い、翌年回復して英国本土に赴任しますが、病気が再発したために、ついに牧師職を断念して、ロンドンで教職につくことになります。
こうした経過は、背後霊団による計画的なものだったようです。というのは、病気再発後、長期療養のために世話になった医師のスタンホープ・T・スピーア博士の夫人がスピリチュアリズムに大変熱心で、子息のチャールトンの家庭教師としての家族ぐるみの生活の中で、霊的現象についての知識と体験を少しずつ身につけていったのです。そして間もなく、モーゼスの身のまわりにも、さまざまな物理現象が発生しはじめます。
テーブル浮揚、人体(モーゼス自身)の浮揚、物品引寄(アポーツ)、香気の発生、楽器を置いてない部屋での器楽演奏、手先などの物質化現象、等々ですが、やがて自動書記と霊言が生じるようになります。
それまでの一連の物理現象は、目に見えない知的存在の実在と威力をモーゼスに得心させるためのもので、すべてが自動書記と霊言を最終目標として計画的に進められていたことが、のちに霊側の証言で明らかとなります。
本書に収められたのは自動書記通信ばかりですが(霊言は続編の More Spirit Teachings に収められていて『インペレーターの霊訓』のタイトルで潮文社から出ている)、最初のころは取りとめのない内容のものが多くてモーゼスもあまり真剣に取り組んではいなかったようです。
ところが、1873年から出始めたインペレーターと名のる霊からの通信内容が、それまでモーゼスが絶対的に信仰していたキリスト教の教義内容と正面衝突するものとなっていき、戸惑いと不満をぶちまけたモーゼスの質問に対してインペレーターが、忍耐づよく、克明に、そして丁寧に、しかし時には叱りつけるような語気をもって教えさとすという形での内容が、1880年まで続きました。
上巻に引き続いて、本書に収められた内容も、相変らずキリスト教信仰から抜け切れないモーゼスが執拗に反論し、その反抗的態度と猜疑心、つまり、インペレーター霊団はバイブルにいう“天使を装った悪魔”の集団ではなかろうかという疑念が捨てきれないモーゼスにほとほと手を焼いたインペレーターが、ついに“総引き上げ”の最後通告を出すに至るという、まさに火花を散らした壮絶な論争に発展していきますが、それを、その頃に他界したモーゼスの友人が間に入って取りなすという、顕幽両界にまたがるドラマチックな展開を見せながら、“論争”という形での問答は、本巻をもって、モーゼスの得心という形で終息します。
下巻では、論争ではなくモーゼスから問い質すという形で、キリスト教の本質を改めて取り上げ、さらには、その原型となっているという古代インド思想へと発展していきます。
「全て殺されてきました」3000年にわたり使命遂行者は殺され続けてきたという意味です(祈)†
「イエスの成年時代」の復刊書籍の表紙の線画を描くにあたってどうしてもそういうたぐいのモノを見ざるを得ない状況になってしまい、イエス様の磔刑(はりつけ)の宗教画とかを見ていたのです。するとイエス様が十字架を運ばされている絵が複数出てきます。自分が間もなく磔刑にされて殺される十字架を自分で背負って運ばされているのです。要するにイエス様が当時の民衆の人気者で、霊能がずば抜けていたために、それを当時の聖職者だの律法学者だのといった、自分の事をエライと勘違いしているバカヤロウどもが嫉妬して、イエス様にイヤガラセしてイジメて殺したと、そういう事だと思います。※「イエスの成年時代」の中に、逮捕、連行したイエス様を律法学者どもが取り囲んで取り調べをしている最中に、その中のひとりがイエス様に野獣のように飛び掛かって殴り倒すというシーンがあります。皆さまがどのようにお感じになられるか分かりませんが僕の考えをストレートに書きますと、聖職者だの律法学者だのといった人間は「原始人」です「原始的微生物」です。そういうおこないをして帰幽した先に、自分にどれほどの地獄が待ち受けているかを全く理解していない、宇宙最大級の近視眼の愚か者という事になります…続きを読む→
「小宇宙に入ってれば分かんなくなっちゃうからね」肉体の事を言っているのでしょう(祈)†
確かに冷静に考えた時に「どう考えてもこの導きの手法は間違っていただろう、守護霊様だったらこういう事はしなかったはずだ」と思える部分がいくつもあるのです。その最たるモノと僕が思っているのが上記にも書きました「支配霊バーバネル氏の僕を導く手法」で、僕はバーバネル氏は完全に失敗したと思っているのです。バーバネル氏は僕に敵意を抱かれるほどになってしまっていますので、こんな精神状態の人間と融合して思った事を100%述べるなどできる訳がありません。バーバネル氏が僕という霊媒を使用して霊言を語るのは絶対ムリと断言してイイでしょう。ですので僕は自分が霊言霊媒として機能する事はもう全然考えていなくて(そもそもサークルメンバー問題が絶対解決不能なのですから、やろうと考える事自体がおかしいのです)もう新規の霊言は自動書記で降らせるしかないと思っているのです。バーバネル氏の物質界生活時の功績は大いに尊敬しますが、僕を導く手法に関しては大失敗だったと思っています…続きを読む→
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