【9/6】モーゼスの「霊訓」(中)《参考資料》

《参考資料》

(1)D・ダドレー著『第1回ニケア会議の真相』に寄せられた大学教授 H・ホテマの“序”全訳(カッコ内近藤)

<古代においては、いずれの国家にも宗教体制があって、その聖職者階級の支配力によって治められていた。ジュリアス・シーザーに始まるローマの皇帝たちも、コンスタンチヌスに至るまでは、その征服国家の宗教体制はそのまま存続を許してきた。が、それも、西洋と東洋の宗教がローマにおいて激突して大混乱を引き起こすに至って、終止符が打たれることになる。

当時のローマの宗教でとくに勢力が大きかった神は、東洋のヒンズー教のクリシュナ神と、西洋のドルイド教のヘサス神だった。実は両者とも同じ太陽神に由来しており、太古よりそう信じられ、そう崇拝されてきていたのであるが、狡猾なローマの聖職者たちはそれを巧みに人間神にすり替えていた。そのことを国民は知らなかったのである。

そのうちクリシュナ神派の司教たちは、ヘサス神派の煽動によって次第に浸透してきたクリシュナ神への疑念と不信の波に不安を覚えるようになった。

両派ともに自分の宗教の神こそ最古で唯一の、真実の神であると主張して譲らなかった。西暦324年ごろにはその争いが深刻となり、よほど思い切った方策を講じないと収まりがつかないところまで来ていた。

以上が、福音書にいうイエスなる人物の刑死後300年を経た紀元4世紀におけるローマ帝国の宗教事情であるが、バイブルの筆録者によれば、そのイエスがこう言ったとある – “よく聞かれよ。あなたの名はペテロ(ス)である。私はその巌(いわお)の上に私の教会を建てるつもりである。地獄の門もこれには勝てぬであろう”と。(マタイ16・18。ペテロはギリシャ語のペテロスに由来し、“巌”を意味する。)

が、当時の事情は“地獄の門”が“私の教会”に大混乱を巻き起こしており、それが又、その教会の布告によって古代の歴史がすべて破棄され、国民に知られたくない事実をことごとく抹殺した新しい歴史が書かれることになった理由でもあるのである。(それを議決したニケア会議での経緯はあとで述べるとして – )

そうした破壊的な歴史的陰謀が暴かれ始めたのは、かのニケア会議から200年のちに(その会議で皇帝派の暴力によって追放された)アリウス派の勝れた後継者ユノミウスが、その事実を知って公表に踏み切ったことに端を発する。それがキリスト教界に大きな衝撃を与えたのである。

ローマ教会としては当然そうしたユノミウスによる暴露事実が広く知れわたるのを放置しておくわけにはいかない。そこで、その強力な権力を行使して、ニケア会議の経緯を記したユノミウスの全著作、さらにはそのユノミウスを告訴しようとする動きに抵抗する者たちの著作のすべてを、一片の痕跡も残らないまでに隠滅する工作に出た。

ユノミウスが暴いた事実は、ローマ国教会なるものがいかなる経緯で紀元4世紀に設立され、さらにその“神(ゴット)”として“イエス・キリスト”なる人物がどのようにしてでっち上げられるに至ったかを明かしていたのである。

が、真実を永久に隠しつづけることはできない。陰謀に満ちた教会成立の過程と、謎の人物イエスの真相を隠し反抗勢力を抑圧せんとする懸命の工作にもかかわらず、世界を唖然とさせる黒い陰謀を暴くまぎれもない物証が、古代史家の手によって遺跡の中から発掘される日がついに到来した。(その個々の資料をまとめたのがダドレー氏の本文)

正義が永く眠らされることはあろう。が、いつかは必ず目を覚まして仕返しに出る。真実が深く埋もれることはあろう。が、抗しがたい力で、突如、さん然たる光線を放ちながらその勇姿を現わし、策士たちの肝を寒からしめる。

そもそもニケア会議なるものが開かれた目的は何だったのか – それは(表向きは)ヒンズー教のクリシュナ神をドルイド教のヘサス神の上位に位置づけるべきか、それぞれ個別に崇拝すべきか、それとも合体させて1個の神として祀るべきかを討議することにあった。

コンスタンチヌスは(ニケア会議の召集にいたるまでは)議論を収拾するために、両方の神を併用してはどうかという案を出していた。当然その案は失敗した。そして両派の論議が敵意むき出しの様相を呈してきたので、コンスタンチヌスはこれを本格的に検討するために、両派の有力な司教をニケアに召集することにしたのだった。

その会議を、ローマ領とはいえ小アジヤの小王国ビテニヤのニケアで開催したことには、実はコンスタンチヌスの下心があった。(いっそのこと新しい宗教をこしらえようという)その本当の目的を国民に知られないようにとの深謀である。

西暦325年の5月に始まった審議がようやく終了したのは8月だったというが、一説によると、衝突があまりに激しくて、9月にまで及んだという。(その舞台裏では着々とバイブルの改ざん工作が進行していたことになる。)

発掘された断片的資料や出席した司教たちの書簡などによると、その会議に召集された司教の数は1800名にのぼったようである。

(イタリヤの古代王国)ヘラクレアの司教サビナスは、友人に宛てた手紙の中で、コンスタンチヌスと(パレスチナの古代都市)カイザリアの司教ユーセビウスの2人を除けば、両派の神の名を合体させるという皇帝の案に最終的に賛成票を投じた300名の司教たちは“およそ理解力というものを持ち合わせない、無教養でおめでたい連中ばかり”だったと述べている。

そして、今日“キリスト教”の名で知られる新しい宗教体制を率いる新しい神の名を“イエス・キリスト”とすることを認めそして受け入れよとの皇帝の強制的な案に賛成票を投じたのも、そうした、何の節操も持ち合わせない、ただただ“異端者”の烙印を押されることを恐れ、皇帝に媚びへつらい、そして、こんな怒号に満ちた審議会は1日も早く終ってもらいたいと願うしか能のない、愚かな聖職者たちだった。

かくして、福音書にいう“救い主イエス”が誕生した。その強行採決にいたる経緯はこうだった。

コンスタンチヌスが提出した案に賛成したのは、最初の採決では1800名中わずかに300名だった。コンスタンチヌスはこれに激怒した。反対派の中心人物は(アレキサンドリアの司教)アリウスだった。

アリウス派はその案への反対声明文を提出した。それを皇帝派が破り棄てた。たちまち“聖なるキリスト教議会”は大混乱に陥り、それを収めるためにコンスタンチヌスはローマの衛兵を呼び入れた。

皇帝と武装した衛兵を頼みに、勢いづいた皇帝派はアリウスとその一派全員の聖職権を剝奪し、衛兵が議場から連れ出した。そしてコンスタンチヌスの一存でアリウスは国外へ追放された。

アリウスとその支持者1500名が議場から追い出されたあと、改めてコンスタンチヌスの案が、初めから賛成するに決まっている300名の司教の前に提出され、“万場一致”で可決された。

かくしてキリスト教の世界に“その血をもって罪を洗い流し給う”(黙示録)救い主イエスが誕生したのだった。>

1965年
ヒルトン・ホテマ
Hilton Hotema

こうした事実を裏付ける資料をまとめたのがダドレー氏の著書で、これで、シルバーバーチが再三にわたって“バイブルは改ざんされています”と述べていることの裏付けが取れたことになる。そのことをシルバーバーチが明確に指摘した部分を次に紹介しておく。

(2)バイブルの改ざんに関するシルバーバーチの見解(一牧師との対話)

牧師「神は地球人類を愛するがゆえに、唯一の息子を授けられたのです。」

シルバーバーチ「イエスはそんなことは言っておりません。イエスの死後何年もたってから、例のニケア会議でそんなことがバイブルに書き加えられたのです。」

牧師「ニケア会議?」

シルバーバーチ「西暦325年に開かれております。」

牧師「でも私がいま引用した言葉はそれ以前からあるヨハネ福音書に出ていました。」

シルバーバーチ「どうしてそれが分ります?」

牧師「いや…歴史にそう書いてあります。」

シルバーバーチ「どの歴史ですか。」

牧師「どれだかは知りません。」

シルバーバーチ「ご存知のはずがありません。一体バイブルが書かれるもとになった書物はどこにあるとお考えですか。」

牧師「ヨハネ福音書はそれ自体が原典です。」

シルバーバーチ「いいえ、それよりもっと前の話です。」

牧師「バイブルは西暦90年に完成しました。」

シルバーバーチ「その原典になったものは今どこにあると思われますか。」

牧師「いろんな文書があります。例えば…」と言って、ひとつだけ挙げた。

シルバーバーチ「それは原典の写し(コピー)です。原典はどこにありますか。」

牧師がこれに答えられずにいると –

シルバーバーチ「バイブルの原典はご存知のバチカン宮殿に仕舞い込まれたまま1度も外に出されたことがないのです。あなた方がバイブルと呼んでいるものは、その原典のコピーのコピーの、そのまたコピーなのです。おまけに“原典にないものまで”、いろいろと書き加えられております。

初期のキリスト教徒は、イエスは遠からず再臨するものと信じて、イエスの地上生活のことは細かく記録しなかったのです。ところが、いつになっても再臨しないので、ついにあきらめて、記憶をたどりながら書きました。イエス曰(いわ)く – と書いてあっても、実際にそう言ったかどうかは、書いた本人も確かでなかったのです。」

牧師「でも、4つの福音書には、その基本となったいわゆるQ(キュー)資料(イエス語録)の証拠が見られることは事実ではないでしょうか。中心的な事象はその4つの福音書に出ていると思うのですが…」

シルバーバーチ「私は別に、そうしたことがまったく起きなかったと言っているのではありません。ただ、バイブルに書いてあることの一言一句に至るまでイエスが本当に言ったとはかぎらないと言っているのです。バイブルに出てくる事象には、イエスが生まれる前から存在した書物からの引用がずいぶん入っていることを忘れてはいけません。」

Teachings of Silver Birch by A. W. Austen

(3)幽体脱離の状態で霊界から自動書記と直接書記を観察したモーゼスの体験

“サークルのメンバーの向上心の高さが、訪れる霊の性格を決めるのです。出席者の精神的波動は霊界まで波及し、その程度次第で、集まる霊の程度も決まります。このことをすべての人にわかってもらえれば有り難いのですが…”

これは直接書記によって綴られたインペレーターの通信で、書記役のレクターがそれを操作している様子を、モーゼスが体外遊離(幽体脱離)の状態で観察した。その様子をモーゼスが次のように記述している。

<その日はひとりで自分の部屋にいた。ふと、書きたい衝動を感じて机に向かった。それほど強烈に感じたのは、ほぼ2ヶ月ぶりのことである。まず最初の部分をふつうの自動書記で書いた。どうやらその時点で無意識状態に入ったようである。

気がつくと、自分の身体のそばに立っている。例のノートを前にしてペンを右手にして座っている自分のそばである。その様子と辺りの様子とを興味ぶかく観察した。

自分の身体が目の前にあり、その身体と自分とが細い光の紐によってつながっている。部屋の置きものがことごとく実体のない影のように見え、霊的なものが固くて実体があるように見えた。

その私の肉体のすぐ後ろにレクターが立っていた。片手を私の頭部にかざし、もう一方を、ペンを握っている私の右手にかざしている。そのほかにインペレーターと、これまで永いあいだ私に影響を及ぼしてきた霊が数人いた。さらには私に見覚えのない霊が出入りして、その様子を興味ぶかそうに見守っていた。

天井を突き抜けて、柔らかい心地よい光が注がれており、時おり青味を帯びた光線が何本か私の身体へ向けて照射されていた。そのたびに私の身体がギクリとし、震えを見せていた。生命力が補給されていたのであろう。さらに気がつくと、外の光も薄れて、窓が暗く感じられた。したがって部屋の中が明るく見えるのは霊的な光線のせいだった。

私に語りかける霊の声が鮮明に聞こえる。人間の声を聞くのと非常によく似ているが、そのひびきは、人間の声より優美で、遠くから聞こえてくるような感じがした。

インペレーターが、これは実際のシーンで、私に霊の働きぶりを見せるために用意した、といった意味のことを述べた。レクターが書いているのであるが、私が想像していたのと違って、私の手そのものを操っているのではなく、また私の精神に働きかけているのでもなく、青い光線のようなものを直接ペンに当てているのだった。

つまり、その光線を通じて通信霊の意志が伝わり、それがペンを動かしているのだった。私の手はただの道具にすぎず、しかも、必ずしも無くてはならぬものでもないことを示すために、光線がそのペンを私の手から放し、用紙の上に立たせ、さらに驚いたことに、それが用紙の上を動きはじめ、冒頭に掲げた文章を綴ったのである。

出だしの部分を除いて、ほとんどが人間の手を使用せずに綴られたものである。インペレーターの話によると、人間の手を使用せずに直接書くのは容易なことではなく、そのため綴りにいくつか誤りが見られるとのことだった。事実その通りだった。

そのあと私は、一体ここにいる(人種の異る)霊たちはどうやって通じ合うのだろうという疑問を抱いた。すると、すかさずその疑問に答えて、数人の霊が代わるがわる、違う言語でしゃべってみせた。私にはさっぱりわからなかったが、インペレーターが通訳してくれた。

その上さらに、霊がいかなる要領で思念の移入によって通じ合うかを実演してみせてくれた。またインペレーターは、音も物的媒体なしに出すことができることを説明してくれた。その時に、例の鈴の音が聞こえ、また部屋中に霊妙な芳香が漂った。(モーゼスの交霊会ではよく鈴の音が聞こえ、不思議な芳香が漂った。)

その場にいた霊はみな、前に見た時と同じ衣装をつけていた。そして、まわりの物体には何の関係もなく、自在に動き回っていた。そのうちの何人かは、私の身体が向かっている机を取り囲んでいた。

私自身も白のローブに青の帯をしているように見えた。さらに、その上に紫の布、一種のオーバーローブのようなものを羽織っていたように思う。どの霊も自然発光的に輝いており、部屋中が非常に明るかった。

そのうち私は、戻ってこのことを書き留めておくように言われた。肉体に戻るまでのことは意識にないが、部屋で観察したことに関しては絶対に確信があり、それを素直に、そして誇張をまじえずに綴ったつもりである。>


訳者 近藤 千雄

訳者 近藤千雄(こんどう かずお)
(平成元年8月写す)

昭和10年生まれ。18歳のときにスピリチュアリズムとの出会いがあり浅野和三郎の訳書の影響を受けて、大学で翻訳論を専攻。現在までに訳したスピリチュアリズム関係の原典約40冊、著書2冊。広島県福山市在住。

「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†■2022年5月4日UP■
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†
僕が本当にこういうヒドイ状況にさせられても全く誰の目も開かないというのか。誰ひとりとして真実に目覚めないというのか。僕の人生がこれだけ破壊されても日本国民の洗脳が1ミリたりとも破られないというのか。物質界はここまで腐りきっているのか。この期に及んでもまだ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を陛下だの殿下だのと呼び続け笑顔で手を振り続け、奴隷の女の子を強姦殺人する手助けを続けるつもりなのか。「無知ほどこわいものはない」この言葉に帰着します…続きを読む→
「しかしこの応援団」心秘かに使命遂行を応援して下さっている方々の思念だと信じたいですが(祈)†■2022年7月13日UP■
「しかしこの応援団」心秘かに使命遂行を応援して下さっている方々の思念だと信じたいですが(祈)†
誰もみな「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する恐怖心があって公言できずにいるが、心の中では僕、たきざわ彰人の霊的使命遂行を応援して下さっている、という事でいいのではないでしょうか。それこそ本心であり、人間として当然の感情であり、信じられない人数の幼い女の子をケタケタ笑いながら四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっている明仁、文仁、徳仁、悠仁に対して怒りの感情を抱かないとしたら、それはもはや人間とは呼べず、人間のカタチをマネているだけの何らかの暗黒物質という事になるでしょう…続きを読む→

未分類

Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†