【9/7】モーゼスの「霊訓」(下)前2巻(上)(中)のあらましと本巻の特色 訳者
モーゼスの「霊訓」(下)
W・S・モーゼス著
近藤千雄訳
Spirit Teachings
by William Stainton Moses
(c)Spiritualist Press (1952)
(現 Psychic Press Ltd.)
20 Earlham Street, London,
WC2H 9LW, England.
▶写真説明
中巻の写真と同じく、1872年、モーゼス33歳の時にスピーア博士といっしょに撮ったもの。写真左の横向きの霊姿は霊団のひとりのレクター。The College of Psychic Studies 所蔵。Mary Evans Picture Library 特約。
スピーア博士の後ろに立っているモーゼスは半入神状態となっていて、意識がもうろうとしている表情が窺える。これは出現した霊のエクトプラズムの濃度が高くて、心霊写真の域を超えて物質化現象となっているためである。エクトプラズムは神経細胞の一種で構成されているために、あまり多く抽出されると意識が薄れ、さらに昏睡状態となってしまう。
レクターはその後『霊訓』としてまとめられた通信の大半の筆記係をつとめることになるが、この時点ではまだ本格的な通信は始まっておらず、モーゼスの身辺に異常現象が多発していた。この写真もそのひとつである。
スピーア博士ならびにレクターに関しては上巻<参考資料>を参照されたい。
モーゼスの「霊訓」(下)
もくじ
前二巻(上)(中)のあらましと本巻の特色(訳者)
第23節 イエスに至る霊的系譜
第24節 霊的啓示の黎明(れいめい)と黄昏(たそがれ)
第25節 旧約聖書の実像
第26節 新局面の展開
第27節 古代インドの霊的思想
第28節 古代エジプト人の宗教的生活
第29節 邪霊集団の暗躍
第30節 霊界の祝祭日
第31節 進歩と堕落
第32節 真理
第33節 通信、終息へ
人類史上における『霊訓』の意義
前2巻(上)(中)のあらましと本巻の特色 訳者
ステイントン・モーゼスはオックスフォード大学で厳格なキリスト教神学を学び、それを唯一絶対の真理であると信じ、卒業後は英国国教会の牧師としてそれを誇りをもって説いてましたが、30歳ごろから体調を崩し、医師のスタンホープ・スピーア博士による治療を受け、そのまま博士宅で療養生活を送りながら、博士の子息の家庭教師をすることになりました。
インペレーターと名のる霊団の最高指導霊の説明によりますと、神学を学ばせたのも、体調を崩させたのも、そしてそれが縁でスピーア博士宅で過ごすことにさせたのも、すべて霊団側の予定どおりの計画であったといいます。
博士の奥さんが大変熱心なスピリチュアリストで、当時の第1級の霊能者、たとえばスピリチュアリズム史上もっとも多彩な霊能者といわれるホームなどの交霊実験に出席していたことから、当然の成り行きとして奥さんからスピリチュアリズムについて聞かされることになり、モーゼスはそれに反発を覚えながらも、少しずつ馴染んでいくことになりました。
そうするうちにモーゼス自身の霊能が発現し、身辺にさまざまな異常現象が発生しはじめます。その中でもいちばん驚異的だったのはモーゼス自身が宙に浮き上がったことでした。が、そのうち腕がひとりでに動いて文章が綴られるようになりました。いわゆる自動書記現象です。
初めのうちはこれといった意味のない内容のものが書かれていましたが、ある時点からキリスト教の教義と真っ向から対立する見解が“インペレーター”の署名のもとに述べられはじめます。
反発を覚えたモーゼスが一体あなたは何者かと問うと、地上で“ナザレのイエス”と呼ばれたお方の命令をうけて参った一団の頭(かしら)である、という返事です。地上時代の名前は?と問うと、霊にとっては地上時代の名前は意味がないので言わぬ、と言います。
では一体何の目的あってのことか、と問えば、人工的教義によって生命を失ってしまったキリスト教に代って、正しい霊的真理(スピリチュアリズム)を説くことであるという返事です。
こうした調子で、キリスト教の教義を中心として広く人間生活に関わる一般問題や霊の世界のこと、霊界と地上界とのつながり等に関する問答が延々と続けられますが、キリスト教神学がこびりついているモーゼスにとってはそれがどうしても受け入れられず、問答が次第に議論となり、やがて激論となり、モーゼスの方は体調を崩し、一方インペレーターの側はモーゼスのしつこさに手を焼いて“総引き上げ”の最後通牒を突きつけるまでに至ります。
その危機一髪の時に、たまたまモーゼスの親友が他界し、さっそくインペレーターと会って、願わくば人間としてのモーゼスの心境をおもんぱかって今少しの猶予を、と嘆願します。
この辺の経緯はまさに本通信の圧巻で、互いに見栄も打算も名誉心も排し、霊団側は使命の貫徹を、モーゼスはひたすらに真実を求めて正面からぶつかり合ったその熾烈(しれつ)さは、人類史上、他に類を見ないもので、私も訳者としての立場を忘れて、しばし感涙にむせぶことも一再ではありませんでした。
これをクライマックスとして、以後はモーゼスも精神的平静を取り戻し、多少の心理的ぶり返しはありながらも、霊団から授けられた霊的教訓を新しい啓示として受け入れるようになります。
この(下)巻では、そうした落着いた心境の中でモーゼスがバイブルの中の説話の由来について質問し、それに対して霊団側のそれぞれに詳しい霊が回答しています。
総体的に言えば、すべての宗教の源流はインドにあり、エジプトを経由し、さまざまに変形しながら語り継がれてきたもので、その中にはただの神話や伝説、作り話、寓話等が混じり合っていること、しかし同時に、いずこの国にも霊的啓示の系譜というものがあり、根底においては、人類の進化に適応した霊的真理の進歩のあとが一貫して認められるはずである、といった解説がなされています。
それと併行して注目すべきことは、邪霊集団の暗躍に関する警告がくり返し述べられていることで、これは、昨今の日本の心霊事情にかんがみても、よくよく心すべきことであると思われます。
最後のモーゼス自身による締めくくりの言葉は、その数行だけを読めば当たり前のことのようで、ほぼ10年間に及んだ、文字どおり死にもの狂いのモーゼスの真理探求の葛藤のあとをたどってくると、読む者に厳粛な感慨を呼び起こさずにはおかないでしょう。
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†
あなたは自分の心を偽っています。霊界には「ウソ」というものが存在しません。ありのままの自分の姿が衆目に晒され、その人の霊体、オーラを見ればその人がどういう人物なのかが一目瞭然で分かるのだそうです。物質界でウソをつき通して偽善者のフリをし続ける事ができたとしても、その物質界生活時のウソを帰幽後の霊界人生で恥辱という名のもとに存分に清算させられるのです。そしてたぶん物質界に再降下させられる事になるでしょう。物質界人生を正直に生きる事と、物質界での失敗の清算で何度もやり直しをさせられるのと、どっちが効率的進歩向上の道だと思いますか。正直に生きた者が最後は必ず勝利者となります。なぜならこの全宇宙が【神の絶対的公平、公正】によって経綸されているからです。ですので僕はたとえこの使命遂行の先に死刑台が待ち受けているとしても、僕が画家時代から大好きだったシルバーバーチ霊の言葉の通り「真一文字に突き進みます」そして帰幽します。皆さまはその時「正直者がバカを見る」とお思いになる事でしょうが、それは永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界の事しか見つめる事ができない近視眼的視点から導き出される回答です…続きを読む→
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→
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