【12/9】コナン・ドイルの心霊学 SPR(11)(心霊研究協会)に所属する

以上が、私とスピリチュアリズムとの最初の関わり合いである。その時はまだ懐疑心は拭えなかった。が、少なくとも調査・探求してみようという意欲はあった。そして、古めかしい考えに囚われている否定論者が“あんなものはみなペテンだ、手品師でもあれくらいのことはやってみせるよ”といった意見を述べるのを聞いても、少なくともその意見の方がナンセンスであるという確信はできていた。

といって、その時点までの私の個人的体験はとても得心させてくれる性質のものではなかった。が、ずっと読み続けていた心霊書によって、その著者たちがいかに積極的に、そして深く心霊現象を探求しているかを知り、宗教性をもつ問題がこれほどの証拠性をもつに至ったのは、世界の歴史を見ても前例がないことを認識していた。

もとより、それだけで真実性が証明されたことにはならない。しかし少なくとも敬意をもって扱うべきものであること、他愛もないものとして無視すべきものでないことを証明していた。

たとえば博物学者のウォーレスが“近代の奇跡”と呼んでいる驚異的な現象がある。霊媒のD・D・ホームが地面から70フィートも浮揚して、建物のひとつの窓から出て別の窓から入ってみせたというのである。私にはとても信じられないことだった。

が、その現象を実際に見たという人が3人もいる – しかもそれが、ダンレイブン卿(12)、リンゼイ卿(13)、ウィン艦長(14)といった、名誉と名声をほしいままにしている英国第一級の人物ばかりであり、口を揃えて“神に誓って、いつでも証言する”と述べていることを知って、私は、これは全世界が真実と認めている出来事よりももっと真実味があることを認めずにはいられなかった。

その間も相変らずテーブル通信を続けていた。何の通信も来ないこともあったし、来ても、下らないものばかりだったこともあれば、驚くほど筋の通ったものが届けられたこともある。今でもその時のノートを取ってある。その中からこれは本物だと思えるものを紹介しておきたい。

当時は私の魂を高揚させるものとしてではなく、ただ面白いというにとどまっていたが、その後オリバー・ロッジ卿の著書『レーモンド(15)』や、それ以降の霊界通信と共通するものがあり、今ではまったく違った価値を見出している。

死後の世界についての叙述はどれも少しずつ異なったところがあるもので(地上の世界についての叙述だって人によって違うものだ)、全体として捉えた時にはじめて大きな共通点が見出せるのであるが、これから紹介するものは、私がそれまで考えていたものとも違うし、いっしょに交霊会を行なったふたりの女性が考えていたものとも、その概念が大きく違っていた。

通信を送ってきたのはふたりで、まず最初のひとりが、われわれ3人の誰も知らない Dorothy Poslethwaite という名前を綴った。5年前に16歳でメルボルンで死んだが、今は幸せで、する仕事もあると言い、地上で通った学校はふたりの女性のうちのひとりと同じだったという。知ってる名前をいくつか綴るように要求すると、その学校の校長(女性)の名前を綴った。その通りであることを確認した。

さらにその通信者は、今住んでいる界層(67ページ第1図のイラストに見られるとおり死後の世界はいくつかの層を成しており、それを“界層”と呼び、地上社会の“階層”と区別して用いることにする – 訳者)は地球のまわりに存在すること、火星には地球人類より進化した人類が住んでおり、例の運河は火星人がこしらえたものであること、今いる世界には身体上の苦痛は何ひとつないが、精神上の悩みはあること、やはり統治されている世界であること、養分を摂取しなければならないこと、地上時代はカトリック教徒で今でも同じ信仰をもっていること、仏教徒やマホメット教徒もいて、それで別に問題はないこと、まだイエス・キリストの姿を拝したことはなく、キリストについての格別の知識も得ていないけど、その影響力は地上時代より強く感じていること、今いる界層でも祈りがあり、次の世界へ行く時は死に似た形体上の変化があること、娯楽もいろいろあって、音楽もそのひとつであること、光と笑いに満ちた世界で、金持ちも貧乏人もおらず、全体として地上よりはるかに幸せであること – 大体そんなようなことを綴った。

その女性がお休みなさい”と綴って去った直後に、テーブルが強烈な力によって動かされはじめた。どなたですかとの問いに、英国の有名なクリケット選手だった Dodd(ドッド)の名を綴った。

この人とは私はエジプトの探険旅行をしたことがあり、彼がナイル川をさかのぼるというのを私が反対して、真剣に口論したことがある。彼はそのままひとりで出発して、そこで客死してしまった。1896年のことである。

いっしょに交霊会をしていたふたりの女性はドッド氏のことは知らなかった。そこで私が本人がすぐ目の前にいるような調子でいくつか質問すると、すぐに正確な答えが返ってきた。返事の内容には私が予測したこととは正反対のこともあったので、私の潜在意識が作用しているとは思えなかった。

彼は今はとても幸せで、2度と地上生活に戻りたいとは思わないと言い、地上では信仰というものを持たなかったが、そのことは死後の世界とは何の関わりもないと言った。ただし“祈る”ということは結構なことで、それがスピリットの世界とのつながりを強くすることになると言い、自分がもっと地上で祈りの生活をしていたら、霊界での位置はもっと高いものになっていただろうとも述べた。

信仰を持たなくても幸せになれるということと、祈りが死後の幸せを増すということとは矛盾しないでもないが、考えてみれば、信仰を持つ人でも必ずしも祈りの生活をしていないことを思えば、一概にどうこう言えないのかも知れない。

死んだ時は少しも苦痛はなかったという。ポールフィールという名の若い将校が彼より先に死んでいるが、死んだ時に迎えに来てくれた人々の中にその姿は見えなかったとも述べた。ドンゴラの陥落のことはよく覚えているが、すぐそのあとのカイロでの祝宴には“スピリットとして”その場に行っていたという。

今はいろいろと仕事があり、生命についても地上時代より多くのことを学んでいるという。カイロでのふたりの口論のことはよく覚えていた。死後すぐに落着いた界層での滞在期間は地上時代より短かったという。

ゴードン将軍(16)とはまだ会っていないし、その他、地上で著名だった人とはひとりも会っていないという。スピリットの世界でも家族や集団で生活しているが、地上で夫婦だったといっても必ずしもいっしょではないが、真実の愛の絆があれば、再びいっしょになれるという。

以上、きわめて大ざっぱではあるが、長さといい内容といい、ここで紹介するのに適当と思って選んでみた。否定論者はすぐに中身がバカバカしいという批判をするが、右の話の中身がもしもバカバカしいというのであれば、世の中にはバカバカしくないものはないことになってしまう。と言って、その中身が100パーセント真実であるという証拠もまた、私には見出せなかった。そして、それをどう理解したらいいのか、戸惑うばかりだった。

今でこそ、その後の幅広い体験によって、世界各地で同じような死後の情報を得ている人が大勢いることを知り、これだけの証人が意見の一致をみている以上は、それを真実と認めてよいと考えるに至っているが、当時の私の思想構造の中には、そういう来世の概念の入る余地はなかった。

それ以後も私は死後の問題に関する書物を読み続け、読めば読むほど、いかに多くの人たちが、いかに慎重に探求してきているかを知るばかりだった。わずか3人の仲間による実験で入手するものよりも、はるかに私の精神を感化した。そんな時に、ジャコリオというフランス人の書いたオカルトの本を読んだ。

この人はフランス領インドの主席判事で、ひじょうに批判的な精神の持ち主であるが、同時にスピリチュアリズムには少し偏見を抱いていた。彼は複数のヒンズー教の苦行僧を使って一連の実験を行なったという。彼がヒンズー教をよく理解しヒンディー語をしゃべったせいもあって、苦行僧たちは彼を信頼していたらしい。

その本によるとジャコリオは、詐術を排除することに大変苦心している。それは省略するとして、結果的に彼が得たものは、たとえばD・D・ホームがやってみせたような近代の欧米の心霊現象と同じものだった。身体の浮揚、まっ赤に燃えた石炭を素手でつかむこと、ある物体を遠い位置から動かすこと、植物の苗を目の前で生育させること、テーブルの浮揚、等々を確認している。

その原因の説明も先祖霊の仕業であるということで、スピリットであるとする点も同じである。唯一スピリチュアリズムと異なるのは、自然界の心霊的(サイキック)エネルギー(17)を活用している点で、それは古代カルデアの魔法使いから引き継がれてきていると彼らは信じていた。

しかし、ともかくも、近代の欧米の心霊現象とまったく同じものが見られ、しかもそこに欧米で見られるようなトリックが一切なかったということに、私はひじょうに感銘をうけた。

この頃、<弁証法学会・調査委員会報告書(18)>というのを読んで大いに考えさせられた。提出されたのは1869年にさかのぼるが、実に説得力に富んだ内容である。当時の、無知で唯物観に凝り固まったジャーナリストからは嘲笑の的とされたものだが、大変な価値のある資料だと思う。

調査委員会は、スピリチュアリズムの現象を調査するために信頼のおける地位にあり思想的に偏りのないメンバーによって構成されていた。報告書にはそのメンバーによる実験と、詐術に対する入念な予防策が記述されている。

これを読めば、誰しもそこに述べられている現象が疑うべくもない純正なものであり、これまでの科学によって発見されていない法則やエネルギーの存在を示しているという結論に到達するはずである。

それにつけても奇妙なのは、もしもこの学会による報告書の結論が“心霊現象を否定する”ものであったら、スピリチュアリズムへのノックアウトパンチとして大いに賞賛されるはずだったのに、それが逆にその“実在を証言する”ものであったばっかりに、非難のつぶてを投げつけられた。

これは1848年のハイズビル事件以来各地で行なわれた調査結果の多くがたどった運命であり、米国のヘア教授(19)が詐術を暴く目的で調査を開始して、最終的にはその真実性を認める結論を出したことで身をさらされた運命でもあった。

さて、私は1891年に心霊研究協会(SPR)に加入し、そのメリットとして、協会が所有する調査報告のすべてに目を通すことができた。読んでみて私は、協会のたゆまざる入念な努力と表現の慎重さには大いに敬意を表したくなったが、同時に、慎重さが“もどかしさ”を感じさせ、またセンセーショナルなものは公表を控えるという態度が、肝心なことを世間に知らしめなくしているという事実を認めずにはいられなかった。

特別の興味をもって読む人を除いては、用語を学問的に見せようとする態度が鼻について、途中で読むのを止めたくなるほどである。ロッキー山脈の猟師が、ある大学教授の道案内をした時の話として、私にこう言ったことを思い出す – 「大学の先生ともなると脳味噌がわれわれとは違うんですなぁ。話を聞いても、何をおっしゃってるのか、さっぱり分かりませんでした…」と。SPRもそんなところがある。

もっとも、そうした点はあるにしても、闇の中で光を求める者にとって、SPRのきちょうめんな仕事は大いに役に立っている。それは、今日の私の思想の基盤を築いてくれた要素のひとつであることには間違いない。

肉体を離れての精神の活動

が、もうひとつ、私の心に大きく引っかかっていた事実があった。それは、あれほどの資料と実験結果を手にしながら、それを総合的にまとめてひとつの思想体系をこしらえる努力がなされていないことだった。たとえばSPRの記念碑的著作のひとつであるフレデリック・マイヤースの『人間の個性とその死後の存続(20)』がある。

この著作の中でマイヤースは、蒐集した不思議な体験のすべてを解く“霊的方程式”を打ち出すまでには至らなかったが、彼みずから“テレパシー”という用語で呼んだ精神(マインド)と精神との反応(以心伝心)の実在は、完璧なまでに証明されている。

目の前の事実に故意に目をつむろうとする人は別として、これはもはや科学的事実として定着している。しかし、この事実の発見が大変な進歩であるとの認識が不十分なのである。

もしも1個の精神が遠距離にある別個の精神に直接的に作用することが有り得るとすれば、これは、この宇宙にはわれわれが理解している“物質”とはまったく異質のエネルギーが存在することになる。唯物論者にとっては、その拠って立つべき足台が取り払われたことになる。実は私が土台としていた理屈も崩れ去ってしまった。

それまでの私は、ローソクの炎は、ローソクが無くなれば消えてしまう、という事実を根拠にしていた。ところが、テレパシーの事実は、ローソクから遠く離れた場所で“炎だけ”が活動することが有り得ることを物語っている。私の理屈は根拠を失ったことになる。

精神(マインド)、霊(スピリット)、ないし知性(インテリジェンス)が身体から遠く離れたところで活動できるとすれば、それは、もともと身体とは別個の存在を有するものであることになる。となると、身体が滅んだあとにそれが存続しても不思議ではないことになる。

ある人が死んで、同じ時刻に遠距離にいる身内の誰かが不吉な予感を得たという場合、テレパシーの現象である場合と、実際にその死者自身が、肉体が滅んだあと、それに代る別の身体でそこへ訪れた場合とが考えられる。

このように、単なる思念の読み取りという単純なケースが一方にあり、他方には身体とは別個の存在による働きかけというケースがあるわけであるが、基本的には両者は1本につながったクサリの両端であって、ただ単に目を奪うような現象ばかりを雑然と蒐集するだけだったものに、マイヤースは、初めて組織的な秩序をもたらしたと私は考える。

この頃に興味ぶかい体験をしている。SPRの代表団のひとりとして、ある有名な幽霊屋敷で夜通し立ち会うことになった。そこでは、1726年に英国のエプワースで起きたウェスレー家の現象(21)や、1848年の例のスピリチュアリズムの発端となったハイズビル事件(22)と非常によく似た現象が何年にもわたって起きていた。結果的にはこれといってセンセーショナルなものは起きなかったが、といって、まったく無駄に終ったわけでもなかった。

第1日目の夜は何事も起きなかった。が、2日目の夜に、まるで棒でテーブルを激しく叩いているような、物凄い音がした。もとよりイタズラの防止策には万全を期していた。が、きわめて巧妙な悪ふざけにわれわれがまんまと引っかかったのだという説を完全に否定する根拠も見当たらなかった。ともかくその時はそれだけのことで終った。

ところが、それから数年後に、かつてその家に住んだことのある家族のひとりから、われわれSPRのメンバーが訪れたあとで、その家の庭から子供の白骨死体が発掘されている話を聞かされた。しかも、ずいぶん古いものだという。これは捨ておくわけにはいかない話である。

幽霊屋敷というのはそう滅多にあるものではない。そして、その屋敷の庭に白骨死体が埋められていたという話も、滅多にあってほしくない。怪奇現象と白骨死体との関連は一考の価値はあるとみてよいであろう。

ハイズビルにおけるフォックス家事件でも白骨死体と殺人事件との関連が、大きな話題を呼ぶきっかけとなったことを想起していただきたい。あの場合は、それによって殺人事件の解明にまでは至っていない。が、それは別問題なのである。

たとえば、前述のウェスレー家の怪奇現象の場合も、その現象を起こしている霊と親しく交信することができていたら、なぜそういう現象を起こすのかという動機も解明されたはずである。

子供の白骨死体の発見という事件から想像すれば、幼くして残酷な形で生命を断たれることによって、その無念の気持がつのって、そういう現象という形でエネルギーが発散されたのかも知れないのである。

この時期から第1次大戦の終結の頃まで、私は引き続き心霊現象の勉強に余暇のすべてをつぎ込んだ。一連の交霊会で驚異的な現象をいくつも見た。その中には薄明りの中での物質化現象もあった。ところが、それから間もなくして、同じ霊媒がトリックを使用したことが判明して、私はその霊媒による現象のすべてを、信用性のないものとして破棄することにした。

こうした態度は、霊媒によっては必ずしも妥当でないこともある。たとえばユーサピア・パラディーノ(23)の場合のように、霊的エネルギーが弱まった時にはトリックを使用したこともあるが、どうあっても本物と断定できる現象もあった。

同じく心霊現象でも、最低次元のものになると、スピリットとの関わりはまったくなくて、五感の延長としての心霊的エネルギーの発現にすぎないものがある。当然それは気まぐれで、意識的なコントロールができない。

パラディーノは少なくとも2回はへたなトリックを使ってそれが暴かれているが、一方、フランス、イタリア、イギリスの高名な科学者によって構成されたいくつかの調査委員会による長時間の検証にも、見事にパスしたことが数回もある。

しかし私は、やはり、1度信用を失った霊媒による体験は、私の主義として、そのすべてを記録からカットしたい。また私は、たとえ純正な現象であっても、暗闇の中で行なわれた物理現象は、何らかの証拠性のある通信が伴っていなければ、価値は半減すると考える。

否定論者は、問題を起こした霊媒を全部除外していったら、現象の真実性を支持する証拠もほとんど全てを除外しなければならないと主張するが、これは見当違いというものである。私はそのトリック事件に引っかかるまで1度も金銭を取る職業霊媒の交霊会には出席したことがなかったが、それでも証拠性という点では確かな体験を積み重ねてきた。


D.D.ホーム

報酬を絶対に受け取らなかった世界最高といわれる霊媒のD・D・ホームは、白昼でも現象を見せ、いかなるテストにも応じ、1度もトリックの嫌疑をかけられたことはない。同じような霊媒は他にも大勢いるのである。

問題は、金銭を取る霊媒が、アラ探しやスキャンダル探しのレポーター、アマチュア探偵などに目をつけられ、どこからでもケチをつけられかねない、いい加減な現象を見せ、そのあげくに挙げられた場合である。

心霊現象の原理について何も知らない陪審員や裁判官の前では、いくら正当な弁明をしても、そのまま通用するはずはない。そもそも、現象が起きなかったら報酬は支払わないという慣行が間違っている。専門の霊媒が結果にかかわりなく年金を貰えるようにする以外に、トリックを防止する方法はないであろう。

以上、第1次大戦に至るまでの私の心霊観の発展の跡をたどってきた。その間、私は一貫して慎重な態度を維持し、否定論者が言うような、安直な軽信性はなかったつもりである。どちらかと言えば慎重すぎたほどである。

というのは、私は変った出来事を何でもかんでも検討の対象とすることには躊躇してきた。もしかしたら私は一生涯を一心霊研究家として、たとえばアトランティス大陸の存在とかベーコン論争(24)のような、面白くはあっても道楽的要素の強い問題で、ああでもない、こうでもないと、迷い続けていたかも知れなかった。

■アナログ絵381「フラー26設定資料」UP。フラー新規デザインは止まるかも(祈)†■2024年12月8日UP■
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フラーのプライオリティが下がりまくっている関係でこのフラー26は完成までだいぶ時間がかかってしまいましたが、かろうじてこのようにデザインする事ができました。フラー06ver2.0の後継機、ハチちゃんをキャラに持つフラーとなります。「フラー30到達」という目標を掲げてデザインを続けてきましたが、使命遂行がもうグチャグチャ、霊団やる気ゼロ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、物質界の邪悪はホッポラカシ、奴隷の女の子たちは見殺しにすると言い切っている始末で、僕の霊団への怒りは燃え上がるばかり、心境的にフラーを描いているどころではなくなってしまっています。このフラー26もストーリーに登場させたいですが、もう機体数が多すぎてとてもムリ、という状態です。さぁ新規フラーをデザインし続けられるのか。それよりこの使命遂行を何とかしてくれ、という思いの方が強いです…続きを読む→
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†■2024年3月20日UP■
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に鉄槌を喰らわせる事もしなければ奴隷の女の子たちを助けてあげる事もせず、ただ半笑いで僕が苦しむところを見ているだけで終わらせるつもりなんじゃないだろうな。で、次世代降下チーム(霊界側で同じ時代に同じ地域に降下するチームがあらかじめ結成されるという事)が、僕が一生かけて蒔いたタネを活用してそこでようやく物質界の諸問題が解決されるとか(つまり僕の帰幽後のお話、今から50年後、100年後とか)そういうストーリーか。僕は前座か。本当に損な役回りだな。フゥゥ、僕なりに霊的知識を果てしなくお勉強していますが、確かに偉大な功績を残した先駆者の方々というのは、物質界では認められず帰幽後に霊界にて真の評価を下され、向上を果たし上層界に召されていると理解しています。※つまり逆に物質界で偉人とされて歴史に名を残している人物というのは霊界では全く評価されておらず暗黒の底に落ちているという事です。戦争勝利将軍とか、慈善家とか、富豪とか、そういうたぐいの人間です。「後なるものが先に」これは偉大な真理なのですが、物質界ではこの意味が全く理解されていません…続きを読む→
■2020年2月26日UP■
トレイルムービー【大きなプライド7】この素晴らしいインスピレーションも、やはりブログとして書き残しておくべきでしょう(祈)†
ちなみに(FC2)ブログの名前「ar7」は…[a]→ある[r]→霊覚者が[7]→7界所属のイエス様のご意思を遂行するという意味でつけたものです。つまり「イエス様ハンドリング」ですね。昨日の幽体離脱時もイエス様の強調された映像を拝しました。こんな僕に光栄です。ただ早くして下さい。はい。つまりイエス様に【アキトくん、キミは私の大きな誇りだ】というお言葉を賜ったという事なのですが、それは「イエス様ハンドリング」を公言し、イエス様のご意思を遂行し続けてきた僕にとって…動画を見る→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†