が、このキリストの生涯と、それが有する模範としての効用を考察しようとすると、他にもいくつか考慮に入れなければならないことがある。そのひとつは、キリストの生涯を煎じつめれば、当時の伝統的宗教であるユダヤ教を強健な常識と勇気をもって糾弾し、儀式典礼の無意味さを白日のもとにさらし、それに代る霊的真理を説いたということに尽きるであろう。

そこにこそキリストの信奉者にとっての、心掛けの肝心なところがあるのであって、ローマ帝国が権威の拡大のために勝手にこしらえた何の根拠もない教義を後生大事に受け入れることではあるまい。

キリスト教の権威と、人間の一生がもつ権威の一体どちらが大切であろうか。“聖なる書”の観念のもとに、用語のひとつひとつにこだわり、書記による綴りの間違いや書き損じまで大切に保存するなどということは、狂気の沙汰というべきである。

もしもキリストが例の“童子のごとき”正直さをもってユダヤ教を信奉していたなら、“キリスト教”などというものは生まれなかったであろうことは、容易に想像のつくことである。キリストは当時の伝統的信仰の間違いを指摘し、聖職者階級の堕落を糾弾したのである。

現在、クリスチャンと称する人たちはその点に思いを馳せ、勇気をもって新しい啓示に耳を傾けるべきである。キリストは1度たりとも自分のもたらした啓示がすべてであり最終的なものであるとは言っていない。そのキリストの言葉すら正しく理解されていないのである。

そのキリストの啓示に匹敵するものが、この現代に至って同じ真理の源から届けられたのである。ただ、キリストに匹敵するほどの大人物はまだ出現していない。キリストの出現にはあの時代なりの意味があったのであろう。私は、時が熟せば、これからもキリストほどの大人物の出現も有り得ると信じて疑わない。

「あなたは理解しなくてはなりません」何を言ってるのかサッパリ理解できません(祈)†■2022年5月18日UP■
「あなたは理解しなくてはなりません」何を言ってるのかサッパリ理解できません(祈)†
とにかく理不尽のレベルがタダ事ではない。努力すればするほどヒドイ状況にさせられていく。どれくらいのレベルの不自由な肉体をまとわされるのかは分かりませんが、義肢、義足ですからもちろん日常生活に支障が出るレベルでしょう。当然絵も描けない、そもそも絵の才能を剥奪され、現世での努力を全く無に帰せられる。そして使命遂行上必要と思われるテキスト撃ち、情報拡散等々の作業も満足にできない、そういう肉体をまとわされての再降下になるのかも知れません…続きを読む→
「きっての大事業」そう言うなら結果を出すところまで仕事をやり切ってくれよ(祈)†■2024年10月16日UP■
「きっての大事業」そう言うなら結果を出すところまで仕事をやり切ってくれよ(祈)†
「これに答え得た人間がいたであろうか」これは霊団が僕に課した霊的仕事の事で、過去、物質界の邪悪を攻撃する仕事を仰せつかった霊能者がそれを実行した事がほとんどない、みんなその仕事をやろうとしなかったという意味かも知れません。ハッキリ言いますが、僕もこの使命遂行、やんなきゃよかったとかなり本気でそう思っています。こんなヒドイ人生やらされる事になるとは夢にも思っていませんでしたからね。そうだと知っていれば絶対にやらなかった。僕の人生目標は「帰幽後に霊界で賜る霊的褒章」であり、物質界で仕事を果たし切って初めてその褒章に辿り着けるという事を僕は知識として知っていましたから、目標到達のためにはこの仕事を受けざるを得なかったのですが、にしてもここまで人生破壊が進行するとは思っていませんでしたよ。霊団がココまでヒドイ事をする人間だとは思っていませんでしたので。しかも現在の僕は反逆の度合いが尋常ではありませんので、もうガンバってみたところでどのみちあまり美しいところには赴けそうもない事が分かっていますので、それで余計心が腐ってしまうんですね「もうそこまでしてやる必要ネィんじゃネィのか」となってしまうのです…続きを読む→