さぁインスピレーション皆無が続いています、今度こそ長文ブログボイコットとなるか、という状態ですが、2サイトは(全然アクセスがないのが苦しいですが)止まらず投稿を続けています。先ほどこのような記事をUPしました↓

本当はメスナー氏の画像を貼りたいところなのですが、何しろ問題がありましてそういう事ができないのが悲しいです。メスナー氏について僕などという男が語るのもどうかと思うのですが、何がいちばんスゴイかって、それはこれまでの生涯の山での全冒険を「死なずに生還してきた」という事ではないでしょうか。山で死んでない、現在も健在というのがいちばんスゴイ。

僕は帰幽カモンですので山で死ぬつもりですが笑、一生に1度は8000mオーバーの山に登ってみたいですがお金がかかるんですよ、そっちの意味で僕はムリです。さぁ僕は僕にできる事を全力で続行しましょう(祈)†

■アナログ絵356UP。クレスで定期的におこなわれる「フラー講習会」の1シーンです(祈)†■2023年8月24日UP■
■アナログ絵356UP。クレスで定期的におこなわれる「フラー講習会」の1シーンです(祈)†
そしてももちゃんの成長ぶりを少し描きました。アナログ絵168の時と比べてだいぶオトナになっていますよね。使命感みたいなものも芽生えているようです。イエス様と出会ったばかりの時はシルキーと一緒になってただ単にはしゃいでいただけですが、その後イエス様にまつわる様々な事情をお勉強した事によって精神的に成長を遂げているという事を短いながら表現しています。で、この「イエス様とももちゃんのやりとり」の中にはひとつ間違いがあります。イエス様はももちゃんが質問する前からももちゃんの心の中が分かっていますから「ん?どうしたんだい?」と聞き返す事はないはずで、ももちゃんが質問を投げかける前にいきなり答えを話し出すはずです。…続きを読む→
「目に見えぬ者によって動かされている、その事実を知る事です」僕もそうありたいと思ってますよ(祈)†■2023年11月8日UP■
「目に見えぬ者によって動かされている、その事実を知る事です」僕もそうありたいと思ってますよ(祈)†
この間部詮敦氏という霊能者が時代を抜きん出たずば抜けた人格者だったという事が分かるのです。近藤先生がこれから物質界生活中になされる仕事の重大さをいち早く見抜き、大学在学中に何と毎週近藤先生のもと(キャンパス内)に足を運んであれこれ教えておられたそうなのです。実の子でもないのにまるで自分の息子のように面倒を見ていたという事です。そして近藤先生が書籍の中で予測で書いていた事ですが、間部詮敦氏は若き日の近藤先生の守護霊および指導霊の存在が当然霊視で見えていたはずですが、それを結局一言も言わず帰幽したのだそうです。どういう事かと言いますと、近藤先生にはその仕事の重大性からとてつもない高級霊団が付いていた事が容易に想像できるのですが、それを若き日の近藤先生に伝えてしまったら近藤先生がのぼせ上ってしまう(霊団に言わないようにクギを刺されていたという事もあるかも知れませんが)ので間部詮敦氏は近藤先生の霊団の事を一言も言わなかった。これはとてつもない事だと思うのです。見えてるんだからフツー言うだろう。隠し通したって本当にスゴイ…続きを読む→
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†■2024年2月21日UP■
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†
しかし僕の心が完全に霊団に対する怒り憎しみに包まれてしまっていて(絶対ムリと分かっていますが)地球圏を離れたいと切望するほどになっています。つまり僕は帰幽後に地球圏の仕事をやるのに適さない人間になってしまったという事になり、それで霊団がしょっちゅう「ゴメンね」とか「残念だ」とか言ってくるのではないか、という予測もあったりなかったり。ただ、仮にこの最後の予測が正解だったとしても、僕をそうさせたのは他でもないあんたたちだろ。守護霊様の管轄内で生活していた時は僕は現在のような精神状態には全くならなかった。Dreamwork一直線で迷いなど全くなく、山に行き続けてはシカちゃん鳥ちゃんに話しかけるような人間でしたので(純粋だったという事)100の光の霊団も守護霊様と同じような導き方をしていれば僕をこんな精神状態にしてしまう事もなかったはずなのです。100の光の霊団、特に支配霊バーバネル氏に僕が言いたい事は「守護霊様を見習えよ」という事です。霊性発現前は全てがうまくいっていた。そして超速的に霊性発現に到達した。守護霊様の導きは空前絶後の大成功だったと僕は思うのです。…続きを読む→

2サイト投稿用リストを作成してますが、どんどん肥大化していってます。しかしそれでもまだ全然足りないでしょう。何しろずっと投稿し続けなければならない訳ですからいくらあっても困る事はありません。で、まず1発目テストでこのような投稿をしています↓

エルサレム・マラソン Jerusalem Marathon イスラエル
※画像はイメージです。実際の風景ではありません。

エルサレム・マラソン Jerusalem Marathon イスラエル

実は先日入手した書籍というのは「世界のランニングレース、大会がイパーイ紹介されている書籍」でして、それを参考にさせて頂き投稿しているのです。山に関連したあらゆる内容を投稿しようという事で「山に行き続けるにはトレーニングが必須、なら大会を走る人もいるのではないか」という事でこれからあらゆる大会を紹介する投稿をしていくつもりです。

リストはもうウンザリするほどたくさんありますが、それでもまだまだ足りないでしょう。世界の山のリストの作成がムズカシイんですよ、ってか全網羅はムリでしょう。主要な山しかリスト化できないでしょうが、まずはそれでもイイのでやっているところです。何もないよりまずはできるところからやる、そしてやっていく中でさらに手を広げていくつもりです。

えっ、もうこんな時間だよ。忙しすぎて時間の経過が異常に早い。イヤー1サイト2サイト同時運営、これはキビシイなぁ…しかし脱出のためにはやるしかない。アドセンスの連絡は催促してもまだ来ません。催促したのが原因で落ちたりして笑。フラー26は最終行程シャドウハイライトに突入してます。一刻も早くケリをつけなければ。忙しすぎて気が遠くなる(祈)†

「地上に知れ渡るのか恐るべき事実だな」真実は必ず知れ渡る、隠し通す事は不可能です(祈)†■2024年7月24日UP■
「地上に知れ渡るのか恐るべき事実だな」真実は必ず知れ渡る、隠し通す事は不可能です(祈)†
その男性が失われた良書を復活させようとしている事をシルバーバーチ霊が「真一文字に突き進みなさい」と言って鼓舞しているシーンがあります。僕はこのシルバーバーチ霊の「真一文字に突き進みなさい」の言葉が大好きで、画家時代から人生の指針としていたほどです。で、続いてシルバーバーチ霊が秘書の女性に話しかけ始めますが、ココで評価が一変します。シルバーバーチ霊はこの秘書の女性を「黄金の心を持つ女性」と言ってベタ褒めします。女性は赤面して「私は無力な人間です」と言いますがシルバーバーチ霊はこの女性をココぞとばかりに褒め続けます。この秘書の女性は出版業の男性を影で支えているのみで、実際の作業は男性がやっているのですが、霊界側では女性の方がこのように評価されるのです。これは物的成果を見ているのではなく“心の持ちよう”を見ているからこうなるのではないかと僕は思ったりするのです。つまりこの秘書の女性には私利私欲、自己主張のようなものが全然心の中になかった、献身的姿勢を貫いていたのではないか、それをシルバーバーチ霊が読み取っていたからベタ褒めしたのではないかと僕は予測するのです…続きを読む→
■2020年2月12日UP■
※トレイルムービー 強姦殺人魔、徳仁Naruhitoの「銀婚」の画像について、常識的見地から解説をさせて頂きます(祈)†
僕たちは過去の歴史において様々な失敗を重ねそこから教訓を学び優れた発明を生み出してきました。「失敗は成功のもと」僕たちは苦も無く成功した時より手痛く失敗した時の方が何倍も深い学びを得る事ができます。そして大いに失敗をして他人に迷惑をかけ、その非礼を詫び反省するところから【人格の精錬】が始まります。「失敗」を何度も重ね反省しトライ&エラーを繰り返す事で人格は向上し【謙虚】が次第に身について行きます…動画を見る→
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†■2023年3月22日UP■
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†
聖書には真実でない事がたくさん書かれています。人類史上最大の汚辱と言っても過言ではない「ニケーア会議」の時に様々なウソが聖書に書き加えられ、そのウソが世界中に広まっていき、イエス様の2000年の苦悩へとつながっていったのです。キリスト者はイエス様の御名を悪用して私腹を肥やす事を2000年にわたって続けてきました。特に中世ヨーロッパの暗黒時代が最悪で、キリスト教の要職についていた人間たちは、自分たちの地位、生活を守るために真実を公言する人間を徹底的に処刑してきました。キリスト教の人間が「主よ、主よ」とイエス様の御名を連呼する時、それはイエス様に対する最大級の侮辱であり、イエス様の悲しみをさらに増幅させ、積年の誤謬(ごびゅう)を払拭するどころかさらに加速させ続ける、イエス様をさらに十字架にかけ続ける許されざる呪いの行為となります。僕、たきざわ彰人からお願いしたい事としましては、間違いだらけの聖書を読むのはやめましょう。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした正真正銘の霊関連書籍に目を通すようにしましょう。そして教会に足を運ぶのもやめた方がイイでしょう…続きを読む→

以上が、人類の未来をより明るいものにするためにまず改めねばならないと私が考えている点のひとつである。それに比べれば、これから述べるもうひとつの点は、さして大きな問題ではないかも知れない。改めるというよりは、観点を少し変えるだけのことである。

よく知られている通り、イエスが地上で生活したのは、バイブルの記述から推定するかぎり、わずか33年間であり、捕縛から処刑、そして蘇りまでは1週間足らずにすぎない。

にもかかわらず、総体的にみてキリスト教の中心はその悲劇的な“死”にあり、死に至るまでの美しい生涯にはあまり重きを置いていない。双方とも重大ではあるが、前者に重点を置きすぎ、後者の扱い方が軽すぎるというのが私の見解である。

たしかにイエスの死は美しく、感動的である。しかし、真理のために身を犠牲にした例は、なにもイエス・キリストひとりではない。それに匹敵する例を歴史の中に拾えば、何十人でも挙げることができる。

が、その生きざま – 生涯を一貫して流れる隣人愛、心の広さ、無私の心、勇気、理性的判断力、進歩性に焦点を当てた時、そこには超人的ともいえるほどの群を抜いた人物像が浮かび上がってくる。新約聖書に記録されている断片的な、それも翻訳された、間接的な資料が描いているものなのに、われわれはただただ深い畏敬の念に満たされるのである。かのナポレオンでさえこう語っている。

「…その点、キリストは別格だ。キリストに関することのひとつひとつが私には驚きである。その精神の高さには不意をつかれたような驚きを覚えるし、その意志の気高さには戸惑いすら感じる。

キリストとこの世的なものとの間には、まず比較すべきものが見出せない。まったく別格なのだ。キリストに近づけば近づくほど、そしてキリストの生きざまを細かく見れば見るほど、すべてにおいて私には手の届かない存在であるように思えてくる」

実は、それほどの高級霊がこの地上に降誕した本当の目的は、ナポレオンをそこまで感嘆させるほどの大人物を、魂を鼓舞する見本として人類に垂示することにあったと私は考える。

もしも人類が、身代りの犠牲だの堕罪だのといった空想上の教義やそれにまつわる謎めいた議論にうつつを抜かさずに、キリストの人物像そのものを手本とする努力を真剣に続けてきていたならば、今日の人類の文化と生き甲斐ある人生のレベルがずっと高度のものとなっていたことであろう。

理性と道徳性のカケラもない教義こそが、最高の知性と人格をそなえた人物をキリスト教に反撥させ唯物主義へと追いやった元凶だったのである。真理への憧憬の本能がどうしても承服できないものと葛藤しているうちに、真実なるもの、美なるものを失っていったのである。

キリストの最期は確かにその気高い生涯に相応しいものであり、有終の美を飾ったと言えるかも知れない。しかし、人類の宗教にとっての永続性ある基盤を遺(のこ)してくれたのは、その生きざまだった。

もしも人類がそれを日常生活における行為と宗教の規範として仰いできていたら、後世に生じた宗教戦争も、内部の権力抗争も、宗閥間の対立による悲劇も、よしんば全面的には回避されなかったとしても、少なくとも最小限にとどまっていたことであろう。

「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†■2024年1月3日UP■
「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†
「霊的知識普及のための客寄せパンダ」というもので、霊団は試練の境涯である物質界から苦難の元凶(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁)を取り除く事はしない。取り除いてしまったら物質界の存在意義(刑務所としての機能)が果たせなくなってしまうので邪悪は残し続けるが、霊的知識拡散のための「客寄せパンダ」としてこの強姦殺人魔どもを最大活用した、という事なのではないか。さらに言うと「神の因果律」の一環として、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらに徹底的に恥をかかせるという目的も含まれていたのではないかと僕は思っているのです。僕はこのバカヤロウどもはインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」でイイと思っていますが霊界上層界の方々はそうは思っていなくて、何とかコイツらに反省させて進歩向上の糸口をつかませようとしているのかも知れない、それで大恥をかかせて心変わりをさせようとしているのかも知れない、なんて思ってみたりもするのです。そんなムダな努力する必要ネィだろ、コイツら(明仁、文仁、徳仁、悠仁)は絶対反省なんかできネィよ、人間失格なんだよ、霊の海に埋没して存在消滅すればイイんだよ(地獄より下という事)と僕は思うのですが上層界の方々は憐れみをもって眺めますのでそういう視点なのかも知れない…続きを読む→
「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†■2024年5月15日UP■
「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†
この地球、この宇宙は全て【神】のものです。今僕たちがまとっている肉体さえ僕たちのものではありません。全て神からの賜りものであり、僕たちの所有物などというモノは存在しません。物的金銭を蓄積する事ほど愚かな事はありません。肉体は100%朽ち果てるようにできているのですから人間は自動的に帰幽して物質界を離れます。その時、霊界に物質は持って行けません。100兆円稼いでも1円も霊界に持って行けないのです。物質界での金銭の蓄積は全く無意味である事を物質界生活者が理解するのはまだ1000年以上先の話かも知れません。物質界生活中に僕たちがやるべき事は「心を鍛える」という事です「自分を磨く」という事です。それが帰幽後の霊界生活に役立つのであって、霊界人生に何の役にも立たないおこないは、少なくとも僕、たきざわ彰人のブログをご覧の皆さまには慎んで頂きたい、その悟りの壁を突破して頂きたいと願わずにはいられません…続きを読む→