ハイズビル事件を契機として新しい啓示が次々と入手されはじめた頃、ブルーム卿(1)が奇妙な比喩を用いてこう述べた – “一点曇りなき無神論の青空に、たったひとつ小さな雲が漂いはじめた。それが近代スピリチュアリズムである”と。
ふつうなら“無神論の暗雲の切れ間にチラリと青空が見えはじめた”とでも表現すべきところであろう。しかし、これを裏返せば、卿のキリスト教への懐疑がいかに徹底したものであったか、そしてまた、スピリチュアリズムのもつ重大性をいかに強く意識していたかを物語っていると言えよう。
ジョン・ラスキンも、死後の生命に確信を得ることができたのはスピリチュアリズムの科学的研究のおかげであると述べている。同様の趣旨のことを何十人、いや何百人もの著名な人が認めている。どれひとつ取り上げても、真実を証言するに十分な重みをもった名前である。
彼らは、言うなれば、その曙光を最初にとらえた“高き峰”だったのかも知れないが、その光は、これがさらに広がれば、いずこの低地にいる者にも拝めるようになることであろう。
そこで、この2000年の間に他の何ものにも為し得なかった、人類の思想と行為の改革を必ずや為し遂げるであろうスピリチュアリズムを、これからいっしょに検証してみたいと思う。
私は、その良い面だけを紹介するようなことはしない。まだまだ残されている問題もあるので、それも紹介したい。核心的な面において絶対的な自信をもって扱うことができれば、他のすべての面における真実性を臆することなく主張することが出来ると信じるからである。
生命を失って血の通わなくなった既成宗教に活力をもたらすことは確実と信じられるこの新しい潮流は、“近代スピリチュアリズム”と呼ばれることがある。これは意味のあることである。
というのは、その底流にある霊性は、表現形態こそ異なっても、人類の歴史とともに存在してきたのであり、とくに地球上に生じた全宗教の理念の根幹において赤々と燃えさかってきたのである。バイブルにもそれが一貫して流れている。
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†
認めたくありませんが、まぁ脱出は結局実現しないでしょう。最後の最後まで閉じ込められる事になるでしょう。しかしそう思ってあきらめながら暮らすのは僕的には絶対に有り得ないのです。僕はいつでも全力です。自分にできる事を全力でやるのです。とにかく当分は絵を描き続けます。死んだ魚の眼をしながら無目的でただ物質界に残り続けるなんて死んでもガマンできない。何かに燃えなければ生きられない。霊団が使命遂行やる気なしの態度をこれほどハッキリ撃ち出しているんだから僕は僕本来の燃えるモノを追いかける以外にないだろう。いつかは反逆から手を引かざるを得なくさせられるだろうと容易に予測できますが、その「下を向きながら生きる」姿勢が許せないんだよ。最後の1秒まで全力でやるべき事をやれよ。人の人生これだけブチ壊してるんだから責任を果たせよ…続きを読む→
「死ぬ決定だからな死ぬ死ぬ死ぬ」それと僕を閉じ込める事とは関連がネィだろう(祈)†
そもそも僕は「帰幽カモン」です。物質界に1秒も残されていたくないのです、一刻も早く帰幽して霊界生活に突入したいのです。なのでやるべき仕事をキッチリやり切ってとっとと帰幽できれば別にそれでいいのです。必要以上に物質界に残り続けようとか、肉体の寿命を延ばして長生きしようとか、そういう事は全く考えていないのです。物質界に残り続ける事は不幸以外の何ものでもありませんからね。霊的知識をどうかお勉強して下さい。ですので僕の本音としては「僕の物的生命の生き死になんかどうでもイイから物質界の邪悪をこのタイミングで滅ぼせよ。それを達成して帰幽できれば僕は全然それでイイんだよ」という事になるのですが、霊団はそうは考えていないようなのです。んーまぁ、霊団が僕を守ろうとしている事はなんとなく分かるので、そこをあまり責めてはいけないのかも知れませんが、霊団がやっている事はただダラダラ事態を引き延ばしているだけ、実際は何もやってない、という事になるのでそこが頭にくるのです。そして僕がいちばんムカつくのは、僕が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺されるのを防御する事と、僕を最悪のところに閉じ込める事とは何の関連性もネィだろう、ただ殺されないようにするだけだったら閉じ込める必要はネィだろう、という事です…続きを読む→