【3/6】コナン・ドイルの心霊学 自然と進化は断絶を嫌う

以上が、きわめてコンパクトな形ではあるが、近代に至って霊界から届けられた通信によって明かされた死後の世界である。これを他愛ない幻想として片づけられるであろうか。どこか自然の原理に反したところがあるであろうか。

むしろ、きわめて自然で、その入手経路に確信が得られた以上は、人類は死後間違いなくそうした道程をたどるものと受け止めてよいのではなかろうか。自然と進化は、突然の断絶を嫌うものなのだ。

技術・文学・音楽その他の才能は脳の産物ではなく、その人間の自我の属性であるからには、死後それを失うということは、その人物の同一性を失うことに等しく、まったく別人となることになる。したがって、個性が存続するということは、そうした才能も存続していることを意味する。

が、たとえ存続しても、それを表現する器官がなくては存在の意味がない。そして表現器官はある程度の“有形”の媒体を必要とするであろうから、死後にもそうした意味での身体を必要とするはずである。そして、身体がある以上、文明人のつつしみ深さから、何らかの“身を包むもの”の必要性を感じるであろう。

また自然な願望と親和力の作用によって、真に愛する者と生活を共にすることになるであろうし、そうなると、地上でいう家屋に相当するものの必要性も考えられる。さらに、精神的な安らぎとプライバシーの必要性は、個別の部屋の存在を想起させる。

かくして、死後の個性存続という事実さえ確立されれば、とくに霊界からの啓示を待つまでもなく、純粋理性と推論とによっておよその生活の構図を描くことができよう。

この“幸せの国”の存在に関するかぎり、われわれが知る世界のどの宗教の来世観よりも、十二分な証明がなされたと考えてよいように思う。

そう言うと、読者の中には、右に述べたようなこまごまとした死後の世界の事情のうちで、どのあたりまでが私自身の想像なのだろうか、また、その概念は、同じように霊界通信に関心をも知識人によってどの程度まで真実として受け入れられているのだろうか、といった疑問を抱く方がおられるであろう。

お答えしよう。右に述べたことは私が入手した厖大な資料をもとに、私自身が結論づけたものであると同時に、その基本路線において、世界各地で地道に、しかし厳格な態度で、宗教的偏見を混じえずに調査・研究した人たちによって、長年にわたって受け入れられてきたものである。証拠資料に関するかぎり、私はこれで必要かつ十分であると考えている。

「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†■2023年4月12日UP■
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†
そうそう、シルバーバーチ霊は「苦を苦と思わない段階まで霊格が向上すれば、苦難を味わわされても喜びしか湧き上がってこない」みたいな事を仰っています。さらに「ベールの彼方の生活」にも、上層界の天使たちが下層界の仕事に携わって大いに苦しい状態にさせられているのに笑顔になっているという記述があります。これは帰幽して十分に向上を果たし、俯瞰の視点で全体を眺められるポジションに立つ事ができて初めて到達できる精神状態だと思います。物質界生活中にこの精神状態に到達するのは、頭で知識としては理解する事ができても心の底から納得してそういう心境に到達するのはまず不可能と思われます。中にはそういう聖者のような方もいらっしゃるのかも知れませんが僕はデザインの人間ですのでそれはないです…続きを読む→
今回は霊団のインスピレーションをほぼ全て無視し、僕の心境を語らせて頂きます(祈)†■2024年8月7日UP■
今回は霊団のインスピレーションをほぼ全て無視し、僕の心境を語らせて頂きます(祈)†
これは詳細説明できないのですが、実は霊性発現初期の頃に「隔離フィールド」という霊現象に長らく苦しめられた時期がありました。この時の実際の状況は諸事情がありまして説明できないのですが、どうもこの隔離フィールドの時から現在までが1本の線でつながっているのではないか、僕の人生はこの隔離フィールドからおかしくさせられたのではないか、という気もしているのです。ごめんなさい、これは説明できないのです。僕という霊媒から新規の霊言を降らせたいのなら、いくらでも方法があるはずだろう、サークルメンバーのいるところに僕を移動させる、自動書記で霊言を綴る、できなかったなどとは言わせない、絶対にできるはずだ。コイツらは言ってる事とやってる事が完全に正反対だ。僕がある方向に動くととにかく脅して止めてくる。何の結果にも到達しないようにしているとしか思えない。で、僕は反逆(脱出)などと言っていますが、実際に脱出が実現したとしましょう。そうなると僕は現在の生活より自由に使用できる時間を増やす事ができるようになり、使命遂行に多くの時間を割く事ができるようになり、さらに霊的仲間を求めて外洋に飛び出す事もできるようになります。現在の生活では困窮を極めているためにそれができません…続きを読む→
「ようやく春が訪れます」霊界側の積年の悲願がようやく成就されるという意味ですが(祈)†■2025年1月29日UP■
「ようやく春が訪れます」霊界側の積年の悲願がようやく成就されるという意味ですが(祈)†
現在の霊団はアフォじゃネィかというくらい僕をイジメにイジメ抜こうとしてきますが、この宇宙に偶然はありませんのでもちろんこれにも意味がありまして、物質圏に降下しての霊的知識普及の仕事は苦難と忍耐のレベルがタダ事ではなく、並大抵の忍耐力では務まらないのだそうです。深海(6000mとか8000mとか)で潜水服を着て活動しているダイバーが、もうひとりのダイバーに潜水服越しに話しかける、霊界の人間が物質界の人間に語りかける事はそれくらいむずかしく忍耐がいる事なのだそうです。何しろ異なる次元間にあんなシチメンドクサイ橋、こんなシチメンドクサイ橋をかけて波長の下降操作をやらねばなりませんので、それが不愉快でならないのでしょう。つまり現在霊団が僕をイジメまくっているのは、帰幽直後からその潜水服をやらせるためなのではないかと、つまり猛烈にストレスのかかる仕事をやらせるために僕の精神力を鍛え続けていると、そういう意味なのではないかとイヤな予測をしているのです。本気の全力でお断りしたいんですけども。その対価として祝福だの何だのと言ってくるのではないか、と考えると少しこのインスピレーションの意味も納得できたりできなかったり…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†