【3/17】コナン・ドイルの心霊学 キリスト教による救いは挫折した

しかし、かりに100歩譲って、そうした高度な産物がキリスト教の教義のお蔭であることを認めても – 実際は人類に秘められた善性の発現にほかならないのかも知れないが – キリスト教は完全に挫折したこと、そしてその挫折感をこのたびの世界大戦によってしみじみと実感させられたという事実は、もはや疑いようのない現実である。

いくら呑ん気な護教論者でも、今回の世界的動乱を、何世紀にもわたってヨーロッパを席巻したキリスト教による満足すべき所産であるなどという主張はできないであろう。

プロテスタント、カトリック、ギリシャ正教、いずれも似たり寄ったりで、人類の福祉には何の貢献も為し得なかった。むしろ暗黒時代の残虐行為と不行跡と不道徳から西洋世界を救ったのは、それより古くかつ高度な文明と、行政上の制度のおかげではなかったろうか。

世界大戦はキリスト教とは無関係に起きたものだ – だからキリスト教が非難されるいわれはない、などという弁解は許されない。たしかに、キリストの教えは間違っていない。キリストが説いたこととキリスト教とは本来無縁のものだ。(1)ずいぶん都合よく改ざんされていて、両者を同一視することはできない。

その改ざんされた教義の上に築かれたキリスト教は、暗黒時代をへて今日に至るまで、間違いなく西洋世界の道徳を牛耳ってきた。したがって本来ならばその道徳観が、戦争への発展の歯止めになってしかるべきだった。が、それは脆(もろ)くも失敗した。キリスト教の価値が裁かれるのは、まさにその点においてである。そして、その評決は“無能”という一語に尽きる。

なぜ、あれほどまで西洋文明に浸透していたはずのキリスト教が、戦争阻止に何の貢献も為し得なかったのであろうか。それは、宗教として肝心なものが欠けていたからである。

その肝心なものとは、教義の真実性を立証する“しるしと不思議”である。“ただ信ぜよ”式のリップサービスでは、まさかの時には脆いものだ。その脆さがこのたびの騒乱の中で露呈された。魂の底から信じられてはいなかったということである。

教会は、もともと人心を捉えるものを持ち合わせていなかった。今になっていくら内部でサークル活動を行ない、主教会議や総会で討議し、次々と決議案を通過させても、もはや人心は教会の方へは向いていない。知的文化や教養という形では生き残るかも知れないが、真実の意味での魂の宗教としては、キリスト教は完全に“死に体”となっている。

「ようやく春が訪れます」霊界側の積年の悲願がようやく成就されるという意味ですが(祈)†■2025年1月29日UP■
「ようやく春が訪れます」霊界側の積年の悲願がようやく成就されるという意味ですが(祈)†
現在の霊団はアフォじゃネィかというくらい僕をイジメにイジメ抜こうとしてきますが、この宇宙に偶然はありませんのでもちろんこれにも意味がありまして、物質圏に降下しての霊的知識普及の仕事は苦難と忍耐のレベルがタダ事ではなく、並大抵の忍耐力では務まらないのだそうです。深海(6000mとか8000mとか)で潜水服を着て活動しているダイバーが、もうひとりのダイバーに潜水服越しに話しかける、霊界の人間が物質界の人間に語りかける事はそれくらいむずかしく忍耐がいる事なのだそうです。何しろ異なる次元間にあんなシチメンドクサイ橋、こんなシチメンドクサイ橋をかけて波長の下降操作をやらねばなりませんので、それが不愉快でならないのでしょう。つまり現在霊団が僕をイジメまくっているのは、帰幽直後からその潜水服をやらせるためなのではないかと、つまり猛烈にストレスのかかる仕事をやらせるために僕の精神力を鍛え続けていると、そういう意味なのではないかとイヤな予測をしているのです。本気の全力でお断りしたいんですけども。その対価として祝福だの何だのと言ってくるのではないか、と考えると少しこのインスピレーションの意味も納得できたりできなかったり…続きを読む→
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†■2024年4月17日UP■
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†
訳者、近藤千雄先生が著書の中で何度も書いておられる事ですが、そもそも「守護霊」という言葉が間違いなのだそうです。この言葉はさも「人間を守ってくれる」かのような印象を与える言葉ですが、実際の守護霊の役割は全く逆で、守護を任された人間の罪障消滅をキッチリ完了させるために試練に立ち向かわせるのが仕事であり、守るどころか苦しめるのが仕事と言ってもいいくらいなのです。そういう意味では「守護霊」という名称より「監督霊」と言った方が正しいと近藤先生は仰っていました。僕も自分の体験からそのように思います。僕の守護霊様は僕が自発的に試練に立ち向かうようにウマく、本当にウマく仕向けました。そして僕は画家の試練Dreamworkと、山での修行というダブルの試練を自分に課す生活に突入し(イヤイヤやらされたのではなく自分の意思でノリノリで始めたのです)急速に向上を果たして一気に霊性発現にまで到達したのです。僕は守護霊様の事を「導きのプロ」と公言していますが、とにかく守護霊様は「やり方がウマすぎた」大大大Dai成功だった、という事です。それで霊団はムカついているが守護霊様は尊敬し永遠の恭順を誓うと言っているのです…続きを読む→
「あなたは私の誇りよ」この守護霊様の言葉だけがかろうじて良い意味となりますが…(祈)†■2025年3月5日UP■
「あなたは私の誇りよ」この守護霊様の言葉だけがかろうじて良い意味となりますが…(祈)†
霊性発現(2012年6月)した時点で守護霊様の計画は達成されていたという事なのかも知れない、それで守護霊様がいったん僕の守護の任から外れて、僕を計画外の(より高度な)領域へ到達させるための新たな霊団が組織された。つまり僕が現在やらされている霊的使命遂行は完全に計画外の「サービス残業」なんだから、うまく遂行できなくてもムリもない、元々そんな器の人間ではなかったのだから。といった感じで、僕という人間の程度を知り尽くしている守護霊様ならではの言葉なのではないか…なんて予測したりもするのです。この守護霊様の言葉の中にはもちろん「よくガンバりました」というお褒めの意味も含まれていますが、もちろん「もっとガンバれば今のあなたには想像もつかない高い境涯まで到達できたのに残念でした、しかしそれが現在のあなたという人間の限界点である事を私は十分理解しているので十分合格点」という意味も含まれていると僕は思ったのでした。守護霊様の期待に完全なカタチで答える事ができない自分を情けなく思いますが…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†