【4/3】これが死後の世界だ (7)霊界はどこにあるか

ではそのエーテル界というのは一体どこに存在するのだろうか。果たして存在の“場”というものがあるのだろうか。あるとすれば、生前においてもそこを訪れることが出来るのだろうか。デービスの「よく受ける質問への回答」という著書の中から抜粋してみよう。
「人間の霊は常に霊界にあり、瞬時として霊界から離れることはありません。但しここでいう霊界とは、全宇宙に瀰漫する普遍的霊気の世界の意味であって、“第2界”とか“常夏の国”といった特定の世界を指しているのではありません。人間の霊はその普遍的霊気の中に浸っており、そのあいだ(あなたと霊気との間)には一分の空間(スキ)もありません。
「その霊がこうして物的世界に生活しうるのは、自己及び自己の外部にその媒介物が存在するからです。すなわち五感を例にとってみれば、(1)物が見えるのは眼と光の媒介があるから、(2)音が聞こえるのは耳と外気の媒介があるから、(3)味がわかるのは舌と流動物の媒介があるから、(4)臭いがわかるのは鼻と香気の媒介があるから、そして(5)固いとか柔いとかの判別が出来るのは皮膚とバイブレーションの媒介があるからです。
「これでお気づきと思いますが、人間の霊的自我が直接物質界に触れることは絶対にありません。ひとつの物体を握ろうとすると、“握る”という機能をもった手の媒介を経なければなりません。たとえば足もとの石ころを拾ったとします。その時あなたは何の不思議も感じないでしょう。
しかし実はあなたが拾おうとした“意志”と拾われた“石ころ”との間には数段階もの霊的な差があり、直接石ころに触れた時には最下等の生命すなわちバイブレーション、またはモーションの世話になっているのです。
「あなたの霊つまりあなた自身はそうした物質の霊化または精妙化の段階を経て始めて物的世界との関係を保っているのです。その物的世界での体験を感じ取っているところの“あなた自身”は常に普遍的霊気の世界に住んでおります。
結局あなたは普遍的霊気の世界の一存在として感じ、考え、決断し、そして行動していることになります。死はあなたの霊覚から物質という邪魔物を取り除いてくれて、そのお蔭であなたの感覚はさらに鋭さを加えることになりますが、しかし、あなたの目覚める世界が第2界であろうと常夏の国であろうと、あなたは依然として普遍的霊気の世界に住んでいることには変りはないのです。
結局あなたは個的存在としての生活を始めた時はすでに普遍的霊気の世界に住んでいたのであり、今後いかなることがあっても、永遠にその世界から超脱することはありません。
「そうなると、地球以外の霊魂の世界は今そこにおられるあなたのすぐ身のまわりに存在することになります。それ故、その内的世界を観るためにわざわざ遠くまで出かける必要はないのです。物質さえ超越すれば、いながらにして内的世界の存在物が見え、しかもただ見えるというだけでなく、その事物の本質を感じ取ることも出来るのです。
肉体と霊体とは生理的に見ても霊的に見ても完全に融合調和して一体となっておりますが、しかし、あなた自身は常に普遍的霊気の世界にいるのです。それだからこそ物質を客観的に見ることが出来るのであり、同時にその物質を種々な形に変えるべく、あれこれと思考をこらすことも出来るわけです。
「常夏の国というのは、その普遍的霊気の世界の中のある特定の広い地域のことです。」

「大後悔」帰幽後に僕が大後悔するという意味、閉じ込める理由もそこにあるようです(祈)†
僕がももちゃん、シルキーを何が何でも描き続けている理由がお分かり頂けるでしょうか。ももちゃん、シルキーは「奴隷の女の子」です。つまり僕なりに僕の保有スキル(絵)を駆使して奴隷の女の子たちの存在を広めよう、消滅させないようにしよう、後世にこの邪悪を伝えようとしているのです。皆さまに共感して頂けないかも知れませんが、僕は本当に悔しいんですよ奴隷の女の子たちを助けてあげられないのが。かといってもし僕が本当に日本の中心に赴くなんて事があったら、もちろん100%殺されます。デマハウス(皇居)の中は国民の目が届かない完全なる無法地帯であり、その中で働く全員が(皇宮警察も含む)強姦殺人魔の忠実な家来ですので、僕がそこに入ろうものなら間違いなく殺され、病死だの事故死だのと虚偽の報道でうやむやにされて、そこから視点外しの明るいニュースをドバドバ流して国民の記憶の中からたきざわ彰人の事、および奴隷の女の子の事を消そうとしてくるに決まっています。本当に頭にきているんですよ、「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事も、そして何もしようとしない霊団の事も。僕が霊団に反逆の意思を明確に表明している理由の一端でもご理解頂けると僕は嬉しいのですが…続きを読む→

「コッチの方が幸せだった」そう言われてもなお僕は閉じ込められるのを拒絶します(祈)†
物質界で赤ちゃんが生まれた時、家族の方々は大喜びしますが、その赤ちゃん(として物質界に降下した人間)の縁故の方々は霊界で泣いて別れを惜しんでいるのです。「あぁ、あの人も陰鬱極まる物質界に降下してしまった」と嘆いているのです。そしてその赤ちゃんが成長し、物質界人生を全うして死ぬ時、家族、友人の方々は泣いて別れを惜しみますが、霊界の縁故の方々は大喜びでその人間を霊界に迎え入れます。「やっと最低界(物質界)の試練を終えましたね、さぁ我々とともに美しい世界(霊界)で共に生活を送りましょう」と、その死者を大歓迎します。(もっともこれは人によってだいぶ差があるようですが)物質界の誕生日を祝うというのは「私は霊的知識を理解していない」と公言しているようなものであり、このような習慣は即刻やめるべきなのですが、残念ながら物質界は無知がはびこっていますのでいまだに霊的な事が全く理解されず、誕生日に「ハッピバースデートゥーユー♪」と歌ってはしゃいでいるのが現状です。物質界に残される事は断じてハッピーなどではなく、帰幽して霊界生活に帰る事が真のハッピーであり、その霊的知識を多くの方が理解し、物質界の誕生日を祝うという間違った習慣を改め、むしろ物質界を去る事になった人間(つまり死んだ人間)を祝うという習慣が根付く日が1日も早く来る事を僕は願わずにいられないのです…続きを読む→
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