【4/10】これが死後の世界だ (4)他界直後

「地上を去って霊界へ入った当初は、誰しもその世界が地上とほとんど変らないことを知って安心する。そこに住む人間の恰好も自分に似ている。外部の生活環境も酷似している。自然環境もいま去ったばかりの地上とそっくりである。

あまりよく似ているので、中には寝ているうちに地上の別の土地へ運ばれたのだろうくらいに思って、そこが死後の世界であることに気づかずに過す者もいる。つまり自分が死んだことに気がつかないのである。

「しかし、死後の世界が死んだことを気づかせないほど地上と似ていることには、永遠なる叡智すなわち“神”のありがたき配慮があるのである。考えてもみるがよい。もしも死後最初に目覚める世界が地上とまったく環境の異る世界だとしたらどうであろうか。急激な変化によるショックと不安とに大変な意識の撹乱を来すに違いない。

神の愛は人類に大小高低の差別をしない。大なるものにも小なるものにも、高き者にも低きものにも、等しく愛の配慮を給われるのである。されば神は、地上を去って新しい世界へ入って行く一個の小さき人間のか弱い心の中を察し給い、出来るだけショックを少なくし、出来るだけ心の平静を保たしめんとして、地上に似た環境を与え給うのである。

「“前にも1度ここに来たことがある筈だが…景色も人間も覚えのあるものばかりだ。フム、これは気が楽だ。”これは大抵の新来者がもらす言葉だが、覚えのあるのが当然なのである。

何故なら、地上の人間は睡眠中に度々エーテル界を訪れて、その世界の美しさ素晴らしさを満喫し、時にはそこの生活者と楽しいひと時を過すこともあるからである。
突如新しい世界へやって来た人間が、最初はなんとなくではあるが、その世界に慣れることが出来るのは、そうしてエーテル界の住民となる以前から度々訪ねているからであることが、徐々に判ってくる。」

「が、そうしているうちに、やがて彼は地上時代から培ってきた中身、つまり本性が要求す世界へ自然に引き込まれていく。最初に目覚めた世界はショックを与えないようにという神の配慮によって用意された世界であったから、その変化の重大性に気づかない。

われわれが死によって人間は殆んど、あるいは全然変らないと言う時もその意味で言うのであって、それが地上人には議論のタネになることがあるわけだが、しばらくするうちにそうした事情に気づき、地上時代の人間の評価の基準ではその新しい世界は片づかないことを知り始める。

霊界の社会生活と、置きざりにしてきた地上生活との間に基本的な違いがあることに気づき、やがて自分が(地上時代の地位や肩書きや家柄ではなく)内部に培われた魂の発達程度に似合った位置に落着くことになることを理解しはじめる。その時点から本当の困難に遭遇することになる。

「来た当初は見るもの聞くもの全てが地上と同じであり、また気持がいいほど事が思うように運んでくれる。そこで誰しも心中ひそかにこう叫んでは晴々しい気持になる。“みな地上で教わった通りだ。地獄もない。悪魔もいない。罰を与えるような神様もいない。火あぶりの刑場もどうやら見当らぬようだ。よし、これでよし。何の恐れることも案ずることもない。”

「しかし、いつまでもそうは行かぬ。やがて辺りは一変し、事が次第に不如意になってくる。“はて、おかしいぞ。一体どうしたんだろう。様子が少し変だ。”そういう反省意識の芽生えとともに、彼は次第に内省的になっていくのである。

「その結果彼は次のようなことを悟るようになる。つまり人間は動機というものが大切なのだ。霊の世界は地上で蒔いたタネが芽を出すところなのだ。上手ばかりの生活を送った人間は、こちらでは相手にされなくなる。心の中がすぐに顔に表われてしまうから、上手が通じなくなるのだ。そして、そういう事態に遭遇することによって自己の通りに気づいていくのだ、」と。

「結局彼が悟るのは死後の霊的関係が親和力の法則に基いていることである。親和性に欠け、まわりの者と交われない者は、親和力の反作用ですぐにでも弾き出されてしまう。

地上では何とか本性を繕(つくろ)って付き合えた人たち、上手と“はったり”でごまかせた人々に近づけなくなってしまう。反撥力が働くからであり、どこか他の場所へ行かねばならない。ということは、その人たちから離れていくことだ。

「そこで彼はやっと悟り始める。地獄もなく、悪魔も見当らず、怒り狂う閻魔もいないとなると、その3つの具象を超えた何ものかがある – 魂の内部にあって自分を除け者にさせた何ものか – かつてその3つの恐怖の対象とすぐに結びつけられていた“邪心”がそうさせているのだと悟る。すると彼はむしろ地獄と悪魔が本当に実在してくれた方がましだと思うようになる。

というのは、低俗な性格と異常な精神の持ち主がそれまでの社会から弾き出されると、その社会が実は自分にとって最も居心地の良くない社会であることを知り、そこから逃れるためならどこへでも行き、何でもやりたいと考えるようになるものだからである。が実はそう思い始めた時から彼はまさに地獄へ落ちて行きつつあるのである。

「深入りすんなよ」地球圏霊界はトランプ氏を快く思っていないようです(祈)†■2025年4月9日UP■
「深入りすんなよ」地球圏霊界はトランプ氏を快く思っていないようです(祈)†
もうひとつ今回のインスピレーションでハッキリ分かる事があります。それは「地球圏霊界はトランプ氏を快く思っていない」という事です。これは間違いないと断言してイイでしょう。物質界の人間はトランプ氏をだいぶ信じてしまっているようですが、霊団の動きをみるとどうもそういう事ではないという事が分かります。※どうにも読む気になれなくて読んでいない「ある書籍」があるのですが、読んでいないで意見を述べるのは宜しくないものの、その書籍はトランプ氏の事を「光の側の人間」のように紹介しているようです。が、霊団のくちぶりを見ると、どうもそうは思えませんね。で、今回僕が書こうと思っていた「2025年7月ナンチャラカンチャラ問題」の内容が、人為的災害を起こそうとしている陣営にとって核心を暴かれる内容になっていたので、霊団がヤメレと言ってきたとか、そういう事かも知れません…続きを読む→
「考えたらダメです厳禁」これは「小知を働かせてはならぬ」と同じ意味と思われます(祈)†■2024年10月2日UP■
「考えたらダメです厳禁」これは「小知を働かせてはならぬ」と同じ意味と思われます(祈)†
僕は何しろ霊団に本気の全力で反逆していますので、時々霊団をあからさまに軽蔑、侮蔑するような思念を心に燃やしたりします。それが宜しくない事は霊的知識的にも、これまでの経験上からも十分承知しているのですが、とにかく閉じ込められるのが頭にきて頭にきてどうしようもなくてそういう宜しくない事を考えたりするのです。(その僕の思念はもちろん霊団に伝わっているという事ですよ)で、霊団が「もっと我々を軽蔑しなさい」といった趣旨の事を言ってきていますが、これはもちろんその言葉の通りの意味ではなく逆説的な意味で言っているのでしょう。えっと、例えばですが、僕が帰幽後に向上したい一心で霊団におべっかを使うとしましょう。しかし霊界に“ウソ”というモノは存在しません。霊団には僕が本心ではないおべっかを言っている事が一目瞭然であり、僕はそれを知識として知っていますので、無意味なウソをつく事はせず、宜しくないと分かっていながらも霊団に対し罵詈雑言の思念をぶつける事があるのです。ウソの思念を並べ立てるよりその方がよほど正直だと思うからです…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†