【5/3】これが死後の世界だ 第4章 地上生活の目的と意義

前章で観た霊界の様子はいかにも天上的というべき雰囲気が強く、今ひとつ身近なものを感じさせない憾みがある。そこで本章ではもっと身近な問題にふれた内容の通信を通じて地上生活と死後の生活との係わり合いをみてみようと思う。

(1)友人からの通信

まず手始めにトーマス(注12)の『死の彼方の夜明けに』から、他界直後の様子を窺ってみよう。霊媒はオズボーン・レナード女史。通信者はトーマス氏の友人である。

「こちらへ来ると同時に私は目に見えて元気になるのが判りました。が、もっと驚いたのは、見覚えのある人たちが次々とやって来て再会の挨拶をしてくれたことでした。これには私も驚きました。中には私が地上で面倒をみてあげた人も幾人かおり、みな心から再会をよろこんでくれました。

その派手なにぎやかさときたら、まるでロンドンの市長がお役人衆を引き連れて市中を挨拶まわりする時のようでした。イヤ、あれ以上かも知れません。何しろ何百人もの人が代わるがわる私の手を握っては“しばらくでしたね”“ようこそ”と挨拶してくれたのですから。

「握手しただけで別れてしまうのが残念な人が大勢いました。間もなく私も自由に行動できるようになりましたが、歩いてみて始めて地上と違うところを発見しました。建物の様子や家財道具などは地上と少しも変わりませんが、目的地へ行くのにいちいち足を使わなくても、ただ目をつむって精神を統一すれば、いつの間にかそこに来ているのです。

始め私が歩こうとしたら指導霊からこう言われました。“いま誰かのところへ行く用事ができたとする。が、歩いてはだめだ。足を使わずに行く。それにはまず頭を鎮め、その頭の中でその人のことだけを考える。次にその人のところへ“行こう”という意思を働かせる。それだけでよい。気がついたらちゃんとその人のところへ来ている。”この説明に間違いないことは間もなく判りました。

何か知りたいことや見たいものがあるときは、歩いて行くのもいいですが、それではまどろこしくていけません。そんな時は地上でよく練習したのと同じ要領で精神を統一します。するとアッという間に目的地に着いております。同伴者がいれば同じことを一緒にやります。

「帰る時も同じようにやります。家のことを念じると、もう帰っているのです。面白いので何回も行ったり戻ったりして遊びました。みんなも面白がっていました。始めのうちはみんながじろじろと、まるで顕微鏡でのぞくような調子で新米がやるのを細かく見つめています。あなたのお父さんもそのひとりでした。

うまく行かない時に質問が出来るのでその方が有難いといえば有難いです。ようやくひとり前になった時は、まるで子供がはじめて凧(たこ)を上げた時と同じで、破らぬように失くさぬようにと、それは大事に大事にしたのと同じ心境でした。

「今の生活を反省してみると地上生活が意外にためになっていることが判ります。が私にはひとつだけ後悔していることがあります。それは、私が非常に神経質で、物事に動じ易かったことです。

たとえば道で気に食わぬ人に出会ったりすると、あっさりと見過せばいいものを、イヤだという気持を強く感じたものです。こちらでは心に思ったことがそのまま表に出るので、イヤな人に出会った時にいくら見過そうと思っても、心にイヤだという念を抱いているかぎり、それが出てしまうのです。

それについても指導霊からこう注意されました。“あなたは気にしなくてもいいことまで気にして、いつまでもクヨクヨ考え込むところがある。たとえば何の関係もない人なのに、あなたの方で勝手にその人を敵視して、あいつは自分のことをどう思っているんだろうか。こう思ってはいまいか、ああ思ってはいまいかと盛んに猜疑心を起こして、変に悩んでいることがある。実際にあなたの方から悪いことをしているのならともかく、自分に何のやましいところもないと確信したら、その人のことはそれきり忘れるようにしなさい”と。

「これを聞いてから私も、必要なことと必要でないこととを区別して、不要なことはすぐに忘れるように努力しているのですが、地上でそういう努力をしたことがないので、少しやっただけで大変な疲労を覚えます。大体、地上で経験したことはラクに出来ますが、経験のないことをこっちへ来て改めてやろうとすると、地上でやる以上の苦心と努力がいります。

その疲れようといったら、それはそれは大変です。全身がくたくたになってしまいます。その後私は実際に地上で私に迷惑をかけた人とも会いましたが、その時はほとんど敵という感じがしませんでした。今ではその方といっしょに仕事をすることさえあります。雑談に耽ることもあります。あなたも早くいらっしゃい。雑談のヒマもあるんですよ。

「現在の私はふたつの仕事を受け持っております。ひとつはひとりないしふたりの地上の人間の背後霊としての仕事、もうひとつは私のように急死によってこちらへ来た霊の世話です。あまりの急激な変化のために戸惑う人が多いのです。

私自身こちらで目覚めた時にこう言われました。“気をラクに持ちなさい。1度にいろいろなことを考えるとますます混乱します。ひとつひとつゆっくりと理解していきなさい”と。それからというものは実にスムーズに環境に慣れていき、すっかり慣れ切ってから“一体ここはどこなのか”といったことを考えはじめました。

「今では私が会いたいと思った人、あるいは私に用のある人といつでも気軽に近づくことが出来るようになりました。つまり自分で必要と思ったこと、あるいは正しいと信じたことなら何でも出来るようになりました。ただ、その”必要なこと“”と“”正しいこと”を判断することはなかなか難かしいことです。

「自分で善人だと思っている人の中には、実際は間違った道を歩んでいる人が少なくありません。いろいろと他人の世話を焼きたがる人がいますが、大切なのは世話をすることよりも、その動機または自分の立場です。

ご利益を目的として他人の世話をするのなら、むしろ他人のことは放っておいて、精々、つまらぬ欲心を抱かぬように心がける方がこちらでは為になります。今お父さんが大きくうなづきながらこう言っておられます。“そう、まったくその通りだ。正直はやっぱり最上の策だ。とくに自分の思想、動機、モットーなどには最後まで忠実でなきゃいかん。これは大切なことだ”と。

トーマス氏はこう付け加えている。「私にはこの友人の言っていることがいちいちよく解る。彼は確かに神経質で、忘れてしまうということの出来ない男であった。」

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†