【7/4】シルバー・バーチの霊訓 1巻 2章 なぜ生まれてきたのか

自覚の程度、意識の程度には様々な段階があります。霊の表現形態は無限だからです。無限なるものに制限を加える訳にはまいりません。その生命の背後の力をあなた方は“神”と呼び、私は“大霊”と呼びます。それは全ての霊の極致であり源泉であり頂上であるからです。いかなる形態を取ろうと、創造者たるその大霊の表現である事に変りありません。(※シルバーバーチはこの“大霊”Great Spirit の他に“白色大霊”Great White Spirit という呼び方をします。白色とは実は無色透明を意味しているのですが、やはり“神”God という言い方もよくしますので、本書では特殊な場合を除いてこの“神”に統一しました。 – 訳者)
残念ながら、人のために役立つ仕事はなかなか思うにまかせないものです。私が法則をこしらえたのではありません。宇宙の理法はこうなっているという事をお教えしているだけです。最大の貢献をなさんと心掛ける人は、困難や難問を避けようとしてはなりません。その困難、その難問こそが、そうした志を持つ人々の魂の奥底を掘り起こし、奉仕の仕事に役立つ道具としてぜひとも具(そな)えねばならない隠れた資質を活用させる事になるからです。
奉仕という名の硬貨(コイン)にもその価値を示す表示があるという事です。真に役立つ人間になるためには魂の最奥まで響く強烈な体験がなくてはなりません。魂が円熟の花を咲かせるためには奥深く耕されなければなりません。その事を思うと私は時として、その逆であってくれればいいのだが…と思う事があります。つまり自己犠牲の道を歩む人間がいうなれば“バラ色の人生”を歩む事ができればと思うのです。しかし、その美しいバラにもトゲがあります。
以上、霊についての真理を幾つか紹介しましたが、私がそれを変更する訳にはまいりません。できもしない事をあたかもできるかのように言う訳にはいきません。できないものはできないのです。無限なる霊である神の働きは完璧です。完璧なる公正のもとに働きます。完璧というものは、未完成の地上の人間だけでなく私どもの世界の多くの界層の霊にとっても理解できるものではありません。物事には必ず埋合せがあり、応報があります。その計量は完璧な天秤(てんびん)によって行われます。犠牲的生活によって魂が“損”をする事はありません。また利己的生活によっていささかも“得”をする事はありません。魂の進化の程度と悟りの指標はどれだけ“ゲッセマネの園(※)”に生き、どれだけ“変容の丘(※※)”に達するかにあります。そこに神の真の愛の働きがあります。(※キリストが最大の苦難と裏切りに遭った場所 – 苦難の象徴。※※キリストがこの世のものとも思えぬ輝ける姿に変容した丘 – 苦難克服の象徴。 – 訳者)
人のために己れを棄てる仕事にもいろいろあります。あるものは人目につく派手なものであり、あるものは人目につかない静かな聖域で行われます。いずれにせよ大切なのは人のために役立つ事です。霊的真理の悟りを1人でも多くの受入れる用意のできた人に施す事です。不安と恐怖に満ち、数知れぬ人々が明日はどうなるかと案じつつ生きているこの世においては、人生とは何かについて、表面的な事ではなく、真実の相を教えてあげなくてはなりません。
大切なのは、人間が永遠なる魂であり、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い、しかし大事な一部なのだという事実を知る事です。その地上生活を無知の暗闇の中ではなく叡智の光の中で、肩をすぼめず背筋を真っ直ぐに伸ばして、恐れを抱かず堂々たる落着きをもって生きるべきです。

「イエスの少年時代」復刊者コメントUP。この本文が書籍化される日が来るのか(祈)†
遥か太古はこのように洗脳、脅迫が横行していましたが21世紀の現代はこのような古代の蛮行はすっかり消滅している、と言いたいところなのですがイヤイヤ、まるっきり残されています。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がまさに古代の遺物であり洗脳の権化と言っていいでしょう。コイツらは邸内地下に奴隷の女の子を大勢閉じ込めて「処刑遊び」と称して日常的に四肢切断、強姦殺人し、死肉を食べて遊んでいる人類史上最大級の犯罪者です。しかしいったい日本のどこからコイツらの犯罪行為を糾弾する声が上がっているでしょうか。国を挙げて国民を洗脳し事実を隠ぺいしているのです。僕たちはコイツらに関するニュースを見たいなどとはひとことも言ってない、しかし日々メディアにコイツらに関する洗脳ニュースが徹底的に、ガンガン流されてきて強制的に見せられて、その洗脳ニュースに日本国民の大半がすっかりやられてしまっており、この強姦殺人魔どもを善人と完全に勘違いさせられながら生活しています…続きを読む→

■アナログ絵376「モーゼスの霊訓 上」表紙UP。復刊させるつもりでいるからここまで描いているのです(祈)†
まず上巻表紙には霊媒モーゼス氏を登場させました。モーゼス氏が物質界に残した「霊訓“Spirit Teachings”」は人類史上に残る金字塔である事に疑いの余地はありません。これほど素晴らしい仕事をやり遂げたモーゼス氏ですから今頃素晴らしい境涯で生活しておられる事と思いますが、しかしモーゼス氏も懐疑の念が尋常ではありませんでした。このモーゼス氏の疑いの気持ち、霊団に対する反発心に比べれば、僕がずっと霊団に反逆している事などまだかわいく思えてきたりもします。特に中巻は壮絶を極めます。僕は霊団がムカついてどうしようもないですけど霊的な事を疑った事は全然ないですから、その部分がモーゼス氏と違うかも知れませんね。僕の場合は毎日霊団が霊聴にピーチクパーチクインスピレーションを降らせてきますので、霊的なモノを疑うとかそういうレベルのお話ではないんですよ、もう完全に人生の一部、日常生活の風景ですので。モーゼス氏はインスピレーションというカタチで霊団とコミュニケートはしていなかったそうですが、自動書記はガンガン受け取っていたという事です。僕は逆で、インスピレーションはガンガン受け取っているが自動書記テストはどれだけ続けていても全く手が動いて文章が綴られる事はありません…続きを読む→

「ハァァよかったぁ、ってなります」耐え抜けば帰幽後にそのようになるという意味です(祈)†
僕は至ってまともな事を言っているだけだと思っていますが、帰幽後に僕に下される判断はそういうモノではないのでしょう、かなりキビシイ状態にさせられるのでしょう。それは了解してます、全てこの身に受けるつもりです。が、それでもなおあんたたちの導きに方向性はヒドすぎる、到底許容できないと思っているのです。「もうのむ訳にはいかない」「これしかないんだと」僕が強硬姿勢なら霊団も強硬姿勢で、もうアキトくんのワガママに折れる訳にはいかない、アキトくんの肉眼には全体像が映っていないから、この道の先にどれだけの悲劇が待ち受けているかを理解できない。我々の霊眼はアキトくんの未来の悲劇が見える。今はアキトくんは理解できなくてもいつかは必ず理解できる時が来るから、アキトくんがどんなに嫌がっているとしてももうこの道を進ませるしかないんだと、霊団がそのように言ってきてます。【い】【い】【か】【げ】【ん】【に】【し】【て】【く】【れ】【!】確か人間には「自由意思」というモノがあったはず。霊団はその自由意思を完全に無視する事を決定したとでもいうのか。それは霊界の決まりに完全に反する事なのではないか。そんな事が許されていいのか。ただ、裏返すとそれくらい僕の置かれている状況が危機的という事なのかも知れませんが…続きを読む→
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