以上4章にわたる説明で霊界というところが決して夢のような取りとめのない世界でなく、反対に、地上以上に整然たる秩序の中に生き生きとした“仕事の生活”が営まれている実在の世界であることを認識されたことと信じる。
しかし、これまでの説明では、ただ霊界にも仕事があるという漠然とした概念だけで、霊界にはどんな仕事があるのかという仕事の中味の問題や、どんな人がどんな仕事につくかという資格の問題、あるいはひとつの仕事が運ばれていく細かい過程については直接にタッチされていない。そこで本章ではそういった問題をトーマスとオーエンの書物を参照しながら観てみたい。
(1)他界直後
地上の人間は概して仕事を嫌うものである。自分の仕事に生き甲斐を感じ情熱をもって仕事に打ち込む人は少ない。その理由は3つ考えられる。第1は仕事と能力とが一致しないこと。言いかえれば適材適所ということが実行されていないことである。
第2はエネルギーの消耗と補給のバランスが取りにくいことである。もしもわれわれ地上の人間が霊界の人間のように、随時、必要なだけのエネルギーを摂取して疲労とか不快などを自由かつ完全に取り除くことが出来たら、ちょうど子供が疲れを知らずに遊びたわむれるように、われわれ大人も思う存分仕事に身を打ち込むことが出来るに違いない。
第3の理由は仕事の目的と意義を知らないことである。仕事とは要するに能力の作用であり、能力の作用を通じてこそ魂の成長が得られるのである。身体とはその作用のための道具であり、器械類はさらにその代用のようなものである。科学者や芸術家のように知性や想像力などを使用する人たちでも、手がなければ仕事にならないのである。
そうした地上における仕事の形態は霊界へ行ってもある程度まで維持されるものらしい。すなわち霊界の事情にすっかり慣れて、意念だけで生活できるようになるまでには相当な期間が必要であり、その期間中は地上と似たような仕事を続けるわけである。それを次の通信の中に見てみよう。出典はトーマス『実証による死の彼方の生活』。通信者はトーマス氏の父親と妹のエッタ。
父「たとえば旅行する場合をとってみても、こちらでは汽車とか自動車とかの交通機関は利用しない。しかし使用しないといっても原則的に言えばの話であって、例外的なことがたくさんある。
たとえば私は汽車や自動車なんかは絶対に使用しないし、また使用している人を見たこともないのだが、地上でエンジン関係の仕事に携わっていた人などは、指導霊から新らしく仕事を当てがわれるまではたいていエンジンのことを研究したがるのだ。
そういう人が何か新しいものでも発明すると、さっそく地上のエンジニアに教えてやろうとする。だが、そういった地上的な機械仕事にはすぐに飽きがくる。所詮、こちらの人間には不必要なものだからだ。が父さんの見るところでは、おそらく地上にもいずれそういった機械類が必要でなくなる時代がやってくると思う。
そのわけは、霊界の人間が使用している能力は地上の人間にもちゃんと宿っているからだ。ただ居睡りをしているにすぎん。フィーダ(注1)の話によると、お前(トーマス氏)の友だちで地上で工場を経営していたC・B君、あの人はこちらへ来てからも相変らず工場を経営しているそうだ。
が進歩的な彼のことだ。そういつまでも続けることはせんだろう。いまに趣味が変わって次第に霊的な生活に入っていくものとみている。もっとも今のところは生き甲斐を感じているらしいから、もうあと2、3年は工場の仕事を続けるだろうよ。
「園芸などはこちらでも特に盛んな仕事のひとつだ。芸術の中では音楽と絵画が盛んだが、なかでも音楽は非常に盛んだ。もちろん彫刻もあるし、綴織(つづれおり)なんかもある。一口で言えば地上の人間が楽しむものは一応全部揃っている。
そういった仕事には当然作品や製品等が生まれ、時間の経過と共に不要品も出てくる。たとえば作者または所有者が上の界へ行ってしまった場合などがそれだ。そうなると当然その不要品の処理ということが問題となる。
新参者が引き続いて使用してくれることもあるが、そうでなかったら、こちらには“昇華”または“変質”の技術がある。その技術でまったく異質のものにしてしまう。それに使用するものはやはり意念であり、その仕事を受け持つのは物を造ることを専門にしている人たちだ。
「このあいだお前に通信したストレベット君、彼などは全然ダメだ。あの人は地上にいた時にまったく創造力というものを働かせたことがないので、精神力が非常に弱い。素質もあるし立派な知性も具えている人なんだが、ただ持っているというだけで、それを実際に使って鍛えるということをやったことのない人だ。だから彼には何ひとつ自分で拵えたものがない。他人が作ったものばかり使っている。
その点このあいだ交霊会に出た人(トーマス氏の友人)などはまったく対照的な人だ。あの人はこちらへ来てみたらすでに自分の思う通りの環境が出来ていた。地上生活中に着々と拵えていたわけで、それだけ彼の創造力が強かったわけだ。
もちろん普段の意識では気がついていなかったが、潜在意識はちゃんと知っていた。彼の創造力は晩年になってますます強さを増したが、それでも今と比べたら話にならん。今の彼は心身ともに若返って、それは立派なものだ。
彼の場合は生活そのものにも次から次へと新しい喜びや興味が湧いてきて、実に幸福そのものだ。がそれは皆、地上生活中に蒔いたタネが実ったもので、結局それだけのものを頂戴する資格があるわけだ。」
問「着物の話をされましたが、そちらで着る衣服は地上で着る衣服の写しですか、それとも新しく誂えるわけですか。」
エッタ「結局は両方ということになるでしょう。地上でも衣服を裏返したりして、見かけの上ではすっかり新しいものに作り変えることが出来るでしょう。あれと同じようなことがこちらでも行われます。同じといっても、やり方はこちら独特のものです。
つまり地上で気に入っていた衣服への執着が強く残っているので、その念を型にして拵えるわけです。もちろん大切なのは意念の働きです。こちらでは何かにつけ意念というものがいちばん大切です。ですが何もかも意念でやってしまうのかというと、そうでもありません。
たとえば地上からやってきたばかりの人は物的感覚が強いですから、すぐさま意念だけで仕事をさせるのはムリです。地上で建築の仕事に携わっていた人にすぐ設計の仕事をさせてもうまく行きません。やはり本人がやりたいと思うことから始めるのがいちばんです。
婦人は衣服の仕事をしたがる人が多いです。責任ある仕事にはつけません。頭がいいとか技術がすぐれているというだけでは上の界へ行くことは出来ません。大切なのは魂の善性ないし霊格です。私たちのいる界より下の界に、私たち
より頭のいい方や技術のすぐれた方がたくさんおります。
そうかと思うと底抜けの善人ではあっても思考技術の不足した方が高い世界にいます。そういう方は絵画を額縁に入れたり椅子にカバーを取りつけたりする仕事を好みます。精神的な仕事より手先の仕事の方が面白いのでしょう。」

■アナログ絵360「ベールの彼方の生活2巻」復刊書籍表紙UP。どうしても復刊できない(祈)†
「ヨーロッパの妖精物語と東洋の魔法の物語」こちらは現代の人間にも広く知られているモチーフですよね。RPGゲーム等でよくみられる「剣と魔法のファンタジー」の世界観です。ファイ〇ルファン〇ジー等で多くの方がこのモチーフに親しんでいますが、この世界観も元はといえば過去の霊能者が見せてきた霊現象が元ネタなのだそうです。その霊能者の最大の人物がもちろん聖書に登場するイエス様、という事になります。RPGゲーム等で遊んでいる方がたくさんいらっしゃる事と思いますが、その時に頭のホンのかたすみにでも「あぁ、この剣と魔法の世界観は霊現象が元ネタなんだよなぁ」と思い出してもらえると、そして少しでも霊的なモノに興味を持ってもらえると僕的にはうれしいのですがどうでしょう。もっとも、歪められ具合がタダ事ではありません、長い世紀にわたって霊的な事を理解していない人間たちの手によって実際の霊的事象とは似ても似つかない物的商売臭の漂う世界観に完全に書き換えられてしまっており、もはや全く別物と言った方がいいのでしょう。「人間は本来が霊であり肉体はタダの衣服に過ぎない」という霊的真理などは完全に抜け落ちて形骸すら残っていません。だからこそ絶版状態の霊関連書籍の復刊が急務だと僕は思っているのですが……続きを読む→

「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†
「シルバーバーチ愛の摂理」より抜粋 ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)な能力の開発に益があるでしょうか。もちろん無いに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当たり前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます…続きを読む→