まずは昨日の海が見えない残念撮影画像をUPですが、あからさまに僕に向けられたご機嫌取りと分かる幽体離脱時映像を、しかもかなり鮮明な映像で長い時間にわたって見せられました。
んー今回も残念ながらボイコットにはならなそうです、撃つしかなさそうですが、本当に不愉快の極みです。なぜこんな不愉快なテキストをいつまでも撃ち続けねばならないのでしょうか。
チョト思わぬ感じで内容が膨れ上がってしまっています、全ては撃ち切れませんのでムカつく順番に削除するつもりですが、仕方なく撃ち始めましょう(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
まずは昨日の海が見えない残念撮影画像をUPですが、あからさまに僕に向けられたご機嫌取りと分かる幽体離脱時映像を、しかもかなり鮮明な映像で長い時間にわたって見せられました。
んー今回も残念ながらボイコットにはならなそうです、撃つしかなさそうですが、本当に不愉快の極みです。なぜこんな不愉快なテキストをいつまでも撃ち続けねばならないのでしょうか。
チョト思わぬ感じで内容が膨れ上がってしまっています、全ては撃ち切れませんのでムカつく順番に削除するつもりですが、仕方なく撃ち始めましょう(祈)†
とにかく目が閉じまくってどうしようもないのです、もう絶対に事故る訳にはいきませんのでボイスレコーダーを使って眠気防止の荒業をやりました。このアニソンの元ネタはコチラです↓
あの、事故防止で録音してるだけですのでヘタなのはお許し下さい。もう運転中に目が閉じて意識が飛ぶから必死なんですよ。ウマとかヘタとか言ってる場合じゃないんです。
で、明日の長文ブログネタとなるインスピレーションはあると言えばあるのですがどう撃てばイイのか見当もつきません。いつまでやらされるんだよこの人生をよぅ。山での撮影画像は明日UPさせて頂きます。まずは帰りの運転の渋滞のダメージの回復に集中中(祈)†
明らかにおかしい、身体はそんなに疲れてない、ココまで目が閉じるのはやっぱりおかしい。机に座ってても車の運転中でもとにかく問答無用で速攻で目が閉じる。先ほどブログを投稿してSNS連携の作業中に完全に意識が飛んで、X(Twitter)とPinterestに投稿し忘れました。
ってか、投稿したかしてないかも思い出せないのです。確認して投稿できていない事が分かって、慌てて投稿したのでした。この目の閉じ方、意識の失い方は絶対おかしいと思うのです。霊団が全力で僕の動きを止めてるのかも知れません。それも最近そういう事をされているのではなくだいぶ前からやられてるんじゃないかという気さえするのです。
霊団はだいぶ前から「スピードダウン」と言い続けています。僕の目を閉じさせて動きを止めるくらいの事は霊団はやすやすとできますから、すごくそういう気がしてます。2冊目本文を撃ってる時も目が閉じまくりなんですよ。いくらなんでもおかしいと思う。
明日の山のアタックですが、グラデーション撮影ができそうなので撮影に適した山域に赴くつもりです。眠気防止対策を万全にしないとロングドライブができないのです(おだんご作り)ずっとその作業に翻弄されていました。帰還後の長文ブログはまたしても撃たされる事になりそうです、なかなかボイコットになりませんね(祈)†
■2025年5月7日UP■
■2025年6月4日UP■聖職者の本来の仕事は聖堂や教会等、宗教的行事の取り行われる“建造物の管理”でした。原初形態においては両者の関係はうまく行っておりました。が、ある時代から聖職者の方が神示を受ける霊媒にばかり関心が向けられる事を不愉快に思いはじめました。
そしてそれまでに入手した神示を資料として、信条、儀式、祭礼、ドグマ、教説等を分類して綱領を作るという、いわゆる神学的操作を始めたのです。今日そのどれ1つとして霊の資質や生活や発達と実質的に関わりのあるものはありません。
かくして真の宗教の概念が今日では曖昧となってしまいました。宗教というと何かお決まりの儀式の事を思い浮かべ、“聖典”と呼ばれるものを読み上げる事と考え、讃美歌を歌い、特別な衣装を着る事だと考えるようになりました。
何やら難しい言説を有難く信奉し、理性的に考えれば絶対におかしいと思いつつもなおそれにしがみつきます。私たちはいかなる神学、いかなる教義、いかなる信仰告白文にも関心はありません。私たちが関心をもつのは人間の霊性であり、私たちの説く事もすべて、絶対的に従わねばならないところの霊的自然法則に向けられています。
人間のこしらえたものを崇めるわけにはいきません。宇宙の大霊によって作られたもののみを実在として信じます。そこに宗教の捉え方の違いの核心があります。
人のために役立つ行為、霊性に動かされた行為、無私と利他的行為、自分より恵まれない人ヘ手を差しのべる事、弱き者へ力を貸してあげる事、多くの重荷に喘ぐ人の荷を1つでも持ってあげる事 – これが私たちの説く宗教です。
“神とイエスと聖霊は3にして1、1にして3である”などと説く事が宗教ではありませんし、“宗教的”であるとも言えません。それを口にしたからといって霊性はみじんも成長しません。朝から晩まで讃美歌を口にしたからといって霊性が増えるわけではありません。
バイブル(キリスト教)を読んでも、タルムード(ユダヤ教)を読んでも、コーラン(イスラム教)を読んでも、バガバッド・ギーター(ヒンズー教)を読んでも、その他いかなる“聖なる書”と呼ばれるものを目が疲れるほど読んでも、それだけで霊性が成長するわけではありません。
“宗教的”と見なされている行事をすべて行っても、それによって一層価値ある人生へ魂を鼓舞しなければ、言いかえれば内部の霊性を少しでも多く顕現させる事にならなければ、私たちが考えている意味での宗教的人間になるわけではありません。
ラベルはどうでもよいのです。形式はどうでもよいのです。口先だけの文句はどうでもよいのです。大切なのは“行い”です。“行為”です。つまり各人の毎日の“生活”そのものです。
■2025年1月15日UP■
■2025年2月5日UP■
■2025年2月26日UP■まず野菜切りに時間がかかりすぎて困ってまして、何とか時間節約できないものかと思うのですが、僕は実は以前スライサーを使っていた事があるのですが、コレすごく怖いんですよ。指をかなり深く切ってしまった事があってそれ以来怖くて使わなくなったのです。
野菜を切るのに時間がかかってしょうがないですが、しかし間違いなく節約できているのでまだこの方法で行くしかなさそうです。野菜をど真ん中で食べているので身体も基本的に調子イイですし。
そして2冊目の作業、ボツの恐怖と闘いながら何とか進めていますが、僕の物的脳髄で霊的知識を1冊の書籍にまとめるという発想がそもそも問題であり「自分の身の丈に合わない事をしてしまった」と後悔してますが、イヤ、もうココまで進めているんだから何とか本文を撃ち続けましょう。
本文を撃っていて何度も躊躇するのです「この文章間違ってるんじゃないか、僕の認識不足なんじゃないか、僕の知識量でこの説明はできないんじゃないか」こういう考えが常に僕の心に浮かんできて撃つ手が止まるのです。
しかし、もうこうなったら「もしかしたら間違っているかも知れませんが、これまで僕がお勉強してきた内容、および13年、14年の霊的体験からこのように書かせて頂きます」というスタンスで何とか書き切れないかと思っています。どうしても止まりたくないんですよ。
恐ろしい、ボツの恐怖が常に忍び寄る。しかし進め、万が一ボツになってもすぐ次のアイデアに切り替えて続行するんだ。今の自分にできる限りの事をやれ。止まるな、たきざわ彰人(祈)†
■2024年9月18日UP■
■2024年11月26日UP■僕がずっと閉じ込められている、イヤでイヤでどうしようもない場所では“朝礼”みたいなモノがおこなわれます。僕はそんなモノ参加したくもないし話も聞きたくない、この部屋と一切関わり合いになりたくないのでいつも下を向いて目を閉じているのですが、今日、その目を閉じている時に霊団がおかしなモノを見せてきました。
まだ分かりません、僕の予測が外れている可能性もありますので書かないかも知れませんが、僕の予測が正しければ、思いもよらないカタチで僕という霊媒が機能し始めるという意味かも知れないのです。
2冊目本文のテキストは撃ち続けています、挿入する絵も描き続けていますが、アナログ絵ストーリーを1本描きたい衝動にも駆られていましてどぉしたもんかというところです。あいかわらず野菜切りに翻弄されて作業が進みません困りました。
■2024年3月23日UP■
■2024年4月3日UP■
■2024年6月12日UP■このようにシルバーバーチは単純な霊的真理を説いているだけだと主張し、理屈っぽい問題には答えたがらない。その理由は –
「難解な問題を回避したいからではありません。私は今すぐ応用のきく実用的な情報をお届けする事に目標をしぼっているからです。基本の基本すら知らない大勢の人々、真理の初歩すら知らない人が大勢いる事を思うと、もっと後になってからでも良さそうな難解な理屈を捏(こ)ねまわすのは賢明とは思えません。
今日もっとも必要なのは簡単な基本的真理 – 墓場の向こうにも生活がある事、人間は決して孤独な存在ではなく、見捨てられる事もない事、宇宙のすみずみにまで神の愛の温(ぬくも)りをもった慈悲ぶかい力が行きわたっていて、1人1人に導きを与えている事、それだけです。
これは人間のすべてが知っておくべき事です。また誰にでも手に入れる事のできる掛けがえのない財産なのです。そうした基本的な真理さえ知らない人間が何百万、何千万、いや何億といる以上、われわれはまず第一にその人たちの事から考えようではありませんか。それがわれわれにとって最も大切な義務だと思うのです。」
同じ話題について別の交霊会で次のように述べている。
「私ども霊界の者がこうして地上へ戻ってくる目的の真意が、ほかならぬ宗教問題で指導者であるべき人たちから曲解されております。いつの時代にも宗教とは基本的に霊力との関わり合いでした。
それはまず地上の人間の霊的向上を指向し規制する摂理を教える使命を帯びた者が地上へ舞い戻ってくるという事実から始まります。つまり宗教の本来の目的は人間の霊性に関わっているのです。
そこから出発し、ではその霊性を正しく発達させる上で霊界から指導を受けるにはどうすべきかを説くのが宗教の次の仕事です。霊的摂理は広範囲に亘っています。ところが不幸にしてそれが誤って解釈され、その上、それとは別の意図をもった聖職者が割り込んで来たために混乱が生じたのです。
人間も根本的には霊であり、それが肉体を使用しているのであって、付属品として霊を宿した肉体的存在ではないわけです。肉体は霊に従属しているものです。地上生活の全目的はその内在する霊に修行の場を与え、さまざまな体験を通じてそれを育(はぐく)み、死によってもたらされる肉体からの解放の時に備えて身仕度させる事です。それから本当の意味での“生活”が始まるのです。
従って宗教とは霊が霊として本来の生活ができるように指導するための処生訓であり道徳律であると言えます。ところが不幸な事に、古い時代に霊の道具である霊媒と聖職者との間に衝突が生じたのです。
■2023年7月19日UP■
■2023年10月25日UP■
■2024年1月31日UP■眠気防止対策でYouTubeを見るようになって、それが僕に今まで知らずにいた情報を得させるきっかけとなり、いま日本が置かれている危機をだいぶ知る事となりました。知らないより知っていた方がイイに決まっています。僕はYouTubeでお勉強したのはよかったと思っています。
妨害を受けてもひるまず闘い続けている方々のムービーを多数見てきました。イデオロギーの違いはあるでしょうが、問題意識を持って本気で活動している、命を懸けているという事はじゅうぶん伝わってくるのです。やる気ゼロの霊団よりよほど真剣に生きてると思うのですが。
この言葉が僕の霊団に対する怒りから発せられる一時的なたわごとではない、まぁまぁ本質を得た言葉だと皆さまに理解して頂けると有り難いのですが、んんん、そもそも霊的知識が頭に入っていない方々が大多数ですので分かってもらえないままキ〇〇イ扱いされて物質界人生を終えるんでしょうけども。
次回長文ブログで説明する事になると思いますが、霊団から「モチツケ」的な事を言われています。この言葉は僕には「ヴァカになれ」と言われているようにしか聞こえません。そんな導きに従える人間がこの全宇宙に存在する訳ネィだろ。もう僕の心は完全に霊団から離れています(祈)†
■2022年7月10日UP■
■2022年7月18日UP■
■2023年3月29日UP■自信が持てないのは間違いないのですが(内容がどうしても重くなるからです)とにかく開き直りまくってダメなりの撃ち方を続けてきたおかげというか何と言うか、少しテキストが撃ち溜まってきました。って、1冊分撃ち終えるのはまだ当分先ですが「不可能じゃない」少しそう思えるようになってきてます。
パナソニック時代にはドイツ人デザイナーのケルスティンという女性に「たきざわさんは、なでー、そなーに、いしょーけめーい、しごとするーの?」って言われた事がありましたっけ。ケルスティンさんにとって、僕の姿勢は異様に映ったんでしょうね。
作業負荷が高い事も苦しいですがいちばん苦しいのはその作業負荷を突破してアウトプットさせたとしても結果がついてこない事です。「ソリャあんたのやり方が下手なんだよ」とツッコまれそうですね。ま、僕の場合はたとえスバラシイアウトプットを制作したとしても霊団に妨害されますので「ただ苦しいだけ」にさせられるのですが。
本文のクオリティは今のところ低め、しかし気にせず撃て、モノスンゴイ難しい内容を撃ってるんですよ、だから多少の事はしょうがない、完璧なんて有り得ないんだから気にせずガンガン撃っていけ。細かい事はあとで考えろ(祈)†
■2024年2月28日UP■
■2024年5月11日UP■
■2025年12月27日UP■そこで、私たち霊団のとるべき態度はどうあるべきか。人間は自分の成長と(死後への)霊的準備に必要なものはすべて掌中に収めております。聖なる書も数多くあります。“師”と呼ばれる人も数多く輩出しております。内的世界を垣間(かいま)見てその人なりに解釈した霊覚者が大勢います。
しかし不幸にして、そうした形で啓示された素朴な真理が埋もれております。人間はその上に教義だの、ドグマだの、信条だの、儀式だのという“構築物”を築き上げてしまいました。
単純素朴な真理の基礎の上に神学という名の巨大な砦を築いてしまい、肝心の基礎がすっかり忘れ去られております。そこで私どもはその埋もれた真理を本来の純粋な姿 – 何の飾り気もない素朴な姿のままをお見せするための道具、つまり霊のメッセージをお届けするための霊媒を探し求めてきたのです。
私どもは人間の精神的産物によって色づけされた信仰体系には関心はありません。大切なのは地上生活のように錯覚によって惑わされる事のない霊の世界からの真理です。
なぜか。それは、あまりに多くの落伍者、精神的浮浪者のような人間が霊界へ送り込まれる一方、一見立派そうな人間が霊的事実について誤った概念と偏見と無知のために、死後に直面する生活に何1つ備えができていないというケースが又あまりに多すぎる現実を見て、私どもは、いずれは永続的な実在の世界となる死後の生活に備えるための単純な真理を地上にいる間に知ってもらえば、私たちの手間も大いに省けるだろうと考えたのです。
そこであらゆる宗教的体系と組織、進歩を妨げる信仰、不必要な障害、人間の精神を曇らせ心を惑わせる迷信に対して敢然と宣戦布告し、神の子が神の意図された通りに生きられるように、不変の霊的真理を授けようと努力しているわけです。
他人がどう言おうと気にしてはいけません。非難・中傷など、すべて忘れる事です。霊的真理こそ永遠に変わらぬ真理なのです。理性が要求するすべてのテストに応えうる真理です。
けっして知性を敷(あざむ)きません。単純・明快で、誰にでも理解できます。聖職者によるあらゆる方策が失敗したのちも止まる事なく普及発展していく真理です。不変の自然法則に基づいた単純素朴な永遠の真理だからです。
これには法王も大主教も司祭も牧師も教会も聖堂も礼拝堂もいりません。私どもはこれを捏(こ)ねまわして神学体系を作ろうなどとも思いません。ただこうして説くだけです。
が、理解ある伝道者さえいれば、それが社会のあらゆる階層に浸透し、すべての人間が身体的にそして霊的に自由を享受し、2度と束縛の中で生きていく事は無くなるでしょう。無知の暗黒が消滅し、代って真理の光がふんだんに注がれる事でしょう。」
■2023年7月5日UP■
■2023年8月30日UP■
■2023年11月8日UP■