『シルバーバーチの霊訓』11巻 6章 霊界でも祝うクリスマスとイースター―その本来の意味
※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
私たち地上の霊的啓蒙活動に従事している霊団の指導的立場にある者は、キリスト教でいうクリスマスとイースターに相当する時期に霊界の奥深く帰還する習わしになっております。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
ご承知の通りその二つの祝祭はキリスト教よりさかのぼる太古において、一年を通じての太陽の勢いの変化を神の働きかけの象徴と受けとめた事がその起源です。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
太古において太陽がその輝きを最高度に発揮する時期(夏至、六月下旬、旧暦五月中旬)が“復活(よみがえり)”の時、つまり大自然が讃歌を奏で、見事な美しさを披露する時とみなされました。言いかえれば、蒔かれたタネがその頃に華麗なる成長を遂げると考えたのです。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
それに呼応して冬至(十二月下旬、旧暦一月中旬)があります。最高の輝きを見せた太陽が衰え始めると、大自然はエネルギーを蓄え、根を肥やしながら季節の一巡の終りを迎えると考えたのです。来るべき夏至にその成長ぶりを披露するのに備えるという訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
そういう訳でクリスマスは永い一年の巡りの終りであると同時に、太陽の誕生、新たなる生命が地上へ誕生する、その最初の兆しを見せる時期だと、太古の人は考えました。この二つの時期は太古において大切な意味をもっておりました。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
と申しますのは“神のお告げ”はその二つの時期に授けられると信じられたからです。あなた方現代人は太陽のもつ神秘的な影響力をご存知ありません。太古の人はその時期に今でいう交霊会を何日にもわたって大々的に催し、その時期にたっぷりと啓示を頂いたのです。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
そこで私たち霊団の指導的役割を担う者は、誕生に相当する人生で最も大切なこの時期(クリスマス)に一堂に会して祝い合うのです。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
その始まりは太陽の影響力への賛美という事でしたが、それは一種の象徴(シンボル)であり実質的には生命が他の生命へ及ぼす影響力、物質が他の物質へ及ぼす影響力、惑星が他の惑星へ及ぼす影響力、などが含まれております。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「母と子の心霊教室」です☆この本は子供達に向けて書かれた書籍で非常に分りやすく、霊的知識に初めて触れる方にぴったり☆僕はこの本は小学校の教科書にすべきだと本気で思ってます。早く霊的知識が当り前になる時代が来るといいですね(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑪』
特に一年のこの時期が選ばれたのは、私たちに協力してくれている霊たちの地上時代に属していた民族が大自然の摂理を基盤とした宗教をもっていたからです。古い時代の私たちにとっては太陽の誕生の祝いが最大の祝いでした。それは新しい年の始まりにほかならないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
四季の巡りの終りであると同時に新しい巡りの始まりでもある訳です。そうした祝いがかつて地上で催されていた事から、これを霊界でも祝う事になりました。もとより今では霊的な意味をもつようになっております。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
つまり新しい生命の誕生を祝うのではなく、地上からいったん引き上げて、新しい光を地上へもたらすために霊力の回復を図る事を目的としております。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
今この仕事に従事している霊団の者は、地上時代は西洋文明を知らない古い民族に属していましたから(キリスト教的な祝い方と違って)この時期を地上から引き上げて私たちの本来の所属界へ帰還する機会としております。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
帰還すると評議会のようなものを開き、互いに自分たちの霊団の経過報告をし、どこまで計画通りに行き、どこが計画通りに行っていないかを検討し合います。それとともに新たな計画を討議し合います。私たちを地上へ派遣した神庁の方々とお会いするのもその時です。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
その中にかのナザレのイエスの勇姿があるのです。イエスは今なお人類に古来の大真理すなわち“愛は摂理の成就なり”を教える大事業に携わっておられます。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
そのイエスが私たちの業績に逐一通じておられるお言葉を述べられ、新たな力、希望、ビジョン、目的をもって邁進するようにと励ましてくださる時のお姿、そのお声、その偉大なる愛を、願わくば皆さんにも拝し聞きそして感じ取らせてあげられればと思うのですが…。
何をどう説明しても理解して頂けないのです。僕が浴させて頂いている数々のインスピレーションを言語に置き替えて説明しようとすると、最高にまどろっこしく、めんどくさいのです。インスピレーションは言語を超越した素晴らしいコミュニケーション手段なのです。皆さんにも知って頂きたいのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑪』
もとよりそれはキリスト教によって神の座に祭り上げられているイエスではありません。数知れない道具を通して人類に働きかけておられる、一個の偉大なる霊なのです。その本来の界に留まっているのは短い期間ですが、私はその間に改めて生命力あふれる霊力、―
『シルバーバーチの霊訓⑪』
―力強さと美しさにあふれるエネルギーに浸ります。それに浸ると、生命とは何かがしみじみと感じ取れるのです。私はその事をあくまで謙虚な気持であるがままに申上げているつもりです。見栄を張る気持などひとかけらもございません。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
仮に世界最高の絵画の全て、物質界最高のインスピレーションと芸術的手腕、それに大自然の深くかつ壮大な美を全部集めて一つにまとめてみても、私の本来の所属界の荘厳美麗な実在に較べれば、いたってお粗末な反映程度のものでしかありません。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
芸術家がインスピレーションに浸ると、手持ちの絵具ではとても表現できそうにない事を痛感して、魂で感じ取ったその豊かな美しさを表現するための色彩を求めます。が、それは地上のどこにも存在しません。霊的な真理と美しさは物的なものでは表現できないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
そうした界層での私の霊的な高揚状態がどうして言語などで表現できましょう。大霊の光輝を全身から放っている存在となっているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
叡智と理解力と慈悲と優しさに満ち、人間の側から訴えられる前に全てを察知し、心の中を読み取り、心の動きに通じ、成功も失敗も知り尽くしております。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
全ての宗教の根幹でありイエスの教えの集約でもある、かの愛の名言(愛とは摂理の成就なり)は、全生命の主、無限の創造者たる大霊の名において私たちもその真実性を宣言するものです。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「迷える霊との対話」です。この本は分厚いです(汗)しかし最高に考えさせられる内容です。霊的知識を持たず自分が地縛霊になっている事に気づいていない数多くの下層界のスピリットが登場します。僕たちはこうなってはいけないのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑪』
かくして私たちは本来の霊的状態へ戻り、本来の環境である光彩と喜びと光輝と笑いと豊かさと崇高さと荘厳さを味わいます。その中に浸り、その喜びを味わい、私たちにとってはごく当り前の状態である壮観を取り戻します。それが私たちのお祝いです。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
助言を頂き、感激を味わい、気分を一新し、元気百倍し、心身ともにすっかり生き返った私たちは、やおらこの冷やかで陰鬱でじめじめとして味気ない、暗い地上世界へと赴き、厚く包み込むそのモヤと霧を払い、真理の光を輝かせるための仕事を再開します。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
地上のクリスマスシーズンにも愛の精神の発露が見られない訳ではありません。それが親切と寛容の形をとり、また施しの精神となって表現されております。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
旧交を温め、縁を確認し合い、離れ離れになった者が一堂に会するという事の中にもそれが見られ、又かつての恨みはもう忘れようという決意をさせる事にもなります。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
しかし残念でならないのは、それに先立って大量の動物が殺害される事です。物言わぬ神の子が無益な犠牲とされている事です。“平和の君”キリストの誕生がそうした恐ろしい虐殺によって祝われるというのは何と悲しい事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
なぜ平和を祝うために罪もない動物の血が流されねばならないのでしょう。これはまさに地上世界の磔刑です。罪なき動物に流血の犠牲を強いて平和を祝うとは…。いつの日か愛と哀れみと慈悲と責任感とが人間を動かし、助けを求める動物達への態度を改める事になるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑪』
そうした資質が発揮されるようになってはじめて、罪もない動物への容赦ない流血と残酷と無益な実験も行われなくなる事でしょう。地上に真実の平和が訪れ、狼が小羊と並んで寝そべる事になりましょう。
僕は帰幽に向けてずっと準備してたテキストがあります→(BGM 交響曲第3番~第3楽章/ブラームス)以上、山を愛する画家、そして、ちょっとだけ霊覚者の、たきざわ彰人でした。これにて地上終了です。行ってきます。(祈)キィィ…バタン…(扉閉)→これをUPする事はできませんでした(悲)
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