アナログ絵257「フラー06ver2.0カラーリング」90%完成中(祈)†

アナログ絵257「フラー06ver2.0カラーリング」70%完成中。ムービーどうしましょうか、そこまでして撮らなくてもって気もしてます、忙しすぎてもう…。インスピレーションは「正式にエボリューション」「はいオッケィ」「来たよ」「急いで」「コッチですどぅぞ」と言った感じに降ってます。ちゃんと説明するブログをホントは書くべきなのですが、先にフラーを完成させちゃいましょう。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が流してくるニュースに何の関心もありません。皆さまに知って頂きたい事はただひとつ「コイツらが女の子を殺しまくっている事」それだけです。あくまでも僕は物的情報に翻弄されず霊団の導きに従って使命遂行します。全てはイエス様との約束を完璧に果たし切り、明仁、文仁、徳仁、悠仁を人間終了にするため。僕、たきざわ彰人は「1歩も退く気はない」(祈)†

 ―霊界には今後イエスのごとき人物を地上へ送る事によってさらに奥深い啓示をもたらす計画があるのでしょうか。 →様々な民族の必要性に応じて、様々な手段が講じられつつあります。忘れてならないのは、現在の地上はますます複雑さを増し、→

『シルバーバーチの霊訓①』→相互関係がますます緊密となり、それだけ多くの通信回路を開かねばならなくなっているという事です。各民族の異なった気質、習慣、思想、生活手段や様式を考慮に入れなくてはなりません。通信の内容もその国民の生活環境や特質、→

『シルバーバーチの霊訓①』→民族的習性に合わさなくてはなりません。それをその国民の言語で表現せねばならず、その他もろもろの制約があります。が、啓示の由って来る究極の淵源はみな同じです。 ―100年を生きるのがやっとというわれわれ地上の人間にとって→

『シルバーバーチの霊訓①』→2000年とか5000年という時の流れは気の遠くなる思いがするが、悠久の宇宙的尺度をもってすればほんの短い1時期にすぎないのであろう。巷間にはこれから後の僅か100年200年について、やたらに悲愴感を煽るもったいぶった予言書が→

『シルバーバーチの霊訓①』→出版されているが、筆者はこうした、人の心を怖じけつかせ魂を縮み上がらせるようなものは決して純正な予言ではない、否、極めて悪質であると思う。もっとも、悠久の目をもって見れば“悪質なイタズラ”程度のものなのかも知れないが。

『シルバーバーチの霊訓①』純正な霊的啓示は常に魂を鼓舞し生きる勇気を与えてくれるものをもっている。それは以上紹介した霊的啓示の系譜の中に如実に見られる一大特質である。筆者が今携わっている仕事は西洋的系譜の啓示を日本へ輸入する事であるが、→

『シルバーバーチの霊訓①』→右のシルバーバーチの霊言から推測されるように、日本には日本なりの一大啓示の時代がいずれ到来するものと信じている。私見によれば、それはたぶん神道的色彩を帯びる事であろう。そしてそれを西洋へ逆輸入する形になるのかも知れない。

『シルバーバーチの霊訓①』そうする事によって西洋的な啓示と東洋的な啓示とが合流して一大奔流となって世界を流れる時こそ真の世界平和、いわゆる地上天国が築かれるのではなかろうか。ただ少なくとも日本の現状に目をやる時、今はこうした西洋的系譜の啓示を是非とも普及しなければ→

『シルバーバーチの霊訓①』→ならない時代であるという認識をもつのは、1人筆者のみではないと信じている。では、おしまいに再び『霊訓』から啓示の本質に触れた部分を紹介しておこう。“新しい啓示”と“古い啓示”との間の矛盾の問題に言及してインペレーターは→

『シルバーバーチの霊訓①』→こう述べている。 →啓示は神より与えられる。神の真理であるという意味において、啓示が別の時代の啓示と矛盾するという事は有り得ぬ。ただしその真理は常に時代の必要性と受容能力に応じたものが授けられる。

『シルバーバーチの霊訓①』一見矛盾するかに思えるものは真理そのものにはあらずして、人間の心にその原因がある。人間は単純素朴では満足し得ず、何やら複雑なるものを混入してはせっかくの品質を落とし、勝手な推論と思惑とで上塗りする。

『シルバーバーチの霊訓①』時の経過と共にいつしか当初の神の啓示とは似ても似つかぬものとなっていく。矛盾すると同時に不純であり“この世的なもの”となってしまう。やがて新しき啓示が与えられる。がその時はもはやそれをそのまま当てはめられる環境ではなくなっている。

『シルバーバーチの霊訓①』古き啓示の上に築き上げられた迷信の数々をまず取り壊さねばならぬ。新しきものを加える前に異物を取り除かねばならぬ。啓示には矛盾はない。が、矛盾せるがごとく思わしめるところの古き夾雑物がある。まずそれを取り除き、その下に埋もれる→

『シルバーバーチの霊訓①』→真実の姿を見せねばならぬ。人間はそれに宿る理性の光にて物事を判断せねばならぬ。理性こそ最後の判断基準であり、理性の発達せる人間は、無知なる者や偏見に固められたる人間が拒絶するものを喜んで受け入れる。神は決して押し売りはせぬ。

『シルバーバーチの霊訓①』このたびの啓示も、地ならしとして限られた人間への特殊な啓示と思うがよい。これまでもそうであった。モーセは自国民の全てから受け入れられたであろうか。イエスはどうか。パウロはどうか。歴史上の改革者を見るがよい。

『シルバーバーチの霊訓①』自国民に受け入れられた者が1人でもいたであろうか。神は常に変わらぬ。神は啓示はするが決して押しつけはせぬ。用意の出来ている者のみがそれを受け入れる。無知なる者、備えなき者はそれを拒絶する。それでよいのである。

『シルバーバーチの霊訓①』【新装版発行にあたって】多くの読者に支持され、版を重ねてきた、このシリーズが、この度、装いを新たにして出される事になりました。天界のシルバーバーチ霊もさぞかし喜ばしく思っていてくれている事でしょう。  平成16年1月 近藤 千雄