2020年7月13日

少しだけ解説を。幽体離脱時、僕は数人の仲間と車で都心に向かっていましたが、その先に待っていたのは狭い部屋での軟禁でした。天井に監視カメラがあり、仲間4人と閉じ込められた僕は筆談でコミュニケーションをします。扉も自分たちでは開けられず時々トイレのために開けられてその時だけ外に出られます。トイレと歯磨きを済ませると再び狭い部屋に入れられます。監視役の男が部下に「たきざわ彰人と仲間には尊敬をもって接するように」と指示をしていましたが実際は監禁し自由を奪う人権蹂躙をしているのであり口だけのウソだと分かります。

で最終的には(ちょっとうまく映像を反芻できなかったのですが…)フラーのハンドライトソードで部屋の壁を切って脱出した、と言った内容でした。んー、今日のトランス時に「帰幽」を思わせるメセを霊団が降らせてきました、やっぱり暗殺ですか、あなた方は強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にできると言ったりできないと言ったり、本当に何なんですか。あと「本日のBGM」と称してMP3をUPしてますが、それをやめた方がいいと言った感じのメセを降らせてきました。ん??霊団これはどゆ事?何かまずいのかな。そういう事ならやめてもいいですけど、ただ何としてもブログを見てもらいたくてちょっと始めただけですので。「本編お願い」とも降らせてきました、使命遂行の本編を進んで、脇道はやめてね、という意味かな?それは了解です。ちょっと残念ですがBGMやめるかも知れません。「憎たらしい」とも降りました。これが皆さまの強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する思念であると信じたいですが(祈)†

www.youtube.com/watch?v=QqJPejYHS_I&t=56s

2020年7月13日

物的内容についてブログを書くのは使命遂行という意味であまり宜しくないのですが、ピーチピチ(佳子)のこのニュースから皆さまに少しお話させて頂きます。まずこのニュースの内容以前に「強姦殺人魔に【さま】をつけて呼んでいる」事に根本的に疑問を抱き、ピーチピチ(佳子)とおねいやんの問題を議論する前にまずそこを叩かねばならないという事を皆さまにお考え頂かねばならないという事です。国民から盗んだ幼い奴隷の女の子を日常的にレイプし四肢切断、強姦殺人しまくっている大殺人鬼、明仁、文仁、徳仁、悠仁が優れた人格を有して人々から尊敬を集める訳がありません。

ピーチピチが文仁、紀子に対して取る態度は別に反逆でも何でもなく人として当たり前の事であり、そもそも文仁、紀子はピーチピチ(佳子)の親でも何でもありません。ケコーンだの一時金だのという以前に、日本のメディアが流すこれらのニュースがまず「根本的に間違っている」という認識を絶対に皆さまにご理解頂かねばなりません。明仁、文仁、徳仁、悠仁が強姦殺人魔である事を一言たりとも言おうとせず陛下だの殿下だのと呼び続ける各種メディアを絶対に信用しないよう、僕、たきざわ彰人から皆さまに最大級の警戒を呼びかけるものです。文仁の奔放教育がどうこうと書いてありますが、コイツは信じられない人数の女の子を殺しまくって遊び、多くの一般女性をもレイプしまくっている筋金入りの強姦殺人魔です。こんな奴に教育方針もへったくれもありません、あるのは「死刑」だけなのです。

日本メディアが流してくるこれらのニュースが完全に洗脳であり視点外しである事を絶対に理解して下さい。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を正しく罰するという人間として当たり前の事をする、その大前提問題を棚に上げて2次3次の問題を議論する事自体が滑稽の極致であり本末転倒であり完全に「視点外し」なのです。ケコーンだの皇位継承だのと言う前に大前提として「コイツらは強姦殺人魔なんだ、死刑にせねばならないんだ」という理解を皆さまにもって頂き、その視点でこれらのニュースを正しく読み取って頂かねばならないという事です。皆さま、何度も公言させて頂いていますが1億回でも言います「目を覚ましましょう」(祈)†

まずはフラー06ver2.0のカラーリングを一気に進めてます。以前のフラー06とは全く違うイメージにしてます、今回も気に入らなくてバージョン3.0なんて事にならないように思い切った感じに塗ってます。また塗ってるところをムービーキャプチャしましょうか、パワーがあったらやってもいいかも知れません。そしてインスピレーションの内容ですが、ゴメンナサイ、紹介はちょっと待って下さい。んー、どう書いていいか分かりません、困りました。これから幽体離脱に入りますのでブログにつながるメセを待ちましょう。とにかく強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の回りは洗脳だらけ。人生が全てウソ。この怒りを皆さまと共有できている事を信じたくてたまりません。カラーリングを続けます(祈)†

本日のBGM(2019/03/29)かっこうワルツ

歴史的に辿れば、人類全体としての啓発に寄与するほどの霊的啓示は、各民族固有の宗教の起原となった聖典に求める事ができよう。モーセの「十戒」。キリスト教のバイブル、イスラム教のコーラン、仏教の原初仏典、→

『シルバーバーチの霊訓①』→日本の古神道の原典等がその主だったものと言えよう。これらの中でも日本の古神道いわゆる神ながらの道の思想は人工的夾雑物が少なく、自然で、最もスピリチュアリズム的要素に富んでいるというのが、長年各種の霊界通信に親しんできた筆者の私見で→

『シルバーバーチの霊訓①』→あるが、問題はいかなる啓示もその起原においては霊的であっても、時代と共に人間的主観によって歪められていくという事である。“スピリチュアリズムのバイブル”と呼ばれて今なお欧米においてロングセラーを続けているモーゼスの『霊訓』の中で、→

『シルバーバーチの霊訓①』→インペレーターと名乗る最高指導霊(実は旧約聖書に出てくる予言者マラキ)がこう述べている。→…聖書に記録を留める初期の歴史を通じて、そこには燦然と輝く偉大なる霊の数々がある。彼らは地上にありては真理と進歩の光として輝き、→

『シルバーバーチの霊訓①』→地上を去りてのちは後継者を通じて啓示をもたらしてきた。その1人―神が人間に直接的に働きかけるものとの信仰が今より強く支配せる書記の時代の1人にサレム(現在のパレスチナの西部にあった古代都市)の王メルキゼデクがいる。

『シルバーバーチの霊訓①』彼はアブラハムを聖別(聖なる目的に使用するために世俗より離す)して神の恩寵の象徴による印章を譲ったのだった。これはアブラハムが霊力の媒体として選ばれた事を意味する。当時においてはまだ霊との交わりの信仰が残っていたのである。

『シルバーバーチの霊訓①』彼は民にとりては暗闇に輝く光であり、神にとりては民のために送りし神託の代弁者であった。ここで今まさに啓発の門出に立つ汝に注意しておくが、太古の記録を吟味するに当りては事実の記録と単なる信仰の表現にすぎぬものとを截然と区別せねばならぬ。

『シルバーバーチの霊訓①』初期の時代の歴史には辻褄の合わぬ言説が豊富に見受けられる。それらは伝えられるがごとき秀でた人物の著作によるものではなく、歴史が伝説と混じり合い、単なる世間の考えと信仰とがまことしやかに語り継がれし時代の伝説的信仰の寄せ集めにすぎぬ。

『シルバーバーチの霊訓①』それ故、確かに汝らの聖書と同じくその中に幾ばくかの事実はなきにしもあらずであるが、その言語の1つひとつに無条件の信頼を置く事は用心せねばならぬ。 こう述べた後、キリスト教を例にしてその啓示の系譜を明らかにする。→

『シルバーバーチの霊訓①』メルキゼデクは死後再び地上に戻り、当時の最大の改革者―イスラエルの民をエジプトより救出し、独自の律法と政体を確立せる指導者―モーセを導いた。霊力の媒介者として彼は心身ともに発達せる強力なる人物であった。

『シルバーバーチの霊訓①』当時すでに、当時としては最高の学派において優れた知的叡智、エジプト秘伝の叡智が発達していた。人を引きつける彼の強烈なる意志が、支配者としての地位にふさわしき人物とした。その彼を通じて強力なる霊団がユダヤの民に働きかけ、→

『シルバーバーチの霊訓①』→それがさらに世界各地へと広がっていった。大民族の歴史的大危機に際し、その必要性に応じた宗教的律法を完成させ、政治的体制を入念に確立し、法律と規律を制定した。その時代はユダヤ民族にとりては、他の民族も同様に体験せる段階、→

『シルバーバーチの霊訓①』→そして現代も重大なる類似性をもつ段階、すなわち古きものが消えゆき、霊的創造力によりて全てのものが装いを新たにする、霊的真理の発達段階であった。ここでもまた、推理を過ってはならぬ。モーセの制定せる律法は汝らの説教者たちの説くがごとき、→

『シルバーバーチの霊訓①』→いつの時代にも適応させるべき普遍絶対のものにはあらず。その遠き古き時代に適応せるものが授けられたのである。すなわち当時の人間の真理の理解力の程度に応じたものが、いつの時代にもそうであった如く、→

『シルバーバーチの霊訓①』→神の使徒によりて霊的能力に富む者を介して授けられたのである。(中略)今日なお存続せるかの「十戒」は変転きわまりなき時代のために説かれた、真理の一面にすぎぬ。もとより、そこに説かれたる人間的行為の規範は、その精神においては真実である。

『シルバーバーチの霊訓①』が、すでにその段階を超えたる者に字句通りに当てはめるべきものにはあらず。かの十戒はイスラエルの騒乱から逃れ、地上的煩悩の影響に超然たるシナイ山の頂上において、モーセの背後霊団より授けられたのであった。(中略)