今日は幽体離脱、トランス共に何とも皆さまにご紹介できない内容の情報を霊団が降らせてきました。良い意味、悪い意味、両方のメセが混在していて解釈に困っていますが、その中のひとつ「まだあきらめてないよ」についてだけ少し説明してみましょう。僕がまだ使命遂行を続けている事、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込む事、奴隷の女の子たちを救出する事を「まだあきらめてない」という、僕のブログをご覧の方の思念なのですが、このメセ、実は数回降っていまして、霊団側の強調の意味もあるのかも知れません。
あきらめてない、と仰いますが、あきらめた先に一体何が待ち受けているというのでしょう。前進、行動せずして目標にはたどり着けません。そもそも僕の地上人生は2012年で終わっています。現在の僕はイエス様のご意志を遂行するため「サービス残業」で地上に残されている状態です。まぁこの部分は果てしなく説明させて頂いてますのでここまでとさせて頂きますが、僕が「あきらめる」と思っている方の神経が全く分かりません。僕は画家の人生を捨ててイエス様との約束を果たそうとしているのです。日々霊力に浴させて頂いているのにそれを無視して無意味な物的生活に溺れるなどと言う愚劣の極みの事をするはずがないじゃありませんか。何のために自分の身を修行に晒し、試練を克服して霊性発現したんですか僕は。なぜ霊団は毎日のようにインスピレーションを降らせてくるんですか。物質界は永遠の人生の中のホンの一瞬降下させられてくるだけのトレーニングセンターです。肉体は100%朽ち果てて人間全員が本来の生活の場、霊界に帰っていきます。
霊団の導きを無視して、イエス様のご意志を裏切って、守護霊様の愛を裏切って、無意味な物的生活を送って、それで帰幽して一体どの顔でイエス様、守護霊様とお会いするというのでしょうか。えー霊的知識によるとほとんどの人間が物質界での生活中はもちろんの事、帰幽後の霊界生活中にも自身の守護霊と面会を果たす事はありません。それは今説明したように守護霊の側が自分の導きに背き続けた者と面会するためにわざわざ自分の所属界(上層界)から犠牲的降下をしようとは思わないからです。人間側に自覚が芽生えてからでなければわざわざ降下して会いに行こうなどとは思いません。僕はその守護霊様と何度も面会を果たさせて頂いているのです。イエス様の顕現にも何度も浴させて頂いているのです。つまりイエス様、守護霊様が「犠牲的降下」をして下さっているという意味です。その愛を裏切って一体どの顔で人生を送り帰幽するというのでしょうか。ほとんどの人間がこういった自覚が全くない状態で帰幽し、自身の守護霊の存在も全く認識せず、これまでたくさんの導きを受けながら人生を送ってきている事にも全く気づかず、
自分に守護霊がいる事自体を認識していませんので当然感謝の念が湧く事もなく、帰幽後も真実を見通す事ができない暗い境涯で下を向きながら暮らす事になります。僕はそういう段階をとっくに突破してイエス様、守護霊様の導きの通りに使命遂行しているのです。僕をここまで成長させて下さった守護霊様の愛を一身に裏切り、僕を信頼して仕事を任せて下さったイエス様の信託を一身に裏切って「使命遂行をあきらめる」このような人生の選択をする事がいかに愚かの極みであるか…んー、「まだあきらめてないよ」と思念を抱く方の感情が僕には全く理解できないのです。まぁ上記に書いたような霊的知識が全く頭に入っていない事が、このような思念を抱く原因であり「無知の産物」という事になります。今日のインスピレーションの中には再び僕に危機が迫る内容も含まれています。何が何でも強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をかばい続けようとする人間が本当にウンザリするほどたくさんいるのです。僕は「イエス様ハンドリング」を続けます。遊びでやってるんじゃないんですよ。イエス様との約束なんですよ。あきらめる訳ないでしょ(祈)†
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