2020年7月8日

今日は幽体離脱、トランス共に何とも皆さまにご紹介できない内容の情報を霊団が降らせてきました。良い意味、悪い意味、両方のメセが混在していて解釈に困っていますが、その中のひとつ「まだあきらめてないよ」についてだけ少し説明してみましょう。僕がまだ使命遂行を続けている事、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込む事、奴隷の女の子たちを救出する事を「まだあきらめてない」という、僕のブログをご覧の方の思念なのですが、このメセ、実は数回降っていまして、霊団側の強調の意味もあるのかも知れません。

あきらめてない、と仰いますが、あきらめた先に一体何が待ち受けているというのでしょう。前進、行動せずして目標にはたどり着けません。そもそも僕の地上人生は2012年で終わっています。現在の僕はイエス様のご意志を遂行するため「サービス残業」で地上に残されている状態です。まぁこの部分は果てしなく説明させて頂いてますのでここまでとさせて頂きますが、僕が「あきらめる」と思っている方の神経が全く分かりません。僕は画家の人生を捨ててイエス様との約束を果たそうとしているのです。日々霊力に浴させて頂いているのにそれを無視して無意味な物的生活に溺れるなどと言う愚劣の極みの事をするはずがないじゃありませんか。何のために自分の身を修行に晒し、試練を克服して霊性発現したんですか僕は。なぜ霊団は毎日のようにインスピレーションを降らせてくるんですか。物質界は永遠の人生の中のホンの一瞬降下させられてくるだけのトレーニングセンターです。肉体は100%朽ち果てて人間全員が本来の生活の場、霊界に帰っていきます。

霊団の導きを無視して、イエス様のご意志を裏切って、守護霊様の愛を裏切って、無意味な物的生活を送って、それで帰幽して一体どの顔でイエス様、守護霊様とお会いするというのでしょうか。えー霊的知識によるとほとんどの人間が物質界での生活中はもちろんの事、帰幽後の霊界生活中にも自身の守護霊と面会を果たす事はありません。それは今説明したように守護霊の側が自分の導きに背き続けた者と面会するためにわざわざ自分の所属界(上層界)から犠牲的降下をしようとは思わないからです。人間側に自覚が芽生えてからでなければわざわざ降下して会いに行こうなどとは思いません。僕はその守護霊様と何度も面会を果たさせて頂いているのです。イエス様の顕現にも何度も浴させて頂いているのです。つまりイエス様、守護霊様が「犠牲的降下」をして下さっているという意味です。その愛を裏切って一体どの顔で人生を送り帰幽するというのでしょうか。ほとんどの人間がこういった自覚が全くない状態で帰幽し、自身の守護霊の存在も全く認識せず、これまでたくさんの導きを受けながら人生を送ってきている事にも全く気づかず、

自分に守護霊がいる事自体を認識していませんので当然感謝の念が湧く事もなく、帰幽後も真実を見通す事ができない暗い境涯で下を向きながら暮らす事になります。僕はそういう段階をとっくに突破してイエス様、守護霊様の導きの通りに使命遂行しているのです。僕をここまで成長させて下さった守護霊様の愛を一身に裏切り、僕を信頼して仕事を任せて下さったイエス様の信託を一身に裏切って「使命遂行をあきらめる」このような人生の選択をする事がいかに愚かの極みであるか…んー、「まだあきらめてないよ」と思念を抱く方の感情が僕には全く理解できないのです。まぁ上記に書いたような霊的知識が全く頭に入っていない事が、このような思念を抱く原因であり「無知の産物」という事になります。今日のインスピレーションの中には再び僕に危機が迫る内容も含まれています。何が何でも強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をかばい続けようとする人間が本当にウンザリするほどたくさんいるのです。僕は「イエス様ハンドリング」を続けます。遊びでやってるんじゃないんですよ。イエス様との約束なんですよ。あきらめる訳ないでしょ(祈)†

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「なぜ僕が「光の十字架」の撮影にこだわるのか」
wp.me/pa9cvW-h7
ムービー「光の十字架、折れちゃいました(笑)」
youtu.be/9UilP269mnY
過去このようなモノもUPしていますように、まるで背中にツ-ハンドソードを背負うようにデカい長い十字架をザックに装備して山にアタックし撮影していた時期が、ホンの一時期でしたがありました。その時のようなデカい十字架はブログで説明もありますように資金の関係でもう作れないのですが(透明アクリル板、高いんですよ)ザック内にしまえるレベルの小さな十字架ならいけるのではないか、小さくても反射テープを使って目立たせてまぁまぁの「光の十字架撮影」ができるのではないか、そんな事を再び考え始めています。んー説明しても皆さまにはご理解頂けませんが、

ブログにありますように霊体の僕の首には「十字聖団体」という霊界に存在する組織から賜った「細身のシルバーのクロス」が付いています。霊性発現初期の頃に十字聖団体の代表の女性と固い握手を交わした時、その横で守護霊様はうれし泣きをして下さいました。僕は現在仕方なく肉体をまとって物質界に残されていますが、心はとっくに霊界生活に突入しているのです。僕をここまで進歩向上させて下さった守護霊様への感謝の気持ち、そしてイエス様との男と男の鉄の約束を完璧に果たし切る決意表明として、やはり山での撮影に「光の十字架」を使いたいと思うようになってきました。今回は小さな十字架を作るつもりですが、その「光の十字架」に僕の想いの全てを込めたい、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を確実に死刑に追い込むその決意を具現したい衝動にすごく駆られてきました。小さく安く作りましょう。僕が作る「光の十字架」はイエス様と守護霊様への想いを込めたものであって、断じてキリスト教的意味を持たせたものではありません。キリスト教は「人類の呪い」であり、2千年の長きに亘ってキリスト者はイエス様を冒涜し続けてきました。

「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)」 wp.me/pa9cvW-3t 参照。イエス様の御名を悪用し悪行の限りを尽くしてきたキリスト教者と同じに思われるのは究極に心外ですので(その事実を知らず真面目な動機でキリスト教者になった神父であったとしても、です)僕はデザインの人間であり宗教と名の付くものを最大級に軽蔑している事をここに強調させて頂きます。なぜなら宗教も政治も全てウソで塗り固められているからです。国民をダマし金をむしり取る仕組み満載で、昔の悪人が考え出して現在まですっかり固着してしまった、まさに「人類の呪い」なのです。まぁそれはともかくもう1回「光の十字架撮影」トライしてみましょう。霊団の導きに従って怒涛にブログを書き続けても一向に強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込む事ができない現状に相当のフラストレーションを感じてのアイデアとなります。「イエス様ハンドリング」を完全達成せずして僕の残された地上人生があるものか。幼い奴隷の女の子たちをイエス様の御名にかけて必ず救出します(祈)†

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「シルバーバーチの霊訓」より→「地上生活の目的は人間の霊性の発現を促す事です。地球という天体上に住む人間の一人一人に生きる目的があります。なのに大半の人間がその生活の基盤となっている霊的実在に気づいていないのは悲しい事です。穴居人のように暗がりの中で暮らしております」

「シルバーバーチの霊訓」より→「視覚がずれているのです。焦点が狂っているのです。ビジョンが間違っているのです。人生がもたらしてくれる莫大な豊かさを全く知らずにいます。霊的真理に気がつけば自分がいま何をしなければならないかを自覚して、そこに人間革命が生じます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上的環境に置かれたあなた方は地上での様々な条件が生み出す幸福の絶頂と不幸のドン底、いわゆる人生の浮き沈みに直面しないわけには参りません。しかし、そこにこそみなさんが地上に生を受けた意味があるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「魂が真の自我に目覚めるのは太陽が光り輝いている時ではありません。バラ色の人生では霊性は発揮されません。危機、挑戦、困難、障害、妨害の中にあってこそ発揮されるのです。それが魂に潜在する神性を自覚する唯一の触媒を提供してくれるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「物的なものにはその役割を終えるべき時期が定められております。分解して元の成分に戻っていきます。大自然の摂理の一環として物的身体はそのパターンに従いますが、“あなた”そのものは存在し続けます。生き続けたくないと思っても生き続けます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「そもそも人間は死んでから霊となるのではなく、もともと霊であるものが地上へ肉体をまとって誕生し、その束の間の生活のためでなく、霊界という本来の住処に戻ってからの生活のために備えた発達と開発をするのですから、死後も生き続けて当たり前なのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上というところはバイブレーションが重く鈍く不活発で、退屈な世界です。それに引きかえ霊の世界は精妙で繊細で鋭敏です。その霊妙なエネルギーを地上に顕現させるには、各自に触媒となる体験が必要です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「鋼が鍛えられるのは火の中においてこそです。黄金が磨かれてそのまばゆいばかりの輝きを見せるようになるのは破砕の過程を経てこそです。人間の霊性も同じです。何度も何度も鍛えられてはじめて、かつて発揮された事のないより大きな霊性が発現されるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「私たち霊界の者は魂にその受け入れ準備ができるまで根気よく待つほかないのです。“馬を水辺へ連れて行く事はできても水を飲ませる事はできない”、ということわざがあります。本人がその気にならなければどうしようもないのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「危機、困難、障害といったものに遭遇する事によってまずカタルシスを起こさせ、続いてカタリストとして霊的真理を学ばせる機会を提供してくれる、魂がぜひ体験しなければならない挑戦課題なのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「みなさんの心の中には次々と悩みが生じ疑問を抱かれるのも、地上の人間としては止むを得ない事として私は理解しております。がしかし、どう理屈をこねたところで、全宇宙の中にあって唯一の実在は “ 霊 ” である事を改めて申し上げます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「物質はその本性そのものが束の間の存在であり移ろいやすいものです。物的に顕現している形態そのものには永続性はありません。それが存在を保っているのは霊によって生命を与えられているからです。原動力は霊なのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊こそがあなたを、そして他の全ての人を地上に生かしめているのです。霊が引っ込めば物質は崩壊します。あなたの身体は元のチリに戻りますが、本当のあなたである霊は永遠の進化の旅を続けます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなた方は霊をたずさえた身体ではありません。身体をたずさえた霊なのです。本当のあなたは鏡に映る容姿ではありません。それは霊が地上で自我を表現するための物的な道具、複雑な機械にすぎません。霊は物質に優ります。霊が王様であり、物質は召使です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「みなさんは不完全な世界に生きている不完全な存在だという事です。もし完全であれば神はあなた方を地上へ送らなかったでしょう。その不完全な世界においてあなた方は、持てる才能をいかに活用するかについて、自由な選択権が与えられております」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上世界の特異性は対照性、ないしは両極性にあります。美点と徳性を具えた者と、それらを欠いた者とが同じ地上に存在している事です。これは霊界では有り得ない事です。各界が同じ性質の霊で構成されていて、対照的なものが存在しません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「毎朝の訪れを性格形成のための無限の可能性を告げるものとして迎える事です。それが自我を開発させ、人生に目的性を持たせる事になります。残念ながら今の地上のあまりに大勢の人たちが人生に対する目的意識を忘れております」

「シルバーバーチの霊訓」より→「みなさんはご自分で気づいていらっしゃる以上に霊界からいろいろと援助を受けております。いずれ地上を去ってこちらへお出でになり、地上でなさった事を総合的に査定なされば、きっと驚かれる事でしょう」

「シルバーバーチの霊訓」より→「落胆したり悲観的になってはなりません。幸いにして不変の基本的な霊的真理を手にした者は、どんな事態にあっても霊は物質に勝るとの信念を忘れてはなりません。解決策はきっと見つかります。ただ、必ずしも“すぐ”ではなく、しばらく待たされる事があります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「知識がもたらすところの責任も片時も忘れないようにいたしましょう。我々はもはや、知らなかったでは済まされません。精神的自由と霊的解放をもたらす真理を手にしているからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上は幼稚園であり、霊界は大人の学校です。今この地上においてあなたは教訓を正しく身につけ、精神を培い、霊性を鍛えて、神から頂いた才能をあらゆる分野で人のために使用できるまで発達させる事を心掛けるべきです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上生活の目的は霊界へ旅立つ時が来た時に霊に十分な備えができているように様々な体験を積む事です。この地球へ来るのはそのためです。地上はトレーニングセンターです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整えるための学校です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなた方にとってイヤな体験こそ本当は一番為になるのですよと繰り返し申し上げるのはそういう理由からです。魂が目覚めるのは呑気な生活の中ではなく嵐のような生活の中においてこそです雷鳴が轟き、稲妻が走っている時です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「酷い目に遭わなくてはいけません。しごかれないといけません。磨かれないといけません。人生の絶頂とドン底を体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる体験を積まないといけません。かくして霊は一段と強化され、死後の生活への備えができるのです」