【8/8】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
「スピリチュアリズムの真髄」より→「宇宙の原初は燃えさかる火の海であった。そしてその中から無数の太陽や太陽系の星が誕生し、あるものは今なお燃えさかりあるものは冷却していった。スピリチュアリズムでは全過程を通じて神の意志が働き、今なお宇宙を支えていると説く」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「神は無限、永遠であり時間と空間を超越する。時間も空間も神の内側、神のふところの中での存在形式であって神そのものを測る尺度ではない。あくまでも創造されたもの即ち現象界にのみ適用されるものであり創造主である神そのものにとって時空は実在ではない」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「実在ではないという事は存在しないという事ではない。存在はするがそれに支配されないという意味である。つまり時空を超越しているという事である」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「神を無時間、無空間と考えてはいけない。それは神を虚無としてしまう事である。神は内部に現象的条件を設ける事によって時間と空間を抱えつつ、なおそれを超越した存在なのである」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「物的宇宙という現象との関係において、つまりその根源的創造力としては神にも有限の要素が出てくる。それはちょうど無限性を持つスピリットも人間の肉体に宿る事によって有限の要素が出てくるのと同じであろう」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「スピリチュアリズムでは物的宇宙は有限であり太陽系と同じく一定の限界と境界がありそれがいわば神の身体に相当すると説く。そうなると神も有限という事になる」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「そうなると、同じく神と言っても不変絶対の「無の神」Divine Spiritと、宇宙という現象界に顕現している「顕の神」Divine Mindとを区別して考えねばならなくなる」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「無の神は宇宙の背後、内面に遍在する実在そのものをさし、顕の神は無の神が静から動へ転じたもので時間と空間の要素の中で物的宇宙を支える法則として顕現している。時間と空間の条件下では神の働きも相対的となり無限でなくなる」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「この事は人間を例にとれば明瞭となる。即ち神の分霊である人間は本質において無限の可能性を持っているが、これが肉体という物質器官に宿れば当然その活動は有限となる」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「つまり無限絶対の静の神が宇宙という動の世界へ活動の中枢を無数に設けた、その一番小さいのが人間であり、一番大きく崇高なのが宇宙神で、これが宇宙を支えているからである」
【過去コメ】「スピリチュアリズムの真髄」の“神”についての項目に目を通してる時、僕の脳に強烈に霊力がキィィンって降ってくるのです「そこ重要!そこ正しく理解して!」みたいな感じだったのかも知れません。はい、もちろん正しく理解したいです。和訳された書籍の中でこの本はある意味最強かも
「スピリチュアリズムの真髄」より→「その宇宙が有限でどこかに中心があると考えるのは決して行き過ぎではない。というのは太陽系の組織構成を見ると宇宙もどこかに中心がある事を想像させるのである。何事も中心がなくては秩序ある活動は保てない」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「宇宙のあの秩序整然たる活動はどこかにある中心から指揮されているに相違ない。デービスも霊視能力による観察記録の中でハッキリと宇宙には中心があり、それは大太陽ともいえる巨大な物的太陽で、内奥に霊的な太陽即ち宇宙神の意識の中枢があると述べている」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「さらにその霊的太陽から物的大太陽が誕生し、その大太陽から他の全ての太陽系が誕生した。大太陽からの放射物が凝結してできたのであるが、数にして6個、それが大太陽を中心にして同心円を画いて回転しているという」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「わが太陽はその中の5番目の集団に属し、そのホンの一部が天の川として認められる。従って我々は物的大宇宙の外側近くに位置する事になる。6番目つまり一番外側の集団はまだ完全に凝結しきっておらず巨大な彗星状の星雲として虚空を回転しているという」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「推論の原則に従って考察すれば神とは何ぞや、そして又いずこに如何なる形で存在するかを理解する事は決して難しくない。神とはあらゆる物質、エッセンス、要素、原素が極限まで昇華された完全な統一体である」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「すなわち、あくまで清浄あくまで純粋、永遠にして無限、言語に絶する神々しさと不滅の輝きを具え、雄大でありながらしかも完全に調和がとれている。その中枢は果てしなき大宇宙の脳髄にも相当する、大宇宙の渦巻きの中心である」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「従って宇宙と宇宙神との関係は、人体と霊との関係と完全に一致する。霊が肉体という限られた器官の中で機能している如く、神は宇宙という広大無辺の器官を通じて機能しているのである」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「人間の感情や愛情、情緒、意志、知性などが脳髄によってその活動を意識される如く、神的属性、神的原理、全知全能の威力は、渦巻く大宇宙の感覚中枢脳に秘められているのである」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「全存在の根源であり宇宙に偏在する絶対的存在は、物的宇宙を外郭としてその中央に中枢を置き、そこを中心として星辰が荘厳と調和のうちに回転している」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「それこそがわれわれが神と呼ぶものであり、その属性は愛と叡智、それが人間界では男性と女性、積極性と消極性、創造性と持続性となって表現されているのである」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「様々な天体、太陽系、星雲等の見事な調和はそのまま神の表現である。大太陽はその内側にある霊的大太陽の表現であり、霊的大太陽は神の御心即ち愛の表現なのである。かくして霊的大太陽は全ての物的存在の中心であり根源なのである」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「物的宇宙は霊的宇宙の完璧な再現である。言い換えれば物的宇宙は創造的大霊の身体であり、その霊的要素が開闢して物的天体ともなったのである。その形体は正に神の秩序と叡智の表現である」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「霊的太陽の最初は光と愛として顕現した。人間の想像する光と愛を遥かに超える。それが空間そのものとなった。とは言え空間には限界がない。そしてそれは霊的大太陽の照明の拡張力を超えるものではない。宇宙が顕現を完了した時秩序と形式が絶対的に支配した」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「これぞ霊的太陽の荘厳にして限りを知らぬ威力。それが物的太陽を生みそして宇宙を生んだ。故に無数の星辰の遥か彼方の何処かで生命と活動の心臓部が脈打っているのだ。その脈拍が全ての惑星的存在にまで届く。その心臓部こそ神であり、全存在の中心なのだ」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「神は無論全てに宿り給う。が宇宙の霊的大太陽により強く顕現し給う。そこはいわば神の身体であり、そこに完全に神が表現されているのだ。それは人体が内部の魂の完全なる表現体であるのと軌を一にする」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「かくして宇宙神が宇宙の霊魂であり、その宇宙に時間と空間という制限があるとなれば、既に述べたように宇宙神として顕現している神にも、宇宙という物的条件によってその活動におのずと制約が生じる事になる」
「スピリチュアリズムの真髄」より→「むろん宇宙の内奥には宇宙を超越した絶対無の神が存在する。その意味での神はむろん無限であり無始無終である。がそれが宇宙として顕現しその大中心を中枢脳として創造と進化の活動に入った瞬間から有限になったのである」
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