—–九章
『シルバーバーチの霊訓②』
「死んであの世へ行った人はどうやって時を過ごすのですか」―ある日の交霊会でこんな質問が出た。「この世と同じように、明るさと暗さを伴った時間があるのでしょうか。」―
『シルバーバーチの霊訓②』
―「それとも全く別の時の流れがあるのでしょうか。何をして過ごすのでしょうか。やはり働くのですか。勉強もするのですか。楽しみがあるのでしょうか」こうした質問にシルバーバーチは次のように答えた。
『シルバーバーチの霊訓②』
それについては何度もお答えしてまいりました。時間の問題は地上の時間とは関係がありませんので、むしろその意味で興味ある話題です。地上の時間は便利さを目的として刻んであります。つまり地球の自転と太陽との関係に基づいて、秒、分、時間、日を刻んである訳です。
『シルバーバーチの霊訓②』
私どもの世界には夜と昼の区別がありません。光源が地上とは違うのです。従って地上と同じ意味での時間は無い事になります。こちらでは霊的状態で時間の流れを計ります。言いかえれば経験していく過程の中で時間の流れを感じ取ります。一種の精神的体験です。
『シルバーバーチの霊訓②』
霊界の下層界では生活に面白味が乏しいですから時間が永く感じられます。上層界では―無論比較上の問題ですが―快い活動が多くなりますから短く感じられます。次々と新しい体験があるという意味です。別に時間とか月とか年とかの分け方はありません。
『シルバーバーチの霊訓②』
仕事への携わり方はその人次第です。精神と霊に関連した活動はいくらでもあります。ご質問者は霊的な体験を物的尺度で理解しようとなさっている点に問題があります。霊界へ来てからの精神と霊のする事は範囲が広く際限がありません。
『シルバーバーチの霊訓②』
教養(文化)的なものもあれば教育的な事もあり、一つ一つにれっきとした目的があり、物質界への働きかけもあり、やりたいだけ存分にそれに携わる事ができます。
『シルバーバーチの霊訓②』
【でもこういう問題が生じませんか―もし地上のような時間がないとすると、これから先の予定はどうやって立てるかという事です―】私が誰かと会う約束をしたい時などの事でしょうか。そんな時は思念を送って都合が良ければ会います。手紙での連絡はありません。
『シルバーバーチの霊訓②』
【誰かと特定の時刻に会いたい時はどうされますか―】そういう事にはならないのです。唯一それに似たものとしては、地上の祝祭日にこちらが合わせる場合です。例えばイースターとかクリスマスには私は自分の界へ戻ります。
『シルバーバーチの霊訓②』
地球圏から抜け出るのですが、それは習慣に合わせているだけの話です。必要とあれば今日の予定が終り次第引き上げる事も出来ます。どこかの霊の集まりに参加するようにとの私への要請があるとすれば、その要請は思念で届けられます。
『シルバーバーチの霊訓②』
それを私が受信して、そして参加するという事になります。最も今すぐそんな要請は来ないでしょう。私がこうして地上の方々と話をしている事が判っておりますから。日暦などはありません。あくまで精神と霊の世界なのです。
『シルバーバーチの霊訓②』
【霊界にも電車がありますか―】ありません。ただし電車に乗りたいと思えば電車が目の前に現れます。理解できないでしょうね。でも夢と同じようなものです。電車で行きたいと思えば電車が現れるのです。皆さんだって夢の中で船に乗ろうと思う事があるでしょう。―
『シルバーバーチの霊訓②』
―すると船が現れます。自分がこしらえるのです。そして少なくとも自分にとっては本物の船です。それに乗ると動き出します。必要な船員もちゃんと揃ってるでしょ?その時の意識の場においては現実なのです。現実というのは相対語である事を忘れないでください。
『シルバーバーチの霊訓②』
【その事は何度も聞かされ書物でも読んでおりますが、正直言って私には理解できません―】そうでしょうとも。ですがあなた方の世界でも時間の錯覚があります。一時間はいつも一時間とは限りません。たったの五分が一時間のように感じられる事があります。
『シルバーバーチの霊訓②』
それが時間の精神的要素です。地上においてもその精神的要素が現実に存在する事を理解してくだされば私ども霊界の者が地上の時間の“純粋に機械的要素”とは無縁である事がお判り頂けるでしょう。こういう説明より他に良い説明方法がないように思います。
あえて書きますが僕は完全無宗教。今まで生きてきて教会に一度も足を運んだ事はなく、聖書も一度も見た事がありません。でもシルバーバーチ霊の言葉に触れるほど、逆にそれでよかったのかもって思うのです。ドグマに毒されずにすみ、今こうして霊的現象に浴させて頂けるようになったのですから(祈)
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『シルバーバーチの霊訓②』
【みんな自分の家をもっているのでしょうか―】はい、持ちたいと思う者は持っております。そう望んでそれなりの努力をいたします。が、持とうと思わない者もいます。同じく家を持つにしても自分の建築の好みに合わせて工夫する者もあります。
『シルバーバーチの霊訓②』
例えばあなた方のご存知ない照明方法を組み込んだりします。こうした事はその霊の創造的才能に関わる個人的好みの問題です。【霊界の家はそれまでの生活の中身によって左右されるとおっしゃった事がありますが…】持ちたいと望みそれなりの努力をしたらと言ったつもりです
『シルバーバーチの霊訓②』
が、いったん家をこしらえたら、その建築様式は純粋にその人の好みの問題となります。青空天井にしたければそうなります。好みというものは長い間の習慣によって形づくられている事を忘れてはいけません。習慣は精神的な属性であり、死後も存続します。
『シルバーバーチの霊訓②』
生涯を英国だけで送った人は当然英国風の住居の様式に慣れ親しんでおり、従って同じような様式の家に住む事になります。そういう習性が残っているからです。
『シルバーバーチの霊訓②』
やがてその習性から抜け出せば、また別の住居を持つ事になります。こうした事も生活の連続性を維持するための神の賢明なる配慮なのです。ショックを防ぎ、生活をスムーズに、そして調和のあるものにしてくれています。
『シルバーバーチの霊訓②』
(※訳者注―この質問と回答には少しズレが見られる。質問者は霊格の低い霊の家はみすぼらしく、高い霊は見るも麗しい、神々しい家に住むという事実を踏まえて質問している。―)
『シルバーバーチの霊訓②』
(―もっとも、みすぼらしいと言っても相対上の問題で、住まってる本人は少しもみすぼらしいとは思っていない。)