これまで怒涛に書きまくってきたブログ量があまりにも膨大すぎて、その中からどれをトレイルムービー化するかいつも最大級に迷うのですが、何しろ毎週の事ですし霊団がトコトン「ムービー作れ」と推してきていますのであまり深く考えず「今回はコレ」とライトタッチに決めて手を休めず作業を開始しています。迷って手が止まるのが1番いけません。遅かれ早かれムービー化するんだから順番なんか気にするな、とにかく作れという事です。ブログテキストをブロック化したら一気にMP3録音まで完了させチープソフトのタイムラインにMP3を速攻で配置してタイムインデックスを取得、.srtファイルに数値入力します。この「字幕.srtファイル」の作成がトレイルムービー作成で1番苦しいキビシイ作業となりますが、これを完了させれば全体の70%は完成したと言えますのでとにかく急いで作って自分を助けるしかありません。本当に霊団、いつまで僕にこの人生をやらせるつもりだよ、いつになったら「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にできるんですか、いつになったらピーチピチ(佳子)を動かせますか、いつになったら奴隷の女の子たちを助けてあげられるんですか。あんたたちがモタモタしてる間にも女の子たちは強姦殺人され続けているんだぞ、ボケっとしてないで全力で仕事しろ(祈)†
キンドルファイヤー用ムービーの修正を行いました(祈)†
前回のトレイルムービー「切断死体の撮影」 wp.me/pa9cvW-3ft ↓
このナイトアタック撮影で分かった事は、自発光するディスプレイをデジカメで撮影すると白飛びしてフルカラーのムービーは何が再生されているのか全然分からないという事、白黒ハイコントラストでなければ視認性を確保できないという事、さらに白背景黒テキストより黒背景白テキストの方が視認性が良いという事です。なのでまずは全て黒背景白テキストに変更、さらにトレイルムービーのスピード感とキンドルムービーのテキストスクロールスピードとがマッチしていない事も分かり、スピードも修正しました。雪山アタックが1年の中でメインの僕にとっては気温が上がって悲しい限りですがたぶんあと1回雪山にアタックできると思います、さらにその時は先週よりだいぶ気温が高くなっていてキンドルも問題なく起動してくれると予測しますので、修正を加えたキンドルムービー(単なる白黒テキストスクロールムービーです、凝った事をしたところで全然見えませんので)を来週さらにテストしてみるつもりです。キンドルが動かなくなる厳冬期以外はできるだけキンドルを使用し手書きフリップを使わない方向で考えています、その方がトレイルムービーのクオリティUPにもつながると思うからです。で、このように作り替えました↓
…はい、これで視認性がさらにUPすると思われますがやってみるまでは分かりません。さっそく次回のナイトアタック時にテストしてみましょう(祈)†
【3/20】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
『シルバーバーチの霊訓②』
人生にはその二つの力が作用しております。原因に対し寸分の狂いもない正確さをもってそれ相当の結果が生じます。結果は原因に従うほかはないのです。その原因もまたそれ以前の原因の結果でありその関係が人生のありとあらゆる側面に途切れる事なく無限に続いております。
『シルバーバーチの霊訓②』
しかしあなたにとって何一つ無駄というものはありません。真理は真理です。どうけなしても真実なものは真実です。ニセモノは早晩消えていきます。が真理はどうケチをつけてもその真実性が損なわれる事はありません。それが真理というものなのです。
『シルバーバーチの霊訓②』
真理というものは一度手に入れたら二度と失う事はありません。他のあらゆるものを失い、取逃がし、人生が底なし沼のように思われる時でも真理だけは必ずあなたの味方になってくれます。不動の決意をもって泰然としていられる堅固な土台を提供してくれます。
『シルバーバーチの霊訓②』
【ここで教師が一つの疑問を提示した。いつも良い証拠を提供してくれる霊媒が金銭問題のような俗世的問題になると頼りにならないという事だった。すかさず他の出席者が「それはその霊媒がそうした問題には不得手なのですよ」と言うと―】
『シルバーバーチの霊訓②』
【シルバーバーチは霊媒を通じて霊にアドバイスを求める際の重大な問題点を指摘した―】それにもう一つ、交霊関係における法則の一つに、霊の側から自発的に述べる情報の方が人間の側からの質問に応じて述べるアドバイスよりも霊的要素が大きいという事があります。
『シルバーバーチの霊訓②』
今のあなたにとって重大と思える純粋に俗世的な問題―五十年後には何でもなかったと思えるでしょうが―を霊にもちかけるという事は、その霊媒にとってはいわば不意打ちを食らわされるようなもので、霊媒能力が慌てます。
『シルバーバーチの霊訓②』
【潜在意識にある能力でしょうか―】そうです。霊媒現象は全て霊媒の潜在意識を使用していますから。【私は仕事の事でいろんな霊媒に質問した事があります。すると動物問題に興味をもっている霊媒は動物愛護の仕事をしろと言います―】
『シルバーバーチの霊訓②』
そんな場合でも、意識的にせよ無意識的にせよ、霊媒自身には“ごまかそう”という意図は全くありません。あなたの方から質問をする。それが大気中へ放射される。内容が地上レベルですから、それが(支配霊でなく)霊媒自身の潜在意識を刺戟する訳です。
現在、イエス様の御意志に従い、霊的知識普及の使命を遂行中。明けても暮れてもテキストを撃ちまくり、霊的知識のタネを蒔いて蒔いて蒔きまくってます。地上のどんな事象より大切な霊的真理の光が人々に広まる事を、イエス様は僕という小さなチャンネルを通して痛烈に訴え、願っておられるのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓②』
霊の方から自発的に俗世的な問題に関するメッセージを送ってきた場合は、それはその時のあなたの霊的発達程度がそうさせたのです。霊からの自発的なアドバイスと、人間側からの質問に対する返答とを区別しなさいと私が言ったのはそういう理由からです。
『シルバーバーチの霊訓②』
そういう訳で、日常的な悩みについて質問する事は感心しませんが、霊の方から日常的な問題についてアドバイスしてきた時は素直に受取って結構です。最も私の場合はそれとは全く別の要素がありますが。
『シルバーバーチの霊訓②』
いずれにしても霊媒の言った事がその通りにならなかったからといって、すぐにそれを“ごまかし”と決めつけてはいけません。支配霊が憑っている時は霊媒の潜在意識が活発に働いています。
『シルバーバーチの霊訓②』
そこへ俗世的な質問をすると、たちまち意識の焦点が地上次元へと下がり、その次元での回答が出されます。最も、そうやって低次元の考えを吐き出させた方が思念の通路が掃除されてサッパリする事がよくあります。
『シルバーバーチの霊訓②』
それがウヤムヤに終ると動揺した潜在意識がその状態のまま最後まで続く事になりかねません。このように二つの世界の交信の過程は実に複雑で入り組んでいる事を知っておく必要があります。【(話が一転して教育問題になった)現代の教育に欠けているものは何でしょうか―】
『シルバーバーチの霊訓②』
人間それ自身についての真理を教える用意が為されていない事です。人間が霊的な宿命を背負っている霊的存在であるという事実へ指向された教育が無い事です。根本的にどの教育も人間は本来が肉体的存在で、それに精神、そして魂と思しきものが宿っていると教えています。
『シルバーバーチの霊訓②』
本来が霊的存在で、それが肉体に宿っている事、今この地上において既に“霊”なのでありそれが自我を発揮し霊性に磨きをかけている事、日々が霊性を豊かにする為の教訓を学ぶ好機であり死後に待ち構えるより大きな生活への準備をしているという事実を教えておりません。
『シルバーバーチの霊訓②』
子供の潜在的能力についての理解、宗教についての理解―これが欠けております。そして大して必要でもない知識を教え込む事に関心が向けられすぎております。
『シルバーバーチの霊訓②』
【肝に銘ずべき事だと思います(と教育一筋に生きてきたその教師は真剣な面持ちで述べた)大半の教師は異論の多い問題を敬遠します。味気ない、ただの歴史的叙術でお茶をにごしています。教師としては卑怯な態度だと思うのです―】
『シルバーバーチの霊訓②』
学校においてこうした霊的真理が教えられる事は大いに望ましい事です。ですが教師自らがそれを真理である事を確信しない事には学校で教えられるようになる事は期待できないでしょう。まだまだ先の長い仕事です。しかし長くても着実です。
『シルバーバーチの霊訓②』
そしてそれは、必要とするところに真理のタネを植える事のできる指導者にまず私たちが働きかける事によって成就される事です。【時間の掛る仕事なのですね(と別の出席者が言うと)―】宇宙の創造自体がそう短い時間で終った訳ではありません。生命は永遠です。
『シルバーバーチの霊訓②』
今あなたを悩ませている問題の多くは百年後にはすっかり忘れられている事でしょう。【私たちも少しは進歩していると思うのですが…(と教師が言うと)―】少しではありません。大いに進歩しておられます。夜の帳が上がり明るさが増していくのが見えます。
『シルバーバーチの霊訓②』
【スワッハー氏はこの運動(スピリチュアリズム)は一般庶民から始まって上の階層へ進まねばならないと言った事があります。私は上層から始めるべきだと思い違いをしておりました―】真理というものは一人一人が納得する事によって広がっていくものです。
『シルバーバーチの霊訓②』
一度に大勢の者を目覚めさせる方法はありません。またそれは“知的探求”によって成就されるものでもありません。無私の行いと、訓えを語って聞かせる事によって人の心を捉える―それしかありません。