「シルバーバーチの霊訓 8巻」より→「人間は問題をことごとく地上的な視点から眺めます。私たちは同じ問題を霊的な視点から眺めます。しかも両者は往々にして食い違うものなのです。例えば“他界する”ということは地上では“悲しい事”ですが、霊の世界では“めでたい事”なのです」
「シルバーバーチの霊訓 9巻」より→「霊力というのは必要な条件さえ整えば地上に奇跡と思える様な事を起こしてみせるものです。私達は地上の存在ではなく霊の世界の住民です。地上の仕事をするにはあなた方にその手段を提供して頂かねばなりません。あなた方は私達の手であり体です」
「シルバーバーチの霊訓 9巻」より→「私達があなた方に代わって生きてあげるわけには参りません。援助はいたしましょう。指導もいたしましょう。心の支えにもなってあげましょう。が、あなた方が為すべき事まで私達が肩代わりしてあげる訳には行かないのです」
「シルバーバーチの霊訓 9巻」より→「霊的資質は永い間潜在的状態を続け、魂が十分に培われた時点でようやく発現し始めるものです。それが基本パターンです。すなわち悲しみや病気、あるいは危機に遭遇し、この物質界に何一つ頼れるものはないと悟った時に初めて魂が目を覚ますのです」
「シルバーバーチの霊訓 9巻」より→「何一つ煩わしい事がなく、空は明るく静かに晴れ上がり、全てがスムーズに運んでいるような生活の中では、真の自我は見出せません。素晴らしい霊的覚醒が訪れるのは、嵐が吹きまくり、雷鳴が轟き、稲妻が光り、雨が容赦なく叩きつけている時です」
「シルバーバーチの霊訓 9巻」より→「進化しつつある魂はラクを求めないものです。挑戦を求めるものです。それが内在する力を表面に引き出し、それだけ霊的に強力となっていきます。苦難はかならずそれだけの甲斐があるものです」
「シルバーバーチの霊訓 9巻」より→「これからも失敗はあるでしょう。何度もしくじる事でしょう。だからこそ地上に生まれてきたのです。もしも学ぶ事がなければ、この地上にはいらっしゃらないでしょう。地上は子供が勉強に来る学校なのです。完全な霊だったら物質に宿る必要はないでしょう」
「シルバーバーチの霊訓 10巻」より→「魂が真の自我に目覚めるのは太陽が光り輝いている時ではありません。バラ色の人生では霊性は発揮されません。危機、挑戦、困難、障害、妨害の中にあってこそ発揮されるのです。それが魂に潜在する神性を自覚する唯一の触媒を提供してくれるのです」
「シルバーバーチの霊訓 10巻」より→「物的なものにはその役割を終えるべき時期が定められております。分解して元の成分に戻っていきます。大自然の摂理の一環として物的身体はそのパターンに従います。が、あなたそのものは存在し続けます。生き続けたくないと思っても生き続けます」
「シルバーバーチの霊訓 10巻」より→「そもそも人間は死んでから霊となるのではなく、元々霊であるものが地上へ肉体をまとって誕生し、その束の間の生活の為でなく、霊界という本来の住処へ戻ってからの生活の為に備えた発達と開発をするのですから、死後も生き続けて当たり前なのです」
「シルバーバーチの霊訓 10巻」より→「地上というところはバイブレーションが重く鈍く不活発で、退屈な世界です。それに引きかえ霊の世界は精妙で繊細で鋭敏です。その霊妙なエネルギーを地上に顕現させるには、各自に触媒となる体験が必要です」
「シルバーバーチの霊訓 10巻」より→「苦を味わわねばなりません。不自由を忍ばねばなりません。それは病気である場合もあり、何らかの危機である場合もあります。それがあなたの魂、神の火花に点火し、美しい炎と燃え上がり始めます。それ以外に方法はありません」(祈)
「シルバーバーチの霊訓 10巻」より→「私たち霊界の者はその人の魂に受入れ準備ができるまで根気強く待つほかないのです。馬を水辺へ連れて行く事はできても水を飲ませる事はできない、という諺があります。本人がその気にならなければどうしようもないのです」(祈)
「シルバーバーチの霊訓 11巻」→「光を見出すのは闇の中においてこそです。喜びを見出すのは悲しみの中においてこそです。真実の自我を見出しはじめるのは地上にはもはや頼りになるものは何もないと思えた時です。これは人生の両極性という、魂が真の自我を見出すための原理の一つです」
「シルバーバーチの霊訓 11巻」より→「嵐も、晴天と同じく、無くてはならないものです。闇も、光と同じく、無くてはならないものです。人間性が鍛えられるのは苦しい試練の中においてこそです。その両極性を体験してはじめて成長しはじめるのです」
「シルバーバーチの霊訓 11巻」より→「私たちはあくまでも謙虚に献身してくれる道具が欲しいのです。献身こそ霊の正貨です。大儀のために献身することこそ気高いのです。なぜならその時あなたは内部の神性を発揮していることになるからです」
「彼らも悪しざまに言われました」シルバーバーチ霊の言葉をタイトルに冠させて頂きました(祈)†
彼らは地上世界にいずれ実現される神のプランを読取り、その日のために物質界の子等の魂を高揚させるべく一身を擲(なげう)ったのでした。彼らも悪しざまに言われました。援助の手を差しのべんとしたその相手から反駁され嘲笑されました。しかしその仕事は生き続けました。それはちょうど、今日世界各地の小さな部屋で行われている、このサークルのような交霊会の仕事が、そのメンバーの名が忘れ去られたのちも末永く生き続けるのと同じです。強大な霊の力が再び地上世界へ注ぎ込まれはじめたのです。いかなる地上の勢力をもってしてもその潮流をせき止める事はできません…続きを読む→
「地球に平和を」この当たり前の願望が一向に実現しない原因は「強姦殺人魔の脅し」です(祈)†
この「地球に平和を」のインスピレーションに反旗を翻す方はひとりたりともいないと心の底から強く信じますが、誰もが心では平和を願っているのにこの腐った狂った物質界ではその当たり前の事がいつまでたっても実現しませんよね。シルバーバーチ霊も「(第1次世界大戦の時に)世界中の人々が戦争などしたくないと心で思っていたのにそれを止める事ができなかった」と仰っています。みんな嫌がっているのになぜ戦争が無くならないのか、それは「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をはじめとした「自分の事を王などと自称している強姦殺人魔どもが「処刑遊び」を続けるために戦争で国民を脅して口を利けないようにして既得権を守ろうとしているから」という事に帰着すると思います…続きを読む→
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→