いろいろテスト中です。毎週山で必ず撮影して帰ってきますのでそれを使用するのが現状ベストのような気がだいぶしてきました。ちなみにお花ちゃんはなかなか取れるものではありません。これはテスト制作です(祈)†
今日の幽体離脱時映像は僕の考えが1ミリも入っていない霊団の勝手な妄想のような内容でした(祈)†
まずは今日の作業進捗ですが、フラー21キャラ設定資料の線画はまだ進行中イヤ苦戦中で、山のアタック前に描き上げたいと思っているのですが微妙な状況です。というのも今日ガマンできずにマイスターバックスタンブラーのテンプレートの作り込みをやってしまったからです。
マイスターバックスタンブラー用に新たに絵を描き起こすというのがやはり僕の使命遂行の状況を考えた時に絶望的に不可能で、山での撮影画像をタンブラー化する、そしてアナログ絵を描き上げたらそれもタンブラー変換する、そして「毎週着せ替えタンブラー」みたいな感じで更新し続けるのがいいかなぁと思い始めています。
画像は先ほど食べたパンです(祈)†
※イヤー今フラーの汎用モード、航行モードを個別に書き出してタンブラーに貼り付けてみたのですが全然カッコ良くない…。マイスターバックスタンブラーの作業はアナログ絵を描く時とは全く異なる美意識で作業すべきですね。
【12/4】霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「差し当っては人間が物質をまとう霊魂である事を認識し、支配する神の法則に従って進歩していく事こそが地上での幸せと死後の向上を導く事を理解すべく努力する事である。洗練され浄化され尽くせる霊のみが入る事を許される天界の事はひとまず脇へ置くがよい」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「その秘奥は限りある人間の目には見る事を得ぬ。天界への門扉は聖なる神霊にのみ開かれる。そしていつの日か十分なる試練と進化の暁に汝もその列に加えられる日もきっと来る事を信ずればそれでよい」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「人間は汝も知る如く一時期を肉体に宿れる“霊魂”なのである。霊体を具えた霊魂であり、その霊体は肉体の死後もなお生き続ける。その事については聖書でも述べられている。仔細の点には誤りも見られるが一応正しいと見てよかろう」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「霊体を地上という試練の場において発達させ、死後の生活に備えねばならぬ。死後の生活は汝の知性の届く限りにおいて無限である。もっとも汝には無限の真の意味は理解できまい。差し当たって汝の存在が永続する事、肉体の死後にも知性が存続すると理解すればよい」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「人間は責任ある霊的存在として自己と同胞と神に対する義務を有する。その昔、汝らの先師達はその時代の知識の及ぶ限り、そして表現し得る能力の限りにおいて霊的生活に適切なる道徳的規範を説いた。しかし彼らの知識の及ばぬ所、伝え得ぬ所にも真理の領域が存在する」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「霊的存在としての人間の最高の義務は“向上進化”の一語、己に関する知識を始め霊的生長を促すあらゆる体験を積む事に要約されよう」
【過去コメ】もし孤独に負けて作品を投げ出し人に逃げてたら、霊性発現はなかったでしょう。一歩も退かなくて本当に良かったと思ってます。決して僕が特別なのではなく、皆さまにも可能性があるのです。艱難辛苦に敢然と立ち向かうのです。信じた道を突き進むのです。霊性発現は夢物語ではありません
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「神を目の前にせる時の人間として相応しき態度は聖書において“天使もその翼もて顔を覆う”とあるがまさにその通りである。人間の霊に最も相応しき畏敬と崇拝の念を象徴している。畏れ多いのである。崇め拝むのであって屈従的恐怖に身をすくめるのではない」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「人間はかりそめにも神の御前にすぐに侍る事を求めてはならぬ。ましてや天使にしてなお知る事を得ぬ深き神秘を覗き込まんとする傲慢な態度は控えねばならぬ。畏敬と崇拝と愛、これこそ神とのつながりにおいて人間の霊を美しく飾る特性である」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「自己の能力の限りにおいて正直にそして真摯にひたすら義務を果たさんと努力する時、その当然の報いとして生き甲斐と向上が得られる。我等が向上を強調するのは人間はともすれば向上の中にこそ霊は真の生き甲斐を見出すとの不変の真理を見失いがちだからである」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「これでよしとの満足は真の魂にとっては後ろ向きの消極的幸福でしかない。魂は過ぎ去りしものの中に腰を下ろす事は許されぬ。過去はせいぜい未来の向上の刺激剤として振り返る価値しか持たぬ」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「過去を振り向く態度は満足の表れであり、未来へ向かう態度は一層の向上を求める希望と期待の顕れである。満足感に浸りそれにて目的を成就したかに思うのは一種の妄想であり、その時魂は退歩の危機にある。正しき姿勢は常により高き目標に向いて努力する事である」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「その絶え間なき向上の中にこそ真の幸せを見出す。これで終わりという時は来ぬ。決して来ぬ。絶対に来ぬ。この事は汝らが人生と呼ぶところの地上の一時期のみに限らぬ。生命の全存在に関しても言える事である」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「肉体に宿りて行える行為は肉体を棄てたのちの霊界の生活に関わりを有する。その因果関係は汝らが死と呼ぶ境界に縛られぬ。それのみでなく霊界にて落ち着く最初の境涯は地上の行為のもたらす結果によって定まるのである」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「怠惰と不純に生活に浸りし霊は当然の成り行きとして霊界にてそれ相応の境涯に落着き積み重ねた悪弊からの浄化を目的とする試練の時期を迎える。犯せる罪を悔恨と屈辱のの中に償い、償うごとに浄化し、一歩また一歩と高き境涯へと向上していく」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「善行の報いは天国における永遠の休息などという感覚的安逸ではない。神の玉座の周りにて賛美歌三昧に耽る事でもない。悔い改めの叫び、あるいは信仰の告白によって安易に得られる退屈極まる白日夢の如き無為の生活でもない」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「義務を果たせる満足感、向上せる喜び、さらに向上する可能性を得たとの確信、神と同胞への一層の愛の実感、自己への正直と公明正大を保持し得たとの自信。こうした意識こそ善の報酬であり、それは努力した後に始めて味わえるものである」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「休息の喜びは働かずして味わえぬ如く、一杯の水の有難さは渇ける者にしか味わえぬ如く、善の報酬は生活に刻苦し人生の埃にまみれ、真理に飢え愛に渇ける者にして始めて真の味を賞味できるものである」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「怠惰なる感覚的満足は我等の望むところではない。あくまでも全身全霊を込めて努力せる後に得られる心の満足であり、しかもそれはすぐまた始まる次の向上進化へ向けての刺激剤でしかないのである」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「徳の貯えは自分自ら一つ一つ刻苦勉励の中に積み重ねたるもの以外には存在せぬ。至福の境涯に至る道は聖者達が辿れる苦難の道と同じ道以外にない」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「一瞬にして罪深い人間を聖者に変え、強かなる無頼漢、卑しむべき好色家、野獣にも比すべき物欲家に霊性を賦与し、洗練し、神の祝福を受けさせ、汝らの言う天国に相応しき霊となす魔法の呪文など、我等は知らぬ。そのような冒涜的想像の産物は我等と縁はない」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「ああ何たる無知!至聖、至純、至善なる霊が常に援助の手を差し延べんと待機しているものを、祈る事を疎かにするが故にその霊との交わりを得る事が出来ぬのである。魂を神に近づける崇拝そして天使を動かす祈り、この二つはいつでも実行可能なる行為である」
「世界心霊宝典1 霊訓」より→「我等は行為を重要視する。何を信じたるやは問わぬ。何を為せるやを問う。なぜなら人間の性格は行為と習性と気質によって形成され、それが霊性を決定づけていくものと理解するからである」
「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」シルキーが悪用されるという意味です(祈)†
僕を殺して口を利けないようにしてからシルキーを盗む、という意味で間違いないものと思われます。この「家族の一員に」というのは「デ〇〇ニー」の事を言っているような気がしてなりませんが。つまりデ〇〇ニーが僕の反論がない状態でシルキーのキャラクターを完全に書き換え霊的意味を完全に抜け落ちさせ、シルキーが我々のキャラであると世界中を洗脳する作品を発表する事によって僕、たきざわ彰人の存在を世界中の人間の脳内から消させる、という意味ではないかと思われます。そしてトランス時に霊団が見せてきた映像で、シルキーが「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」とすごいイヤそうにしていたのです…続きを読む→
「再生」に関する僕の理解に霊団が「正解」と言ってきました。んんん説明してみましょう(祈)†
僕たち肉体をまとって物質界で生活している人間は、たかだか70~80年の尺度でしか自分の人生を考えられませんが、霊界上層界で生活する霊格の高い方々は「人生を永遠という尺度で考えます」僕たち人間に死はありません、人間とは肉体の死後も霊界で永遠に進歩向上の生活を続ける存在ですが、霊界上層界の方々は「知識」としてそれを知っているだけでなく「永遠の人生を自分の霊体で体現している方々」ですから、当然「永遠の尺度」でモノを考える状態がデフォルトの訳です…続きを読む→
「おかしい、みんなそう思ってるぞ」これぞ聡明なる日本国民の皆さまの本心です(祈)†
僕の公言内容をご覧になった方の「これは私には死んでもできない」と感心しておられる思念と思われます。そう思って頂けて感謝ですが「まるで他人事のような感想」はどうかやめて頂きたいですね。皆さまも僕も日本国民です。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の問題は僕たちが解決しなければならない、僕たちのプライド、アイデンティティに関わる緊急命題です。他の誰かがコイツらを倒してくれるのではありません。このバカヤロウどもを滅ぼすのは僕たち日本国民の仕事です。そういう責任感を持って頂きたいのです…続きを読む→
「ピーチピチ立ち上がるのよ、みんな分かってるのよ」国民女子の方々の思念です、何と素晴らしい(祈)†
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および、ピーチピチ(佳子)の出生の真実等を正しく理解して下さった皆さまの、ピーチピチに向けた「応援、鼓舞、背中押し」の思念と思われます。これは本当に素晴らしい思念ですね。ぜひ皆さまにはこういう正しい考え方に到達して頂きたいと願う事しきりですが、その皆さまの善良なる思念を思念だけで終わらせず実際の物的アクションにまで昇華させる事をやらなければなりません。責められるべきは「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁でありピーチピチは被害者で保護される側の人間です。しかし対応を誤ると国民に同情してもらえるはず、味方してくれるはずなのに逆に非難を浴びせられるという事になりかねません(奴隷の女の子たちを見殺しにするという事)ピーチピチ(佳子)にはこのタイミングでキッチリこのバカヤロウどもとの関係を清算し、正しい人生のルートを選択して頂きたいと願わずにはいられません…続きを読む→