僕の心の中にある疑念に対する回答のような、これまでで1番最悪な事を言われています(祈)†

霊性発現(2012年6月)から長い年月にわたって霊団からのインスピレーションを受け続けて生きてきましたが、その10年の中でもっとも最悪と言っても決して大げさでないと思われるインスピレーションが降っています。それは僕が「霊団の手によって僕はこういう最悪をやらされる」と思っていた、まさにその通りの内容なのです。

テキスト先行撃ちをやるつもりでいるのですが、やはりとても撃てないかも知れません。何度も書いている事ですが「僕はこういうヒドイ状況にさせられます」という内容のテキストを、一体どういう気分で、どういう心境で撃ちますか。皆さまどうか自分に置き換えてお考え頂きたいのです。

これも申し訳ないと思いつつもあえて書かせて頂きますが、僕、たきざわ彰人の霊的使命遂行の全体像を全く理解していない、WordPressのホンの浅いレイヤーに目を通しただけ、ましてや霊性発現前の修行の日々の詳細など知るはずもなく、霊性発現して以降の霊団の導きの人知を超えた厳しさにも全く想像力が働かず(体験していなければテキストを読んでも何の事だかさっぱり理解できませんから)ただ幼稚極まる嫉妬の感情を僕に対して抱き、イヤガラセを仕掛けてくる人間に対して言いたい事としましては↓

あなたが僕に対して抱いている嫉妬の感情は、僕がこれまで味わわされてきた、そしてこれから味わう事になる試練、苦しみ悲しみに比べれば太陽とマッチの火ほどの違いがあり、全く取るに足らない感情なんですよ

という事です。これを聞いて多くの方はムカッと来る事でしょう。しかしそのムカつきの感情は僕が霊団に対して抱いている怒り、憎しみの1億分の1であると断言させて頂きます。僕が霊団のせいでやらされる人生がどれだけ最悪なモノであるか、皆さまには全く理解できません。何も知らないで嫉妬を向けてくる、ではあなたがこれをやってみてはいかがですか、と言っても絶対にやろうとせず逃げる事でしょう。

霊的知識の理解のプロセスと一緒です。霊的知識はそれを受け入れる心の準備ができている人間が初めて理解できる性質のモノであって、十分な艱難辛苦の体験を経て魂が耕され、ある一定レベルの人格、謙虚が身に付き、自分が苦しみを味わった事によって他人の苦しみも理解できるようになり同情心も感じられるようになっている、そういう精神状態に到達していなければ霊的なものは受け入れる事ができないのです。

さぁどう表現するべきか頭を悩ませています。本当にヒドいインスピレーション、よくも人の人生をこれだけ破壊しまくってのうのうと霊聴に言葉を響かせて来られるもんだよ、神経、人格を疑うよ。やっぱり説明できなくてインスピレーションの削除を行うかも知れません。何をどうやってもまとめきれない、かも知れない。今日の45分ノートの時間はフラー22本体デザインをやろっかな。考え中(祈)†

未分類

Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†