【3/7】霊界通信 ベールの彼方の生活 2巻 「天界の高地」篇 2 一夫婦の死後の再会の情景

1913年11月27日 火曜日

前回述べたことに更に付け加えれば、地上の人間は日々生活を送っているその身のまわりに莫大な影響力が澎湃(ほうはい)として存在することにほとんど気づいていない。

すぐ身のまわりに犇(ひし)めく現実の存在であり、人間が意識するとせぬとに拘らず生活の中に入り込んでいる。しかもその全てが必ずしも善なるものではなく、中には邪悪なるものもあれば中間的なもの、すなわち善でもなければ悪でもない類のものもある。

よって私がエネルギーだの影響力だのと述べる時、必然的にそこには“それを使用する”個性的存在を想定してもらわねばならない。人間は孤独な存在ではなく、孤独では有り得ず、また単独にて行動することも出来ず、常に何らかの目に見えない存在とともに行動し、意識し、工夫していることになる。

その目に見えぬ相手がいかなる性質(たち)のものとなるかは、意識するとせぬとに拘らず当人自身が選択しているのである。

この事実に鑑みれば、当然人間はすべからくその選択に慎重であらねばならないことになるが、それを保証するのは“祈り”と“正しい生き方"である。崇敬と畏怖の念をもって神を想い、敬意の念をもって同胞を思いやることである。

そして何を行うにも常に守護・指導に当る霊が自分の心の動き1つ1つを見守り注視していること、今の自分、およびこれより変わり行く自分がそのまま死後の自分であること、その時は今の自分にとって物的であり絶対であり真実と思えることももはや別世界の話となり、地球が縁なき存在となり、地上で送った人生も遠い昔の旅の思い出となり、金も家財道具も庭の銘木も、その他今の自分には掛けがえのない財産と思えるものの一切が自分のものでなくなることを心して生活することである。

こちらへ来れば地上という学校での成績も宝も知人もその時点で縁が切れ、永遠に過去のものとなることを知るであろう。その時は悲しみと後悔の念に襲われるであろうが、一方においては言葉に尽せぬよろこびと光と美と愛に包まれ、その全てが自分の思うがままとなり、先に他界した縁故者がようこそとばかりに歓迎し、霊界の観光へ案内してくれることであろう。

では、窓1つない狭き牢獄のような人生観をもって生涯を送った者には死後いかなる運命が待ちうけていると思われるか。そういう者の面倒を私は数多くみてきたが、彼らは地上で形づくられた通りの心をもって行動する。すなわちその大半が自分の誤りを認めようとしないものである。

そういう者ほど地上で形成し地上生活には都合の良かった人生観がそう大きく誤っているはずはないと固く信じ切っている。この類の者はその萎縮した霊的視野に光が射すに至るまでには数多くの苦難を体験しなければならない。

これに対し、“この世的”財宝に目もくれず、自重自戒の人生を送った者は、こちらへ来て抱え切れぬほどの霊的財宝を授かり、更には歓迎とよろこびの笑顔をもって入れ替り立ち替り訪れてくれる縁故者などの霊は、1人1人確める暇(いとま)もないほどであろう。そしてそこから真の実在の生活が始まり、地上より遥かに祝福多き世界であることを悟るのである。

では以上の話を証明する実際の光景を紹介してみよう。

緑と黄金色に輝き、色とりどりの花の香りが心地よく漂う丘の中腹に、初期の英国に見るような多くの小塔とガラス窓をもった切妻の館(やかた)がある。それを囲む樹木も芝生も、また麓の湖も、色とりどりの小鳥が飛び交い、さながら生を愉しんでいる如く見える。

地上の景色ではない。これもベールの彼方の情景である。こちらにも地上さながらの情景が存在することは今さら述べるまでもあるまい。ベールの彼方には地上の善なるもの美なるものが、その善と美とを倍化されて存在する。この事実は地上の人間にとって1つの驚異であるらしいが、人間がそれを疑うことこそ吾々にとりて驚異なのである。

さて、その館の櫓(やぐら)の上に1人の貴婦人が立っている。身にまとえる衣服がその婦人の霊格を示す色彩に輝いているが、その色彩が地上に見当らぬ故に何色とも言うことが出来ない。黄金の深紅色とでも言えようか。が、これでも殆んど伝わらないのではないかと思われる。

さて婦人は先ほどから湖の水平線の彼方に目をやっている。そこに見える低い丘は水平線の彼方から来る光に美しく照り映えている。婦人は見るからにお美しい方である。姿は地上のいかなる婦人にもまして美しく整い、その容貌はさらにさらに美しい。

目は見るもあざやかなスミレ色の光輝を発し、額に光る銀の星は心の変化に応じてさまざまな色調を呈している。その星は婦人の霊格を表象する宝石である。言わば婦人の霊的美の泉であり、その輝き1つが表情に和(なご)みと喜びを増す。この方は数知れぬ乙女(おとめ)の住むその館の女王なのである。

乙女たちはこの婦人の意志の行使者であり、婦人の命に従って引きも切らず動きまわっている。それほどこの館は広いのである。実はこの婦人は先ほどから何者かを待ちこがれている。そのことは婦人の表情を一見すれば直ちに察しがつく。

やがてその麗わしい目からスミレ色の光輝が発し、それと同時に口元から何やら伝言が発せられた。そのことは、婦人の口のすぐ下から青とピンクと深紅色の光が放射されたことで判った。その光は、人間には行方を追うことさえ出来まいと思われるほど素早かった。

すると間もなく地平線の右手に見える樹木の間をぬって、1隻のボートが勢いよくこちらへ向けて進んで来るのが見えてきた。オールが盛んに水しぶきを立てている。

金箔を着せた船首が散らす水しぶきはガラス玉のような輝きを見せながら、あるいはエメラルド、あるいはルビーとなって水面へ落ちて行く。やがてボートは船着場に着いた。着くと同時に眩ゆいばかりに着飾った一団が大理石で出来た上(あが)り段に降り立った。その上り段は緑の芝生へ通じている。

一団は足どりも軽(かろ)やかに上って来たが、中にただ1人、ゆっくりとした歩調の男がいる。その表情は喜びに溢れてはいるが、その目はまだ辺りを柔らかく包む神々しい光に十分慣れていないようである。

その時、館の女王が大玄関より姿を見せ一団へ向って歩を進めた。女王は程近く接近すると歩を止め、その男に懐かしげな眼差(まなざ)しを向けられた。男の目がたちまち困惑と焦燥の色に一変した。すると女王が親しみを込めた口調でこう挨拶をされた。

「ようこそジェームス様。ようやくあなた様もお出でになられましたね。ようこそ。ほんとにようこそ。」

が、彼はなおも当惑していた。確かに妻の声である。が昔とだいぶ違う。それに、妻は確か死んだ時は病弱な白髪の老婆だったはずだ。それがどうしたことだ。いま目の前にいる妻は見るからに素敵な女性である。若すぎもせず老いすぎもせず、優雅さと美しさに溢れているではないか。

すると女王が言葉を継いだ。「あれよりこの方、私は蔭よりあなた様の身をお護りし、片時とて離れたことがございませんでした。たったお1人の生活でさぞお淋しかったことでしょう。が、それもはや過去のこと。かくお会いした上は孤独とは永遠に別れを告げられたのでございます。ここは永遠に年を取ることのない神の常夏の国。息子たちやネリーも地上の仕事がればいずれこちらへ参ることでしょう。」

女王はそう語ることによって自分が曽ての妻であることを明かさんと努力した。そしてその願いはついに叶えられた。彼はその麗わしくも神々しい女王こそまさしく吾が妻、吾が愛(いと)しき人であることを判然と自覚し、そう自覚すると同時に感激に耐えかねて、どっと泣きくずれたのである。

再び甦った愛はそれまでの畏敬の念を圧倒し、左手で両目を押さえ、時おり垣間見つつ、1歩2歩と神々しき女王に近づいた。それを見た女王は喜びに顔をほころばせ、急いで歩み寄り、片腕を彼の肩に掛け、もう一方の手で彼の手を握りしめて厳かな足取りで彼と共に石段を登り、その夫のために用意していた館の中へ入って行ったのであった。

さよう、その館こそ実に2人が地上で愛の巣を営み、妻の死後その妻を弔いつつ彼が1人さびしく暮らしたドーセット(英国南部の州)の家の再現なのである。

私はこの家族的情景を、天界なるものが感傷的空想の世界ではなく、生き生きとして実感あふれる実存の世界であることを知ってもらうために綴ったのである。家、友、牧場 – 天界には人間の親しんだ美しいものが全て存在する。否、こちらへ来てこそ、地臭を捨てた崇高なる美を発揮する。

この夫婦は素朴にして神への畏敬の念の中に、貧しき者にも富める者にも等しく交わる良き人生を送った。こうした人々は必ずや天界にてその真実の報酬を授かる。その酬いはこの物語の夫婦の如く、往々にして予想もしなかったものなのである。

この再会の情景は私が実際に見たものである。実は私もその時の案内役としてその館まで彼に付き添った者の1人であった。そのころは私はまだその界の住人だったのである。

– 第何界での出来ごとでしょうか。

6界である。さて、これにて終りとしよう。私はしみじみ思う – 愛に発する行為を行い、俗世での高き地位よりも神の義を求める、素朴な人間を待ちうける栄光を少しでも知らせてあげたいものと。そうした人間はあたかも星の如くあるいは太陽の如く、辺りの者がただ側(そば)にいるだけでその光輝によって一段と愛らしさを増すことであろう。†

「あなたに悲しみの光を」悲しみでイイから事態を進展させてくれ、閉じ込めは許さぬ(祈)†■2024年1月24日UP■
「あなたに悲しみの光を」悲しみでイイから事態を進展させてくれ、閉じ込めは許さぬ(祈)†
「我々はアキトくんを守ってあげようとしているんだよ」そう言いたいのでしょうが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている奴隷の女の子を目の前にしてそのセリフを言ってもらっていいですか。「目の前にある恐ろしいものを」これも僕が日本の中心に行ったらそういうモノに直面させられるのだそうです。イヤ、だから、そう言うんだったらあんたたちはそもそも僕になんでこの使命遂行をやらせたんだよ。物質界の邪悪を滅ぼすつもりがないんだったら今すぐ僕の人生を元に戻せ。霊的知識を獲得する事の効用のひとつに「物質界に恐れるものがなくなる」というものがありますが、僕は物質界の邪悪な人間に対しても何ら恐怖心を抱く事はありません。僕を脅しているその邪悪な人間の霊格が僕よりはるかに低く、帰幽後に地獄の底の底に落ちていく人間だという事を知っているので、その人間に対して恐怖は抱かず憐れみを感じるのです。(後なるものが先に)…続きを読む→
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†■2023年10月25日UP■
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†
物理霊媒の場合は単純にエクトプラズム量が多い人間を霊媒として使用し、その人間の性格、霊格は関係しないという事なのだそうですが、霊言霊媒という事になるとその霊媒の人間性、人格、霊格が降らせる霊言のクオリティに大きく影響するのだそうです。つまり霊媒の霊格が低ければ降らせる霊言も程度の低い、クオリティの落ちたものになる、イヤ、そもそも支配霊とその人間との間に霊格の差がありすぎて融合する事ができず霊媒として使用できないという事もあります。逆に霊媒の霊格が高ければ高いほど支配霊は語りたい事を自由に語れるようになり、霊言のクオリティが上がるという事になります。支配霊をリーダーとした交霊会運営のための霊団側は高いレベルの霊言を降らせる準備が常に整っています。しかしそのクオリティを維持しながら物質界に霊言を降らせる事は至難の業で、霊媒側の受容能力、信頼感の欠如、霊格の低さ等が障害となって、だいたいにおいて霊側が犠牲を強いられる事になり、当初予定していたものよりクオリティの低い霊言を降らさざるを得なくさせられるのが常のようなのです…続きを読む→
「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†■2023年10月11日UP■
「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†
どんな死に方をしても霊体には一切ダメージはありません。飛行機事故だろうと爆死だろうと溺死だろうと。そもそも肉体と霊体では振動数が違いますので。しかし、いわゆる自然ではない急激な死に方をすると、もともと人間は肉体からそういう急激な離れ方をしないようになっているので、帰幽後に霊体(幽体)の調整が必要になり、場合によってはそれが長くかかる事があるそうです。つまり日航ジャンボ機墜落テロで500人もの国民が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁(美智子)の手によって殺されましたが、それと同じようにこの強姦殺人魔どもは僕、たきざわ彰人の事もだまし討ちで飛行機に乗せて墜落死させようと画策している事は十分に考えられる事です。そうなった時、僕は肉体から自然ではない急激な離れ方をする事になり(かといって霊体になんのダメージもありませんが)調整が長くかかってしまって霊団が僕の帰幽後にやらせようとしている指導霊の仕事に支障が出てしまうから結果殺されるとしてもそういう急激な殺され方にはならないようにしている、という事かも知れません…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†