撃ってみたところで書籍化できない、不毛の作業の極致ですが、しかしムリヤリ心を奮い立たせてテキストを撃ってます。この人生は一体何なんだ。努力してもしても全く何の結果も見えてこない。霊団に横からちょっかい出されずにDreamwork(画家活動)を続けていれば、少なくとも努力して作品を描いた分の反応は返ってきていた。つまりやりがいがあったという事です。

今のこの使命遂行は一体何なんだ。この状況は何だ。言い出しっぺの霊団がまるっきりやる気ゼロ。僕を無気力人間にしようとしてやがる。今日もインスピレーションにてそれっぽい事を言ってきてます。「もうやるな」みたいな感じの事です。じゃあ何やって生きろって言うんだよ。何もせずそのへんに生えてる雑草みたいにボケっとしてろっていうのか。寝ぼけた事を言ってるんじゃあないよ。

とにかく「イエスの少年時代」校正刷りまで完成させて手紙を出しましょう。校正刷り書籍が到着したタイミングで「復刊者コメント」の内容をWordPressにUPさせて頂きます。もし復刊が実現しなかったらこのテキストは誰の目にも止まらないという事になってしまいますので、せめてWordPressにだけはUPしておきましょう。

霊団の態度がまるっきり信じられない。言い出しっぺの人間が正反対の事を言ってくる。どこをどう頭をひっくり返したらそういう言葉になるというのか。イヤ僕が言いたいのはひとつ「やる気がないなら帰幽にしてくれ」という事です。

僕は1秒も物質界に残っていたくないんだよ。やる気がないなら終わりにしろ。帰幽させろ。無目的にダラダラ残されてたまるか。こんな人生は有り得ない。まずは復刊者コメントを撃ち切る事に集中中(祈)†

「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†■2023年8月16日UP■
「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†
この11年、霊団は「人生破壊」以外に何もやりませんでした。口だけをピーチクパーチク動かし、実際の行動は何ひとつ起こしませんでした。人の人生をブチ壊すだけブチ壊しておいて、その補填らしきものは一切なくホッポラカシ。あげくの果てに自分たちで言い出して僕にやらせた仕事を全力でやめさせようとしてくる始末。一体何がどうなってるんだよあんたたちの頭の中は。永遠に理解できない「※地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」霊関連書籍にはこのような記述は一切ありませんが、僕は自身の長きにわたる霊的体験から、絶対の自信をもってこの言葉を公言させて頂きます。地球圏霊界、おかしい、全てがおかしい。全宇宙最低ランクにもほどがある。いくら何でも最悪すぎる。僕は帰幽後、まず実現は不可能と思われますが、一応希望としては地球圏霊界と完全に縁を切るつもりでいます。少なくとも霊団とは縁を切ります。これは絶対です…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→

書籍データを完成させてみたところで、そして復刊が承認されてみたところで復刊実現は15年後という絶望的状況の中「イエスの少年時代」の最終校正を終えました。イヤになるくらい修正箇所がありました。つまり最終校正をやらずに書籍データを作成してたらヤヴァかったという事です。

全然復刊につながらない作業ですのでモチベーションを維持するのが至難の業ですが、これから何とか「復刊者コメント」を撃ってまずはAmazonペーパーバックデータとして完成させます。復刊はできませんので電子書籍データ作成は後回しです。

まずは校正刷りを注文し、それを同梱してあるところに手紙を出します。その校正刷り書籍が手紙送付者の心に響いてお返事が頂ける事を期待してわざわざココまでやるのです。一体僕はいつまで脱出につながらない作業を続けなければならないのでしょうか。恐るべき絶望感が襲ってきます。

「モーゼスの霊訓 上」OCR変換テキストの見直し45%完成中。こちらの作業も急ぎます。この上中下巻は復刊させるつもりの書籍ですのでテキストをしっかり揃えないといけません。地獄の作業がどこまでも続きます全然終わりが見えない。

そしてもう書籍入手、スキャンは終了しているはずなのにまたしても書籍を注文しています。その書籍も復刊できないと思われるので、ただテキスト化を完了させてWordPressにUPするだけとなります。つまり脱出に全くつながらない作業という事になり、やればやるほど僕は苦しい、絶望感が無限に襲い掛かってくるという事になります。

どうやってもこの絶望感を心から取り除く事ができない。克服方法が全くない。もう祈るしかない状況ですが、何しろ僕は霊団に反逆しまくってますので僕の祈りは100%聞き入れられません。それがさらに絶望感を増幅させています。自業自得と言われると言い返せなくて苦しくなる。

書籍のスキャンを開始してから2年が経過しました(2022年5月スタート)これだけ猛烈怒涛に作業しているのにまだ1冊も復刊できていない。このハードルの高さは異常だ、おかしすぎる。

使命遂行と全く関係ない意味不明のところに延々閉じ込められて作業時間が削られている事も復刊できていない要因です。脱出できれば一気に作業時間が捻出できて展望が開けるというのに、なぜ霊団は全力で閉じ込めようとするのか。1億%意味不明。
「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†■2024年5月15日UP■
「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†
この地球、この宇宙は全て【神】のものです。今僕たちがまとっている肉体さえ僕たちのものではありません。全て神からの賜りものであり、僕たちの所有物などというモノは存在しません。物的金銭を蓄積する事ほど愚かな事はありません。肉体は100%朽ち果てるようにできているのですから人間は自動的に帰幽して物質界を離れます。その時、霊界に物質は持って行けません。100兆円稼いでも1円も霊界に持って行けないのです。物質界での金銭の蓄積は全く無意味である事を物質界生活者が理解するのはまだ1000年以上先の話かも知れません。物質界生活中に僕たちがやるべき事は「心を鍛える」という事です「自分を磨く」という事です。それが帰幽後の霊界生活に役立つのであって、霊界人生に何の役にも立たないおこないは、少なくとも僕、たきざわ彰人のブログをご覧の皆さまには慎んで頂きたい、その悟りの壁を突破して頂きたいと願わずにはいられません…続きを読む→

↑こちらのブログで近藤先生の思念と思われるインスピレーション「霊団の言う事を聞きなさい 別の方法で出られる」を紹介しましたが、この先生の言葉のみが現時点の僕の脱出の願望を叶える言葉となります。霊団は僕の希望を叶える事はひとつも言ってきませんので。

果たして「別の方法で出られる」日が来るのか。たぶん僕の予測では老衰で帰幽するまで物質界に徹底的に閉じ込められて、ようやく帰幽できたら「ホラ脱出できたでしょ、言った通りになったでしょ」っていうストーリーだと予測してまして、つまり最後まで閉じ込められるという意味です。それは認めない。最後の1秒まで脱出をあきらめない。脱出方法が消滅しているのにあきらめない。そう思わなければ生きていけない(祈)†
「簡単に推し測ってはいけません」僕が殺されるのはほぼ決定的、問題はその先です(祈)†■2022年3月9日UP■
「簡単に推し測ってはいけません」僕が殺されるのはほぼ決定的、問題はその先です(祈)†
僕の物的肉眼では全体像が見えませんので、ごく一部だけを見ている僕の意見より全体を俯瞰で眺める事のできる霊団の判断の方が最終的に正しいという事を知識として理解していますので、現在の僕には使命遂行が成功していないように映るとしても、より長いスパンで見た時に、アキトくんの使命遂行によって、あの当時は動きがなかったが、あの活動によって十分に“タネ”が蒔かれ、そのタネがアキトくんの帰幽後に芽を出し花を咲かせ、結果的に「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡、物質界の邪悪の消滅、奴隷の女の子の強姦殺人容認システムの破壊へとつながったのだ。という風になるのかも知れません…続きを読む→
「みんなイエス様を支持しています」それは当然。霊界側が僕の小我を支持する訳ないでしょ(祈)†■2022年9月14日UP■
「みんなイエス様を支持しています」それは当然。霊界側が僕の小我を支持する訳ないでしょ(祈)†
これは物質界のお話ではありませんよ、霊界上層界のお話ですよ。要するにイエス様側近の天使の方々がイエス様の導きの方向性を支持しているという意味でしょうが、それは別に当たり前の事であり、僕も霊団に対して怒り憎しみを表明してこそいますが、イエス様が間違っているとか主張するほど愚か者ではありません。僕の小我の感情が大局で見た時に間違っているのは火を見るより明らかな事であり語るまでもありませんので、このインスピレーションに対する反論などみじんもありません。ただムカつくムカつかないで言ったらムカつくんですよ。まだ当分この最悪の状況をやらされると思ったらどうしても頭にくるんですよ…続きを読む→

1917年12月20日 木曜日

さて、吾々はいよいよ第2界へ来た。そして最も多く人の集まっている場所を探しました。と言うのも、かつてこの界に滞在した頃とは様子が変っており、習慣や生活様式に関する私の知識を改めざるを得なかったのです。貴殿にも知っておいていただきたいことですが、地上に近い界層の方がはるか彼方(かなた)の進化した界層に較べて細かい点での変化が激しいのです。

いつの時代にも、地上における学問と国際的交流の発展が第2界にまで影響を及ぼし、中間の第1界へはほとんど影響を及ぼしません。また死後に携えてきた地上的思想や偏見が第2界でも色濃く残っておりますが、それも1界また1界と向上して行くうちに次第に中和されて行きます。

かなり進化した界層でもその痕跡(こんせき)を残していることがありますが、進歩の妨げになったり神の子としての兄弟関係を害したりすることはありません。第7界あるいはそれ以上の界へ行くとむしろ地上生活の相違点が興味や魅力を増すところの多様性(バラエティー)となり、不和の要素が消え、他の思想や教義をないがしろにすることにもならない。

さらに光明界へ近づくとその光によって“神の御業の書”の中より教訓を読み取ることになる。そこにはもはや唯一の言語を話す者のための1冊の書があるのみであり、父のもとにおける一大家族となっております。

それは地上のように単なる遠慮や我慢から生まれるものではなく、仕事においても友愛においても心の奥底からの協調関係から、つまり愛において1つであるところから生まれるものです。

うっかりしていました – 私は第2界のことと、そこでの吾々の用事について語るのでした。そこではみんな好きな場所に好きなように集まっている。同じ民族の者といっしょになろうとする者もいれば、血のつながりよりも宗教的つながりで集まる者もいました。

政治的思想によってサークルを作っている者もいました。もっぱらそういうことだけで繋がっている者は、少し考えが似たところがあればちょくちょく顔を出し合っておりました。

たとえばイスラム教徒は国際的な社会主義者の集団と親しく交わり、帝国主義者はキリスト教信仰にもとづく神を信仰する集団と交わるといった具合です。色分けは実にさまざまで、その集団の構成分子も少々の内部変化があっても、大体において地上時代の信仰と政治的思想と民族の違いによる色分けが維持されていました。

それにしても、吾々第10界からの使者が来ることはすでにその地域全体に知れわたっておりました。と言うのも、この界では地上ほど対立関係から出る邪心がなく、かなりの善意が行きわたっているからです。

かつて吾々が学んだことを今彼らも学んでいるところで、それで初めのうち少し集まりが悪いので、もし聞きたければ対立関係を超えていっしょに集まらねばならぬことを告げた。吾々は小さなグループや党派に話すのではなく、全体を1つにまとめて話す必要があったからです。

すると彼らは、そう高くはないが他の丘よりは小高い丘の上や芝生のくぼみなどに集結した。吾々は丘の中腹に立った。そこは全員から見える位置で、背後はてっぺんが平たい高い崖(がけ)になっていた。

吾々はまず父なる神を讃(たた)える祈りを捧げてから、その岩のまわりに腰を下ろした。それからメンバーの1人が聴衆に語りかけた。彼はこの界のことについて最も詳しかった。本来は第7界に所属しているのであるが、この度は使命を受けてから、道中の力をつけるために第10界まで来て修行したのです。

彼は言語的表現においてなかなかの才能を有し、声を高くして、真理についての考えが異なるごとく服装の色彩もさまざまな大聴衆に向かって語りかけた。声は強くかつ魅力に富み、話の内容はおよそ次のようなものでした。

かつて地上界に多くの思想集団に分裂した民族があった。そうした対立を好ましからぬものと考え、互いに手を握り合うようにと心を砕く者が大勢いた。この界(第2界)に“オレの民族、オレの宗派こそ神の御心に近いのだ”と考える、似たようなプライドの頑迷さが見うけられる。

吾々がこうして諸君を1個の民族として集合させ、神からのメッセージを伝えるのも、これよりのちの自由闊達(かつたつ)にして何の妨げもない進化のためには、まずそうした偏狭さを棄て去ってしまわねばならないからである、と。

これを聞いて群集の間に動揺が見られた。が、述べられたことに何1つ誤りがないことは彼らにも判っていた。

その証拠に彼らの目には、吾々のからだから発する光輝が彼らをはるかに凌(しの)いでいることが歴然としており、その吾々もかつては今の彼らと同じ考えを抱いていたこと、そして吾々が当時の考えのうちのあるものはかなぐり捨て、あるものは改めることによって、姿も容貌も今のように光輝を増したことを理解していたからです。だからこそ静かに耳を傾けたのです。

彼はいったんそこで間を置いてから、新たに彼の言わんとすることを次のように切り出しました。

「さて、主の御国への王道を歩んでおられる同志の諸君、私の述べるところを辛抱強く聞いていただきたい。かのカルバリの丘には実は3つの十字架があった。3人の救世主がいたわけではない。救世主は1人だけである。同じ日に3人の男が処刑されたが、父の王国における地位(くらい)が約束できたのは1人だけであった。

王たる資格を具えていたのは1人だけだったということである。3人に死が訪れた。そのあとに憩いが訪れるのであるが、3人のうち安らかな眠りを得たのは1人だけだった。なぜであろうか。

それは父が人間を自己に似せて創造した目的、および洪水のごとき勢いをもって千変万化の宇宙を創造した膨大なエネルギーの作用について理解し得るほどの優しき哀れみと偉大なる愛と聖純なる霊性を身につけていたのはイエスのほかにいなかったからである。

あまりの苦悩に疲れ果てた主に安らかな眠りを与えたのには、邪悪との長き闘いとその憎悪(ぞうお)による圧倒的な重圧の真の意味についての理解があったからであった。主イエスは最高界より物質界へ降りて差別の世界の深奥(しんおう)まで究(きわ)められた。

そして今や物的身体を離れて再び高き天界へと昇って行かれた。そのイエスが最初に心を掛けたのは十字架上でイエスに哀願した盗人のことであり、次は金貨30枚にてイエスを売り死に至らしめたユダのことだった。ここに奇妙な三一関係がある。が、この3者にも、もう1つの三一関係(神学上の三位一体説)と同じく、立派に統一性が見られるのである。

それは、盗人も天国行きを哀願し、ユダも天国へ行きたがっていた。それを主が父への贈物として求めそして見出した。が、地上へ降りてしかもそこに天国を見出し得たのは主のみだった、ということである。

盗人は死にかかった目で今まさに霊の世界への入口に立てる威風堂々たる王者の姿を見てはじめて、天国は地上だけに存在するものでないことを悟った。一方の裏切者はいったん暗黒界への門をくぐったのちに主の飾り気のない童子のごとき純心な美しさを見てはじめて天国を見出した。

それに引きかえ主は地上においてすでに天国を見出し、父なる神の御国がいかなるものであるかを人々に説いた。それは地上のものであると同時に天界のものでもあった。

肉体に宿っている間においてはその心の奥にあり、死してのちは歩み行くその先に存在した。つまるところ神の御国は天と地を包含していたのである。御国は万物の始まりの中にすでに存在し、その時点において神の御心から天と地が誕生したのであった。

そこで私は、人間1人ひとりが自分にとっての兄弟であると考えてほしいと申し上げたいのである。カルバリの丘の3つの十字架上の三人三様の特質に注目していただきたい。つまり完全なる人物すなわち主イエスと、そのイエスが死後に最初に救った2人である。そこにも神の意志が見出されるであろう。

つまり上下の差なく地上の人間のすべてが最後は主イエス・キリストにおいて一体となり、さらに主よりなお偉大なる神のもとで一体となるということである。そこで、さらに私は諸君みずからの中にも主の性格とユダの性格の相違にも似た多様性を見出してほしいのである。

そして、かく考えて行けば父なる神の寛大なる叡智(えいち)によって多様性をもたらされた人類がいずれは再びその栄光の天国の王室の中にて一体となることが判るであろう。何となれば神の栄光の中でも最も大いなる栄光は愛の栄光であり、愛なるものは憎しみが分かつものを結び合わせるものだからである」

「だいたい2まで書けています」新規の霊言が霊界側で2巻分書き上がっているようです(祈)†■2023年11月22日UP■
「だいたい2まで書けています」新規の霊言が霊界側で2巻分書き上がっているようです(祈)†
「イエスが全部おこなうから」これは僕という霊の道具を使用しての霊的使命遂行の全仕事をイエス様がおこなっているという意味ですが、皆さまにくれぐれもお間違えのないようにして頂きたいのは、イエス様は「スピリチュアリズム普及の総指揮官」であり、個的形態をまとって物質圏付近に降下などできるはずもないはるかはるか向上を果たした超高級霊のお方です。そのイエス様が僕などというグズるお子ちゃまの面倒を見るためにアレコレ手を焼く事は絶対にありません。全体を計画し、想像もつかないほどの大人数の部下(天使)を従えて、指示を与えて仕事を推進するのであり、イエス様が直々に手を動かして仕事をするという事は有り得ないのです。しかし「スピリチュアリズムの真髄」の中に、イエス様が天使の大軍勢を従えて霊媒マッカロウ氏のところまで降下してこられ、実際に霊言を語ったという事が紹介されています。ですのでイエス様が僕という霊媒を使用して霊言を語るという可能性は絶無ではないのかも知れませんが、限りなくゼロに近いでしょう…続きを読む→
「目に見えぬ者によって動かされている、その事実を知る事です」僕もそうありたいと思ってますよ(祈)†■2023年11月8日UP■
「目に見えぬ者によって動かされている、その事実を知る事です」僕もそうありたいと思ってますよ(祈)†
この間部詮敦氏という霊能者が時代を抜きん出たずば抜けた人格者だったという事が分かるのです。近藤先生がこれから物質界生活中になされる仕事の重大さをいち早く見抜き、大学在学中に何と毎週近藤先生のもと(キャンパス内)に足を運んであれこれ教えておられたそうなのです。実の子でもないのにまるで自分の息子のように面倒を見ていたという事です。そして近藤先生が書籍の中で予測で書いていた事ですが、間部詮敦氏は若き日の近藤先生の守護霊および指導霊の存在が当然霊視で見えていたはずですが、それを結局一言も言わず帰幽したのだそうです。どういう事かと言いますと、近藤先生にはその仕事の重大性からとてつもない高級霊団が付いていた事が容易に想像できるのですが、それを若き日の近藤先生に伝えてしまったら近藤先生がのぼせ上ってしまう(霊団に言わないようにクギを刺されていたという事もあるかも知れませんが)ので間部詮敦氏は近藤先生の霊団の事を一言も言わなかった。これはとてつもない事だと思うのです。見えてるんだからフツー言うだろう。隠し通したって本当にスゴイ…続きを読む→
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†■2023年10月25日UP■
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†
物理霊媒の場合は単純にエクトプラズム量が多い人間を霊媒として使用し、その人間の性格、霊格は関係しないという事なのだそうですが、霊言霊媒という事になるとその霊媒の人間性、人格、霊格が降らせる霊言のクオリティに大きく影響するのだそうです。つまり霊媒の霊格が低ければ降らせる霊言も程度の低い、クオリティの落ちたものになる、イヤ、そもそも支配霊とその人間との間に霊格の差がありすぎて融合する事ができず霊媒として使用できないという事もあります。逆に霊媒の霊格が高ければ高いほど支配霊は語りたい事を自由に語れるようになり、霊言のクオリティが上がるという事になります。支配霊をリーダーとした交霊会運営のための霊団側は高いレベルの霊言を降らせる準備が常に整っています。しかしそのクオリティを維持しながら物質界に霊言を降らせる事は至難の業で、霊媒側の受容能力、信頼感の欠如、霊格の低さ等が障害となって、だいたいにおいて霊側が犠牲を強いられる事になり、当初予定していたものよりクオリティの低い霊言を降らさざるを得なくさせられるのが常のようなのです…続きを読む→