【10/2】シルバー・バーチの霊訓 2巻 1章 人のために役立つことを

ここで夫人が良い講演をするにはどうしたらよいかを尋ねた。するとシルバーバーチは、「精神統一をなさる事です。時には煩雑(はんざつ)なこの世の喧騒(けんそう)を離れて魂の静寂の中へお入りになる事です。静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近づき易い時です。
静寂の時こそ背後霊が働きかける絶好機なのです。片時も静寂を知らぬような魂は騒音のラッシュの中に置かれており、それが背後霊との通信を妨げ、近づく事を不可能にします。ですから少しの間でいいのです。精神を静かに統一するよう工夫する事です。すると次第に役に立つ良い考えが浮かんで来るようになります。
背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってきます。どれほど多くの愛があなたの周りを包んでいるか、それが判って頂けないのが残念です。その様子を言葉でお伝えするのは容易ではありません。
人間は目に見え耳に聞こえるものによって現実を判断します。お粗末な手段であるとはいえ、やむを得ない事です。しかし本当は目に見えないところに同じ志を抱く霊が待機し、堕落せる者を立ち上がらせ、心弱き者を元気づけ、困窮せる者を救い、病人を癒(いや)し、肉親に先立たれた人を慰め、道に迷える者、疲れ果て煩悶する者たちに知識と叡智と悟りを授けんとして、その好機を窺っております。あなたには為すべき事があります。そしていずれおやりになる事でしょう。」
もう1人の招待客は出版業を営む男性で、ヨーロッパ中に洪水の如く良書を行き亘(わた)らせる事が夢である。というのは知的水準の高い良書という良書がヒトラー政権のナチ党員によって焼却されてしまい、今その失われた知識を求める声がしきりに聞かれるからである。
シルバーバーチはこの男性に対し、これまでも霊が陰から援助して来ている事実を語り、のっぴきならぬ状態に差し掛かるたびに霊の救いの手が差しのべられてきた事実を指摘した。そして書物を出版する仕事はただの商売と呼ぶ人がいるかも知れないが、立派に神の計画の一翼を担っている事、そして彼の動機の崇高さ故に何物も阻止し得ない事を説いてからこう語る。
「私には人生に疲れ切った人間の数々 – 生活は暗く、あたかも霧と靄(もや)の中で暮らしているような人間、肉体的にも知的にも霊的にもがんじがらめにされた人間が見えます。そこで私どもはその束縛から解き放すための援助の手を差しのべようと願っているのです。
あなたには今心で願っておられる事を成就するチャンスがあります。恐れる事なく、そして立ち塞がる困難に惑わされる事なく、あなたがこれまで3度は試みられた事を今1度試みて頂きたい。真一文字に突き進みなさい。障害と思える事も、近づいて行けば雲散霧消します。
忘れないで下さい。あなたに生命を賦与した力、あなたに息吹を与えたエネルギー、あなたに意識を与えた生命力は、この宇宙を創造し極大極小を問わず全存在に生命を与えたのと全く同じものなのです。心に唯一の目的を抱いて真一文字に進む事です。そうすれば必ずその力があなたを支えてくれます。」

「ロスタイムをここまで利用するのは普通では有り得ない」もう十分だ帰幽にしてくれ(祈)†
そして何の仕事をやらされるのかと思えば(その仕事内容を検討する霊界で催された会議に僕も霊体で参加しています。もっともその会議の内容は全く物的脳髄で反芻できませんでしたが)「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の悲劇の惨状の情報拡散というとんでもない仕事だったのです。霊界高級霊の方々は僕の心の中が丸見えです、僕より僕の事が分かっています。つまり僕なら物質界の邪悪の脅迫に屈せず仕事を続行できると踏んでこの仕事をやらせたのです。そして事実、僕はイエス様を筆頭とした霊界高級霊の方々の期待通り(なのかどうか今となっては疑問ですが)天皇一族が強姦殺人魔であると徹底的に拡散していきました。その情報拡散の中でSNS(Twitter)のアカウントをどれだけ消されてきた事でしょう、もう覚えていないほどやられてきました。そしてこれ以上消されないためにWordPressを開始したのです。つまりどれだけヒドイ目に遭わされても全く使命遂行をやめるつもりがなかったという事です。その部分は霊団の予測的中だったという事です…続きを読む→

「コッチの方が幸せだった」そう言われてもなお僕は閉じ込められるのを拒絶します(祈)†
物質界で赤ちゃんが生まれた時、家族の方々は大喜びしますが、その赤ちゃん(として物質界に降下した人間)の縁故の方々は霊界で泣いて別れを惜しんでいるのです。「あぁ、あの人も陰鬱極まる物質界に降下してしまった」と嘆いているのです。そしてその赤ちゃんが成長し、物質界人生を全うして死ぬ時、家族、友人の方々は泣いて別れを惜しみますが、霊界の縁故の方々は大喜びでその人間を霊界に迎え入れます。「やっと最低界(物質界)の試練を終えましたね、さぁ我々とともに美しい世界(霊界)で共に生活を送りましょう」と、その死者を大歓迎します。(もっともこれは人によってだいぶ差があるようですが)物質界の誕生日を祝うというのは「私は霊的知識を理解していない」と公言しているようなものであり、このような習慣は即刻やめるべきなのですが、残念ながら物質界は無知がはびこっていますのでいまだに霊的な事が全く理解されず、誕生日に「ハッピバースデートゥーユー♪」と歌ってはしゃいでいるのが現状です。物質界に残される事は断じてハッピーなどではなく、帰幽して霊界生活に帰る事が真のハッピーであり、その霊的知識を多くの方が理解し、物質界の誕生日を祝うという間違った習慣を改め、むしろ物質界を去る事になった人間(つまり死んだ人間)を祝うという習慣が根付く日が1日も早く来る事を僕は願わずにいられないのです…続きを読む→
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