1913年12月11日 木曜日

前回の続きである。彫像の立つ空地は実は吾々が上層界からの指示を仰ぐためにしばしば集合する場所である。

これより推進すべき特別の研究の方向を指示するために無数の霊の群れを離れて吾々を呼び寄せるには、こうした場所が都合が良いのである。そこへ高き神霊が姿をお見せになり、吾々との面会が行われるのであるが、その美しい森を背景として、天使の御姿は一段と美しく映えるのである。

その空地から幾すじかの小道が伸びている。吾々は突き当りで右へ折れる道を取り、さらに歩み続ける。道の両側には花が咲き乱れている。キク科の花もあればサンシキスミレもあり、そうした素朴な花が恰(あたか)もダリヤ、ボタン、バラ等の色あざやかな花々の中に混って咲いていることを楽しんでいるかのように、一段と背高(せいだか)に咲いているのが目に止まる。

このほかにもまだまだ多くの種類の花が咲いている。と言うのは、この界では花に季節がなく、常夏の国の如く、飽きることなく常に咲き乱れているのである。

そこここに更に別の種類の花が見える。直径が一段と大きく、それが光でできた楯の如く輝き、あたりはあたかも美の星雲の観を呈し、見る者によろこびを与える。この界の花の美しさは到底言語では尽くせない。すでに述べたように、すべてが地上には見られぬ色彩をしているからである。

それは地上のバイブレーションの鈍重さのせいであると同時に、人間の感覚がそれを感識するにはまだ十分に洗練されていないからでもある。このように – 少し話がそれるが – 貴殿の身のまわりには人間の五感に感応しない色彩と音とが存在しているのである。

この界にはそうした人間の認識を超えた色彩と音とが満ち溢れ、それが絢爛(けんらん)豪華な天界の美を一段と増し、最高神の御胸において至聖なる霊のみが味わう至福のよろこびに近づいた時の“聖なる美”を誇示している。

やがて吾らは小川に出る。そこで道が左右に別れているが、吾々は左へ折れる。その方角に貴殿が興味を抱きそうなコロニーがあり是非そこへ案内したく思うからである。その川から外れると広い眺めが展開する。そこが森の縁(ふち)なのであるが、そこに一体何があると想像されるか。ほかでもない。そこは年中行事を司るところの言わば“祝祭日の聖地”なのである。

地上の人間はとかく吾々を遠く離れた存在であるかに想像し、近接感を抱いていないようであるが、つばめ1羽落ちるのも神は見逃さないと言われるように、人間の為すことの全てが吾々に知れる。

そしてそれを大いなる関心と細心の注意をもって観察し、人間の祈りの中に1しずくの天界の露を投げ入れ、天界の思念によって祈りそのものと魂とに香ばしい風味を添えることまでする。

このコロニーには地上の祝祭日に格別の関心を抱く天使が存在する。そうして毎年めぐり来る大きい祝祭日において、人間の思念と祈願を正しい方向へ導くべく参列する霊界の指導霊に特別の奉納を行う。

私自身はその仕事には関わっていない。それ故あまり知ったかぶりの説明は出来ないが、クリスマス、エピファニー、イースター、ウィットサンデー(※)等々に寄せられる意念がこうした霊界のコロニーにおいて強化されることだけは間違いない事実である。

(※これらは全て霊界の祝祭日の反映であり従って地上の人間の解釈とは別の霊的意義がある。それについてはステイントン・モーゼスの霊界通信『霊訓』が最も詳しい。 – 訳者)

また聞くところによれば“父なる神”をキリスト教とは別の形で信仰する民族の祝祭日にも、同じように霊界から派遣される特別の指導霊の働きかけがあるということであるが、確かにそういうことも有りえよう。

かくて地上の各地の聖殿における礼拝の盛り上がりは、実はこうして霊界のコロニーから送られる霊力の流れが、神への讃仰と祈願で一体となった会衆の心に注がれる結果なのである。貴殿はそのコロニーの建物について知りたがっているようであるが、建物は数多く存在し、そのほとんどが聳(そび)えるように高いものばかりである。

その中でもとくに他を圧する威容を誇る建物がある。数々のアーチが下から上へ調和よく連なり、その頂上は天空高く聳え立つ。祝祭日に集まるのはその建物なのである。その頂上はあたかも開きかけたユリの花弁がいつまでも完全に咲き切らぬ状態にも似ており、それに舌状の懸花装飾が垂れ下がっている。

色彩は青と緑であるが、そのヒダは黄金色を濃縮したような茶色を呈している。見るもあざやかな美しさであり、天空へ向けて放射される讃仰の念そのものを象徴している。

それはあたかも芳香を放出する花にも似て、上層界の神霊ならびに、全てを超越しつつしかも全ての存在を見届け知り尽している創造の大霊へ向けて放たれてゆく。

吾々はこの花にも似た美しい聖殿があたかも小鳥がヒナをその両翼に抱き、その庇護の中でヒナたちが互いに愛撫し合うかのような、美しくも温かき光景を後にする。そしてさらに歩を進める。

さて、小川の上流へ向けて暫し歩き続けるうちに、道は上り坂となる。それを登り続けるとやがて山頂に至り、そこより遥か遠くへ視界が広がる。実はそこは吾々の界と次の界との境界である。どこまで見渡せるか、またどこまで細かく見極めるかは、開発した能力の差によって異るが、私に見えるままを述べよう。

私は今、連なる山々の1つの頂上に立っている。すぐ目の前に小さな谷があり、その向うに別の山があり、更にその向うに別の山が聳えている。焦点を遠くへやるほどその山を包む光輝が明るさを増す。

が、その光はじっと静かに照っているのではない。あたかも水晶の海か電気の海にでも浸っているかのように、ゆらめくかと思えば目を眩ませんばかりの閃光を発し、あるいは矢のような光線が走り抜ける。これは外から眺めた光景であり、今の私にはこれ以上のことは叙述できぬ。

川もあれば建物もある。が、その位置は遥か彼方である。芝生もあれば花を咲かせている植物もある。樹木もある。草原が広がり、その界の住民の豪華な住居と庭が見える。が、私はその場へ赴いて調べることはできない。ただ、こうして外観を述べることしかできない。

それでも、その景色全体に神の愛と、えも言われぬ均整美が行きわたり、それが私の心を弾ませ足を急(せ)かせる。なぜなら、その界へ進み行くことこそ第10界における私の生活の全てだからである。

託された仕事を首尾よく果たした暁には、その素晴らしき界の、さる有難きお方(※)からの招きを受けるであろう。その時は喜び勇んで参ることであろう。(※ザブディエルの守護霊のこと。その守護霊にも守護霊がおり、そのまた守護霊がおり、連綿として最後は守護神に至る。 – 訳者)

が、このことは貴殿も同じことではなかろうか。私とその遥か遠き第11界との関係はまさに貴殿と他界後の境涯と同じであり、程度こそ違え素晴らしいものであることにおいては同じである。

この界につきてはまだ僅かしか語っていないが、貴殿の心を弾ませ足を急かせるには十分であろう。ここで再び貴殿をさきの空地へ連れ戻し、あの彫像の如く常に目をしっかりと上方へ向けるよう改めて願いたい。

案ずることは何1つない。足もとへ目をやらずとも決して躓くことはない。高きものを求める者こそ正しい道を歩む者であり、足もとには吾々が気を配り事なきを期するであろう。

万事は佳きに計らわれている。さよう、ひたすらに高きものを求める者は万事佳きに計らわれているものと思うがよい。なぜなら、それは主イエスに仕える吾らを信頼することであり、その心は常に主と共にあり、何人たりとも躓かせることはさせぬであろう。

では、この度はここまでとしよう。地上生活はとかく鬱陶(うっとう)しく、うんざりさせられることの多いものである。が、同時に美しくもあり、愛もあり、聖なる向上心もある。

それを少しでも多く自分のものとし、また少しでも多く同胞に与えるがよい。そうすれば、それだけ鬱陶しさも減じ、天界の夜明けの光が一層くっきりと明るく照らし、より美わしき楽園へと導いてくれることであろう。†

「物質界再降下」させられるような事を言われています。絶対ヤダ断固拒否(祈)†■2022年10月19日UP■
「物質界再降下」させられるような事を言われています。絶対ヤダ断固拒否(祈)†
奴隷の女の子を「処刑遊び」と称して四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっている「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が「私は病人です」と言ってきたとして、それとコイツらの大罪と何の関係があるのですか、という事です。幼い女の子を500人1000人、強姦殺人した人間が、病気になるとその大量強姦殺人罪が帳消しになるのですか。皆さま【神】は僕たち人間全員に「理性、良心」という絶対に狂う事のない判定装置を組み込んでおられます。皆さまの理性、良心はどのような回答を導き出しますか。あえて断言しますが、メディアが流してくる情報は99%ウソです。明仁、文仁、徳仁、悠仁が大粒の涙を流して「私は病人です、許して下さい」と演技映像を流してきたとして、皆さまはそのウソ泣き演技にコロッとダマされるおめでたい国民ではないはずです…続きを読む→
■アナログ絵345「フラー01ver3.0カラーリング」UP。イエス様搭乗機です(祈)†■2022年10月12日UP■
■アナログ絵345「フラー01ver3.0カラーリング」UP。イエス様搭乗機です(祈)†
Dreamwork、画家時代を彷彿とさせる壮絶な描画負荷を経てようやくフラー01ver3.0、イエス様搭乗機を完成までもってくる事ができました。この機体は本当に長い道のりでした。イエス様搭乗機のひとつ前の機体、フラー01ver2.0がだいぶ古い機体でしたのでどうしてもバージョンアップの必要性がありました。キャラのレオ(ライオンちゃん)の変形ギミックをどうしても完成させられなくて何度もボツを繰り返しては立ち上がり、フラー本体のカラーリングではパーツひとつひとつに個別にグラデーションをかけねばなりませんでしたので大変な時間がかかってしまいました。何度も心が折れながらの作業となりました。やっとの思いで塗り終えてみて、全体を眺めてみて、まぁまぁ納得のいく機体に仕上がったのではないでしょうか。色を塗るのはもうご勘弁といった感じですがストーリーは白黒原稿ですので、ぜひストーリー上にはこの機体を登場させたいものです…続きを読む→
「続けられなくさせられる」霊的使命遂行を続けられなくさせられるという意味です(祈)†■2022年11月16日UP■
「続けられなくさせられる」霊的使命遂行を続けられなくさせられるという意味です(祈)†
人の夢を破壊して、全然違う人生をやらせて、あげくの果てに何の結果にも到達せず元に戻れだと?だったら時間を返せ。お前らのちょっかいのせいで描けるはずだったのに描けなくさせられた作品の責任を取れ。何より奴隷の女の子を見殺しにする事を決定した、それを納得させる説明をしてみろ、できるものならやってみろ。おかしい、コイツら(霊団)完全におかしい。しかし霊団がこれほどおかしい事を言ってくるその理由は、それくらい僕に危機が迫っているという事の裏返しでもあるのです。普通なら自分を守ってくれているのですから感謝すべきなのでしょうが、僕は「帰幽カモン」です。この狂った腐った物質界に1秒たりとも残っていたくない男です。僕の生き死にはどうでもいいから仕事を達成させろよ!…続きを読む→

今日明日中に描き始めるつもりでいたのですが、キャラデザがまだ固まりませんのでモチョト時間がかかりそうです。「シルバーバーチの霊訓3巻」のテキスト見直しを続行しつつ「イエスの少年時代」の書籍データの作成を続行しつつ、表紙用のキャラデザを煮詰めましょう。

霊団からは絶望的な、突き放すような事を言われていますが、そう言われてどうしろというのか。僕は僕にできる事を最大限やっている、これ以上努力できない限界の限界までやっている。何を言っているのかサッパリ意味不明。次回長文ブログも暗雲が立ち込めていますがまずは眼前の作業に集中するより他にどうしようもありません。

書籍データはガンガン作り続けていくのです。作れば作るほどあとあと自分を助ける事になるはずだからです。先行、先行、とにかく作りまくる(祈)†

「イエスの少年時代」「イエスの成年時代」「イエスの弟子達」この3冊の表紙の線画を一気に描いてしまおうかと思っているのですが、その表紙に描こうと思っている人物の大ざっぱな外観だけでも参考にしようという事でググるのですが、宗教画しか出てこない。僕は宗教臭の漂うモノが大キライなのです。これヤダ、参考にしたくない。

とはいえまるっきりあてずっぽうで描く訳にもいかないし、困ったな。んー、その道の人に怒られると思いますが(怒られる以前に相手にされないでしょうが)やはり僕なりの絵で現代風に描いてみようと思います。どうしても宗教画のマネをする気にはなれない。

AffinityPublisherでひとつ新たな作業法を試しています。コレをする事によりこれまでより若干作業スピードが向上するものと思われます。何しろ僕が復刊しようとしている冊数が70冊以上ありますので、少しでも自分で自分を助けるアイデアを出していかないと苦しいばっかりになってしまいますので。

そして法律事務所からの返事が来ない事で(著作隣接権者の連絡先を入手したかったのです)いよいよ回避したかったおーふぁん的なモノをやらざるを得なくなりました。もう避けて通れませんやるしかありません。先行で書籍データを複数作成しておいて正解でした。

で、おーふぁん的なモノはサイトを見た限りで言うと正味1ヶ月程度かかるとの事ですので、一応目標を「5月末までにまず最初の1冊目をペーパーバック、電子書籍、両方揃えた状態でAmazonで販売状態にもっていく」という風に設定する事とします。まぁたぶんズレ込むと思いますがとにかくまず1冊販売開始状態にする事を目指します。

さぁ表紙どしよかな。いちばん無難なのは、ももちゃん、シルキーを前面に出す事ですが、この3冊に関してはチョト違うかな。現在クロッキーに向かってアレコレ思案しているところです、キャラデザのラフを描いています。さぁ困った。「シルバーバーチの霊訓3巻」テキスト見直し45%完成中ですが一旦止めて線画に集中しないといけません(祈)†
「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†■2022年6月22日UP■
「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†
撮影中ずっと話しかけていたので結構疲れましたが、長い撮影を終えて「ゴールタイムが遅れるからもう帰るわよ♪牛ちゃんまた来るわよ♪」と言ってデジ一眼をザックにしまっていると、牛ちゃんが僕の動きに合わせて大移動を開始。僕が帰る方向にずっとついてくるのでした。そして柵の一番端まで来てそこでたくさんの牛ちゃんが群れながら僕を見送ってくれたのでした。僕は少し感動しつつ牛ちゃんに声をかけながら手を振ってお別れし、ゴールの駐車場に急いだのでした。僕は物質界では徹底的にヒドイ目に遭わされながら生活しています。霊団に完全に人生を破壊され心の中は怒りでイッパイの状態で使命遂行していますが、今回のアタックでは牛ちゃんたちのおかげで少し心が安らいだのでした。牛ちゃんは霊界の人間(霊団)と違って優しかったです…続きを読む→
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†■2022年8月10日UP■
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†
霊界と物質界つまり顕幽をつなぐ通信方法としてもっとも健全かつ正常な手段が「インスピレーション」であり、霊界側にとっても、物質界の人間が霊的チャンネルを開いてくれてインスピレーションを受け取れるようになってくれる事が一番手間が省けるという事なのです。霊媒現象を実現させようと思ったら、異なる次元間にあんなメンドクサイ橋、こんなメンドクサイ橋をかけねばならず、また決まって人間側の無理解、無知、不信心が障害となって霊界側の長年の準備が泡と消されてしまうという事が往々にしてあるそうです…続きを読む→
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†■2022年10月5日UP■
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†
僕が奴隷の女の子を救出すると、その霊団が降らせて教えてきた物的攻撃に晒される事になり、霊団はその攻撃から僕を守るために奴隷の女の子の救出をあきらめざるを得ないといったような事を言っているのです。そして奴隷の女の子の事をあきらめさせるために交霊会の事をずっと言い続けてくるのです。「アキトくんの気持ちは分からないでもないが、奴隷の女の子たちは自らの罪障消滅のため、霊的向上のために自ら志願してその人生を選択し、奴隷の女の子として物質界に降下した人間なのだ。それよりキミは自分の使命遂行を成功させる事を考えなさい」とでも言っている霊団の声が聞こえてきそうです。要するに奴隷の女の子たちを見殺しにするのは非情というのとは違う、霊的視点に立って考えないと真実の理解には到達しない、という事なのですが、この心の中に渦巻く釈然としない気持ちはどうやっても拭う事ができません…続きを読む→

1913年12月9日 火曜日

私の望み通り今宵も要請に応じてくれた。ささやかではあるが、これより貴殿をはじめとして他の多くの者にとって有益と思えるものを述べる私の努力を、貴殿は十分に受け止め得るものと信ずる。

たとえ貴殿は知らなくても、貴殿にそれを可能ならしめる霊力が吾々にあり、それを利用して思念を貴殿の前に順序よく披瀝して行く。いたずらに自分の無力を意識して挫けることになってはならない。

貴殿にとってこれ以上は無理と思える段階に至れば、私の方からそれを指摘しよう。そして吾々も暫時ノートを閉じて他の仕事に関わるとしよう。

では今夜も貴殿の精神をお借りして引き続き第10界の生活について今少し述べようと思う。ただ、いつものように吾々の界より下層の世界の事情によってある程度叙述の方法に束縛が加えられ、さらには折角の映像も所詮は地上の言語と比喩の範囲に狭(せば)められてしまうことを銘記されたい。

それは已むを得ないことなのである。それは恰(あたか)も1リットルの器に10リットルの水は入らず、鉛の小箱に光を閉じ込めることが出来ぬのと同じ道理なのである。

前回のべた大聖堂は礼拝のためのみではない。学習のためにも使用されることがある。ここはこの界の高等学院であり、下級クラスを全て終了した者のみが最後の仕上げの学習を行う。

他にもこの界域の各所にさまざまな種類の学校や研究所があり、それぞれに独自の知識を教え、数こそ少ないがその幾つかを総合的に教える学校もある。この都市にはそれが3つある。

そこへは“地方校”とでも呼ぶべき学校での教育を終えた者が入学し、各学校で学んだ知識の相対的価値を学び、それを総合的に理解して行く。この組織は全世界を通じて一貫しており、界を上がる毎に高等となって行く。

つまり低級界より上級界へ向けて段階的に進級していく組織になっており、1つ進級することはそれだけ霊力が増し、且つその恩恵に浴することが出来るようになったことを意味する。

教育を担当する者はその大部分が1つ上の界の霊格を具えた者で、目標を達成すれば本来の界へ戻り、教えを受けた者がそのあとを継ぐ。その間も何度となく本来の上級界へ戻っては霊力を補給する。かくて彼らは霊格の低い者には耐え難い栄光に耐えるだけの霊力を備えるのである。

それとは別に、旧交を温めるために高級界の霊が低級界へ訪れることもよくあることである。その際、低級界の環境条件に合わせて程度を下げなければならないが、それを不快に思う者はまずいない。そうしなければ折角の勇気づけの愛の言葉も伝えられないからである。

そうした界より地上界へ降りて人間と交信する際にも、同じく人間界の条件に合わさねばならない。大なり小なりそうしなければならない。天界における上層界と下層界との関係にも同じ原理が支配しているのである。

が同じ地上の人間でも、貴殿の如く交信の容易な者もあれば困難なるものもあり、それが霊性の発達程度に左右されているのであるが、その点も霊界においても同じことが言える。

例えば第3界の住民の中には自分の界の上に第4界、第5界、あるいはもっと上の界が存在することを自覚している者もおれば、自覚しない者もいる。それは霊覚の発達程度による。

自覚しない者に上級界の者がその姿を見せ言葉を聞かせんとすれば、出来るだけ完璧にその界の環境に合わさねばならない。現に彼らはよくそれを行っている。

もとより、以上は概略を述べたに過ぎない。がこれで、一見したところ複雑に思えるものも実際には秩序ある配慮が為されていることが判るであろう。地上の聖者と他界した高級霊との交わりを支配する原理は霊界においても同じであり、さらに上級界へ行っても同じである。

故に第10界の吾々と、さらに上層界の神霊との交わりの様子を想像したければ、その原理に基いて推理すればよいのであり、地上において肉体をまとっている貴殿にもそれなりの正しい認識が得られるであろう。

– 判りました。前回の話に出た第10界の都市と田園風景をもう少し説明していただけませんか。

よかろう。だがその前に“第10界”という呼び方について一言述べておこう。吾々がそのように呼ぶのは便宜上のことであって、実際にはいずれの界も他の界と重なり合っている。

ただ第10界には自ずからその界だけの色濃い要素があり、それをもって“第10界”と呼んでいるまでで、他の界と判然と区切られているのではない。天界の全界層が一体となって融合しているのである。

それ故にこそ上の界へ行きたいと切に望めば、いかなる霊にも叶えられるのである。同時に、例えば第7界まで進化した者は、それまで辿ってきた6つの界層へは自由に往き来する要領を心得ている。

かくて上層界から引きも切らず高級霊が降りて来る一方で、その界の者もまた下層界へいつでも降りて行くことが出来るのであり、そのたびに目標とする界層の条件に合わせることになる。又その界におりながら自己の霊力を下層界へ向けて送り届けることも出来る。

これは吾々も間断なく行っていることであって、すでに連絡の取れた地上の人間へ向けて支配力と援助とを放射している。貴殿を援助するのに必ずしも第10界を離れるわけではない。もっとも、必要とあらば離れることもある。

– 今はどこにいらっしゃいますか。第10界ですか、それともこの地上ですか。

今は貴殿のすぐ近くから呼びかけている。私にとってはレンガやモルタルは意に介さないのであるが、貴殿の肉体的条件と、貴殿の方から私の方へ歩み寄る能力が欠けているために、どうしても私の方から近づくほかはないのである。

そこでこうして貴殿のすぐそばまで近づき、声の届く距離に立つことになる。こうでもしなければ私の思念を望みどおりには綴ってもらえないであろう。では、私の界の風景についての問いに答えるとしよう。最初に述べた事情を念頭に置いて聞いてもらいたい。では述べるとしよう。

都市は山の麓に広がっている。城壁と湖の間には多くの豪邸が立ち並び、その敷地は左右に広がり、ほとんどが湖のすぐ近くまで広がっている。その湖を舟で一直線に進み対岸へ上がると、そこには樹木が生い繁り、その多くはこの界にしか見られないものである。

その森にも幾筋かの小道があり、すぐ目の前の山道を辿って奥へ入ってゆくと空地に出る。その空地に彫像が立っている。女性の像で天上を見上げて立っている。両手を両脇へ下げ、飾りのない長いローブを着流している。この像は古くからそこに建てられ、幾世紀にも亘って上方を見上げて来た。

が、どうやら貴殿は力を使い果たしたようだ。この話題は一応これにて打ち切り、機会があればまた改めて述べるとしよう。その像の如く常に上方へ目を向けるがよい。その目に光の洗礼が施され、その界の栄光の幾つかを垣間みることができるであろう。†

■2021年6月2日UP■
超久々に霊団最接近の「ブゥン!ブゥン!」という振動音を霊聴に聞きましたが、その意味は…(祈)†
霊団が犠牲を払って地上圏に降下するのには“理由”があります(祈)†だいぶ前にこのようなブログを書いた事がありますが、ここで説明している「ブゥン!ブゥン!」という、霊団が僕の肉体に最接近した時に聞こえる高速振動音を今日再び霊聴に聞きました。ずっとそれが霊聴に響き続けていたせいで寝不足にさせられて正直カチンと来ていますが、この霊団最接近の意味は過去ブログでも「祝福」か「慰め」だと書いていますが、今回は間違いなく悪い方の意味だと予測します…続きを読む→
■2021年2月10日UP■
僕がこの8年間、霊団から強制的に見させられている最悪映像について説明してみます(祈)†
行動には動機がある、と公言し続けていますね。霊団はもちろん僕が刑務所映像を嫌がっている事を把握しています。しかし僕にこれだけ憎まれても見せ続けてくるのには理由、動機があるという事になります。その動機こそ他でもない「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込み奴隷の女の子たちを救出するため、もっと言えば、物質界に長らくはびこる邪悪、この「大量強姦殺人容認システム」とも言うべき仕組みを完全に破壊する、つまり、この大願悲願を成就させるためには霊の道具(アキトくん)にブログを書かせ続けねばならない(あと情報拡散もやらせねばならない)我々はインスピレーション(つまりブログネタ)は降らせる事ができる、が仕事の舞台は物質界なので、物質界に残した道具(アキトくん)がブログを書く時間を確保せねばならない、アキトくんがこの仕事を嫌がっているのは承知しているが、アキトくんがデザインの仕事に戻ってしまったら(ブログDreamworkでも説明していますようにデザインの仕事は大抵都内で通勤時間が往復3時間以上かかり、さらにデザインの仕事は残業が多いので)ブログを書く時間が消滅してしまう…続きを読む→
■2021年1月17日UP■
■アナログ絵316UP、ピーチピチ(佳子)の真実の母親「吉井園(よしいその)さん」です(祈)†
皆さまお分かりの事と思いますがピーチピチ(佳子)は文仁、紀子の娘ではありません「吉井園さんの娘」です。吉井園さんとピーチピチがあまりにもそっくりだったため(母娘なんだから似てて当然なのに)文仁が自分の赤ちゃんドロボーが国民に露呈するのを恐れて吉井園さんを強姦殺人したのです。文仁がピーチピチ(佳子)を盗んだ理由は「S〇X」です。この文仁こそ三千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカであり、天皇一族の滅亡の直接原因は他でもないコイツなのです。正真正銘のS〇Xバカなのです。はい、まずは絵の中に説明テキストを掲載しましたように、吉井園(よしいその)さんはピーチピチ(佳子)の真実の母親です。現在の「イエス様ハンドリング」霊的使命遂行ごく初期の頃に吉井園さんについて触れた事がありますが…続きを読む→

法律事務所からの返事がなく、復刊のめどが未だに立たない状態での作業が続いています。テキストさえそろっていれば、AffinityPublisherへ流し込むのはだいぶ早くできるようになりました。電子書籍データの作成もそんなに難しいものではなさそうです、docxを制作するだけですので。

いちばん大変なのはOCR変換テキストの見直しなのです。これがまだ60冊近く残されています。現在「シルバーバーチの霊訓3巻」の見直し中ですが、とにかく時間がかかる。しかし新規の霊言が降ってこない以上やるしかない。フラーを描きたい衝動に苦しめられていますが今はこれをやるよりしょうがない。フラーをどれだけ描いても脱出につながりませんので。

霊団が、現在の僕の最悪の状況がペナルティであるようなニュアンスの事を言ってきてます。あぁそぉですか、そいつぁーおめでたい。自分の人生を破壊されても努力している人間をイジメるのがあなたたちの仕事ですか。んまぁご立派だこと。これだけヒドイ目に遭わされれば普通ならとっくに使命遂行やめているはずです。

っとと、このお話は深いレイヤーになってしまうので一旦止めて作業続行させましょう。イエスの少年時代、イエスの成年時代、イエスの弟子達、この3巻もデータ化を完了させましょう。そしてOCR変換テキストの見直しをガンバらないと、これが最大の障壁(祈)†

インスピレーションを読み返してますが、とにかく最悪がやってくるのです(祈)†■2022年3月2日UP■
インスピレーションを読み返してますが、とにかく最悪がやってくるのです(祈)†
この10年の努力は一体何だったのか。霊団におべっか使っていれば違う結末になったのか。霊界にはウソが存在しない事を知識として理解していたから僕は常に正直にブログを書いてきた。ウソを並べ立てて霊団を褒め称えておけば閉じ込められずに済んだとでもいうのか。1億歩譲って僕の事は仕方ないとしても、奴隷の女の子を全く助ける気がないというのは一体どういう事なのか。そもそも奴隷の女の子の存在を教えてきたのは霊団だ。教えてきたのに助けるつもりがない、ではなぜももちゃんの事を僕に教えてきたのか。ただの冷やかしだったのか。僕は「正直者がバカを見る」の状態にさせられます。真面目に使命遂行を続けてきた結果がこれですか。本当におもしろい…続きを読む→
「もうごまかしきれません」視点外しの洗脳はもう通用しないという意味です(祈)†■2022年1月12日UP■
「もうごまかしきれません」視点外しの洗脳はもう通用しないという意味です(祈)†
メディアと僕、皆さまがどちらを信じるかは皆さまの「理性、良心」にお任せ致しますが、霊団によると皆さまはメディアのウソ情報より僕のブログの方を信じて下さっているようにお見受け致します。とにかく「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散を徹底的に続行し、完全に全国民周知の事実とする事で明仁、文仁、徳仁、悠仁の「退路」を断ちましょう。言い訳できなくするという事です。そして確実に滅亡させて世界に向けて胸を張って堂々と結果報告ができるようでなければなりません。どこか他の国の人がこの仕事をやってくれるのではありません僕たち日本国民の仕事です。その部分の自覚は持つべきでしょう…続きを読む→
「コイツらだけは絶対許さない」強姦殺人魔、天皇一族に対する皆さまの思念です(祈)†■2021年11月10日UP■
「コイツらだけは絶対許さない」強姦殺人魔、天皇一族に対する皆さまの思念です(祈)†
「この強姦殺人魔どもに対してこれ以外の感情が湧くというのであれば、どういう事なのか説明してもらいたい」という事になります。人間としてこれ以上当たり前の感情はないという意味です。その当たり前の感情がなぜこれほど長い年月にわたって公の場で語られる事が無かったのか、それが「洗脳」と「脅迫」と「視点外し」という事になると思います。まず「洗脳」ですが、世界中の強姦殺人魔は総じてメディアを牛耳っています。そのメディアを駆使して徹底的に自分が善人で国民に人気があって親しまれているという趣旨のニュースを休みなく流しまくり認識を捻じ曲げ続けてきます…続きを読む→

こちらのテスト印刷書籍はテスト1発目で本の作り方もAffinityPublisherの使用法も全く何も分かっていなかった時の制作で、そこらじゅう穴だらけでとてもこのままでは使えませんので新たに作り直しているところです。テキストはありますのでそれを流し込んで、あとは表紙と復刊者コメントを用意すれば書籍完成となります。

その勢いを止めずにそのまま「イエスの成年時代」「イエスの弟子達」も一気に書籍化してしまいましょう、さらに電子書籍データも作成してしまいましょう。1秒たりとも止まっている時間はない。止まる理由がない。

Amazonでペーパーバック、電子書籍というカタチで復刊させるつもりで全ての作業をおこなっていますが、著作権問題とAmazonガイドラインというふたつの問題が障壁となって復刊が実現しない可能性もやはり残念ながら高いのではないかと見ています。

そうなると最悪ストーリー「同人で出す」という事になってしまいます。しかしこの同人のアイデアは脱出こそできませんが本を作るという意味では限りなく自由で、イヤでどうしようもない最悪の場所から1歩も出られない事を別の方法で解決さえできれば、復刊本を自由に楽しくジャンジャン作れる事になります。その別の方法がないんですけども…。

4ヶ所目の法律事務所からの返信はありません、たった今5ヶ所目にメールしました。なぜここまでやるかと言えばおーふぁん回避という事です。おーふぁんをやりたくないんです。著作隣接権者と連絡が取れればおーふぁんを回避できるのでしつこくメールを出し続けているのです。

霊団から相当に絶望的な事を言われています。普通だったらそんな事言われたらもう何もやる気がなくなる、もう使命遂行なんかどうでもよくなる、そういうレベルのヒドイ事を言われています。人生を破壊されてもここまでやっている人間に対して、どういう神経ならそういうセリフが吐けるというのか、もう人格を疑いますよ。とにかく作業だけは続行中「感情と手は別レイヤー」(祈)†
「J9」アナログ絵123に描いたゴールに到達するという意味だと信じたいですが(祈)†■2022年6月22日UP■
「J9」アナログ絵123に描いたゴールに到達するという意味だと信じたいですが(祈)†
そして仕事を休んで遠くの会場まで足を運ばされ、訳の分からないトランスの真似事のようなものを集団でやらされて(今にして思えば僕の回りにいた連中はみんな僕を信者にするためのグルメンバーだったのかも知れませんが)僕はそもそも宗教臭の漂うモノが大キライ、頭にきて頭にきてもうガマンできなくて途中で帰ってしまったのです。これは霊関連書籍に精通しておられる方なら理解できる事と思いますが、要するに霊団が「僕をそういうところ(いかがわしい宗教)から遠ざけて真っ当な霊的活動をさせるためにわざとそこに行かせてキライにさせた」という事なのですが、そうと分かっていてもあの体験は人生最悪でした。もう死んでも行きたくありません…続きを読む→
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†■2022年7月20日UP■
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†
【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→

1913年12月8日 月曜日

前回のべた事柄について引き続き今夜も述べてみたい。前回はスミレ色の光の一団と吾々の界の一団が融合しそして繰り広げた人間の想像を絶する壮麗な光景を叙述した。その栄光が都の上に降りそそぎ、建物も樹木も住民も、全てがそのスミレ色と黄金色の雨の洗礼を受けて一段と輝きを増したのであった。

貴殿には理解がいくと思うが、その一団は吾らの界より一段と高い界からの訪問者であり、こうした際には例外なく贈物として何らかの恩恵を残して行くものなのである。

かくして彼らが去ったあと吾らは更に一段と向上するための力を授かり、都全体がそれまでとはどこか異る崇高さに輝くのであった。

さて、そのとき私はたまたま大聖堂への用事があったので、山道を通って行った。長い登り坂となっていたが、私はこうした時の常として、これから向かう仕事への準備のため、瞑想しつつ1歩1歩ゆっくりと歩んだ。

沿道の少し奥まったところに地上に見るのと同じような拝殿がそこここにあった。その1つ1つの前に少し離れて立ち、両手で目を蔽(おお)って瞑目し、主イエスの道を歩む者としての御力を授かるべく、主との霊的交わりを求めた。

それが終ってふと振り返ると、一見して私の界の者でなく、より高き界からの者と思われる、光り輝く2人の人物を見た。私はすぐに頭を垂れ、目を地面へ落とし、所用を言いつけられるのを待った。

ところが暫く待っても何のお言葉もない。そこで思い切って顔を上げ、まず腰のあたりに締められた帯へ目をやった。そして即座にその2人がその日の訪問団のリーダーに付き添った方であることを見て取った。貴殿らの言う将官付武官のようなものであった。

2人はなおも黙しているので、私はついにそのお顔に目を移した。笑みを漂わせた光り輝くお顔であった。愉しささえ感じられた。その時はじめてしっかりと見つめた。と言うのも、それまではお顔から発せられる光輝のために顔立ちまで見極めることができず、従って自分の知っている方であるか否かの判断がつきかねていたのである。

が、こうした時の手段としてよく行うのだが、そのお2人から霊力をお借りして、ついにはっきりと見極めることが出来た。そこで判った。実はお2人は私が地上近い界層での仕事に携わった時の僚友であった。暗黒界から多くの魂を救出し光明界へと案内した時にお2人に補佐役として仕えたのであった。

私の目にその記憶が蘇ったのを見て、お2人は近づいて両脇からそれぞれ手を取って下さって坂道を登った。そして大聖堂へ近づく途中でまず両頬に口づけし、続いて、それからの同行と会話のために更に霊力を授けて下さったのであった。

ああ、その道中の会話の喜びと愉しさ。曽て手を取り合って活躍した時代の話題に始まり、その日私の界を訪れるに至るまでの話、そして間もなく私が召されるであろう一段と明るく栄光に満ちた世界についての話を聞かせてくれたのであった。

やがて大聖堂に着いた。その道中はお2人の美しさと大いなる栄光の話に魅せられて、いつもより遥かに短かく感じられたことであった。実はお2人はその大聖堂の管理者へのメッセージを携えていた。

それは間もなく彼らのリーダーがその都の領主を伴って訪れ、大聖堂への表敬と礼拝を行い、同時に従者並びにこれより暫し逗留する都のために礼拝を捧げるというものであった。

– その大聖堂を説明していただけませんか。

私に駆使できる範囲の言葉で説明してみよう。聖堂の前面と断崖との間には何の仕切りも見当らない。それ故、都の城壁から少し外れた平地からでもその全容を拝することができる。岩場の平台に切り立つように聳え、アーチが下部から上方へ見事な調和(ハーモニー)を為し、その色彩が上部へ行くほど明るくなっていく。

中心的色彩は何と呼ぶべきか、地上に同じものが見当らないために言うことができない。強いて言えば、ピンクとグレーの調和したものとでも言うほかはない。それでも正確な観念は伝わらない。が、一応、外観はその程度にして、続いて構造そのものの叙述に入ろう。

地上の大聖堂には大きな柱廊玄関が1つ付いているのが普通であるが、それには5つある。1つ1つ構造が異り、色調も異る。それには実は礼拝者への配慮があるのである。もし全員が1つの玄関から入れば、霊力の劣る者が礼拝のためのエネルギーを奪われる虞(おそ)れがある。

そこで5つの出入口を設け、拝廊(ネーブ)において一たん霊力を整え、そこで最初の誓いと礼拝を行う。そのあと更に奥の聖殿の大ホールへと進み、そこで全員が合流する。その時はもはや霊力の弱い者も不快感を伴わなくなっているという次第である。

大ホールの上方は四角の塔になっており、天井が無く、空へ突き抜けている。そして上空には光輝性の雲状のもの、ユダヤ教で言うシェキーナ、つまり“神の御座”に似たものが動めいており、時おり聖堂の建物全体および礼拝者にキリストの生命と祝福を垂れる。

この大ホールのさらに奥にもう1つ、特別のネーブが設けてある。そこは特別の招待を受けた者が天使の拝謁を受ける場所である。そこにおいて招待者は天使より上級界の秘奥についての教えを受けるが、それを許されるのは余ほどの進化した者に限られる。

なぜなら、そこで教わることは神の属性に関する極めて高度なものだからである。しかもそれは僅かずつ授けられる。無節操に炎を求める蛾が身を滅ぼすごとく、神の高度な叡智は1度に多くを手にし、あるいは授かると、魂が危害をこうむることにもなりかねないからである。

私自身はまだその聖殿の内部を覗いたことはない。霊的進化がまだそこまで至っていないからである。その時が至れば、いつでもお呼びがあることであろう。十分な備えが出来るまでは召されぬであろう。

が、次の界へ進化する前には是非ともそこで教育を受けねばならないし、そこ以外には無いのである。目下私はそれに向けて鋭意奮闘しつつあるところである。

以上、その巨大な神殿を幾らかでも描写したつもりであるが、それも大いなる躊躇をもってようやく為し得たことである。何となれば、その実相は余りに荘厳すぎて人間の言葉では到底尽くせないのである。黙示録のヨハネが同志たちに語り聞かせたのも同じような光景であった。

が、彼が伝え得たのは宝石と真珠と水晶と光のみであり、それ以上のものは語り得なかった。今の私がまさにそれである。ためらいを禁じ得ぬのである。そこで私は、残念ではあるが、これにて大聖堂の叙述は終りとする。

どう足掻(あが)いたところで、この第10界の山上に聳える真理と叡智と霊力と祝福の大聖殿に漲る燦然たる壮観を述べ尽くすことはできない。そこはまさに、それら全ての根源であるキリストへ向けての進化において必ず通過せねばならない関門なのである。

– ザブディエル様、私はあなたによる連日の要請がいささか苦痛となってまいりました。できれば1日置きにしていただければと思うのですが、このまま毎日でもやって行けるでしょうか。

貴殿の思うようにすればよい。ただ、このことだけは銘記してほしい。すなわち今は霊力が滞りなく働いているが、このあとどうなるかは測り知ることができない。私は許されるかぎりにおいて貴殿の支えとなる所存であるが、それがもし貴殿の限界ゆえに叶えられないことになれば、もはや何も為し得ない。

が、今の受容的精神状態を続けてくれるかぎり、この通路を可能なかぎり完璧なものに仕上げる所存である。しかし、貴殿の思うようにするがよい。もしも毎日続けることに意を決したならば、その時は貴殿の教会の信者ならびに関係者への必要最少限の書きもの以外は控えてもらいたい。

必要と思えば運動と気分転換のために戸外へ出るがよい。あとは私が力のかぎり援助を授けるであろう。が、受ける側の貴殿よりも与える側の私の方が能力が大である。

それ故、書けると思えば毎日、あるいは職務の許すかぎりにおいて、私の要請に応じてくれればよい。これまでは1日として計画が挫折したことはない。そして多分この後も続け得ることであろう。†

「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†■2023年6月14日UP■
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†
現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†■2023年6月7日UP■
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→

EPUBはソフトとかを使用せずにタグを記述して自分で作る事ができるそうです。かなりいろいろな日本語の表現を再現できるようで、本当にこだわった電子書籍を制作したいなら自分で1から作ってもいいのかも知れません。そんなにむずかしくなさそうだし。

しかし1冊2冊だったらやっても良かったかも知れませんが僕は70冊以上制作しようとしているのです。それも紙の書籍と電子書籍、両方制作しなければなりませんので単純に倍となります。そのテキストを揃えるのがまず先決で(まだOCR変換テキストの見直しが終わっていない書籍が60冊近くあります)パワーのかけどころを間違ってはいけないでしょう。

「インペレーターの霊訓」docxデータ90%完成中。画像のブリード問題があるものの、とりあえずこれでイイんじゃないかなぁ。霊団が宇宙最大級に永遠に許せない事を言ってきてます。そう言われてハイ分かりましたとなる人間がいる訳ネィだろ。

もう僕の人生はガンバリ損のくたびれもうけの状態にさせられる事が決定のようです。努力すれば努力するほど最悪に向かって突き進んでいく。一体何がどうなってるんだよ。「シルバーバーチの霊訓3巻」テキスト見直し30%完成中。これがメチャ時間かかる。コチラにパワーを振り分けないといけません。EPUBは一旦頭の脇に置きましょう(祈)†

「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†■2023年11月15日UP■
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†
肉体は自動的に朽ち果てるようにできていますから、その肉体をまとっての人生で幸福を得ようと考える事がそもそも本末転倒であり近視眼の極致であり、歳をとる事もなく傷つく事もない永遠の若さを保っている霊体をまとっての霊界人生の方に真実の幸福があるのは至極当然の事であり、その霊界生活に備えて物質界で自分を鍛えなければならないのです。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらはその「物質界の学び」を全てキャンセルしてワガママ放題で生活し、仕事もせず奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくって遊んでいます。つまり物質界で学ぶべき事を一切学ばずに帰幽する、霊界生活に何の備えもできていない人間という事になるのです。何の備えもできていませんからもちろん霊界生活に順応もできません、高級霊の方々から仕事を言いつけられる事もありません資格がないのですから。全く役立たずの人間、何の使い道もありませんから当然暗黒の底の底に落ちてそこで反省させられる訳です。それも物質界での苦しい期間をはるかに超える長い年月にわたって暗黒の中で悶絶する事になるので…続きを読む→
「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†■2023年11月1日UP■
「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†
普段上層界で生活している高級霊の方々は波長が低すぎる物質圏付近には降下する事さえできず、降下したとしてもごく短時間しか滞在できないそうです。つまり高級霊であればあるほど最低界の物質界と縁が切れているという事です。で、そこまで上層界では無い境涯で生活している霊は物質圏付近に仕事で降下する事がありますが(僕は間違いなく降下の仕事をやらされるものと思われますが)インペレーター霊が書籍の中でお話しておられますように、物質圏付近に降下すると、地上生活時代の記憶がよみがえり、それが進歩の逆、退歩につながってその霊にとってマズい事になるという事があるそうです。たとえば霊体生活者はもう肉体がありませんが、物質圏に降下すると昔の肉体的煩悩がよみがえってきてそれが退歩につながるのだそうです。もうひとつ、物質界生活時に間違った霊的知識、宗教観等を学んでしまって、帰幽後にその自分の間違いを指導霊に修正してもらって向上を果たした人物が物質圏付近に降下すると、その過去の誤った概念がよみがえってきて霊界で学んだ内容が帳消しになってしまい、それがまた退歩につながるのだそうです…続きを読む→
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†■2023年8月30日UP■
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→

疲れたぁぁぁ。AffinityPhotoのアドオンを駆使してアナログ絵358の色を塗り直しました。全く別物のような絵になっているのでコレをアナログ絵363として再UPさせますが「ベールの彼方の生活4巻」の表紙の絵がアナログ絵362なので、そちらの書籍が到着次第2枚まとめてUPとさせて頂きます。3月末になると思います。

現在AffinityPhotoのアドオンが50%オフで「いま入手するしかないだろう」という事で3つ手に入れています。今後の復刊用書籍、電子書籍、自動書記が発動したとして季刊誌(これは無いモノと予測されますが)等々にこれらアドオンを最大活用して、表紙のクオリティをできる限り高めていくつもりです。

さぁ「インペレーターの霊訓」の電子書籍用の表紙が描き上がりましたので電子書籍本体のデータも完成させるつもりですが、doc、docxで制作するデータは画像を画面いっぱいに表示できないようです。

KPFなら(ブリードと言うそうですが)画面いっぱいまで画像を表示させられるのですが、現時点でKindleCreateはリフローの日本語書籍の制作をサポートしておらず、日本語書籍は制作できないそうですので、ブリードにならない部分が多少気に入らないものの、とりあえずdocxで作るつもり…んー、EPUBで作った方がイイかなぁ。モチョト考えてみましょう。

法律事務所からの返信はありません、いよいよやりたくない最悪の作業に着手しないといけなそうです、何とか回避したくてアレコレ手を撃っているのですが…。復刊のハードルは恐ろしく高い、しかしもうやるしかない、他に道はない。脱出できる日がくる事を最後の1秒まで信じる。

カラーリングの最中に霊団が残念残念言ってくるのです。ウルセィヨ。他にどう努力しろって言うんだよ。今日も自動書記テストやりましたがまるっきり何もなし、残念言うなら自動書記やればいいだろ。何がしたくて生きてるんだよあんたたちは。

太陽神経叢(みぞおちのあたり)がかゆい状態が1ヶ月近く続いています。何か霊的な意味があるのだろうかと思ったりしますが、イヤ何もないでしょう。僕は今僕にできる事を全力でやってるんだよ、他にどうガンバレって言うんだよ。ブリード問題をもう少し調べてみます(祈)†

■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†
永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう…続きを読む→
「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†■2024年1月3日UP■
「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†
「霊的知識普及のための客寄せパンダ」というもので、霊団は試練の境涯である物質界から苦難の元凶(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁)を取り除く事はしない。取り除いてしまったら物質界の存在意義(刑務所としての機能)が果たせなくなってしまうので邪悪は残し続けるが、霊的知識拡散のための「客寄せパンダ」としてこの強姦殺人魔どもを最大活用した、という事なのではないか。さらに言うと「神の因果律」の一環として、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらに徹底的に恥をかかせるという目的も含まれていたのではないかと僕は思っているのです。僕はこのバカヤロウどもはインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」でイイと思っていますが霊界上層界の方々はそうは思っていなくて、何とかコイツらに反省させて進歩向上の糸口をつかませようとしているのかも知れない、それで大恥をかかせて心変わりをさせようとしているのかも知れない、なんて思ってみたりもするのです。そんなムダな努力する必要ネィだろ、コイツら(明仁、文仁、徳仁、悠仁)は絶対反省なんかできネィよ、人間失格なんだよ、霊の海に埋没して存在消滅すればイイんだよ(地獄より下という事)と僕は思うのですが上層界の方々は憐れみをもって眺めますのでそういう視点なのかも知れない…続きを読む→
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†■2023年12月27日UP■
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†
霊的知識を獲得した人は、宜しくないおこないをして帰幽した先にどれだけの地獄が待ち受けているかを知っているので自動的に悪行にブレーキがかかるのです。シルバーバーチ霊も仰っていますように、邪悪な人間というのは霊的成長における「幼児」であり、霊的知識が全く頭に入っていないワガママのお子ちゃまであり、物的金銭を人より多く所有する事でしか自己表現ができない原初的人間という事になるのです。金銭など帰幽後、1円も霊界に持って行けません。そして霊界生活にお金など必要ありません。必要なものは全て思念で拵える事ができます。物質界生活中にお金をため込んでも自分の未来にとって全く無意味という事を悟れていない人間という事なのです。人間は本来が霊であり、その霊が修行のために一時的にトレーニングセンターである物質界に肉体という鈍重な衣服をまとって降下しているのであり、そのトレーニングセンターでのおこないが帰幽後の生活環境、霊界にて赴く境涯を高くしたり低くしたりするという霊的知識の基本中の基本さえ知らない人間が、その無知から邪悪なおこないをするのです…続きを読む→

1913年12月4日 木曜日

いささか簡略に過ぎた嫌いはあるが、天界においてより精妙な形で働いている原理が地上においても見られることを、ひと通り説明した。そこで次は少しばかり趣きを変えて話を進めようと思う。

本格的な形では吾々の世界にしか存在しない事柄をいくら語ったところで、貴殿には理解できないであろうし、役にも立たないであろうが、旅する人間は常に先へ目をやらねばならない。これより訪れる国についての理解が深ければ深いほど足どりも着実となるであろうし、到着した時の迷いも少ないことであろう。

然らばここを出発点として – 物質のベールを超えて全てが一段と明るい霊的界層に至り、まず吾々みずからがこの世界の真相を学ぶべく努力し、そしてそれを成就した以上 – その知識をこののちの者に語り継ぐことが吾々の第1の責務の1つなのである。

他界後、多くの人間を当惑させ不審に思わせることの1つは、そこに見るもの全てが実在であることである。そのことについては貴殿はすでに聞かされているが、それが余りにも不思議に思え予期に反するものである様子なので、今少し説明を加えたいと思う。

と申すのも、そこに現実に見るものが決して人間がよく言うところの“夢まぼろし”ではなく、より充実した生活の場であり、地上生活はそのための準備であり出発点に過ぎないことを理解することが何よりも大切だからである。

何故に人間は生長しきった樫の木より苗木を本物と思いたがり、小さな湧き水を本流より真実で強力と思いたがるのであろうか。地上生活は苗木であり湧き水に過ぎない。死後の世界こそ樫の木であり本流なのである。

実は人間が今まとっている肉体、これこそ実在と思い込んでいる樹木や川、その他の物的存在は霊界にあるものに比して耐久性がなく実在性に乏しい。なぜなら、人間界を構成するエネルギーの源は全て吾々の世界にあるのであり、その量と強烈さの差は、譬えてみれば発電機と1個の電灯ほどにも相当しよう。

それ故人間が吾々のことを漂う煙の如く想像し、環境をその影の如く想像するのであれば、一体そう思う根拠はどこにあるのかを胸に手を当てて反省してみよと言いたい。否、根拠などあろうはずがないのである。

あるのは幼稚なる愚かさであり、他愛なき想像のみなのである。ここで私はこちらの世界における一光景、ある出来ごとを叙述し、遠からぬ将来にいずれ貴殿も仲間入りする生活の場を紹介することによって、それをより自然に感じ取るようになって貰いたいと思う。

この光あふれる世界へ来て地上を振り返れば、地上の出来ごとの1つ1つが明快にそして生々しく観察でき、部分的にしか理解し得なかったことにもそれなりの因果関係があり、それでよかったことに気づくことであろう。

が、それ以上に、こうして次から次へと無限なるものを見せつけられ、1日1日を生きている生活も永遠の一部であることを悟れば、地上生活がいかに短かいものであるかが判るであろう。

さて、スミレ色を帯びたベールの如き光が遠く地平線の彼方に見え、それが前方の視界をさえぎるように上昇しつつある。その地平線と今私が立っている高い岩場との間には広い平野がある。その平野の私のすぐ足もとの遥か下手(しもて)に大聖堂が見える。

これが又、山の麓に広がる都(みやこ)の中でも際(きわ)立って高く聳えている。ドームあり、ホールあり、大邸宅あり。ことごとくまわりがエメラルドの芝生と宝石のように輝く色とりどりの花に囲まれている。広場あり、彫像あり、噴水あり。

そこを、花壇を欺(あざむ)くほどの美しさに輝き、色彩の数も花の色を凌ぐほどの人の群れが行き交っている。その中に、他を圧するようにひときわ強く輝く色彩が見える。黄金色である。それがこの都の領主なのである。

その都の外郭に高い城壁が三か月状に伸び、あたかも2本の角(つの)で都を抱きかかえるような観を呈している。その城壁の上に見張りの姿が見える。敵を見張っているのではない。広い平地の出来ごとをいち速く捉え、あるいは遠い地域から訪れる者を歓迎するためである。

その城壁には地上ならば海か大洋にも相当する広大な湖の波が打ち寄せている。が、見張りの者にはその広大な湖の対岸まで見届ける能力がある。そう訓練されているのである。その対岸にさきに述べたベールのような光が輝いており、穏やかなうねりを見せる湖の表面を水しぶきを上げて往き交う舟を照らし出している。

さて私もその城壁に降り立ち、これより繰り広げられる光景を見ることにした。やがて私の耳に遠雷のような響きがそのスミレ色の光の方角から聞こえてきた。音とリズムが次第に大きくなり、音色に快さが増し、ついに持続的な一大和音(コード)となった。

すると高く聳える大聖堂から一群の天使が出て来るのが見えた。全員が白く輝く長服をまとい、腰を黄金色の帯で締め、額に黄金の環帯を付けている。やがて聖堂の前の岩の平台に集結すると、全員が手を取り合い、上方を向いて祈願しているかに見える。実は今まさにこの都へ近づきつつある地平線上の一団を迎えるため、エネルギーを集結しているのであった。

そこへもう1人の天使が現われ、その一団の前に立ち、スミレ色の光の方へ目をやっている。他に較べて身体のつくりが一回り大きく、身につけているものは同じく白と黄金色であるが、他に比して一段と美しく、顔から放たれる光輝も一段と強く、その目は揺らぐ炎のようであった。

そう見ていた時のことである。その一団のまわりに黄金色の雲が湧き出て、次第に密度を増し、やがて回転しはじめ1個の球体となった。全体は黄金色に輝いていたが、それが無数の色彩の光から成っていた。それが徐々に大きくなり、ついには大聖堂をも見えなくした。それから吾々の目を見張らせる光景が展開したのである。

その球体が回転しつつ黄金、深紅、紫、青、緑、等々の閃光を次々と発しながら上昇し、ついには背後の山の頂上の高さ、大聖堂の上にまで至り、更に上昇を続けて都の位置する平野を明るく照らし出した。気がついてみると、さきほど一団が集合した平台には誰1人姿が見当らない。

その光と炎の球体に包まれて上昇したのである。これはエネルギーを創造するほどの霊力の強烈さに耐え得るまでに進化した者にしかできぬ業(わざ)である。球体はなおも上昇してから中空の1点に静止し、そこで閃光が一段と輝きを増した。

それから球体の中から影のようなものが抜け出てきて、その球面の半分を被(おお)うのが見えた。地平線上の例のスミレ色の光の方を向いた半球はそのままの位置にあり、それが私に正視できぬほどに光輝を増した。見ることを得たのは、スミレ色の光から送られるメッセージに応答して発せられ平地の上空へ放たれたものだけであった。

そのとき蜜蜂の羽音のようなハミングが聞こえてきた。そしてスミレ色の光の方角から届く大オーケストラの和音(コード)と同じように次第にひびきを増し、ついに天空も平野も湖も、光と旋律とで溢れた。天界では、しばしば、光と旋律とは情況に応じてさまざまな形で融合して効果をあげて行くのである。

すでにこの時点において、出迎えの一団と訪問の一団とは互いに目と耳とで認識し合っている。2つの光の集団は次第に近づき、2つの旋律も相接近して美事な美しさの中に融合している。両者の界は決して近くはない。天界での距離を地上に当てはめれば莫大なものになる。

両者は何10億マイル、あるいは何100億マイルも遠く離れた2つの恒星ほども離れており、それが今その係留(けいりゅう)を解(ほど)いて猛烈なスピードで相接近しつつ、光と旋律とによって挨拶を交わしているのに似ている。これと同じことが霊的宇宙の2つの界層の間で行われていると想像されたい。

そうすれば、その美しさと途方もなく大きな活動は貴殿の想像を絶することが判るであろう。そこまで見て私はいつもの仕事に携わった。が、光はその後もいやが上にも増し、都の住民はその話でもちきりであった。この度はどこのどなたが来られたのであろうか。

前回は誰れそれが見えられ、かくかくしかじかの栄光を授けて下さった、等々と語り合うのであった。かくて住民はこうした機会にもたらされる栄光を期待しつつ各々の仕事に勤しむ。天界では他界からの訪問者は必ずや何かをもたらし、また彼らも何かを戴いて帰り住民に分け与えるのである。

それにしても、その2つの光の集団の面会の様子を何とかうまく説明したく思うのであるが、それはとても不可能である。地上の言語では到底表現できない性質のものだからである。実はこれまでの叙述とて、私にはおよそ満足できるものではない。

壮麗な光景のここを切り取りあそこを間引きし、言わば骨と皮ばかりにして何とか伝えることを得たにすぎない。かりにその断片の寄せ集めを10倍壮麗にしたところで、なお2つの光の集団が相接近して会合した時の壮観には、とても及びもつかぬであろう。

天空は嚇々(かくかく)たる光の海と化し、炎の中を各種の動物に引かれたさまざまな形態の馬車に乗った無数の霊(スピリット)が、旗をなびかせつつ光と色のさまざまな閃光を放ちつつ往き交い、その発する声はあたかも楽器の奏でる如き音色となり、それが更にスミレ色の花とダイヤモンドの入り混った黄金の雨となって吾々の上に降りそそぐ。

なに、狂想詩?そうかも知れない。単調きわまる地上の行列 – けばけばしい安ピカの装飾を施され、それが又、吾々の陽光に比すればモヤの如き大気の中にて取り行われる地上の世界から見れば、なるほどそう思われても致し方あるまい。

が、心するがよい。そうした地球および地上生活の生ぬるい鬱陶(うっとう)しさのさ中においてすら、貴殿は実質的には本来の霊性ゆえに地上の者にはあらずして、吾々と同じ天界に所属する者であることを。故に永続性のない地上的栄光を嗅ぎ求めて這いずり回るような、浅ましい真似だけは慎んでほしい。

授かったものだけで満足し、世の中は万事うまく取り計らわれ、今あるがままにて素晴らしいものであることを喜ぶがよい。ただ私が言っているのは、この低い地上において正常と思うことを規準にして霊界を推し量ってはならないということである。

常に上方を見よ。そこが貴殿の本来の世界だからである。その美しさ、その喜びは全て貴殿のために取ってある。信じて手を差しのべるがよい。私がその天界の宝の中から1つずつ授けて参ろう。心を開くがよい。来るべき住処(すみか)の音楽と愛の一部を吾々が吹き込んでさしあげよう。

差し当っては有るがままにて満足し、すぐ目の前の仕事に勤しむがよい。授かるべきものは貴殿の到来に備えて確実に、そして安全に保持してある。故にこの仕事を忠実にそして精一杯尽くすがよい。

それを全(まっと)うした暁には、貴殿ならびに貴殿と同じく真理のために献身する者は、イエスの“おん血”(ヘブル書9)を受け継ぐ王として或いは王子として天界に迎えられるであろう。聖なるものと愛する者にとってはイエスのおん血はすなわちイエスの生命なのである。

なぜならイエスは聖なるものの美を愛され“父”の聖なる意志の成就へ向けて怯(ひる)むことなく邁進されたからである。人間がそれを侮蔑し、それ故に十字架にかけたのであった。

主の道を歩むがよい。その道こそ主を玉座につかしめたのである。貴殿もそこへ誘(いざな)われるであろう – 貴殿と共に堂々と、そして愛をもって邁進する者もろともに。主イエスはその者たちの王なのである。†

「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†■2024年3月13日UP■
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†
皆さま、真実を見つめる眼をお持ちになって下さい。それは【視点外し】と言います。ごまかしです。ペテンです。ウソです。コイツらがどのような言い訳をしてきたとしてもそれをもって大量強姦殺人の大罪が軽減されるという事は絶対にありません。コイツらの言い分に耳を傾けてはなりません。コイツらが何と言ってきてもその視点外しに踊らされる事なく「真実一点」を凝視して下さい。その真実とは「明仁、文仁、徳仁、悠仁が大量強姦殺人魔である」という真実です。その真実から眼をそらせようとするコイツらの作戦にまんまと引っかからないで下さい。そもそも根本的にお考え下さい。大量強姦殺人魔に弁明の機会を与える事自体がまずおかしいのです。発言そのものを許してはなりません、問答無用で独房に入れなければなりません。発言させるならまず逮捕して身柄をしっかり拘束した上で監視下でしゃべらせるべきであって、自由の状態でコイツらが語る内容には一切情報としての価値はないとみるべきです。自身の大罪をゴマかし通そうとしてくるに決まっているからです、それ以外の事を言う訳がないでしょう…続きを読む→
「死ぬぞ」僕が日本の中心に行くと100%殺されるそうですが、ならなぜこの仕事をやらせた(祈)†■2024年1月31日UP■
「死ぬぞ」僕が日本の中心に行くと100%殺されるそうですが、ならなぜこの仕事をやらせた(祈)†
物質界の問題を僕という道具を介して解決しようなどとはサラサラ考えていないのではないか。事実放置してますし。僕の帰幽後の状況がよくなるために苦難を与え続けている、まぁそれは了解としても、あんたたちのやっている事はどう考えてもおかしいんじゃないのか。邪悪に目をつぶりすぎている、奴隷の女の子を見殺しにしすぎている。どうやってもその部分は納得できない。で、僕にその問題を解決する能力がないというなら最初からやらせなければよかっただろ。霊界の人間は物質界の人間の心の中が丸見えだ。僕というキャラがどれだけの力量でどういう仕事はできてどういう事が不得手なのか、僕本人よりあんたたちの方が把握しているはずだ。だったら僕という道具を使用して物質界の邪悪を滅ぼせるか滅ぼせないか事前に分かってたはずだ。つまり最初から何もしないつもりだったんじゃないのか、だから今、僕を閉じ込める事にのみ全力を集中させて僕に何もできないようにしているんじゃないのか、油断していたら僕自身の努力で事態が前進してしまうかも知れないのでそうならないように全力で僕を封じ込めようとしている、そういう事なんじゃないのか。あんたたちは一体何がしたくて生きてるんだよ。霊界の仕事って一体何なんだよ…続きを読む→